2017.10.22

風も吹かぬ総選挙を憂う

過去2回の総選挙の際は野田村に行っていましたが、今回はそこからのご縁をいただいて遠野市に開山した眞仁寺という無宗派のお寺の祭礼に参加する佐藤ぶん太、とともに動いていました。
台風の影響で投票箱の回収ができずに翌日になっても最終的な結果は出ていませんが、大勢では自民公明の与党で再議決に必要な310議席を上回る圧勝、野党側では最後に立ち上がった立憲民主党が50議席を超して第一党になったのはよかったとはいえ、台風の目と考えられていた小池百合子都知事率いる希望の党が改選議席を下回る失速ではお話になりません。
ちなみに、青森県では投票終了とほぼ同時に3候補に当確が打たれ、比例に回った一人とあわせて自民4人と共産党の比例が1人と、まったく構図の変わらない結果でした。

選挙特番でも、自民党に逆風が吹かなかったことや希望の党の失速が話題に上っていましたが、選挙にかかわる立場から無縁の素浪人となって見ていると、候補者がマイクを握っているのを見かけたのはたった一度、遠くから街頭演説が聞こえていたのも一度で、選挙ポスターを見なければ選挙があるのを知らずに終わったに違いない雰囲気のままで、まさに風も感じずに終わった総選挙でした。
それだけではなく、以前は行われていた公開討論会も、選挙までの間隔が短かったからなのか、県内どこでも開催されずに終わってしまい、それぞれの候補がどのような政策に重点を置いているのか、大事にしている思いは何なのかを知る機会もありませんでした。
これは、マニフェスト離れが進む政治のあり方に問題があるのはもちろんですが、それでも候補者の主義主張を知ろうともしない有権者の側にも課題があると言わざるを得ません。
安倍総理は国難突破解散とうそぶきましたが、そこで語っていた消費税の使途変更や改憲といった重要な問題を棚に上げたままで選挙を終えてしまいましたし、今後どのように政権運営を進めていくのか注視していかなくてはなりません。

いずれにしても、本当にリセットされた政治の世界ですが、これから自分自身がどのように向き合っていくべきか、考えていかなくてはなりません。

2017.07.26

木村太郎さんの死を悼む

昨日の速報、本日の新聞紙上をにぎわせていますが、地元・青森4区選出の木村太郎代議士が52歳の若さで亡くなられました。今は立場を違えているものの、本当に残念です。

県政そして国政で早くから活躍してきた木村代議士ですが、私からすれば学年が一つ下ということもあって「太郎さん」と呼んできましたが、ご本人からとがめ立てされることもなく、親しくおつきあいをさせていただきました。
新進党から国政に転じたあたりから接点ができ、1999年に私が初めて相馬村議会議員選挙に挑む際には、当時の津軽の若手議員3人を引き連れて事務所開きに来てくださり、私もそれから数度の総選挙の際に選対本部にかかわる形となりました。
そこでは、その後藤崎町長となられた小田切智高さんをトップに西目屋村長・関和典さん、平川市議・葛西清仁さんといった政治家や同年代の支援者とともに、我が方の圧勝が過ぎるために投票率が下がってしまうのを打開するための方策を考えながら、ひとたび選挙カーに乗れば最後の1分まで太郎さんが街頭演説を打つ中でチラシを配ってかけずり回る、いわゆる「木村衆」の選挙をやってきたのは、今となっては懐かしい思い出です。
総選挙の時も、1月2日からはじめる新春遊説の際にも街宣車で走り回り、地域の方から「こんなところまで来てくれるなんて」と感激の言葉をもらうのが木村衆のやり方で、まず自ら足を運ぶという方法は、私の自転車遊説につながるものだと思っています。

その関係は、2006年の弘前市長選で私が一旦は崩したものの、太郎さんは「終わったら、また一緒に」と言ってくださり、2011年の落選後には励ましの葉書をいただき続いていたのですが、翌年の藤崎町長選で智高さんを応援した私は木村衆離脱を宣言して、太郎さんと距離を置くこととなりました。
それから顔を合わせる機会はなくなりましたが、最後となったのは2013年10月の弘高130年記念式典の際で、受付に来られた太郎さんが私を見つけ、いつもながらの太郎ジョークをかましていった時でした。
そこで何と言ったのかは思い出せないのが残念ですが、距離を置いた私をとがめることなく、往時のように冗談を言ってくれる心づかいに恐縮したのを覚えています。
太郎さんは、信義を重んじる人で、選挙活動で回る際に自分を裏切った人の近くでは、それで津軽がよくなるのかと声を枯らして訴える姿を見てきただけに、最後まで私を裏切り者扱いしないでくれたことに感謝したいと思います。

それにしても、52歳になったばかりで次こそ大臣と期待されていただけに、返す返すも残念です。
葬儀の日程は確定していないそうですが、新春遊説以来久方ぶりに藤越の自宅にお悔やみに上がりたいと思っています。

2016.05.29

棟方志功サミットでの再会

先日、青森市内を歩いていたら、創立10周年を記念して「森羅万象・棟方志功展」を開催している青森県立美術館で29日に「棟方志功サミット in 青森」という企画があり、志功さんゆかりの5自治体の首長がパネリストとして出席する中に、富山県南砺市の田中幹夫市長の名前を発見したので、矢も楯もたまらず参加しました。

開館前から行列ができており、はじめて足を踏み入れた美術館のシアターには満員の聴衆が集まるほど関心を集めていましたが、基調講演を倉敷市にある志功作品の収蔵でも知られる大原美術館の大原健一郎理事長がされ、文化・芸術・人文学の危機に直面している現在の日本だからこそ、世界一流の地方を創生するために美術館の果たすべき使命があると高らかに表明しました。
クラレの創業家であり岡山県はもとより日本経済界でも知られた存在のお方ですが、これほどまでに格調と情熱にあふれた講演を拝聴したことはなかっただけに、心からの感銘を受けました。それも、時間を守らず自分の長話に酔う人も多い中で、遅れてはじまったにもかかわらず時間どおりにまとめるという話法も、参考にさせていただきたいものでした。

続いて、大原さんと東京都中野区・倉敷市・南砺市・杉並区と生地である青森市の5首長によるパネルディスカッションに移り、それぞれの地での志功さんをまちづくりに生かす取り組みが紹介されましたが、中野区の田中大輔区長が当日は代理出席だった杉並区も田中区長であることから、「今日は田中サミットです」と発言して場内をなごませていましたが、それは田中市長から言わされたのだそうで、場をリードしていただけでなく実際の取り組みの内容からしても南砺市のまちづくりは一段高いところにあると感じました。
それは市議時代に視察させてもらって承知していたのですが、今年は新しい資料館もオープンし、それを核にした「棟方志功まちづくり連絡協議会」も発足させたそうですし、今も志功さんが息づいているまちを、五箇山の世界文化遺産とあわせて再度訪問したくなりました。

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最後に、5首長が握手して共同宣言が採択されて来年度は中野区でサミット開催と発表されましたが、閉会後に田中市長と再会の握手を交わすことができ、私個人の目的も達して、うれしく企画展を観て戻りました。
議員時代からの交友を続けてきた人が、自分のずっと先を歩んでいるのを見て、どんな形であれ追いつきたいと思いましたし、短い会話にこめられた激励を糧にがんばっていこうと思います。

2015.09.29

政務活動費問題への異論

昨日閉会した市議会が、月5万円の政務活動費の交付を大多数の賛成で認めたと報じられています。
以前は政務調査費と呼ばれていまして、8年前には月6万円交付されていたのですが、マンガ本やねぷた衣装を購入していたのが全国ネットのTV番組で暴露されたり、オンブズパーソンから執拗に裁判を起こされたのを機に、2007年3月議会で議員提案で廃止したものを復活させるというのです。
賛成・反対それぞれの言い分に異論がありますし、双方から論じられていないことも大事な論点ですので、ここで私見をまとめておきたいと思います。

賛成側の言い分では、地方自治体の役割が増大し市議会の政策形成機能も重要性を増し議員の活動領域も拡大しているとのことですが、今回の改選を経ても予算決算審議の質問時間制限をかけたままでは、活動領域が広がっても発言の機会が足りないというジレンマに手をつけないのでは矛盾していると言わざるを得ません。
議員の本分は議場で政策を論じ行政側の進め方をしっかりとチェックすることであるはずですが、その一番大事な委員会で制限があるままで活動費をもらうという根性がわかりません。
一方、反対した側は8年前の廃止から復活させる理由も見えず市民の理解も得られていないとし自ら交付を申請しないのだそうですが、私であれば堂々ともらって支給分を上回るほど活動しているのを全面公開してでも、議員の活動には経費が必要であるのを理解してもらう絶好の機会にしたはずです。
その言い訳によれば、どこで政務活動費と個人の活動などを分けるのか不明なことも多いとしていますが、自分で使ったものを明らかにして市民から疑問を持たれたり指摘を受ければ改めていくのが本筋であり、そこに踏みこまないというのは、ある意味では市民を信頼していないと見えます。

ところで、双方とも論じていないのですが、8年前の廃止は財政厳しき状況に対応するというのが建前でした。
この間、財政が劇的に好転しているわけでもなくハコモノ事業は増え、議員だけをとっても報酬はわずかに下がったとはいえ今回の政務活動費分上乗せでは支出が増える形なのですが、それについての議論は出ていないようです。
私自身は政務活動費は必要だと思っていますが、議員という役職に支給されるのは生活費でない報酬であり、それが市民の平均所得はもちろん市職員よりも多い額であるのはおかしいと思っています。
そこで、報酬を50万円から30万円まで引き下げても普通の生活はできますし、その分議員としての活動に充てる政務活動費を月15万円支給する形にすれば、総額としての支出が減るのはもちろん、熱心に活動しない議員は満額交付を受けることもないわけですから、さらなる支出抑制効果も生まれますし、何より議員の活動を(たぶん)フルオープンにすることができます。
そもそも、議員など特別職の報酬は市民による報酬審議会で決まったものを粛々と受け入れるのが政治家としてのノブレス・オブリージュだと思っていますので、第二の報酬とまで揶揄される政務活動費も市民の議論に委ねるべきだと思うのですが、議員報酬減額の時とは違って今回はそのような声も上がらなかったのも残念です。

とにもかくにも、政務活動費を交付されたのに足るだけの活動や議論を議員が果たすのか、厳しく見守るのも市民としての役割です。

2015.08.30

市民が主人公の市政にするには

陸上大会が参加者の増加もあって時間がかかり、30分遅れで「市民が主人公のみんなの会」主催の中嶋信先生の講演会に、ジャージのまま出席しました。

中嶋先生は、弘大人文学部の卒業で徳島大学名誉教授、現在は東日本大震災に寄りそう思いで宮城県大崎市に居を移して活動されている方です。
前段の聞き逃した大半の部分は安倍政権の地方創生政策の批判だったようで、まとめとしては地方自治体が地方版総合戦略を策定する上で国の戦略を勘案するという縛りがあり、地方自治の本義を崩壊させる悪政であると喝破していました。
もう一つのテーマである弘前市の最新の総合計画「弘前市経営計画」については、ボリュームで圧倒しているものの、「子どもたちの笑顔あふれるまち弘前」を実現させるための政策事業が見えてこないと斬り、これに対して上越市の農業基本計画を引いて具体的な指標を掲げて取り組んでいるとし、こういう形にしていくには市民からのアクションが必要であるとして、現在住んでいる大崎市での「あったか宮城・大崎の会」で開催している市民フォーラムのことを紹介してくれました。

質疑に移ったところで最初に発言させていただき、経営計画審議の傍聴をした立場から構想や総合戦略ばかりでなく個別の事業まで議決している珍しい総合計画であるのに、その大事なところの議論をはしょって粛々と承認する形になった議会の責任を指摘したところ、参加していた共産党・越市議が「審議においては計画の方向性を論じるのに重心を置いて、個別の事業のことは予算などで質していけばよいと思っていた」と回答しましたが、同様に全文を議決する形式となって初めての県総合計画が議会から何の注文もつかずに通ったのを幹部として見てきた葛西市長からすれば、事業を議決する重さを認識していない議会の怠慢を見透かしていたに違いないと切り返しておきました。
その後の発言でも、タクシーの無料チケットが廃止されるのを何とかできないのかといった切実な声や、この会で5月に市の出前講座をお願いして経営計画を勉強したところ、農業よりも第3次産業重視だと言われて腑に落ちなかったといった、市民から見た市政の問題点が出されていて、これと議会のぬるま湯さのギャップが浮き彫りとなりました。

最後に会の代表から、自分たちも選挙近くにならないと動かないのを反省しないといけないとあいさつがありましたが、中嶋先生もチェックするという意味では決算が大事だとおっしゃっていたとおり、ちょうど決算審議がはじまるところですので、これを市民が集まって個別の事業ごとに成果が出ているのか継続すべきか見直すべきかを精査するような活動ができれば、市民からの提言も重みを増して市政を動かすこともできると思います。
私が考えるシンクタンクも、まずは今行われている政策事業の評価があってこそ動くものだけに、主催団体の名前のとおり市民が主人公となる市政実現のために、できるところから活動していきたいと思います。

2015.05.26

負けを認めるということ

落選して1ヶ月、GWはとっくの昔、敗戦処理も済んだのですから、次の身の振り方を決めていなければならないだけの日数がたっているのですが、そうもできない事情もあって、最近は1日1冊の読書に明け暮れています。

この4年間の中で取り組もうと思ったことに、梁山泊!と銘打った中高年の就労支援プロジェクトがありましたが、そのことを思い返させるできごとがあったことから工藤啓・西田亮介『無業社会』に手がつき、この無業を生み出す社会の病理を考えるために本田由紀『もじれる社会』、内田樹『下流志向』と読み進んだところで、杉崎隆晴『競争の現代的意味』に出会いました。
この方は、弘前市在住でスポーツ心理学を専門とされており、先日の市議選にも深くかかわっているのですが、スポーツが持つ競争という視点から見た、学問・経済そして政治における真正な競争の不在、スポーツマンシップやフェアプレイの精神がないことによる問題点を鋭く博覧強記に掘り下げており、なぜ市政に問題提起しようと思ったのか理解できただけでなく、これだけの方がまったく注目もされず活躍もできないという不可思議な現実があることに反省と疑念を覚えました。

これは弘前市だけではなく日本全体の問題と思いを強くし、さらに『偽りの戦後日本』『日本戦後史論』と続けて読んでいますが、両著で対談している白井聡さんは『永続敗戦論』というデビュー作で注目を集める新進気鋭の政治学者です。
白井さんは、敗戦を終戦と呼び換えたばかりでなく、戦時中の政治経済の中枢にいた者たちが対米従属を通じて対米自立を果たすという方向でそのまま戦後の舵取りをしてきたことで、真の敗戦の反省が生まれなかったことを喝破しています。
杉崎さんの競争においても、必ず勝者と敗者が生まれるわけですが、そこで負けを認めないで済めば気は楽かも知れませんが、次にどうすればいいかを真剣に考えることからは離れてしまいますし、国として戦争に負けたことを認めずにきたことのツケを払うどころかなかったこととして戦争できる国にしようという総理大臣とお友だちまで出てきてしまうのですから、改めて間違いの大きさと立ち戻る勇気が必要だと思います。

そこで翻って我がこととしての負けということを考えてみると、選挙に行く人たちの特性を考えずに戦術を組んだことが何よりの敗因だと、これらの著作からも改めて学んだところです。
日本人のおよそ8割が受け身の態度で生きており、戦争に引きずりこまれた被害者と思っていたり、下流として生きていくのに甘んじてしまうような「ボーッとした」感覚で、競争することとは無縁の存在であって、選挙の際も政策の良し悪しや実行力などを検討することもなく「○○から頼まれたから」「地元だから」という主体性のない立場で投票するのがわかっているのに、当選後のしがらみの活動のために政策を訴えて人に頼らないという正攻法すぎる戦術では太刀打ちできないのは当然です。
こうしてみると、8年前は若さもあり福祉施設経営者として関係者からの支援もあり、そして親族をあげての態勢があって何より親不孝のレッテルも貼られていないというプラスがあったわけですし、私の嫌いな野村克也監督の言葉ですが、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのは真実だと得心します。
それでも私がやりたかったのは、この状況この戦術でも支持してもらったという実績を生み出し、そこから新時代の議員としての活動をスタートすることが市政を変える第一歩であるべきだという思いからでしたので、負けを認めた上で然らば市民の意識を変えるにはどんな手を打つべきかを考えてみるのが筋だと思っていますし、そこに同じ思いを抱く杉崎さんのような方とめぐり会っただけでも選挙を打った甲斐があると思っています。

もう一つ、負けを認めることでは、私に手本を示してくれた祖父のことを思い出します。
以前にも書きましたが、祖父は曾祖父との折り合いが悪かったこともあり、家業の農業を嫌って軍人となり憲兵まで務めた後に満洲国建国に深くかかわり、敗戦して引き上げてからは恩給で生活しながら孫である私の面倒を見てくれていました。
敗戦必至の情勢となって、自分を引き立ててくれた溥儀皇帝の侍従武官長・工藤忠が3月に引き上げた際も「日本が負けるわけがない」と突っぱねるほど神州不滅を信じていたのだそうで、39歳で夢破れてからは農業はもちろん定職にも就かず教養人として教育委員や議員といった特別職のみで過ごしていましたが、これは一つの負けを認めた生きざまだと思いますし、私にとっては将棋や書道を教えてくれたり軍隊時代の八甲田山遭難事件の弔い行軍の話を教えてくれる威厳のある祖父でした。
ただし、そのせいで商家の生まれで農作業のできない祖母は役立たずとして離縁させられ、その恨みもあって父は祖父を憎み、そのせいか農業もその後のタクシー会社も立ちゆかなくなる前にやめるという負けから逃げる生き方をしてきただけに、私が乾坤一擲の勝負をすることも理解ができないのだと思います。
一説によれば、安倍晋三は父方の祖父は大政翼賛会から非推薦とされた反戦代議士だったにもかかわらず父・晋太郎とそりが合わないことで母方の祖父・岸信介を追慕しているのだそうですが、同じ父嫌いで祖父が満州にかかわるという同じ境遇でも、負けを認めたか、そこから何を学んだかでこれほどの思索の違いとなるのですから、正しく学ぶこと深く考えることの大切さを思わずにはいられません。

さて、思っているばかりでは自分自身も世の中も変わりません。そろそろ、動くといたします。

2015.03.03

政治の怠慢と行政の残酷に涙する

中央高校では、PTA会長経験者には卒業式・祝賀会に一定期間は案内をくださるうれしい慣習があり、前日風邪でダウンしたのをスクランブルで立て直して、いそいそと参列しました。

中央ラブなのが一番ですし、少しでも多くの人に会いたい立場からも外せない席でしたが、今年に関していえば定時制閉課程に伴う全日制・定時制が並ぶ最後の卒業式だから何としてもという思いで体調を立て直したわけです。
今回は、全日制では入学当初の239名が一人も欠けることがなく、最後の定時制でも4年次まで必要となる生徒はなかったことで、3年前の顔ぶれそのままに卒業できるというだけでもすばらしいことでしたが、2年生の送辞・全日制の答辞に続く定時制の答辞では、小学校時代の体罰で教師不信に陥り中学校ではほとんど不登校だったこと、早起きしなくてもいいのならという思いで選んだ定時制に入学してみると個性的な同級生や包容力のある先生方のおかげで学校に通うのが楽しくなり、ようやく勉強をやり直すことができた感謝と喜び、その大事な学校がなくなることの残念を素直に語り、「中央高校定時制よ、永遠なれ!」という最後の言葉になる前に涙が止まらないほどの感動をいただきました。
これは今年に限ったことではなく、その前2年間も定時制の答辞の深さに驚き、これを聴くことができる全日制にとっても大きな学びの機会であるだけに、全日制・定時制が同じ場で学ぶことの大きな意義を感じてきただけに、その昔存続を求める議員連盟に当初参加しなかったことを今さらながら反省してきましたし、本当に失うものの大きさを痛感しているところです。

ただ、その議連不参加の件ですが、中央高定時制の真実を知らなかったからではなく、すでに県議会での議決を経てしまってからの後付けの動きだったことへの反発からでしたし、本当に存続を求めるつもりであれば議決される前に真剣に動くしかないのは、同じ権限をいただいている者には自明のことを見逃していたのは怠慢そのものなのですから、必要な時期に行動できなかった汚名を着るべきだという思いからでした。
この再編で尾上総合高校も開設以来の単位制高校という看板を外すことになりましたし、これに続いての再編で普通の子が通える普通高校である岩木高校とふじ発祥の地で学ぶりんご科のある弘実藤崎校舎まで守れずに失うことに進めてしまった政治の責任は大きいと、我がこととして反省するしかありません。
一方では、生徒数減少に対する単なる数あわせしか手だてを持たず、自分たちの出身校でなければ何のてらいもなく切り捨ててしまう共育行政関係者の残酷さにも改めて怒りを感じますし、これと向き合って戦うのが政治家の本分でなければならないと思うのです。
たとえば、市内に3つの普通高校それがすべて進学校という異常な状態を、進学状況や志望状況が一番低い形になっている南高校の合格ラインをこれまでの岩木高校レベルに下げて、南高そのものだけでなく津軽圏域の県立高校の適正配置を進めるのが本来の行政の仕事だと思いますし、たとえ地元代議士の母校といえども聖域なき議論の対象とするのが政治の役割だと思います。

それだけに、中央高校関係者としての感動の涙だけではなく、政治にかかわる者としてのふがいなさに涙してしまったこの日のことを、決して忘れないつもりです。

2014.11.10

村長の死に誓う

相馬村で5期20年村長を務めた山内一義さんが亡くなられ、通夜に参列しました。

相馬村最後の村長は、弔詞を述べた山内良衛さんですが、良衛さんは村議から収入役・助役そして村長と立場を変えてきたのを見てきたこともあり、いつもご本人が親しく声をかけてくださるのに甘えて「良衛さん」と呼んでいますが、一義さんは私が帰去来した時には村長を務めていたこともあり、私にとって村長といえば一義さんのことでした。
村長は、農協の理事から私の父や三上隆雄元参議院議員らと同期で村議となり3期目には議長も務め、その後20年にわたって村長を務めて、「炉端懇談会」で知られる総合計画によるむらづくり、星と森のロマントピアの整備、そして「プレアデスのまち」すなわち私が今住んでいる昴団地の造成など、相馬村が活気ある地域として注目され、それによって村民がプライドを持って一丸となる土台をつくった最大の功労者です。
それだけの実績を生み出すバイタリティがあったばかりでなく、良衛さん・隆雄さんの他に同年代には議長から助役を務めた田中重さん、議員を9期務めた嶋口正美さんなどもいて、約40年近くの間主要キャストが変わらないできたことで村政に閉塞感が生まれ、これを打開するために私は村議として父の年代の方々と席を並べることになりましたので、直接の薫陶を受けることができました。
今でも思い出すのは、一般質問をしても最初の質問・再質問と課長にたたみかけて政治的な判断が必要な再々質問とならない限りは答弁に立ってくれず、それでも色よい返事をしないで突き返される厳しい「親父」でしたが、終わってからの反省会では「あの質問はよかった、もっとがんばれ」とやさしく声をかけてもらえたことで、ここに私の論戦の理想があります。
ただ、反省会が進むとお酒の強かった村長も酔いに任せて、「おまえの親に議長選の時に裏切られたのは今でも許せない」ととばっちりで叱られることもあり、改めて相馬村の政治の裏側を垣間見たのも、今となっては懐かしい思い出です。

その一義さんの村長時代のものを使った遺影に接し、あの冷静沈着な良衛さんが何度か言葉を間違えるほどの思いのこもった弔詞を聴いて、さすがに改めて相馬村が終わったなあという感慨で、涙がこぼれました。
生前は何もご恩返しができずに終わりましたが、村長が築いた相馬村を守り、教えていただいた政治の厳しさを思い返しながら、これからも進んでいくつもりです。
村長、見守っていてください。

2014.07.27

補選で平川市は幸福を実現できるか

全国的にも注目を浴びている隣の平川市議会議員補欠選挙が本日投票となり、8人の方が当選を決めました。
市民に政治不信が広がり、もしかすると続けての補欠選挙さらに来年7月には改めて選挙となるのに嫌気がさして投票率が40%を切ったのは残念でしたが、そのせいで思いがけない方が当選してしまいました。835票で7位当選を果たした石田昭弘さん(無所属)ですが、2009年総選挙では青森4区に幸福実現党から出馬し、3719票で落選した経歴の持ち主です。

総選挙とは違って、地方議員選挙は居住要件がありますから市内に在住しているのでしょうし、「幸福の科学」信者ばかりでなく地元の親類縁者の支援があっての当選とは思いますが、低投票率となると強いといわれる公明党候補と同じ構図がよもや幸福実現党で起きてしまうとは、驚きを通り越して空恐ろしさを感じます。
総選挙の際の公開討論会で石田さんの発言を聞いたことがありましたが、幸福実現党の方針に沿って右翼的な発言に終始し民主党候補ではなく自民党候補にあわせるような内容だっただけに、その筋からの支援が行われたり支援者がシンパシーを感じて投票したのであれば、とんでもないことだと思います。

国政では落選を続けている幸福実現党ですが、私の知る限りでは地方議会でも議席を確保したことはないと思うだけに、日本一遅れた津軽選挙から日本のどこでも起きたことのない状況を生み出してしまうとは、振り幅の大きさに何といっていいかわかりませんし、この選択で平川市議会はどのような先行きとなるのかも不透明としかいいようがありません。
平川市民の皆さんには、政治から目をそむけるのではなく、次の選挙では自分たちの力で政治を変えていくのだという思いで正しい選択をしてもらいたいと思いますし、そのことは全国の皆さんにも同じことをお願いしたいと思います。

2014.07.16

利正さん、何でまた

激震が続いて補欠選挙告示が迫った平川市議会ですが、あろうことか新たに6人逮捕の速報が流れました。その中に、私と同い年で肝胆相照らした仲であった佐々木利正さんが含まれていたので、絶句しました。本当に残念です。

利正さんとは、他の若手政治家と同じく木村衆の縁で知り合ったのですが、他県から婿入りした方だけあって津軽のじょっぱりとは違う落ちついた気風があって、自分にはないものがあるだけに親しくなれたことを喜んだものです。
すでに時効なので書きますが、東北新幹線八戸開業の前日、県下若手政治家での研修&忘年会で明日開業の八戸駅を視察するために私の車に同道してもらったのですが、坂梨トンネルで追い越しをしたところ隠れていたパトカーに止められて切符を切られたことは苦い思い出ですし、碇ヶ関村が平川市となって最初の選挙の際には同じウグイス嬢の方に世話になった縁もあって応援演説に入りましたので、当選の際には自分のことのようにうれしかったものです。
次の選挙の際は、私が落選していたこともあって応援も自粛しましたが、広い平川市全域での選挙でも立派に勝ち上がっていましたし、その後私が木村衆から離れたこともあって距離があいてしまいましたが、当時の選挙を振り返っても違反などとは無縁のやり方でしたので、何がそうさせてしまったのか私には合点がいかないところです。

しかし、現実には州党で慎重な捜査の上での逮捕ですから間違いということはないでしょうし、もし本当であるならなぜ自ら名乗り出て平川市政の浄化に一石を投じなかったのかも残念でなりません。
近年まれに見る津軽選挙ですが、これが津軽政治の近代化につながることだけを願っています。

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