2008.10.04

20年ぶりに独立記念館へ

韓国での4日目は、天安市にある「独立記念館」を見学しました。
1987年の開館直後の1988年に、一人旅の卒業旅行で訪ねた際に強烈な印象を受けたのが忘れられず、これからの日韓関係を考える上で避けるわけにはいかないテーマだけに、改めて訪問したいと思っていましたので、逡巡する韓国の友人に無理を言って連れて行ってもらいました。

IMG_2357.JPG

巨大なモニュメントや建物であったのは失念していましたので、規模の大きさには感嘆しましたが、前回衝撃を受けたはずの日本軍の拷問や残虐さを展示しているコーナーではさほどインパクトを受けず、逆にそれに抵抗しながら独立のために戦い続けた展示を見て、ただただ36年間の日帝支配に耐え忍んでいたのではないのを初めて知った思いがしました。

IMG_2364.JPG

当日の通訳は、女子高2年のチャンさんが務めてくれたのですが、アニメが好きで日本への留学を熱望しているという彼女と話していると、日本の同年代が余りに歴史を知らないことは悲しいと言っていましたが、修学旅行では多くの高校生が訪ねているという独立記念館にいきなり行くのではなく、近代において日本と韓国、そしてアジアとの間に何があったのかをきちんと学ぶ必要があると、改めて痛感しました。

途中のサービスエリアでトッポッギという庶民食、水原に戻っての昼食ではカルグクスという韓国うどんをごちそうになり、ソウルに送ってもらってからは最大の繁華街・明洞(ミョンドン)でのショッピング、さらには丸二日一緒してくださったチョンさんの奥様とお子さんも合流して花火大会の見物で鈴なりの人出となっていた南山からの夜景を楽しみながら、観光ではない普通の韓国にふれて今回の訪韓を終えることができました。

8月以来の再会となった3人、今回のセミナーに推薦して手配をしてくれたユンさん、そして今回初めて出会った新しい友人に恵まれて、さらに韓国との交流を進めていこうという気持ちでいっぱいです。

2008.01.27

韓国をめぐるエトセトラ

観光や視察ではない海外渡航は、考えてみると20年前の卒業旅行以来というのも奇遇ですが、やはり普通の生活にふれたり、市民と語らう機会がないと、その国を理解することはできないと思います。
今回の訪韓は、それを思い返す機会になりましたし、ケアを通じた交流や理解の第一歩になると思いますが、そこで感じたさまざまなことを徒然にまとめて報告します。

○変わったこと
一番感じたのは、一流の経済産業国家になった自信のようなものです。
サムソンのTVをはじめ、すでに日本製品を上回る評価を得ているブランドも多く、20年前は三菱のマークが変わっただけだったヒュンダイが自社デザインで世界を席巻するほど、両者の立場が逆転しているのが象徴しています。

それは、以前はアングラでしか流入していなかった日本文化を堂々と受け入れるようになったことからも感じました。
ソウルにはセブンイレブンやファミリーマートが何軒もありましたし、書店に行くと完全にハングル化されたコミックスがずらりと並んでいました。
韓国にとって初めての国際イベントであったソウル五輪前後の高揚感と、前回の「日帝36年の支配」を叫んで金をむしり取られたような危ない目にあうような緊張感から、日韓ワールドカップを共催したことや韓流ブームで変わったものが、韓国の側にこそ大きかったのだろうと思いました。

○変わっていないこと
めざましい発展の一方、扉1枚分しかない間口の露店や、路地に品物を並べて商売をしている人々も多く、アジアらしさが残っているのも事実です。
それから、ソウルには「スターバックス」まで開店していますし、1杯30円程度で飲めるドリップ式の自動販売機も増えましたが、さまざまなところで出されるコーヒーは、砂糖とミルクが最初から入っていて、まだまだ揺るぎない地位を保っているようです。

○交通事情
鉄道においてもKTXという新幹線が開業し、日本で対向1車線でも高速道路と名づけているのが恥ずかしくなるほど網の目のように完備した高速道路といったインフラにも目を見張るものがありますが、何といっても驚くのは交通マナーです。
リムジンバスであっても猛スピードで割り込んでいきますし、道路を漫然と渡っているとクラクションを鳴らされます。
歩行者信号は青が点滅になるのが早く、そこでもせかされている気になりますが、信号が赤であっても車がきていなければ交差点を右折(韓国は右通行・左ハンドルなので、日本でいえば左折)してもよいというのは、なかなか合理的なルールだと思います。

○通信事情
携帯電話は持たず、せっかく持ち込んだMacをネットに接続できる環境にいたのが最終夜のホテルだけでしたので、ブロードバンド大国の恩恵にあずかる機会はほとんどありませんでした。
ただ、「PCバン(房)」というネットカフェが非常に増えていたのが印象的でした。

2008.01.23

変わる韓国、変わらぬ韓国

韓国に来るのは、1988年のソウル五輪直前の卒業旅行、その翌年に友人とツアーに参加して以来のことです。
最初の時は、ビザを取るだけでも一苦労でしたし、金浦空港には警備兵がいて写真も撮れないという厳戒体制でしたが、今回はパスポートに航空券があれば簡単に手続きが済んでしまうので、拍子抜けです。
青森空港とソウル仁川空港との直行便は、韓国からのスキーなどのツアー客が9割以上を占めていて、立場が逆転した感さえありましたが、27日までの4泊5日で見聞した、変わった部分変わっていない部分をトピックごとにお知らせするつもりです。

BubbleShare: Share photos - Cheap Printer Ink

追伸:ネットに接続できる環境だったのが最終日のホテルだけでしたので、帰国後の報告になりました。

KOMIの伝道に、韓国へ

昨年のKOMI理論学会の際に、介護保険制度スタート目前の韓国でKOMIを広めているユンさんとキムさんから、韓国で実際にKOMIを使っている長慶苑のことを話してほしいという依頼に二つ返事で乗ったのですが、いよいよその出発の日になりました。
プレゼンテーションのファイルと草稿を日韓翻訳ソフトで訳したものを校正してもらっていますので、おかしな内容にはならないと思いますが、大学で3年もハングルを学んだ杵柄を披露したいと思っていたのは、読みこなす練習もできないままで韓国に向かう羽目になってしまいました。

それでもソウル五輪の前後に二度訪韓して以来、何と20年ぶりですし、講演を行う益山や施設見学を予定している水原には初めて行くので、楽しみです。
そういうわけで、日曜の午後まではまったく連絡が取れなくなるかもしれませんが、できれば現地からBlogを更新したいと思っていますので、お楽しみに。

2007.08.04

遠来の客と津軽を楽しむ

長慶苑では、ケアの基礎にKOMI理論を置いていますが、アセスメントはできるようになっても、そこからケアプランに展開するのが難しいという現実の壁に、導入している全国の現場が悩んでいます。
この課題解決に、KOMI理論をシステム化するのに尽力してきた日本工業大学の江藤香さんが取り組んでいまして、介護の現場での実情を知るために長慶苑を訪問することになったので、せっかくの機会ということで津軽をご案内しました。

朝イチの便で到着して早々に三内丸山から白神ビジターセンターへと案内し、午後の調査を終えてから弘前ねぷたを観てから長慶苑の夏まつりでもお世話になったばかりの渋谷和生さんの「あいや」で津軽民謡にひたり、翌日は金木町の三味線会館でこれまたご縁のまんじ愛華さんの三味線に太宰治の生家・斜陽館と回ってから、当日の出陣を控えた五所川原・立ちねぶたの館を見学していただいて、青森空港へとお送りしました。

三味線会館や経営主体が変わった斜陽館は私も初見学でしたが、行き慣れている三内や白神でもどん欲に質問される方とご一緒だと知らないで見過ごしていることや気づかないでいたことが多いのを痛感するとともに、他にはない自然や歴史、そして息づいている伝統文化と、すばらしい魅力にあふれたところに住んでいるのを改めて実感し、自分にとっても勉強になるひとときでした。

ちなみに、江藤さんは香という名前ですが、55歳男性ですので、ご心配なく。(笑)

2007.06.28

「いかり」のトリビア

連日の選挙応援で平川市の碇ヶ関地区に入ったのですが、本日最後の街頭演説を駅前で行うというので、はじめてJRの碇ヶ関駅を車窓からではなく見る機会ができました。
ちょうど上野行きの寝台特急が停車したり、通学・通勤帰りの方々が普通列車から降りてきたりという時間でしたが、二つの掲示板がかかっているのが目をひきました。

一つは、津軽の殿様が碇ヶ関の温泉をたいそう気に入って、他に知られないようにと全然効能がないと言いふれさせたという伝承、もう一つは碇ヶ関の地名の由来でした。
「関」というのは、箱根以上に厳しいと言われた関所があったからだというのはよく知られたことですが、「碇」というのはもともと「嗔(いかり)」=水があふれるという語の転化だそうで、よく洪水があった土地だったことによるそうです。
津軽弁で水があふれることを「いかる」というのですが、まさにその語が地名になっていたことも、それが方言ではなくて、いにしえの大和言葉であったのにも驚きました。

選挙の仕方も現地に入らなければわかりませんが、こういう地名の由来もなかなか知る機会がないものなので、足を運んだ甲斐があった気がしました。

2007.05.02

ムースでゆったり

選挙の後始末も一段落しそうだったので、思い立って岩手県松尾八幡平にあるペンション「ムース」に予約をして、家族で出かけました。
ゆっくりと温泉に入って、静寂の中に真空管アンプからのJAZZが流れるのを聴いているうちに、早々と寝入ってしまい、朝まで熟睡することができました。
出かけるまでは、さまざまな不協和音も聞こえていましたが、ホテルや旅館でないところにはじめて泊まって楽しかったようで、坊主は「ここに住みたい!」と言うほどでした。

DSC00802.JPG

翌日は、葛巻町まで足を伸ばし、八幡平を越えて後生掛の温泉地獄、大湯のストーンサークルと、さまざまなところをぐるぐる回っての短い家族旅行でした。

2006.10.15

岩手へ家族旅行

14・15の二日間、家族5人で岩手県に旅行してきました。

花巻で宮沢賢治の記念館、遠野で民話にふれるような場所を見て、三陸海岸まで足を伸ばして帰ってきました。

DSC00371.JPG

写真は、オシラ様を祀っている遠野の伝承園でのものですが、夜は宿の「あえりあ遠野」で語り部による民話を聞き、その後今回の手配をしてくださった菊池永菜さんと一緒に遠野ジンギスカンをたらふく食べました。

考えてみると、これまで何度か遠野に足を運んできたのですが、仕事の用事ばかりで遠野物語の世界にふれることはほとんどありませんでした。
大学時代に民俗学の本もずいぶん読んだのを懐かしく思い出すとともに、こういうゆったりとした時間を、家族とともに過ごすことの大事さを感じました。

This album is powered by BubbleShare - Add to my blog

2004.11.14

ルーツの地

三上姓のルーツ、御上神社をお参りしました。
pht0411140702.jpg

<追記>
御上神社は、琵琶湖の東、野洲市の三上山のふもとにあります。三上山は、俵藤太のむかで退治で有名な山で、神社も古事記の時代からの伝承が残り、本殿は滋賀県の国宝第1号に指定された、由緒あるところでした。

社務所でお札やお守りを買いながら話をさせていただくと、地元には三上姓はほとんどないものの、全国の「三上会」があるそうで、今度連絡をいただけることになりました。実は当日の午後に会の集まりがある日だったのですが、予定を変更するわけにもいかず残念でした。
それでも、ルーツの地を訪ねることができて、すがすがしく帰路につきました。

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック

Twitter

ブクログ

Amazon


  • サーチ:
    キーワード:
    Amazon.co.jp のロゴ

国際漫画展

無料ブログはココログ