2015.11.06

放電する51歳、その先に

51回目の誕生日は、月例の野田村でのヨーガ教室があり、帰ってからのお祝いのワインで酔いも回って、300人以上のFacebookでのお祝いに返事もせぬまま寝入ってしまいました。

さて、昨年の今日考えていたのとはまったく違う境遇ではありますが、二度目の市議落選をふまえて次の道をさぐる中で若山恵佐雄さんと再会して、素浪人から食客にすくい上げていただき、「戦略参謀」というソリューションを展開している会社の参謀を名乗って、介護事業所の経営支援にかかわりながら、津軽のセーフティネット戦略を起行する場としての梁山泊!設立をめざすスタート地点に立つ51歳となりました。
若山さんに声をかけていただいたのは、一緒に人事塾(現在は成長塾)の研修を受けたご縁があったからですが、10月にこれまた人事塾そして中小企業家同友会で覚えていただいた蛯沢勝男さんから全国の成長塾の仲間を紹介していただいてみると、参謀としての戦略策定の先には組織の土台を支える人事制度が必要となりますから、かつて人事塾で学んだことが今になって生きてくるのをありがたく思います。
また、梁山泊!はそもそも40・50代の失業したおやじの再起の場として構想したのですが、専求院の村井ご夫妻とのご縁や若山さんが理事を務めるNPO生前契約青森ライフサポートとのかかわりから終活というテーマに接点ができ、一方で社会的包摂につながるこれから制度としての確立が必要となる事業にかかわることで、これまでの福祉・介護での経験もあわせて、自分が得てきたすべてのものを総動員して実現させていくべきものが見えてきたと思っています。
いわば、これまで充電してきたものを一気に放電する「時は来た!」(by橋本真也)のだと確信しています。

これが、この10年で実現させていく目標になりますが、その先60歳からは大学卒業時に封印した歴史の道もっと具体的にいえば津軽のシュリーマンになるという最初にして最後の夢をかなえる動きをしたいと思っています。
そのために、議員時代から大森勝山遺跡の国史跡・世界文化遺産候補地選定に関心を寄せ続けてきましたし、敬愛する今井二三夫さんが立ち上げた「縄文の会」の末席に名を連ねているのも、縄文遺跡にふれる機会を確保したいと思っているからですが、こういった文化資源をしっかりと保全しながら情報発信していくことでの貢献もしたいと思っています。

社会に貢献していくアクションの先に、津軽の文化を掘り下げる夢を持って、折り返し点をとっくに過ぎた人生を歩んでいこうと思います。

2015.09.06

議員時代のご縁で次の一歩

土日2日間かけて久々に上京し、次への一歩につながることを学んできました。

三鷹市にある三鷹産業プラザ内のミタカフェ、横浜市・関内のmass×mass 、二つともシェアオフィスとコワーキングスペースがメインとなっていますが、私が注目したのは両方ともフューチャーセンターという新しい場づくりを標榜しているからです。
ミタカフェの方は、三鷹市が立ち上げた「まちづくり三鷹」という会社が運営し、mass×mass は横浜市が呼びかけたプロポーザルに通って改修費だけ出してもらった後は自主運営をしているという違いがあり、ともに休業日ではあっても外からのぞいただけのミタカフェとスタッフの森川さんにわざわざ開けてもらって案内説明してもらったmass×mass とでは印象も違いましたが、単なるシェアオフィスではなく起業支援にも取り組み、その先に未来戦略をさまざまな立場の人間が集って考えるフューチャーセンターを見すえているという共通項があります。
私の立場は、市民とともに政策を語らい提言をするというフューチャーセンターはぜひとも実現したいと思っていますが、それを成立させていく上での取り組みとしては若山経営の参謀として事業者の経営戦略策定が土台となりますので、そこで戦略の必要性や社会における存在価値を見いだした方々と地域社会の未来戦略を考えるというスキームを構築するというのをめざしていくつもりですので、今回学んだことと以前から考えている中年失業者の再起の場としての「梁山泊!」とが重なっていくようにしていくつもりです。

ところで今回の見学ですが、三鷹については隣の武蔵野市・川名ゆうじ、mass×mass については以前からかかわりを持っていた横浜市・伊藤大貴、二人の市議のアテンドによって実現しました。
川名さんとはローカルマニフェスト推進地方議員連盟の結成の最初から、伊藤君とはTwitter議員同士の交流からはじまったご縁ですが、お二人は政治的立場や所属する政党は違えど、社会とかかわる中から市政の問題点を見つけ政策を提言していくという基本姿勢には私も含めて同じものがあり、それだけに私が議員という立場を失っても友人として協力してくださるので、本当にありがたいご縁だと思っています。
思えば、フューチャーセンターに行き着いたのは、当初は議員でなくても市民の側から政策提言するシンクタンクを立ち上げたいと思って、私にとっての政策立案の師匠である故中橋勇一さんのプランニングネットワーク東北に奥様である麻子さんを訪ねたのがきっかけで、その会社のテーブルを囲んで「政策ラウンジ」を毎月開催していたのを思い出し、その中橋さんがもくろんでいたのは違う立場の政治家や市民が集まって同じ情報をもとに議論し、それぞれのマニフェストに結実させる場を作るということだったので、これこそ今でいうフューチャーセンターだと得心したからでしたが、今回のことでも違う場所違う立場の方々から同じテーマの情報をいただく形になって、まさに一人時間差政策ラウンジだった気がします。

三鷹では、川名さんの紹介で当地の野村羊子市議に案内役を引き受けていただきましたが、終わってからの歓談の際にお二人から出てくる政策課題の幅広さや動きの速さを聞くにつけ、首都圏の政治家の大変さを肌で感じましたし、党務で再会を果たせなかった伊藤君の立場に思いをはせながら、暑くて熱い二日間を終えました。
せっかくの学びとこれからにつながる出会いをいただきましたので、これが形になるように動いていこうと思います。

2015.08.26

若山経営からのリスタート

再度の落選で人生のロードマップに大きく狂いが生じてから4ヶ月、さまざま考え、いろいろな人たちに相談に乗っていただいた末、青森市の「若山経営」様にお世話になることになりました。

この会社は、税理士である若山恵佐雄さんが代表取締役を務めており、元々は税理士事務所だったのを税理士法人NAVISと経営支援にあたる部門を分けた形になっているのですが、若山さんとは2007年の「人事塾」以来のご縁でその後も人事塾公認講師研修まで一緒し、むつ市での教え子の結婚式で同席するという奇遇まであって、ご縁の深さを感じていた方でした。
それとは別に、議員という立場でなくても政策提言する活動はしたいと思い、それならば政策マーケティング委員会そして政策ラウンジでずっとお世話になった故・中橋勇一さんがなさっていたプランニングネットワーク東北のようなシンクタンクというやり方もあるのではないかと思い、奥様で現在は代表を引き継いでいる麻子さんに相談に上がったところ、協同組合という形態を取っていたプラネットには最初から若山さんも参画されていたのを初めて知り、それならば近況報告を兼ねて設立時のご苦労などを教えていただこうと連絡を取ったのでした。
ところが、若山さんの方では経営支援にかかわる分野として福祉施設や介護事業者という存在に向き合うことが多くなって、実態を理解した上での支援をするにはどうしたらいいかと思いあぐねて私にコンタクトを取ってみようと思っていたところだったそうで、まさに会うべくして再会を果たした形になり、そこから話を具体的に進めて、当面は「経営支援部 社福・介護事業担当部長」という立場でかかわることになったわけです。
具体的には、現在かかわっているケースに一緒に支援したり、福祉施設などに若山経営オリジナルの戦略査定ソリューションである「戦略参謀」の導入を勧めるという仕事になりますので、他分野でも関心のある方は気軽にお声をかけてくだされば、どちらにでも参上するつもりです。

ただ、シンクタンクというのをあきらめたわけではなく、中橋さんが主催されていた政策ラウンジというのは今でいえばフューチャーセンターであったと気づく機会にもなりましたので、個別の事業者の支援だけでなく、かかわった組織ばかりでなく市民も含めて地域の未来戦略を考え語らっていく場を作っていけば、経営的な基盤を保ちながら活動していけるのではないかと考えています。
さらには、ドリプラでの宣言から開店休業にとどまっている40・50代の失業オヤジたちが集う場「梁山泊!」も、経営支援にかかわってもらって、それが再出発のきっかけになるという道もあると思いますし、今回の若山さんからのオファーで考えていたことを一本のロードマップにできる気がしています。

素浪人から食客にしていただいて、リスタートの第一歩を踏み出すことができました。若山経営にとっても、津軽にとっても参謀と呼んでもらえるよう、これからがんばります。

2014.02.08

ドリプラの提唱者から学ぶ

ドリームプランプレゼンテーション、略してドリプラ青森2013から早いもので2ヶ月半、これを提唱された福島正伸先生が基礎としているメンタリング・マネジメントを語るために来青するというので、関心を持ってくれた娘ともども県立保健大に向かいました。

路面に雪のない天気だったこともあって早めに着いたところ、ちょうど先生の到着に出くわすことができ、娘たちにもやさしく声をかけてもらいましたが、その時の「受けないけどお笑い系」という話のとおり、とにかくエピソードだけで笑えてしまうほどのポジティブな内容で、これまで何冊かの本を読んだのでは伝わらないエネルギーを感じました。
例えば、サラリーマン生活では幸せにならないと思って起業してもうまくいかず、成功した方々にその否決を聞き出しに歩くことをしていた際に、3回お願いしてダメならあきらめるという普通の感覚でやっていたのを、1000回頼んで断る人はいないという境地を学んだり、自分の会社ではコピー1枚でも「世界を変えるためにコピーしてくれ」と頼むといった破天荒な話でしたが、それを楽しみながら真剣にやり続けていれば実現しない夢はないという強い思いが生まれてくる根っこを感じさせるものでした。

それからすれば、ドリプラで梁山泊!という夢を語ったにしても、日々何かをやり続けて形にしていこうという行動が伴っていないことを大いに反省しなければならないと痛感するばかりで、久々に再会したドリプラの仲間の励ましに甘えているわけにはいかないと思いました。
6月にはより突っこんだ内容でメンタリング・マネジメントを学ぶ機会がありますので楽しみにしながら、それまでに具体的な見える形を生み出すアクションをしていこうと思ったしだいです。

2013.12.28

夢と現実のはざまで

11/24のドリプラ青森大会で設立を宣言した、40・50代の職を失った「おやじ」が再出発する場・梁山泊!ですが、1ヶ月たったところで決起集会という第一歩を踏み出すことができました。

この間、Facebookページも立ち上げたところ、あっという間に250名近い方から「いいね!」をしていただき、向き合おうと考えた問題に対する関心の高さを感じて心強く思っていたのですが、実際に参加してくれたのは私を含めて5人でした。
人数はともかく、ワークショップ形式で話し合った内容は濃いものでしたので開催した甲斐は十分でしたが、夢を応援してくれる人は多くても、リアルに動いてもらうまでの思いは届いていないのをつくづく感じました。

実際のところ、町会長やPTA会長に野田村支援など従来からの活動に加えて、さらに梁山泊!を立ち上げるとなると、それに専念していないだけに動きが点にとどまっていて、形にならないもどかしさもあります。
それでも、ドリプラ以前から縁のある仲間から先に進めていくためのつながりをいくつか紹介してもらっていますし、話し合いをしてみても何といってもリアルな拠点を立ち上げることが最優先だと改めて認識しましたので、まずはそこからはじめていこうと思っています。

ドリプラで夢を語るまでの準備では近年にない集中をしましたが、夢を形にするにはそれ以上の真剣さが必要ですし、それは一人でできることではありませんので、お願いすべきことはためらわずにお願いしながら実現に向けて歩を進めていきたいと思います。

2013.11.24

ドリプラで「梁山泊」宣言!

昨年9月にアップルランドでの津軽大会で衝撃を受け、プレゼンターをやると決心したドリームプラン・プレゼンテーション青森2013、考えに考えてとうとう不眠不休でプレゼンに臨みました。
準備万端臨んだ人、プレゼン直前でようやくムービーが完成した人、それを全力で支援してくれた人、7人のプレゼンターと支援するスタッフ、そして7人の夢を受けとめてくださったたくさんの聴衆で、今年も、いや当事者だからこその最高の感動をいただきました。まず、最初に心からの感謝を申し上げます。
「本当に、ありがとうございます!」

6月のキックオフから7月のプレゼンター決定、それから何度も青森市「ドラゴンカフェ」での合同支援会や個別支援、最初は安易に考えて臨んだところがありましたが、ここまで突きつめるのかという場面を何度も与えていただいて、形としては同じ中身でも思いは雲泥の差の強さになっている経験は、何物にも代えがたいものでしたし、それを促してくれた支援者の皆さんは本当の仲間です。
この経験ができただけでも、ドリプラに取り組んだ甲斐があったと言いたいくらいです。

しかし大事なのは、それだけの経験と思いを乗せたプレゼンを、しっかりと形にしていくことです。
今回、私が打ち出したのは、40・50代で職を失った男性いわば「おやじ」が再出発するために集まli
、そこで思いを語り合ったり起業のための準備をしたり再就職のマッチングをしたりする場、「梁山泊」を立ち上げることです。
「梁山泊」とは、弘前ねぷたの題材に描かれる水滸伝に出てくる、逆境に置かれた豪傑たちが集い正義のために戦う拠点のことで、「おやじ」たちにも再起してほしいという思いで名づけました。
これは、私自身が「おやじ」そのものな境遇にあるからこそ思い立ったものであり、若い世代のジョブカフェのような年代別支援制度もなく、大半が会社人間的な生き方で相談する仲間もいないのが実情なだけに、まずは集まる場を作るところからはじめたいと思っています。
ただ、徒手空拳の私だけでできることではありませんので、これが仕組みとして成り立つような工夫も必要ですし、はじめるための場所の確保や運営していく資金といった現実の課題もありますので、ご縁や関心のある方には何でもいいのでご協力をいただきたいと思います。

その思いの丈をこめてプレゼンしたのですが、200枚を超えるメンターカードにも感想だだけでなく本当に必要と感じてくださったメッセージや具体的な提言もあって励みになりましたが、コメンテーターとして昨年の世界大会に出場した田内孝司さんから感激のコメントをいただいたのが何よりの光栄でした。
さらに、田内さんからは打ち上げの席で昨年のプレゼンを見せていただいて、ご自身の苦い経験から中小企業を倒産させない「龍馬ネットワークプロジェクト」を教えていただいて、協力して正直者が馬鹿を見ない世の中を作ろうと声をかけられて、この方と出会うためにプレゼンしたのだと涙が抑えられませんでした。

私も、田内さんのように自分のプレゼンを持ち歩き、一人でも多くの方に見ていただいて、「梁山泊」を実現させたいと思います。
それだけでなく、ふるさと相馬のために働き、野田村の被災者や介護が必要となった高齢者、そして職を失った「おやじ」、こういった自分のせいではないのに人生がうまくいかなくなった方々を一生かけて支えていくつもりです。それが私、三上直樹の生き方です。

2013.05.01

「飛耳長目ネット」設立の思い

素浪人3年目の本日、「飛耳長目ネット」を立ち上げました。
そこに設立の目論見をまとめてありますので、こちらにはこれにまつわる吉田松陰への思いを記しておきたいと思います。

Yoshida Shoin2

私が一番最初に吉田松陰を知ったのは、中学入学の前後に放映されていた大河ドラマ「花神」でした。
他の幕末ものと違って、主人公が大村益次郎で維新前夜の長州の群像を描いた異色なストーリーでしたが、その中で一番印象に残ったのは篠田三郎さんが演じた吉田松陰でした。
篠田さんそのままと言ってもよいほどのまじめで素直な性格なのに、ペリーの黒船に乗ろうと試みる大胆な行動、我が身のことより岡本信人さん演じる弟子の様態を気にかけて悲憤慷慨する情の厚さなど見事に演じられ、清冽ながら強烈な印象を残してくれました。

その後、大学では日本史学科に進み歴史小説も好んで読んできましたが、とりたてて松陰研究にのめりこむことはなく過ぎてきたのですが、私にとって転機となった取り組みの中で松陰を思い出す機会がありました。
葛西市長が当選された選挙に際し、私は有志とともに当時の市政を憂いて「市政を変えるマニフェスト」づくりを進め、そのきっかけとなった発言とあわせて市長選出馬を考えていると見られることになったのですが、当時の公式記者会見で葛西候補支援と自らの不出馬を表明した陰には、仲間の内には経済界の若手リーダーが数名加わってくれており、ここで割れると彼らの将来や仕事そのものに傷をつけてしまうことを避けたいという思いもありました。
それを伝えて飲み語らう席があったのですが、そのうちの一人がマニフェストの活動を通じての私のことを、「こういう大事なことを突きつめて考えようとするのは、吉田松陰のようだ」と過分の評価をしてくれたのが無念の思いを打ち消すほどの記憶に残り、そこから私自身がもっと松陰を知らなければと学びはじめて、松下村塾という場のことばかりでなく飛耳長目という姿勢と取り組みを知ることになったのです。
ちなみに、今年の大河ドラマ「八重の桜」では小栗旬演じる松陰が脱藩した形で会津を訪ね、八重の兄である山本覚馬と出会い親交がはじまったのが描かれていまして、そこから津軽の果て竜飛崎まで足を伸ばしたエピソードにつながるだけに、松陰や佐久間象山・勝海舟とも親交のあった覚馬という人物に強い関心を持つことになったのも、松陰という磁場がなせる業と感じています。

ところで、設立表明に関心や賛同してくれる人はあれども、実際に会員になろうとまでの行動をしてくれる志士は未だ現れておりません。
これは、私一人がやむにやまれぬ思いで立ち上がったことですし、その思いがまだ伝わるほどの行動に現れていない感じてもらえるまでになっていないということですから、これならば支援したい協力したいと思わせるだけの内容にしていくことこそ、嘆く前に必要だと思っています。
とはいえ、何はなくとも仲間があればこそできること頑張レることがありますので、最初の一人が現れるのを心待ちにしております。

2012.11.13

野田村でドリプラを!

今年の3/10に初めて訪問して以来、野田村の最奥・日形井地区にある南部曲家の民宿「苫屋」さんにはランチを食べに行くというより、被災された方々の創作活動の支援にかかわる打ち合わせのために足しげく通う形になり、あっという間に坂本さんご夫婦とは懇意の仲になりました。
今回の訪問では、弘前大学教育学部の冨田晃先生と大学院の学生を案内し、仮設住宅のお父さん方の活動である「だらすこ工房」の作品やパッケージングにアイデアを出してもらいました。

本来は私が送り迎えする立場なのですが、前回おじゃました際に、「ちょうど12日は苫屋の20周年の祝宴があるので、この機会に泊まって、だらすこのお父さん方とも語らってください」という甘い誘いに当然のごとく乗ってしまい、運転が不慣れな冨田先生を見送って再び山道を上りました。
祝宴には約30名の方々が集い、川魚や手料理、地酒などを持ちより、早々に歌が飛び出したりと楽しい雰囲気で続きましたが、お父さん方以外はほとんど知らない方ばかりで、野田村の支援にかれこれ100回近く足を運んでも、まだまだ知らないことばかりであるのを実感しました。
それでも、何はともあれ坂本さんご夫婦のお祝いの輪に加わることができたのは、遠い隣村と思って通っってきたご縁のたまものと、うれしく酔うことができました。

IMG_6086

翌朝、ゆっくりと目を覚ましてヘルシーな朝食をいただき、自家焙煎のコーヒーをおかわりしながらご夫婦と改めて語らっているところに、車を置いて帰った「だらすこ」の大沢さん畑村さんが来たので、さらに話がはずみました。
ご夫婦と話していたのは、前夜の席にも若い人の姿がほとんどなく、これからの野田村を考えた時に若者にこそ夢を持って立ち上がってほしいのに、その兆しが見えないことでしたが、「だらすこ」のお父さん方も自分たちでもがんばっているところを見せて若い人を発奮させたいというのが根底にあるだけに、思いが共鳴し合って、ついつい長い語らいになってしまいました。

そこで提案したのは、野田村でドリプラをやりましょう!ということです。
今年のドリプラ青森大会のプレゼンターに下芋坪之典君=ユッキーがいます。彼とは数年前に八戸で会って以来のつきあいで、昨年の3/31にはじめて野田村に足を踏み入れた際に炊き出しや物資運搬に動いている姿を見つけ、思いがけない場での再会を喜び合ったのですが、先日のプレゼンで彼自身工場が被災していたのを初めて知り、あの時の思いにはじめてふれて驚きと感激で涙が止まりませんでした。
彼は商工会のつながりで同年代の野田村の若手リーダーも知っていますし、12月の世界大会での彼のプレゼンが終わったら、一緒に働きかけようと約束をしています。
その約束と、野田村で知り合った年長者の憂いを受けとめて、そして自分自身が夢にかかわるという貴重な機会をいただくために、ぜひ野田村ドリプラを実現させたいと思っています。

2012.11.06

48歳、「起行家」宣言!

今日は私の48回目の誕生日、FacebookやTwitterでたくさんの方々からお祝いのメッセージをいただき、本当にありがたく感謝しております。
一昨年秋からの長慶会騒動、昨年4月の弘前市議選での落選以来、今年も終わりに近づいているにもかかわらず職を得ることのない素浪人の立場はわからないものの、震災支援に取り組む「動こう津軽!」での活動と相馬陸上クラブのヘッドコーチという役割に加えて、今年になってから住んでいる昴町会の町会長、娘の通う高校の学年委員長=PTA副会長、高校同期会の会長と、自ら得るのではなく与えていただく役割が思いがけず重なり、やるべきことは飛躍的に増えた一年だったと思います。

その中で、自分にとって今年一番インパクトのあったのは、ドリームプランプレゼンテーションつまりドリプラとの出会いでした。
9月の津軽大会に続いて、10月に行われた津軽・八戸それぞれから4人が選ばれてプレゼンした青森大会を体験して、これに自分が取り組まなければという思いは確信に変わり、さらに今年の実行委員長である片岡誠司さんと語り合って、その思いは堅いものになるとともに、これを提唱した福島正伸さんの考え方をしっかり受けとめようと、『夢を叶える』を今日までかかって読了しました。
その主旋律となるのは「自立型思考」というポジティブな考え方で、その視点から今の自分を見つめ直してみると、この一年半禄を食む仕事に就けないというのは、過去の経験も今の働きぶりも対価を得るにふさわしいものではないという厳然たる評価と受けとめるべきで、それはひとえに自分の責任です。
妻が働いているからこそ家族が生活できるという環境があるからこそ武士は食わねど高楊枝な生き方をさせてもらっていますが、今さら人様に仕えることもできないという偏屈なプライドもありますし、議員という職責は失ったにしても市政のイベントや活動にかかわるフリーランスな立場を捨てるわけにもいきませんので、その上でこれからの生き方を考えて、これからは「起行家」となることを本日ここに宣言します。
起行ではなく起業だろうと思われるかも知れませんが、仕事を起こすのではなく行動を起こす人になるのです。

もう一つ、議員ではなくても政治家であるのを捨てたわけではない立場から今の日本の政治状況を見た時に、橋下徹率いる「日本維新の会」が起こしている旋風には違和感を感じていますが、以前Blogにコメントをくださった方から、津軽には維新のような動きがなくて残念という指摘がありましたが、それには御意と応じざるを得ない閉塞感がある状況だと私も思います。
ところで、明治維新といえば坂本龍馬というのが定番となった感がありますが、今の維新が政策なき野合に走ろうとする根元には、龍馬が薩長連合を結ばせたのを皮相的になぞっているからだと思います。これは龍馬ご本人も不本意だと思いますが、理念なき政治、数は力という風潮のままでは、真の政治改革はあり得ないと断言します。
一方、明治維新には倒幕以前に開国から尊皇攘夷という流れを経てきた中で思想的支柱があったのが大きな違いですが、その源流に安政の大獄で獄死した吉田松陰がいます。
私にとっての吉田松陰のイメージは、その昔の大河ドラマ「花神」で篠田三郎さんが演じた愚直な人物像に尽きるのですが、ドリプラと出会ってから私のなすべきことは、松陰が多数の人材を生み出した松下村塾にならって、市民とともに政治の根本を学び幅広く地方自治の先進事例を知る場をつくることだと思っています。
松本村にあるから松下村塾でしたので、私の場合は相馬村にあるから「相下(そうか)村塾」といったところですが、政治家の保身による集合離散でおかしくなった政治を変えるには、松陰が唱えた「草莽崛起」のように市民が立ち上がることが一番大事だと思いますし、そこで何を実現していくかを考えるための情報をこれまでの人脈とネットの力で現代の「飛耳長目」を実現したいと思います。

この夢を、ドリプラの場を借りてブラッシュアップし支援してもらえる仲間をつくるのが、これからの私のなすべきこと、それが「起行家」として生きていくことだと決意しています。
それには皆さんのお力を借りることが増えると思いますので、誕生日にあたってこれまで以上のご理解ご協力をお願いいたします。

2012.09.23

我がこととしてのドリプラ

ドリームプレゼンテーション、略してドリプラ津軽大会が開催されるというので、連休の午後アップルランドに足を伸ばしました。

ドリプラは、起業コンサルタントとして名高い福島正伸さんがはじめたプロジェクトで、事業の価値を説明するのではなく夢を語り体験してもらうプレゼンを行うことで真の支援者とつながっていくのを実現する者です。
これが県内で行われるようになったのは、意義を理解した元RABアナウンサーである後藤清安(みほこ)さんが、昨年のドリプラ世界大会に「loveaomori project」でプレゼンターとして出場するとともに、県内でのプロジェクトを同時にスタートさせたからです。
彼女が3年前にloveaomoriの活動や「楽習会」をはじめた頃からご縁があったものの、昨年のドリプラにはかかわりを持てずじまいだったので内容すらわからずにいたのですが、来場してみると今年のプレゼンター8名のうち2人は旧知の仲間ですし、総合指揮は「選挙へGo!」で一皮むける前から知っている竹内博之君で、同じ来場者には素浪人になってからも温かい励ましをくださる方二人、そしてベスト8敗退をムダにしない原田一範監督率いる聖愛高校野球部一同が最前列に陣取るという、ご縁のるつぼのような状況でした。
最初にピンクとオレンジのヤッケという一張羅で後藤さんが登場し、昨年のプレゼンを披露しながらドリプラにかける思いを語り、それから8人のプレゼンターが10分間で夢をぶつけてくれましたが、人生の中での挫折や引っかかりが根っこにあることを赤裸々に語ることで、それだけの思いをプレゼントプロジェクトにかけているのが伝わり、本当に心を揺さぶるものがそれぞれにありました。
途中で涙する方も多く、拍手の強さからも全員の感動が伝わってきましたが、日頃は泣き上戸の私はコメントの端々に出てくるプロセスを共有している者同士の共感があればという思いに駆られて涙をこらえて帰路につきました。

後日、福島さんの「どんな夢も必ず叶うたった1つの方法」を読んで、ドリプラの全貌とプレゼンターや支援者のことがわかった時には号泣してしまいましたが、それだけに会場で思ったドリプラにかかわろう、そしてプレゼンターをやろうという決心は堅いものになりました。
それを再確認し、そして一番夢を語る場を作ってほしい娘にドリプラを知ってもらうために、10/14の青森大会に行くつもりです。
それを経て、今私が一番やらなければならない、やりたい夢を明らかにしたいと思っています。

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