2016.08.24

【時評】性犯罪被害を考える

6月から犯罪被害者支援活動員の養成研修を受けていますが、先週は犯罪そのものではなく二次被害について学ぶという内容で、その中で性犯罪被害に遭われた経験を持つ小林美佳さんがビデオに登場していました。
小林さんは、ビデオの中で事件そのものより、その後の家族や友人の心ない反応によって二次被害が続いたことを話していて、それが解消できたのはある友人がストレートに思いをぶつけてくれたことで「理解」をしてくれたことが大きかったと話していましたが、どうしても部分的にしか伝わなないことがあると思い、思い立って最初の著作である『性犯罪被害にあうということ』を読了しました。
そこには、事件当日の忌まわしい断片的な記憶からはじまり、警察から病院へと回される中での最初の二次被害、その後の家族や友人たちからの思いもよらない二次被害に苦しむばかりでなく想定外の自責の念、元彼への感情をぶつけての別れから夫との結婚にまつわる性への忌避感、それから性犯罪被害を公表して家族関係が変わってきたことなど、まさに赤裸々に綴られています。
特に、事件後にレイプという語や痴漢にあうだけで吐き気をもよおしたり、高校時代の暴行未遂事件と比べて強姦との違いを論じたりしている部分からは、被害者本人でなければわからない心情があふれていて、その上で今も見つからない犯人に対して許せないという気持ちであるのは、本当に理解できるものだと感じました。

これを読了したばかりのところに、人気俳優による強姦致傷事件が起きて世間を騒然とさせているだけに、何というタイミングと思ってしまいますが、どうも気になるのは母親の女優から溺愛されていたとか被害者のところに謝罪に向かった様子だなどと、どこか情状酌量の雰囲気を醸し出すような報道が続いていることです。
確かに、本人も明るいキャラクターで活躍していて将来が期待されていただけに、ほとぼりが冷めたら復帰させたいと考えている関係者もいるのでしょうが、小林さんの手記を読む限り、犯人がのうのうとTVに映るというのはフラッシュバックを引き起こす蓋然性が非常に高いというほかなく、その懸念がある以上、表舞台に出る仕事には就くべきではないと思います。
このことは、10年前の淫行暴行事件の犯人がTV復帰したことに対して、大手食品会社が反対の意思表示としてCMスポンサーを降りるという、当然で賢明な判断を下しましたが、そのような形でこの事件が社会としてのルールを徹底する契機になればと思います。

実際には、小林さんのように自らの性犯罪被害を公表できる人は少なく、多くの人が被害を受けたこと自体を隠したり、そのことで周りとの関係が崩れることのほうがよっぽど多いわけですし、その事情に配慮した上で被害者も、そして加害者も立ち直れる支援が必要なのだと思います。
ビデオの中で小林さんが話していたように、犯罪そのものは消えないが二次被害はなくすこと解消できることを肝に命じて、これからも被害者支援の学びに向き合いたいと思います。

2016.07.27

【時評】相模原事件と通底するもの

昨日未明に発生した相模原市の知的障がい者福祉施設における入所者に対する大量殺傷事件には言葉を失うばかりですが、まずは亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
私も福祉の世界に身を置いてきた者であり、知的障がいの人たちと接する機会もありますので、今回の犯人の行動は許せませんし、なぜ今年に入ってから障がい者抹殺を口にするようになったのか理解もできませんが、この事件をつくづく考えてみると、今行われているあることと同じなのではないかと思えてきました。

それは、出生前診断です。
言うまでもなく、妊娠した胎児の遺伝子を調べて異常の有無をさぐり、場合によっては中絶するかどうかを選ぶ仕組みですが、診断が実施されてから1年経った2014年の記事によれば、検査を受けた7,740人のうち陽性が確定した113人中110組が中絶を選んだところから、今年の記事ではすでに3万人を超える検査が行われ、やはり陽性とされた約9割が中絶を選択したとのことです。
まだ戸籍に載る前の胎児とすでに成人となる人生を送ってきた人たちを同列で比べることはどうかと思いますが、1時間のうちに19人も殺されるのには言語道断の大合唱でも、平穏無事な日常社会の陰では1年間で5倍以上の障がい児が生まれることもなく消されているのです。
この110組の親たちは、このあと自分たちに降りかかってくるリスクを恐れて中絶したのは疑いようのない事実であり、残り3組の親たちのようにたとえ先天的な異常があっても個性と受け入れて育てていくことを放棄したわけで、そこに苦渋の決断やさまざまな理由があるとは言え、結果としては「抹殺」したのです。
この件に関しては、診断開始前の世論調査で賛成が約48%に対して反対は約3割ととどまっているように、現在の日本では障がい児を授かることを避けたいとする方が多いのだそうで、抹殺という意識はないままに障がい者のいない社会になればよいと思っているというのは恐ろしいことだと思います。

それではおまえならどうするのかと反論されそうですが、私なら出生前診断を受けることはしませんし、そもそも保険が効かずに約20万円も費用がかかるようなことをできるはずおありません。
そもそも、染色体異常がなかったとしても、原因が特定できない形で発達障がいを持って生まれる子ども、出産時のトラブルでマヒを背負ってしまう子ども、さらには生活環境などのために精神障がいを発現してしまう場合もあり、その子が障がいを持たずに人生を送れるかどうか、わかるはずもないのです。
それからしても、染色体異常のみを検査するというのはおかしなことであり、仮に知的障がいを持って生まれてきたとしても誕生を祝い、その成長を周りが見守っていく社会にすることの方が大事だと思うのです。

それだけに、殺傷された入所者には一緒に暮らしてきた家族があり、それを支えるはずの職員だった者が裏切るという最悪の結末となった事件を心に刻んで、この社会が障がいを受け入れる覚悟を改めて持つことを望みます。

2016.07.18

【時評】天皇陛下の退位問題から考える

参議院選挙が終わってすぐ、天皇陛下の生前退位のお気持ちがスクープされ、近いうちに自らの職務についてのお気持ちを明らかにされるよしにございます。
日頃から年号を使わず、皇太子殿下は浩宮、秋篠宮に至っては「あーや」と呼び続けているような不敬な私ですが、改憲勢力が衆参2/3を上回り極右的改憲が現実に近づいている時期だけに、日本国憲法の最初に出てくる天皇のあり方について、考えておきたいと思います。

先にハッキリさせておきますが、私は現行の天皇制そのものに反対です。
万世一系の皇統と言われるものの、大学時代の恩師である水野裕先生によれば三王朝交替説というように皇統が途切れているという説もあり、控えめに言っても崇神天皇以前の10代については存在自体が疑わしいというのに、それを21世紀になってなお象徴として推戴することはいかがなものかと思っています。
その生きながらえてきた皇統も、戦後の大量の臣籍降下で宮家の数が減り、さらには長年の近親的な婚姻のせいか後継ぎに恵まれない、男子が生まれないという状況にあり、悠仁親王に万が一のことがあって愛子内親王が婿をもらうことになれば、それは英国でいうところのウィンザー朝の交替と同義ですので、万世一系とは言えなくなると思います。
そのような事態になれば、女系天皇を論ずるのではなく、新たな形の元首制を考えていくのが、天皇家の皆様にとっても幸せなことなのではないでしょうか。
今回のことでも、陛下がお気持ちを伝えるにしても退位についてふれるのは国政に権能をふるってはならないとする憲法第4条に抵触するということになるようで、ご自身の健康や体力のことでおやめになりたいということですら言い出せないというのでは、国民統合の象徴とされながら基本的人権すら認められない唯一の国民ということになっているのです。
天皇という職を特定の一族に押しつけ、そこにはさまざまなメリットもあるにせよ非常に大きなプレッシャーばかりでなく、できないことしてはならないことを並べ立てているのは、憲法そのものがおかしくありませんか?

もう一つ、安冨歩さんが『満洲暴走』という新書の中で、天皇制は国体護持に象徴されるように「守られる王」という性質になっているが、王とは本来国民を「守る王」でなければならず、タイやブータンの国王はそのような意味で慕われていると指摘していました。
その国体護持という名分をもって戦争責任をうやむやにし、敗戦そのものを忘れようとする永続敗戦レジームが続いていて目的化しているからこそ日本がおかしくなっているのだという白井聡さんの論考にも大いに共感するところですが、安倍政権がどんなに対米従属して憲法を復古的改悪しようと思っても、肝心の天皇陛下ご自身は敗戦をわが責任と受けとめられて80歳を超えても慰霊に足を運び、また東日本大震災についても日帰りでの訪問で被災者を励まし続けられるお姿からは、受動的に「守られる」存在から自らの意志を持って「守る」とまではいかずとも「癒す」存在へと変わられているのをつくづく思います。
戦争の遺族も被災者も、総理がとってつけたように来たのは喜んでいるようには見えませんが、陛下が同じ目線で声をかけられてくださるのには涙を流すほど感激する違いがあるのは、両者の心の持ちようの違いを感じるからだと思っています。

その意味では、今回の議論をもとに天皇制もしくは今後の元首のあり方を見直す時期に来ていると思いますし、まずは天皇であることをもって基本的人権も認められない憲法の不備を考えてみるべきだと思います。

2016.07.11

【時評】現代の奥羽越列藩同盟を夢想する

昨日の参議院議員選挙は、自公与党の勝利そしておおさか維新の会などを加えた改憲勢力が発議を行える2/3を超す形に終わる、非常にまがまがしいものになりました。
実際の発議から国民投票まで持っていくだけでも、さまざまに同床異夢な部分が出てくるでしょうから、すぐさま国民に危機が迫ることはないにしても、真っ先に取り上げられるのが緊急事態条項ではないかというくらい、主権制限からの独裁強行になってもおかしくない現実が現前していることに、改めて気づくべきだと思います。
この改憲については、年頭から春先までは意欲を見せていたにもかかわらず、この選挙にあたってはアベノミクスの信を問うという経済政策のみに争点を隠した安倍政権のやり口には怒りを感じてしまいますし、改憲こそが最大の争点であるのを浮き彫りにできなかった民進党をはじめとする野党側の力不足にも責任の一端があると思います。
実際には、先日読んだ藤波匠『人口減が地方を強くする』でふれている、人口減少することで経済成長が鈍化していくのは必然であり、経済成長もせず人口が減っていくことを前提にした財政対策に転換すべきだという論には全面的に賛同を覚えますし、そこからしてもアベノミクスの継続では国民に不幸を招くだけだと思うだけに、今後の議論の前提として民進党は藤波さんをブレーンに招いて確固とした対案を出すべきだと思います。

ただ、唯一の救いだったのは、一人区すべてで統一候補を立てて約1/3の11人が与党候補に勝つことができ、とりわけ東北では5勝1敗さらには東北電力のエリアでいえば新潟県でも統一候補が勝利しているのからすれば6勝、そして福島と沖縄では現職大臣を落選させるまでの善戦を見せたことです。
わが青森県でも、全国最低の投票率からようやく脱出し、統一候補である田名部匡代さんが終盤に大票田の三市で逆転して自民党現職を破ることになったのは、まずは何よりの結果でした。
統一候補というだけでなく、農業地帯としてのTPPへの反発が大きかったと解説されていますが、5年前の東日本大震災からの復興がまだまだ進んでいないにもかかわらず、2020東京五輪や熊本地震に土木建設業の主力が移ってしまって忘れ去られていく雰囲気が、かつて「白河以北一山百文」と呼ばれた旧い怨念を呼び覚ましたからだと思います。
ちょうど戦後70年と今後の日本を考えるために、内田樹・白井聡両氏による対談を読んでいるところですが、その中で内田さんは陸軍から長州閥が消えた後に石原莞爾・板垣征四郎・真崎甚五郎などの東北出身の軍人が争いながらも軍と日本を戦争へと駆り立てていったことを、賊軍としてのルサンチマンが暴発したのだと論じていましたが、今東北は大震災であれほどの被災をしても捨てられてしまうという思いが爆発寸前のところまできているのです。
この賊軍というのは、明治維新の際に朝敵とされた会津・荘内両藩を救うのを大義名分に結盟された奥羽越列藩同盟をさすのですが、ちょうどそれが今回の選挙で以南の日本とは違う結果を見せた東北7県に映し鏡してしまうのは私だけでしょうか。

もう一方の沖縄の敗因は、いうまでもなく海兵隊移設問題を頂点とする米軍基地への反対ですが、その沖縄では米軍に出ていってもらうだけでなく負担を押しつけるばかりの内地に対する反発から、琉球としての独立を模索する動きが大きくなっていると仄聞しています。
欧州では、英国のEU離脱からはじまって、それであればとスコットランドなどの連合王国内からの独立の動きが再び高まっていると聞きますし、世界的にもより小さな民族単位での国家への動きがますます出てくるものと思います。
それからすれば、高齢化が全国に先がけて進んで定常化していく方向が見えていて、食糧自給率がほぼ自立になるほどの第一次産業ばかりでなく仙台周辺の大工場地帯も抱えている東北が独立を考えることも、あながち夢ではないと思うのです。
列藩同盟ばかりでなく、戦国時代には伊達政宗、その前には奥州藤原氏、そしてアテルイと、東北に覇を唱えた歴史は連綿と続いているのですから、本当の復興を果たすためにも、日本にとどまっていていいのか、東北の私たちは考えてみるべきですし、それが日本を戦慄せしめれば日本を変える第一歩になるはずです。

2015.07.24

【時評】「ジパング」再読

寝苦しい暑い夜が続いているせいで、かわぐちかいじ「ジパング」を読み直しています。
2000年から9年間にわたる連載が43巻のコミックスとなっているのですが、あらすじとしては海上自衛隊のイージス艦「みらい」がタイムスリップして太平洋戦争の分水嶺となったミッドウェイ海戦の最中に現れるところから歴史の歯車が狂いだしていくというストーリーです。

まず考えさせられるのは、自衛隊が戦闘に巻きこまれるとどうなるかを描いていることです。
連載当時は今よりも周辺事態に危険を感じてはいないご時世だったわけですが、それをふまえて「みらい」の乗員は専守防衛の意識に塗り固められており、可能な限り敵味方にかかわらず生命を尊重する行動で対処しようとします。
その意識と実際の戦闘を体験したことがないがために旧式ながらも命がけで向かってくる相手に対応しきれずに落命したり、最低限の被害にとどめながらも相手を死なせていく体験を重ねていくことで、一時的には帝国海軍と共同作戦を取るところまで進んでいきます。
今国会で論議されている戦争法案が成立することになれば、集団的自衛権による後方支援に徹すると言っていても後方支援の兵站こそ狙われるのが戦闘の常識と聞くことがありますし、そこで戦死者が出た場合に現場で応戦しないわけにはいかなくなったり敵を取らねばという思いが強まったりすることで、自衛隊員が兵隊の気持ちになってしまうのが不可避であるのを、先んじて描いているのを今さら理解したところです。
私個人はこれから成人していく坊主がいる立場として、単に戦争反対というより息子を戦場に行かせるわけにはいかないという思いが強いのですが、法案成立でリスクが高まるのは現役の自衛官なのですから、専守防衛の思いで就役しているはずの人たちが今どんな思いで国会審議を見守っているのか、気になるところです。

そして、時代が太平洋戦争のど真ん中、舞台は連合艦隊や満洲国果てにはナチスドイツまで拡がるスケールの中で、戦争とは何かを描こうとしているストーリーは、その戦争の敗戦から70年という節目の年だからこそ読まれる意義があると思います。
いきおい軍や政治にかかわる顔ぶれが連なり、そこに作者のひいきが加わってのフィクションですから一面の歴史物語であるのはまぎれもない事実ですが、単なる教科書的記述や年表的知識だけは身にしみて感じたり考えることにはつながらないだけに、このような入口があるのは大事なことだと思います。
そこから、この節目の年に戦争の事実を伝える書物(「永遠の0」のような付け焼き刃のフィクションではなく)を手にしたり、身近にいる数少なくなった戦争体験者からお話を聞くといった学びにつなげてもらえればと思います。

あなたは、戦争を知り考えるために、どんな本をすすめますか?

2015.07.20

【時評】「多数決を疑う」と「デモクラティア」

7/14の朝日新聞の記事「多数決って本当に民主的? 問い直す漫画や評論相次ぐ」に触発されて、以前から読もうと思っていた酒井豊貴の新書「多数決を疑う」と間瀬元朗のコミックス「デモクラティア」をまとめ読みしました。
戦争法案では世論調査の反対を無視して強行採決、新国立競技場問題では一転して国民に祝福されないとしてザハ案を白紙撤回と、安倍政権による民意の勝手な使い回しが露骨になる中だけに、民意を政治に反映させるということについて考えたいと思います。

「デモクラティア」はヒトガタという300人の登録者の意志を多数決で集約して言動が決定されるアンドロイドをめぐるストーリーで、そのロジックが不完全であるために想定外の行動となったり、登録者間の感情のぶつかり合いが「炎上」を引き起こしたりと、多数決よりも意見をぶつけ合うことの難しさが描かれていました。
一方、「多数決を疑う」では、社会的選択理論の進化を紹介しながら一人1票の選挙という方法とりわけ大選挙区制で行われる議員選挙では民意が反映されないことや、さらに踏みこんで小平市の都道問題を引き合いに執行権が強くなりすぎている弊害を解決する必要性などを示していて、過半数が投票しない選挙で票を集められずに落選した立場として非常に関心を持って読了しました。
もう一つ大きな指摘として、戦争法案では集団的自衛権の解釈改憲が問題とされていますが、現在の衆議院の小選挙区制は3割に満たない得票率でも8割近い議席を得ることが可能となる制度であり、改憲の発議に必要な2/3以上の賛成を簡単に手に入れられるのは公職選挙法によって憲法が左右される状況を生み出していることを明らかにしていますが、今提案されている参議院の合区案では一人区化がさらに進むことになるだけに、国民投票では64%以上の賛成が必要とすべきだという提言は非常に重いものだと思います。

考えてみれば、一人1票が民意反映の基礎のように思われていますが、戦後最初の総選挙は一人2票制で実施されたという前例もありますし、国際的に調べれば多様な選挙方法があることを「多数決を疑う」から知ることもできます。
また、多数決にしても、新弘前市の前に検討されて合意寸前であった旧中津軽郡3町村による合併が、最後の岩木町議会が委員長を除いて単独で存続=2/3町村で合併=8/広域で合併=7と分かれていたのを、委員長が一気に3町村合併の賛否を問うたために8対9で否決されたのですが、他の2村と同じくまず合併か存続下の賛否を問い、その後に合併の範囲を問えば存続派が3町村に回ることになったはずという重く苦い記憶があるだけに、本当の民意を形にする難しさを解決する方策は検討してしかべきだと得心しました。
ただし、憲法改正はもちろん地方政治の選挙制度を見直すにしても、今の法や条例に沿って改正案が可決されなければ変わることにはなりませんし、「多数決を疑う」でOECD諸国で社会的選択理論にもとづいて周波数オークションを実施していない唯一の国が日本であることを嘆いていていたとおり、日本最大の岩盤規制は政治そのものだと思わざるを得ません。

それでも、政治を変える、その第一歩として制度を見直すこと、民意を反映させるという根幹から考えること、これは大事な課題と肝に銘じて取り組むべき課題です。

2015.07.12

【時評】新国立競技場問題を考える

5月の東京都に対する500億円拠出要請からはじまって、ついには2,520億円という途方もない額での建設を強行しようとしている新国立競技場問題ですが、決まったとされていることの方がおかしいと思いますので、問題点を列挙しておきたいと思います。

まず、地方自治の経験からすれば良し悪しは別にして行政予算は単年度なのが原則で、2019年5月までかかる工事を行うのに支出するのであれば年度をまたいでの支出を行うために繰越明許という手続きをしなければならないはずですし、当初額が1,300億円であったのであれば、その都度補正をする必要があるはずです。
それにもかかわらず、国会に補正予算がかかるという話も出ませんし、野党である民主党からも修正案を出そうという声もなく見直しを求める質問しかしないというのは、誰が責任者なのか見えないという話以前に議会としての機能を果たしているのか疑問に思います。
自民党から答えが出てくるとは思っていませんが、民主党の国会議員の方々もしくは地方議員でこの問題を取り次いで答えてもらえないかと思っています。

もう一つ、都から拠出することになれば議会での議決が必要ですし、これをおかしいと思う都民がいれば住民監査請求さらには行政訴訟をおこす権利が発生しますし、これによっておかしな工事を止める可能性もあるわけですが、国民の大多数が反対しているのをぶつけるには、いきなり工事差し止めの裁判を起こすしかないのかどうか知りたいと思いますし、実際に裁判を起こす動きがあるのかも知りたいと思います。
それにしても、現在の案のスタートは民主党政権時代だったそうですが、安倍政権が変えられない理由としているのは五輪招致における安倍総理の約束があるからだということですし、一番最初の案から変更もあり額も大幅に増えてしまったものを国民が納得するかどうか答えもないままに進められるのはおかしいと思いますので、ワンイシューで解散で信を問うのも何ですし大阪都構想のように国民投票を行うような仕組みがあってほしいものだと思います。

政治にかかわってきた立場からの問題点をあげましたが、メーンで使う陸上協議関係者としては為末大さんの意見がもっともだと思いますし、どんなものを作るかだけではなくどのように使っていくのかを考えておかなくては、ここまでとはならなくても次世代に負担ばかりを残すことになる懸念は消えるものではありません。
何とか見直しとなるよう、あきらめずに声を上げることは続けていこうとお思います。

2015.06.27

【時評】忍びよる言論弾圧

25日に開催された自民党有志による「文化芸術懇話会」なる会合での国会議員および講師を務めた百田尚樹の発言が問題にされています。
マスコミに圧力をかければいいとか沖縄の地元紙2紙を廃刊に追いこめとか、果てには米軍兵によるレイプ事件や普天間基地の回りにすむ人たちまで持ち出しての妄言の連続だったのは宮武嶺さんのBlogが一番詳しくまとめていますが、自民党からのマスコミへの圧力に関してはこればかりではありません。
この会議にも出席している萩生田光一・自民党総裁特別補佐が昨年末の総選挙の際に、「公正中立な報道を」と文書での通達を出していることからも明らかで、これは議員個人の発言や考えではなく党としての文書なのですから、今回の懇話会も有志の集まりだとして総裁である安倍総理が逃れようとしているのは卑怯な話ですし、不利と見れば「朝まで生TV」への出演を避けるのですから姑息としかいいようがありません。

これにマスコミが屈しないという姿勢なのであればまだよいのですが、実際には百田氏が委員を務めるほどおかしくなってしまっているNHKでは阿部再選の応援団結成とだけ伝えて妄言はスルーされていたそうですし、読売もオブラートに包んだ内容、さすがに朝日は繰り返し詳しく報じていますが、一番早く伝えているのは日刊スポーツだというあたりに、マスコミの温度差と動きの鈍さを感じてしまいます。
先日の沖縄慰霊の日に関する報道でも、外国人記者がなぜNHKは安倍総理に「帰れ」コールが浴びせられたのを報じないのかと疑問をぶつけたことが話題になっていましたが、その記者たちによって世界中では安倍政権の危険性・特異性が伝えられているのに、日本ではニュースにもならないということからして、すでに言論弾圧が進んでいると思わざるを得ません。
これが怖いのは、報じられないことで事実そのものから国民が隔離されることですが、戦前の政党政治の崩壊の流れを思い出しても、血盟団事件、5.15事件そして2.26事件と郡部や右翼の暴走がエスカレートしていったにもかかわらず、国を思う気持ちはわかるなどと甘やかして国民もまたその雰囲気にほだされてしまったように、こういう問題はとっかかりで歯止めをかけないといけないのです。

いわゆる戦争法案も明らかに違憲ですが、これは存立危機事態が起きなければ発動できないものである(これも甘い考えかも知れません)のに対して、今回の問題は言論の自由という日常生活にかかわる重大なことで進行形で憲法を侵害しているのですから、より強い危機感を持って臨まなければならないと思っています。


付記:「かく語りき」と銘打った原点に返って、これから週刊で時評を綴っていくつもりです。

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