2011.11.06

46歳と47歳のはざまで

46歳最後の日だった昨日は、野田村の皆さんとチームオール弘前で作業に参加したメンバーを中心にした市民あわせて約130名での交流登山でしたので、久々にバスに同乗して参加しました。
野田村の最高峰・和佐羅比山は標高814mで電場設備などのために車で上れる道があるとはいえ、ふもとの名水・光明水の湧く地点からは約8kmの行程で心臓破りの坂もあり、大人数での登山であったこともあって時間がかかり、日没過ぎての下山となりました。
それでも山頂からは野田村が一望できましたし、行き帰りの道すがら村の方々とさまざまな話がはずみ、さらには一番縁深い前田やすさんの軽自動車が止まったのを学生たちと一緒に押すというハプニングもあり、前田さんに「やっぱりめぐり合わせだね」と言っていただいたり、8月の復興イベントで見かけた坊主のためにプレゼントを用意してあると声をかけてくださった方もあり、野田村に通ってきた半年間が報われた思いがしました。

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その分、今日はノンビリと一日過ごしていましたが、その間にもFacebookでは100名近い方から誕生祝いのメッセージをいただきました。本当にありがとうございます。
1000人を超える方とつながっているFBですが、そのうち約1割の方が縁を大事にしてくださるというのは、リアルでのつながりがあればこそのことだと思いますし、Twitterでの反応がほとんどないのと比較すると、先日のマニフェスト大賞のライブツイートが激減したのとあわせてソーシャルメディアの力点の移動も痛感します。

こうしてみると、昨年秋からの長慶会騒動、そして今年4月の落選で地位も職も失いましたが、これだけのご縁をいただいているというのは、それで対価を得られるたどうかを抜きにして動いてきた証明だと思いますし、労働=Laborはしていなくても仕事=Workはしていると自負しています。
これを何とか収入につながる形にしていきたいと思いますし、そのためにも前に進むことだけを突きつめていきたいと思います。
それが誕生祝いに朝食の目玉焼きをしてくれるまでになった坊主をはじめとする家族への償いと責任を果たすことだと思いますので、この節目にあたって改めて皆様にもお礼を申し上げ、ご理解ご指導をお願いいたします。

2011.11.02

Think Different, Stay Foolish

スティーブ・ジョブズが亡くなって1ヶ月、公式伝記が先週のⅠ巻に続いてⅡ巻が昨日発売されたので、さっそく電子書籍で購入して両巻とも読了しました。
ジョブズ不在の1994年にMacを使いはじめて以来、ほとんどの製品とサービスを自分で試したきたApple信者として、そしてジョブズの生き方に心酔してきた者として、この機会に記しておきたいと思います。

Appleというコンピュータがあると気づいたのは、PowerBookのTVCMを見た時でした。当時は東京のKFCで働き、東芝のMS-DOSで動く初代DynaBookを使っていたのですが、あまりの違いに驚き、次はこれを使おうと心に決めました。
帰去来してから城東学園に勤め、教務作業用にワープロではなくパソコンを導入することになり、まだWindowsが3.1の時代でしたので周りを言いくるめてデスクトップのPerformaとモノクロ画面のPowerBook520を入れて、PBを自分用にしていたのが最初です。
その後、私物としてPowerBook5300CS、長慶苑設立の事務がはじまった自宅にもPerformaを入れ、それから一番小さい2400cからBook遍歴は続き7台目を使っていますし、復帰したジョブズに封印されたNewtonからPDAを使いはじめ、最初はバックアップ用としてiPodを買い、iPhoneが出るのを待ちわび、議会で使うという理由をつけてiPadを入手したばかりでなく、長慶苑でも自宅でも周りにあるほとんどはMacというほど、Appleに囲まれた生活をしてきました。
当時はジョブズ不在だったのですが、本人が言うほどヒドくはなかったしWindows以上には魅力ある者だと思ったからこそAppleを使ったのですが、創立者であるジョブズ復帰はうれしかったですし、その最初の製品としてボンダイブルーで半透明のiMacが出た時の興奮は忘れられません。

その当時、Appleは"Think Different"という広告で、Windowsとは違うことを強調するキャンペーンをしていました。なぜAppleを使うのか、というのを説明するには最高のフレーズです。
その広告には、それを体現して生きたアインシュタインやエジソン、モハメド・アリやジョン・レノンらが使われていましたが、今考えると一番そのとおりなのはジョブズ本人だと思います。
また、ジョブズはプレゼンテーションの名手として知られていますが、それを超える伝説的なスピーチをスタンフォード大学の卒業式でしたのも有名で、"Stay Hungry, Stay Foolish"というすばらしい言葉を残しています。
今回の伝記で、Thinkの方は広告代理店の発案であり、Stayは先達の残した言葉だというのがわかり驚きましたが、他人のアイデアをけなしておきながら後日自分が考えたように披露するのが日常茶飯事であったというジョブズらしいエピソードですし、その言葉をまさに自らの骨肉にした生き方であったと思います。

Think Different, Stay Foolish/「他人と違うことを考えよ、そして愚直であれ」、この二つの言葉は、以前から私にとっても至高のものでしたし、そのように生きたいと思ってきました。
その根本となる姿勢ばかりでなく、自ら創ったAppleを一度は追われ、次のNeXTも失敗しながらもあきらめず、瀕死のAppleに復帰してから奇跡の回復というより史上最高の会社に立て直すという生きざまは、今は長慶苑を離れて市議の職を失っている私にとっては、まさに手本とすべきものです。
ジョブズにとってのPixarが私にとっての弘前市であり、Appleというべき相馬が一番の地域であるように力を尽くすことこそ、ジョブズが死の瀬戸際までAppleを思っていたことから学ぶべきことです。
もう一つ、ジョブズは公式伝記を書いてもらったのは子どもたちに真実を伝えるためだったそうですが、親が落選し無職ということで辛い思いをさせている我が子たちのことを思うと、私もこの逆境を超えていかなければと思いますし、いつか何を信じて何のためにあがいていたのかを理解してもらえる機会を作りたいと思います。

この伝記は、もうすぐ47歳という節目を迎えるにあたって思いを披瀝し、そして自分のライフスタイルを作ってくれたスティーブ・ジョブズの死を受けとめる貴重な機会になりました。
ジョブズのように最後に一つ、この伝記はiPadで読むべきです。

2010.11.26

血脈から感じる身勝手な思い

北朝鮮砲撃や海老蔵大けがと並んで、青森県内では無資格脱毛で「真奈ティ」こと若杉真奈美逮捕を地元紙が大きく報じています。

エステ店経営のかたわら、自分自身をさらしてのTVCMやTV番組での露出、ダイエット本や写真集の出版など目立つ活動をしてきたことで注目を集めてきた一方、さまざまな悪評が立っていたこともあり、ネットの反応はやっぱりといったものがほとんどですが、「はとこ」である私としては理解はするにしても残念な限りです。

もちろん、今回の事件での罪は負うべきですし、それで傷つけたお客様には必要な賠償をしなければなりませんし、栄華を極めた時期にイヤな思いをさせたこともあるのは反省すべきなのは当然のことですが、幼少の頃お盆の時期遊びに来て私とブランコに乗る写真や思い出が記憶に残っている者としては、その無邪気な頃に戻る契機として、この事件を自分自身で受けとめてほしいと思っています。
思えば、いつの頃からか我が家との交流がなくなったのが、私が長慶苑を通じて社交の機会が増える中で彼女が鍛冶町で開店した店で思いがけない再会を果たし、気安く通っていたのが若杉先生との結婚を決めたとたん閉店して連絡がなくなり、次に会ったのは彼女の父の葬儀という、気まぐれな猫とかかわっているような関係だからイヤな思いをせずに済んでいるのもあるでしょうが、それだけではないつながりが切れないものが根底にあるからだと思っています。
前回の市議選の際にも、自宅近くで街頭演説しているのを聞いてあわてて飛び出したといったことを話していましたが、数少ない機会に気にかけていることを語り子どもの頃からの関係を大事にしていると言われる立場の自分としては、今回の罪を償い再起をめざす際には力になろうと思っています。

きっと、最近の長慶会騒動では自分を生み育てた者を一刀両断に切り捨てているのに、罪を犯した「はとこ」をかばうのは筋違いではという方もあるでしょう。
今回の件で、その二人は私が長慶苑開設以来やってきたことを全面的に否定し、人間としての存在までも認めない態度であることが、私にとっては許しがたいことであり、社会福祉の正義を透徹するためにも二人の不正をただそうとしているわけです。
ちなみに、先日県からの緊急立ち入り調査で役員会不開催も不正な経理についても首謀者自ら認めていたことをお知らせしておきます。

こうしてみると、自分を認めてくれているか否かは大きな分水嶺であるということを、身勝手で自己中心的な思いとは自覚しつつ、強く感じているところです。
まだまだ人間として成長が足りません。

2009.03.06

「おくりびと」に涙した理由

米国アカデミー賞で日本映画初の外国語映画賞を受賞した「おくりびと」が、地元では最終日だと思い込んで観に行きました。(実際は、まだロングランが続いています)
ギリギリで間に合った午前の回はすでに完売でしたので、さっそく午後の分を購入して観たのですが、空き席がほとんどないのは、小学生の頃の「八甲田山」以来のような気がします。

受賞というのも大きな要因でしたが、親交をいただいているLM地議連共同代表・佐藤丈晴さんの地元・酒田市を舞台にしているということ、オーケストラの奏者から納棺師という転職がテーマになっていることに関心を持っていました。
酒田の街並みも庄内の美しい自然も映画を引き立てていましたし、私たちがやれば「死体処置」でしかない作業をあれほど見事に芸術のような所作で執り行う納棺師という仕事の奥深さにも感じ入りました。
さらに、死の場だからこその笑いもちりばめられていて、さすがアカデミー賞受賞作だと思いました。

何度か涙をこぼすような場面もありましたが、私にとって決定的だったのは一番奥にあるテーマが父親との関係だったことでした。
メルマガでふれたこともあるとおり、父を尊敬しないばかりか見下してきた私ですが、生き方考え方は正反対であっても歴史家をめざして大学進学を決めた根っこには大河ドラマを欠かさず、旅行で平泉に連れて行ってくれたことは大きな要素でしたし、今の仕事にしても設立の準備をしていたから飛びこむことができたのを考えれば、レールの起点になっていたのは父であると言わざるを得ません。
今では離れて暮らし会話することもほとんどありませんが、その葛藤した気持ちを見透かしたようなストーリーに感極まるものがありました。私にとっては、「フィールド・オブ・ドリームス」と同じ思いを呼び起こさせる、大事な映画に出会った気がしました。

今月は日付を変えて正反対の娯楽大作「ヤッターマン」も見ましたが、やっぱり映画って本当にいいものですね。

2008.11.08

私にとっての筑紫哲也

既報のとおり、ジャーナリストの筑紫哲也さんがお亡くなりになりました。

私にとっての筑紫さんというのは、「ニュース23」のキャスターとしてではなく、「朝日ジャーナル」の編集長として、決して忘れることのできない存在です。
私たちが「シラケ世代」と呼ばれて大学生になった頃、筑紫さんはテレビの世界から雑誌という活字の世界に戻ってきたのだそうです。
全共闘時代の「右手にジャーナル、左手にマガジン」と言われた全盛期ではないものの、「新人類」をキーワードに新進気鋭の学者や小説家、芸能人まで幅広く世に紹介し、梅原猛・立花隆から中上健次・田中康夫まで連載を持ち、政治経済から文化芸術までありとあらゆる最前線を知ることができた雑誌を、私は大学時代から廃刊される1992年まで読みつづけました。
ちょうどその時期を、大学生から社会人として東京で過ごしていたわけですが、「ジャーナル」から得たエッセンスを皮膚感覚で感じることができる場所にいたのは、今となっても考え方・感じ方のバックボーンになっていると思います。
目の前の事件にかかわらざるをえない立場である「ニュース23」のキャスターとしては、いかに「多事争論」という目玉があっても、切り口の鋭さでは久米宏の方がテレビ向きでしたし、週5日の番組という枠では週刊誌の持つ情報の絶対量を超すことはできなかったような気がします。

昨夜から違う局の番組でも追悼の特集をされるほどの一時代を築いた存在ですが、温和な笑顔が続く映像ではなく、筑紫哲也を書き尽くすような追悼版の「朝日ジャーナル」を復刊してほしいと、かなわぬ願いを思ってしまいます。
何はともあれ、ご冥福をお祈りいたします。

2008.02.11

小野寺大作さんがつなぐ縁

長慶苑の中核を担う立場にいる職員の結婚披露宴があり、喜んで出席しました。
例によって新婦側代表での祝辞をお願いされていましたので、県の福祉行政に携わってきた新郎の父君とのご縁などに思いをめぐらしながら新郎側の祝辞を聞いていたのですが、新郎の恩師である岩山先生が十和田工業高校にも赴任していたという話をされたので、先年ALSという難病でお亡くなりになった小野寺大作先生のことが脳裏に走りました。
「つがるALSウィーク」というイベントにふくらむきっかけとなったのは、小野寺大作さんとの出会いがあったからですが、たった一度きりのかかわりであったにもかかわらず、先日の今泉昌一議員の報告会でも同僚であったという方とお会いしたばかりで、何とも言いあらわせないご縁を感じずにはいられません。

あいさつでもそのご縁にふれ、さっそく乾杯が終わってから岩山先生にごあいさつに回ったところ、先生にも偶然を喜んでいただくことができ、何とも感慨深い結婚式となりました。
こういう縁に包まれたお二人には、ぜひとも幸せな家庭を築いてほしいと思います。
和誉さん、そして美幸さん、お幸せに、そしてこれからもよろしく。

2007.03.23

祖母の死への感慨

実の祖母、福嶋ふさが3月20日亡くなりました。
祖父・慶作が最初の妻を亡くしてからの後添いに入って父と叔母二人を産み、戦後満州から引き揚げてきたものの、農家の嫁としての役割を果たせないことで離縁されてからは、一緒に家を出た叔母、その一人息子である孫を育てて暮らしていました。
私がはじめて祖母に会ったのは、小学校に上がる前くらいだったと覚えていますが、家にいる畑仕事で真っ黒になっている継祖母と違う、品があってか細い姿の人が血のつながった祖母であると知ったのは、ずっと後のことでした。
晩年は老人保健施設に入所し、最後の頃は認知症が進んで、可愛がってくれていた私の顔も見分けがつかなくなり、私もケアの専門家でありながらそのことが受け入れられずに見舞いの足が遠のいてしまったままの別れとなりました。

火葬に立ち会いましたが、仕事柄何度も見送ってきた扉が閉まっていく光景に、自分のDNAの1/4が失われていく喪失感を感じるとともに、曽祖父・祖父・父、そして私へと連なる父子相克の象徴であり犠牲者である祖母が、もし離縁されずにいたら我が一族はどうなっていたのかと、煙突から立ち上る煙に、感慨を覚えました。

2006.05.24

さよなら、慶子先生

夕方、介護保険の認定審査会があったのですが、今日だけは定刻より早めに開始となり、てきぱきと審査を終えて、すぐ近くのセレモニーホールへと向かいました。
弘前市の女医の先駆けであり、医師会のねぷたでは前ねぷたの上に立って進む姿で知られた前田慶子先生のお通夜でした。
慶子先生には、地区老施協会長時代に記念講演をお願いしたことがあり、その依頼に医院に足を運んだところ診察室でタバコをふかしながら応対されたので、ビックリした思い出があります。

まさに女傑を絵に描いたような先生を、どのように送られるのか楽しみにしながら参列したのですが、3名の弔詞に加えて長年つきあいのあった導師様の思い出話もつきず、哀調を帯びたねぷた囃子の後で、15年も前から葬儀委員長をお願いされていた鳴海康安先生、そして喪主である妹さんのあいさつまで、1時間半の長い通夜となりました。
それでも慶子先生らしいエピソードが語られると笑いが起きる場面もあり、慶子先生も笑いながらどこかで見守っていてくれているような感じがしました。

ひとまずご冥福をお祈りいたしますが、慶子先生はみんなの心の中で生き続けていくことと思います。

2006.05.05

大間へ小旅行

この大型連休に何も出かけないでおくわけにもいかず、昨日本州最北端の大間崎まで家族で出かけました。
マグロで有名になった大間、その仕掛け人である「あおぞら組」の島康子さんは、政策マーケティング委員会以来ご一緒することが多いのですが、現地を見たことがなかったので一度は思っていたところ、今年はマグロのぼりを作ったというので、どれだけ泳いでいるかと見に行ったわけです。
大間崎はたくさんの県外からの観光客であふれていましたが、コイは目につけどもマグロは全然見当たりませんで、とうとう地元の特養「くろまつ」を訪ねて聞いたところ、近くのスタンドにあるというので、向かいました。

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写真でもよくわからないと思いますが、ちょっとこれではインパクトに欠けると、あえて厳しくしておいて、これからの展開に期待というところです。(笑)

帰りには、空いてさえいれば泊まっていきたかった下風呂温泉「まるほん旅館」に立ち寄ったところ、これも県の会議でご一緒したことのある若女将・長谷雅恵さんからお土産をいただいてしまいました。
次はぜひ泊まる日程で来ようと思っています。

こうやって知己を得た方の地元を訪ねるのは楽しいものですが、それに振り回された家族のために、もう少し事前に計画を練っておこうと反省しております。

2006.04.05

昴の住人になりました

昨日、昴地区に空き家にしていた家に家族5人で引っ越しました。
本当は弟が帰ってきた際に使わせるつもりで親が仕度しておいたところなのですが、家族関係をリフレッシュするために、坊主の入学前に引っ越しとなったのです。

この昴地区というのは、相馬村が住宅団地を造成して約100戸分を格安の価格で分譲したのが即日完売し、最後に誕生した地区です。
村の住民が移り住んだのよりも、はるかに外から来られた方々が多く、建物の壁の色や屋根の形にも厳しい規制をかけ、統一感のある街並みを作り出している分、それまでの地区とは肌合いが違う土地です。
私も選挙の戸別訪問をしてみても、施錠されているお宅が多いことで、それを実感したことがあります。

昨夜は近所の方々だけには、ごあいさつに回りましたが、これからどういう生活になるのか、楽しみと不安半々のスタートです。

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