2016.08.01

シン・ゴジラと庵野秀明、そしてモスラ

12年ぶりのゴジラシリーズ最新作、「シン・ゴジラ」を観ました。
フルCGで野村萬斎の動きをモーションピクチャーで体現した凄まじいまでのゴジラの迫力、長谷川博己・竹野内豊・石原さとみをはじめとする錚々たるキャスト、これだけでも観るに値する作品でしたが、それ以上にこの映画には重いテーマが隠れていて、それが公開まで隠しに隠してきたものだと確信しました。

1954年の初代ゴジラは、大戸島で畏れられてきた神とされながら現実には古代生物が水爆実験で変異したものとして登場しましたが、「シン・ゴジラ」では米国から研究を委嘱された牧教授が伝説の呉爾羅からGODZILLAと名づけたとされ、放射性物質を食らって変異したと、ほぼ同じ原因で誕生したとされています。
この間のゴジラシリーズは、この原因をはしょって単なる怪獣映画として構成されてきただけに、これだけでも新たなゴジラシリーズとしてのシンの意義は十分だと思います。
一方、1954年版ではゴジラ発見後の対応を国会らしき場で議論されていましたが、2016年版では第一報が内閣に上がったところで空疎な会議の連続で後手後手に回ってしまい、国会での議論は描かれることもなく総理以下主要閣僚が亡くなるという緊急事態で、長谷川博己・竹野内豊そして平泉成らによって構成される臨時政府が危機に立ち向かいます。
また、1954年版では登場しない米国および米軍が、今回は放射性物質を廃棄した者として、さらには日米安保条約や国連多国籍軍の相手国として、ゴジラと日本に向き合います。
ここにこそ、真実のゴジラシリーズとしてのシンの意義があると思ったのは、米国からの圧力を感じさせる場面ばかりでなく、長谷川と竹野内の会話の中で、「属国」という言葉が飛び出してきて、これはまさに白井聡の「永続敗戦論」そのままだと感じました。
「属国」としての日本が、ゴジラと米国に対してどのようにしていくのか、これがクライマックスにつながっていきますので、ぜひ劇場でご覧いただきたいと思います。

ところで、今回の総監督は「エヴァンゲリオン」シリーズの庵野秀明ですが、彼にはもう一つ宮崎駿監督の「風立ちぬ」の堀越二郎役の声優という立場があります。
この映画での声優になぜ庵野監督を選んだのか不思議に思いながらも、抑制のきいた声での伝説の戦闘機設計者役には好印象を持ちましたが、今にして思えば、戦争を描くことで反戦平和を考えさせるジブリ作品の遺伝子を受け継ぐ存在と宮崎監督は認めていたのだと思います。
今回のシン・ゴジラは、圧倒的な存在であるゴジラに対して、日本が自衛隊ばかりでなく内閣も産業界も総力を結集して立ち向かうのが描かれており、東日本大震災や熊本地震などで見せたオール・ジャパンの底力が再現されているのも必見ですが、こういう日本を見せるのが庵野監督の表現したかったものなのだと思います。

ただ、ゴジラと立ち向かうために、東京は壊滅的な被害と放射能汚染に襲われてしまいますし、軍民ともに多数の死者が出てしまったのも冷酷に描かれています。
個体そのものが進化する超生命体として登場するゴジラですが、その知性もしくは知能は未知数であり、今回は神や呉爾羅として拝み鎮めようとすることはありませんでした。
折しも、公開前に「モスラ」で妖精役を演じたザ・ピーナッツが亡くなったことが報じられていましたが、あの歌声にモスラが従ったように、ゴジラと戦うのではなくなだめることで収束を図ることも映画としては考えられるのではないでしょうか。
人知を尽くしてもどうにもならない時、最後に人間ができるのは祈ることのみであり、その役を果たしたザ・ピーナッツがいなくなった年に、シン・ゴジラが上映されるのも、何かの因縁を感じますが、庵野監督にはぜひモスラもやってもらいたい気がします。

これだけのことを考えさせてくれる映画、それがゴジラです。

2015.06.15

「予告犯」の表層批評

ドラマの方を見はじめたのがとっかかりなのですが、その前段となる映画を観ないことにはストーリーがつながらないと思い、「予告犯」を観てきました。
映画としてのできばえを語る才覚はありませんし、これから観る人のためにネタバレにはならないようにしますが、背景に描かれているものが最近読んだ本の内容と重なるものが多かったので、そこに焦点を当てながら今考えていることをお伝えしたいと思います。

生田斗真演じる映画版の主人公ゲイツは、きわめてブラックなIT企業で派遣社員として働いていたのが病に倒れて職を失い、日雇い労働をすることになります。そこで、後にシンブンシとして一緒に行動する仲間と出会い、仲間の一人である日比混血のヒョロの死をきっかけに現場監督を殺害したところから活動を起こします。
彼らの行動はネット予告による公開処刑で、件数を重ねるごとにターゲットが大きくなっていき、それにつれてネット上での支持が広がるのですが、代議士殺害に失敗したところで一転罵倒の書きこみがあふれるという展開を見せます。
原作ではなかった、戸田恵梨香演じる吉野警部も給食費を滞納するほどの貧困家庭に育ったエピソードが追加されていましたが、貧困や派遣労働・ブラック企業と現代日本が抱えている影の部分をバックボーンにした映画だとは思っていませんでしたし、ちょうど『中高年ブラック派遣』『もうブラック企業しか入れない』『失業者・半失業者が暮らせる制度の構築』など、貧困や失業の問題を読み考えていただけに、まさに映画が呼びよせてくれたような気がしました。

それから、Twitterのようなつぶやきやニコ動的な動画へのコメントが流れるのを効果的に使っていて、ネット時代の劇場型犯罪というイメージを増幅させていましたが、そこで私が気になったのは、否定的に受けとめられていたシンブンシが徐々に支持されるようになり、「怒りをぶつけたければ俺に言え」という意思表示でカリスマ的存在になったのが、殺害失敗で一転ボロクソに言われるようになるというのは、小泉劇場や民主党マニフェストに踊らされたB層社会である現代日本をリアルに描いていることでした。
B層というのは、2005年の郵政選挙を取り仕切った広告代理店の造語とされ、「よくわからないが小泉改革を支持すると考える層」という定義ですが、幅広く考えると「生半可な知識を持つが故に、改革といった幻想にとらわれる存在」ということができます。
21世紀の国内政治は、小泉改革では「自民党をぶっつぶす」、民主党の政権交代では「コンクリートから人へ」、そして安倍政権ではアベノミクスや「美しい国・日本」と、ワンフレーズポリティックスによって何かが変わるという幻想が国民を動かしてきましたが、「予告犯」ではネットを使えるレベルのユーザーがシンブンシの術中にはまっていき、たった一つの失敗であっさりと支持が罵倒に変わるあたりは、民主党の政権交代と失敗を思わせます。
これも、『日本をダメにしたB層の研究』『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか』を読んだばかりでしたので、前記の貧困・失業問題を生み出している社会そのものの風潮まで織りこんでいるところに重苦しさを感じました。

ただし、『僕らは…』の著者・荻上チキ氏が最後に自らの活動を紹介しながら希望につなごうとしたのと同じように、「予告犯」でも心のよりどころになるようなセリフがあり、現代日本の諸問題や犯罪映画を超えたメッセージが伝わってきます。
皆さんにも、映画館のスクリーンで確かめていただきたいと思います。

2009.03.06

「おくりびと」に涙した理由

米国アカデミー賞で日本映画初の外国語映画賞を受賞した「おくりびと」が、地元では最終日だと思い込んで観に行きました。(実際は、まだロングランが続いています)
ギリギリで間に合った午前の回はすでに完売でしたので、さっそく午後の分を購入して観たのですが、空き席がほとんどないのは、小学生の頃の「八甲田山」以来のような気がします。

受賞というのも大きな要因でしたが、親交をいただいているLM地議連共同代表・佐藤丈晴さんの地元・酒田市を舞台にしているということ、オーケストラの奏者から納棺師という転職がテーマになっていることに関心を持っていました。
酒田の街並みも庄内の美しい自然も映画を引き立てていましたし、私たちがやれば「死体処置」でしかない作業をあれほど見事に芸術のような所作で執り行う納棺師という仕事の奥深さにも感じ入りました。
さらに、死の場だからこその笑いもちりばめられていて、さすがアカデミー賞受賞作だと思いました。

何度か涙をこぼすような場面もありましたが、私にとって決定的だったのは一番奥にあるテーマが父親との関係だったことでした。
メルマガでふれたこともあるとおり、父を尊敬しないばかりか見下してきた私ですが、生き方考え方は正反対であっても歴史家をめざして大学進学を決めた根っこには大河ドラマを欠かさず、旅行で平泉に連れて行ってくれたことは大きな要素でしたし、今の仕事にしても設立の準備をしていたから飛びこむことができたのを考えれば、レールの起点になっていたのは父であると言わざるを得ません。
今では離れて暮らし会話することもほとんどありませんが、その葛藤した気持ちを見透かしたようなストーリーに感極まるものがありました。私にとっては、「フィールド・オブ・ドリームス」と同じ思いを呼び起こさせる、大事な映画に出会った気がしました。

今月は日付を変えて正反対の娯楽大作「ヤッターマン」も見ましたが、やっぱり映画って本当にいいものですね。

2009.01.14

「火の鳥」公演と「新・あつい壁」上映に協力

長慶苑で「ドクトル長英」に協力してから早いもので4年もたっていましたが、久しぶりに弘前市での公演があり、担当の石岡さんがチケットやポスターを持って協力の依頼に来られました。
今回は、手塚治虫さんの名作「火の鳥」だそうで、わらび座と深い縁のある手塚さんの生誕80周年記念で愛読してきた漫画がミュージカルになるのですから、私自身はぜひ行こうと思っています。

それから、こちらの方が間近なのに告知が遅れてしまいましたが、これまた何度も一緒に映画上映でかかわってきた青森映画センターから、ハンセン病をテーマにした映画「新・あつい壁」のチケットも預かっています。
初回は青森市にある松ヶ丘保養園の自治会長さん、2回目には映画の中山節夫監督のミニ講演もあるという貴重な上映会なのですが、ちょうど会派での視察と重なっていて観られないのが本当に残念です。
日時:1/30(金) 13:30/18:00
場所:弘前市文化センター
料金:一般・学生=前売1000円(当日1300円)・小中高=800円

どちらも、私に直接もしくは長慶苑にお問い合わせください。
長慶苑も、この2年ほどはイベントから離れていましたが、地域へのアピールそして違う分野の方々と交流協力する大事な機会ですので、また自前の企画にも挑戦したいと思っています。

2008.09.07

「ラストゲーム」が二度とないように

久々に予定のない日曜でしたし、夏休みに家族サービスもなかった償いで、映画に出かけました。

そうは言いながら、ポケモンを見たがっていた坊主の相手は娘に任せて、私は「ラストゲーム 最後の早慶戦」を一人で観ました。

これは、第二次大戦中に六大学リーグも中断される中、学徒動員を目前にして最後の早慶戦が行われた実話を映画化したもので、ストーリーは周知の事実のことではありながら、当時の世情をよく描き、戦争が生み出す悲劇を的確に示していて、どんな思いで先輩方が「都の西北」や「若き血」を歌って出陣していったのかと思うと、涙が止まりませんでした。
戦後、早慶戦も六大学も復活しましたが、二度とスポーツという平和の象徴が失われるようなことだけは防がなければならないと思います。
この映画は、弘前では12日までということで、近隣の映画館では上映されないようですが、シネコン時代でスクリーン数は増えているのですから、1日1回でもいいので、こういう平和といった大事なテーマを取り上げた良品を上映してもらいたいものだと思います。

ところで、涙をふき終えて子どもたちが出てくるのを待っていましたら、同志・斉藤爾議員と遭遇しました。
この二人が顔をそろえたからといって、市職員が互助会交付金の補助で映画を観ているか監視などという無粋なことはしておりませんので、ご安心を。

2008.05.03

東京を汗だくで彷徨

GW中にもかかわらず、上京するのにマイレージを使った関係で帰りが最終便しかとれなかったので、羽田空港のラウンジでBlogを書いています。

今日は横浜を出発して、まず吉祥寺に向かいました。
これは2月に講演を聞いて以来、すっかり信奉している4スタンス理論をケアに取り入れたいという思いで、住所だけを頼りにレッシュ・プロジェクトの事務所を訪ねたのですが、井の頭公園の周りをさまようことになり、やっとのことで廣戸総一さんの弟で副理事長を務める邦郎さんにお会いすることができました。
用件を伝えると、今日は全日のセミナーで時間が取れそうにないものの、コンタクトがとれるようになったので、これから展開していきたいと思っています。

廣戸家から井の頭公園駅までまたしてもさまよい、総武線各駅で大学から社会人の最初の頃まで住んでいた東中野に向かいました。
20年前に行きつけの店がなくなっていたり、結婚式場が高層マンションになったりと大きく変わっていましたが、さまよっているうちに昔のアパートが改装したものの同じ名前で残っていたのを見ることができ、ホッとしました。
ちなみに向かったのは北新宿だったのですが、その目的は明かすことができません。(笑)

そこでも道を間違え小滝橋に出たので、バスで高田馬場に行き、渋谷へと向かいました。
今日から、上映取りやめが相次いで問題となっている「靖国」を見るのが目的だったのですが、やはり関心を集めただけあってか、今日の分のチケットは完売ということで、警察が立ち報道陣が集まっている現場を見ただけで徒労に終わりました。
すでに万歩計は20,000歩を超えていまして、クタクタで汗だくです。

2008.04.14

今泉さんから上映会の紹介

今泉昌一さんとは、今でこそ市議の同志としての絆がメインですが、長慶苑で主催したイベントに仕事を通じた協力をしていただいたこともありますし、その幅広い人脈でいろいろな方を紹介していただくこともあります。
今回は、今泉さんの方から「終わりよければすべてよし」という映画の上映会の案内と、告知の協力をお願いされました。

この映画は、鷹巣町を撮り続けてきた羽田澄子監督の最新作で、終末期医療をテーマに国内外を取材したドキュメンタリーです。
その羽田監督と知己のある工藤司さんという方が個人で上映に奔走していまして、長慶苑でもポスターの掲示とチケットをお預かりしました。
前売りで800円(当日1000円)と、お得な金額で県内では他に企画されていない貴重な映画を観る機会ですので、ぜひ足を運んでいただきたいと思います。

2007.12.21

「マリと子犬の物語」でカタルシス

実は、議会最終日が私の発言で紛糾している間、発言するわけにはいかない立場の私が気になっていたのは、実は子どもたちと約束していた映画「マリと子犬の物語」に間に合うのかどうかでした。
ギリギリの時間で終わってくれたので、一目散に飛び出して迎えに行き、間に合って観ることができました。

この映画は、3年前の中越地震で実際にあった話を元に作られた映画ですが、その際にお世話になっている「こぶし園」のある長岡市周辺が甚大な被害を受けたことに衝撃を受け、山古志村が孤立したのが同じ山村である相馬村の住民としては他人事とは思えず、さっそく職員を派遣しただけに、あの地震が何だったのか振り返るために観ようと思っていました。
それ以上に、思いもかけない形で発言が問題になったり、何とかしたかった旅費規程の改正提案を見送る苦渋の決断をした今回の議会でまとわりついたものを、感動のストーリーで洗い流したいという気持ちで観に行ったので、妻や子どもに笑われるほど、ちょっとした場面でも涙を流していました。

おかげで、スッキリした気持ちで映画館から出ることができましたが、本当に映画を観ることそして映画館という場には、カタルシスを与える力があるとつくづく思います。

2007.11.11

ALWAYSに号泣しながら思ったこと

三日がかりで気を張り詰めていた研修から気分一新するために、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観に行きました。

実は前作の時は全然関心を持たずじまいだったのですが、上映直前の「金曜ロードショー」を観たのが運のつきで、自宅ということもあり、ついついオンオン泣いてしまったので、これは研修が終わったら必ず観に行こうと心に決めていたのです。
ストーリーを語るのは無粋ですのでしませんが、わかっているような展開であっても、やはり号泣してしまいました。
すばらしい、心にしみる映画です。

ところで、笑いと涙にあふれた映画ですが、空襲での家族との死別、戦友の死の暗示、そしてシベリア抑留で実らなかった恋といったエピソードがちりばめられていて、「昭和30年代」という希望に満ちあふれた時代の影には、戦争の哀しみがあることも気づいてもらえるといいですし、それが平和を考えるきっかけになるとしたら、この映画の価値はさらに高まると思います。

それにしても、朝からの雨模様ということもあってか、映画館は人であふれていました。
「ALWAYS」には高校の恩師である獏不二男こと阿部次男先生の姿もあり、「恋空」には10〜20代の女性、「プリキュア」には女の子連れの家族が多く、さまざまな年代がさまざまなテーマの映画を楽しんでいて、邦画の復活というのを再確認しました。

2006.09.08

「二人日和」上映会

今回の「つがるALSウィーク」の起点となった、「二人日和」の上映会を行いました。

DSC00160.JPG

3回で総数で600名弱というのは、平日といえば善戦したとも言えますが、CM・TVやFM番組でのPRまでしたというのが少々結びつかなかった気もします。
それでも、ご縁のある方々が今回特別に設定した夫婦ペアチケットを持って足を運んでくださるのにあいさつをしていると、人数の多寡では測れない「やってよかった」という気になります。

大きなスクリーンで漆黒の中観ていますと、試写会では感じなかったところで笑いがわくところがあり、それも楽しみの一つだというのが実感できます。
シネコンでは上映されない良質な映画を上映していくことも文化の一つの形ですし、それを組織化していく必要を感じています。

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