2017.02.12

ろうそくまつりの「限界」を食い止めたい

相馬の長い歴史の中で約450年もの伝統を誇る、沢田ろうそくまつりが旧暦1月15日の満月の日に開催されました。
建国記念の日と重なったこともあり、弘前公園での雪灯籠まつりに客足が奪われたようで例年より若干少ない人出でしたが、多くの人たちが参拝に訪れ、豊穣への祈りをこめたろうそくを立てていきました。

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翌日の例大祭では、氏子総代によるご託宣が告げられ、今年の天候は平年並みだが地震が少し心配とのことで、その後の直会では相馬の主だった顔ぶれと沢田地区の方々とで楽しい歓談のひとときを過ごしました。

私は数年前から実行委員の端くれとしてかかわり、例大祭には昴町会長として招待をいただく立場ですので、今年も任務にあたっていましたが、その中で気になったのは実行委員の主力をして動いている人との会話でした。
荷物運びの車の中でのことでしたが、町会が10世帯になってまつりの開催もおぼつかなくなった沢田町会に対して、実行委員会方式で後押しをしようと10年ほど前からかかわっているが、実行委員のメンバーも変わらず、自分たちがリタイアしたらどうなるのだろうという不安を語っていました。
現実に実行委員会は60・70代が中心で、50代は私一人、その下は一気に30代となるような構成ですし、限界集落化している沢田地区を支えるはずの存在が、逆に組織としての限界を迎えるのが早いような、矛盾をはらんだ状況です。
このことに関しては、不在となっている私たち世代の責任は大きいですし、ろうそくまつりにかかわらず村内の行事イベントでの役割を考えてみても、あと10年続けていくことで、さらにその先までつながっていくと予想されるだけに、自分たちがしっかりしなければならない立場にあると感じています。

今すぐ何とかできることではありませんが、地域の伝統を継承していく役割を果たすことは、私たちにとっての大きな宿題を出されていると思っています。

2016.11.28

市政懇談会は封印すべし

8月末の予定が台風の影響で3ヶ月伸びて、ようやく相馬地区での市政懇談会が開催されました。
葛西市長以下市の幹部が顔をそろえて各町会からの要望に回答し、その場に参加した人たちからの質問にも応じる形で進む3年ごとの恒例行事ですが、今回は事前に出された要望が4つにフロアからの質問も10件で、1時間少々たったところで終了する流れでした。

実際に出された質問としては、土木事業にかかわるものが多かったので板垣建設部長が答弁に立つ回数が多く、他には要望というより事業そのものの内容に対する質問というものでしたので、市政懇談会という域を超えないレベルでした。
私からは、昴町会の街灯更新に関することと岩木・相馬地区と市の社協負担金の違いについて質問しましたが、街灯については終了後に所管している課にいる同期が説明にきてくれて再来年度から取りかかることがわかりましたし、社協負担金に関しては健康福祉部長から話題に上っていたことを社協に伝えておくという回答でした。
そのやりとりで感じたのは、取りたてて重要とは思えない内容であったかも知れませんが、質問を受けた各部長からしっかりとした回答が得られずに、後ほど調べて回答するとなったのが数件続いてしまい、まるで最近の予算決算審議で答弁に窮する場面を頻発させているというのが再現されていたことへの残念感でした。
地区の市民からすれば、せっかく3年ぶりにやってくる市政懇談会に出席しているのに、何とも歯切れの悪い回答ばかりでは、市に対する信頼感をアップさせる形にはならなかったろうと思います。

それにしても、質疑応答に移っても会場で我先に手を上げようとしている人は少なく、進行役の大谷さんから何度も促すような発言が重ねられる状況でしたが、それはやはり合併11年目ともなると市のやり方はこんなもので、その中で自分たちは暮らしていくしかないというあきらめの気持ちが強まっているからだと思います。
以前出席したのは6年前で、そこには当選してエネルギーにあふれた葛西市長や農林部長に昇進したばかりの蛯名副市長が前任の道路維持課への質問に越権で答えるといった場面もあり、新市長誕生を受けて市政は変わっていくのだという雰囲気に満ちたものでした。
それと比べると、今回の懇談会は市長のあいさつに続くプレゼンもサラッと終わってしまいましたし、もう一人の副市長である山本氏は欠席するというのでは、市民サイドからしても市からの熱を感じる要素はどこにもありませんでした。
相馬地区だから感じることなのでしょうが、合併した地域としては現在の課題についてやりとりすることよりも、もう少し中期的な問題に焦点を合わせて多角的に話し合いを持つ場こそが必要なのだと思いますが、26連合町会のうちの一つとしてのポジションでは、そんなことを提言する気にもなりませんし、そもそもそんなイレギュラーな発言が許されるような雰囲気ではありませんでした。

こんな気持ちにさせられるのであれば、相馬での市政懇談会は封印してほしいと思わずにはいられません。

2016.08.28

59回目の地区体育祭を憂う

台風の影響で雨が心配される時期でしたが、思いのほか晴れ上がった天気のもと、59回目の相馬地区体育祭が行われました。
相馬村の時代は8月第1日曜日でしたが、合併後はねぷたに参加するようになったことで第3日曜日に変更となったのが、今年はその週末に東北ソフトボール大会で会場周辺が使用占拠されたことで、史上最も遅い開催となったわけです。
それだけであれば、少しりんごの収穫を遅らせてでも皆さん参加してくれたのでしょうが、それがちょうど中学校の文化祭とかち合ってしまっていて、中学生の出場はもちろんなく、保護者もそちらに行かなければならない役割の人もあって、例年になく寂しい体育祭でした。
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実は、今年先行して開催された地区ソフトボール大会も中学校の運動会とかち合っていて、体協の事務局長は平謝りに謝っていましたが、今回は地区16町会のうちこれまでの3町会から不参加が大幅に増えて、合同で参加したところを入れても10町会の参加にとどまり、本当にこのまま続けるべきかどうか考える危険水域に入っていると思います。

そもそも、地区体協の役員にしてもほとんどが還暦を過ぎた人ばかりで、若かりし頃からすでに30年近くは顔ぶれが変わっていないことで、小中との連携が薄れてしまっているのでしょうし、そういうお歴々に予定がかち合っていることを申し出るPTA世代が加わっていないのも問題です。
合併前は、「星の里マラソン」という家族で参加できるマラソン大会を主催するほど活発だった体協活動ですが、市の時代となって大会運営の補助金が削除されるとあっという間に大会がなくなるほど自主財源とやる気が欠けてしまっているにしても、他の地区とは違って合併前の名残で地区体協への補助金が続いているからこそ体育祭やソフトボール大会、そしてスキー大会が開催できているわけです。
これは、体協に限ったことではなく社協も同じことなのは前にふれたとおりですが、来年の記念となる60回大会を終えた時点で大会の継続と組織や補助金のあり方を見直すべきだと思っています。

思えば、私たちが10代だった頃の体育祭といえば、成人男子1500mで健脚を競ったり、最後は200×4=800mリレーで真剣勝負したりと、親睦以上に体育祭にふさわしい種目もあり、親睦の場面では昼から飲むのは当たり前で皆でホルモンをつついていたのが懐かしいですが、今ではそんな種目も煙の立つ場面もなく、昼には閉会式が行われて、反省会は町会に戻ってからという形になってしまいました。
小中学生からすれば、過疎とはいえ当時の人数が多かったこともあり、地区を代表して体育祭で走れるというのは誇りに思ったものですが、わが陸上クラブは出場したもののマラソン専門のクラブや野球チームは試合に行って不在というのも、体育祭のプライオリティが下がってしまっている現れです。
反省会でも、もっとみんなが参加してよかったと思える種目にしてほしいという声もありましたし、続けるにしても種目を再検討する必要があります。

ちなみに、わが昴町会は何とか人数をかき集めて棄権種目が少なかったことと女性陣の活躍で、準優勝というちょうどいい成績でしたので、楽しい反省会となりました。

2015.09.30

三たび意見交換会で言いたい放題

3回目となる「弘前市立小・中学校の教育改革に関する基本方針」にかかる地域意見交換会に出席しました。
昨年は具体的な中身を伴わない茫洋とした内容でしたが、今年は別の中学校区とはいえ3つの小学校統合案が出てきていることもあり、言うべきことは言うつもりで臨みました。

説明としては、夢を育む独自の教育自立圏(中学校区)を形成します/教育上望ましい集団活動が実践できる環境を整えます/安全・安心な環境を整えます、の基本方針に沿って、小中一貫教育システムおよび学校支援システムの構築/全教室に弘前式ICT3点セット(教師用タブレット・実物投影機・電子黒板機能つきプロジェクター)の導入/一部の小学校での統合/通学区域(学区)の見直し、などを進めるということでした。
昨年の続報では相馬学区も候補に上がっていた小中一貫教育システムは、石川中と東目屋学区で試行することになったようですが、昨年のコミュニティスクールの答弁で危惧したとおり、名前ばかりの一貫教育と責任を持って取り組む形になり得ないコーディネーター配置というのでお茶を濁して、コミュニティスクールで地域に学校運営を委ねる気はないのが見え透いたので、大館市・城西小の例を改めて引いて、専任のコーディネーター配置と地域主導で人事権まで持つことが必要としておきました。
もう一つ、複式校でありながら統廃合できる距離にない岩木山麓の常盤野小中が特認校(全市から入学できる学校)とされることが記述されていないことを指摘し、小規模校である相馬小・中でもこれを検討すべきではないかと注文をつけておきました。
全体のことから相馬学区についての意見交換となったところでは、朝陽小と青柳小の統合について横槍を入れ、市内一の格式の学校にりんご農家の子弟が通うくらいなら相馬小との統合を進めるのが合併した弘前市で考えるべきことだと思うし、それにともなって中学校区の再編は長期的課題ではなく短期的に検討すべき課題と突きつけました。
司会役の職員は、案の定という表情で辟易して「もっと簡単なことを質問してもいいですよ」と曰わっていましたが、そうやって方針の中核に手つかずのまま通してしまうわけにはいかない内容だけに、意見できる場では言いたい方だいしておかなくてはなりません。

それにしても、小中の関係者4人に町会から2人と少なく顔ぶれも変わらない参加者で、地域の教育力があると言われてもお世辞にしか聞こえない状況こそ何とかしなくてはなりません。
なお、残り13中学校区ごとに意見交換会は続きますので、市民の皆さんには足を運んでいただきたいと思います。

2015.07.09

あねっこバスに学ぶ

相馬地区町会連合会の町会長研修で、岩手県雫石町のデマンドバス「あねっこバス」を学んできました。
これは、相馬地区で運用されている予約型乗合バスに関して、5月の地区説明会そして6月に行われた町会長と都市計画課による意見交換会を受けて、よりよい公共交通システムを求めるのであれば自分たちも学ばなければということで企画したものです。

スキー場や温泉で知られる雫石町は、人口17,500人に減りつつあるとはいえ、74の集落に分かれる散村で高齢化が進んでいるだけに、公共交通が存続している意義は大きいのですが、そもそものはじまりは2003年当時に町内で8本のバス路線を運行していた岩手県交通が撤退することを通達してきたところからはじまり、1年がかりで町当局と町民の代表そして岩手県立大学の元田良孝先生のアドバイスをいただいて、これまでのバス路線を1日6本運行する予約式のデマンドバスに切り替えることにしたのだそうです。
その運行は町唯一のタクシー会社が対応し、苦情受け付けなどをNPOしずくいし・いきいき暮らしネットワークが行う形で11年目に入っているそうで、利用者数は減ってきているとはいえ運行開始時よりは多いレベルを維持しており、当時のバス会社に対する補助金よりも少ない額で運行できていることを受けて、1日おきに1往復する患者輸送バスだけ運行していた地区も来年度にはあねっこバスに置き換えることにしているそうです。

到着したのが予定よりも30分早かったのですが、担当職員の平野さんから30分の説明をいただいてからは、予約型乗合タクシーが運行している地区の町会長から矢継ぎ早の質問が続き、最後に私が質問し終えたところで11:30を回るほど熱心な質疑応答となりました。
そこで感じたのは、雫石町の場合は撤退するというバス会社に対して役場と町民がタッグを組んで向き合い、現在でも役場・NPO・タクシー会社が連携して町民の要望に応えるという一体感があるのですが、相馬地区の場合は何も知らず考えてもいなかった住民側に市から突然乗合タクシーの実証実験が打ち出され、今回の本格運行に関しても当初は説明はしても意見を受け入れるつもりではなかったという対立の構図でしたので、行政がどちらの側に立つのかは大きな違いだということです。
何とか新任の都市計画課長が聞く耳を持っていたことで、町会側でも考えるチャンスをもらったのですが、こういう場に臨んでみると先進事例から学ぶ意義は大きいですし、やはり自分たちのことは自分たちで考えなければならないことを共通認識できたのも大事な機会となりました。

ここからが、相馬そして弘前の公共交通の第2ラウンド、そのゴングは今回の研修で住民側から鳴らされたことを報告しておきます。

2015.06.27

貞真さん、さようなら

相馬地区で唯一のお寺・覚応院の住職・溝江貞真さんが、56歳の若さで急逝されました。
檀家ではないものの、息子さんと娘、お嬢さんと坊主が同級ということばかりでなく、ねぷたやお山参詣などで一緒する機会も多く、少し年上のお父さん仲間として親しくさせていただいてきただけに、本当に残念です。

覚応院は真言宗醍醐派のお寺で、真言密教の修験の一つである火中三昧で知られており、数年ごとに修験僧が熱湯の入った大釜に入る荒行を見せるばかりでなく、毎年の宵宮では参拝客がわらじで炭火を渡る体験もできるので、私も毎年のように渡らせていただきました。
また、大晦日から元旦にかけては檀家の皆さんも手伝って年越しそばや福袋の振る舞いをしたり、宗祖・弘法大師にゆかりのある四国八十八ヶ寺の石を踏み渡る集まりを開いたりと、葬儀法要のみで汲々としているのとは違って地域に開かれたお寺として活動されています。
これもひとえに貞真さんのご尽力のたまものですが、元々は青森市の生まれで覚応院とは縁戚もなかったのが養子に入る形で後を継ぐことになり、せっかく相馬に住むからにはと次々と催しを増やしてきただけに、まだまだこれからやりたいこともあったでしょうし、やってほしい役割もたくさんあっただけに、残念でなりません。
いつぞやの酒の席で、相馬村の入口にある覚応院で火中三昧があり、一番奥の沢田地区ではろうそくまつりがあるので、中央部に位置する紙漉沢にある長慶天皇御陵墓参考地にちなんで天皇の霊に京を懐かしんでもらうために大文字焼を行うことにすれば相馬三大火祭りになって、また注目を集めることができると夢を語ってくれたことがあって、それを受けとめた者の務めとして見果てぬ夢に終わらせないよう、ことあるたびに持ち出していこうと思っています。

ところで、本堂で行われた通夜は位牌堂までいっぱいの参列者で埋まり、地元の宗派でも中心になって活躍されていただけあって30人近いお坊さんが声を合わせて読経するおごそかな式でしたが、説教に立たれた和尚さんは「さようなら」や「それじゃあ」といった別れのことばは次に続くことばを残したものであり、それはこれが最後ということではなくまた会おうという思いを含んだ者なのだから、貞真さんとの急な別れは諸行無常としか言いようがないものの必ず浄土で会えると信じて「さようなら」と言いましょうと、含蓄のあるお話をされました。
私も、これまでのご縁が生死を分けても続くと信じて、今ひとときのお別れをお伝えしておきます。「貞真さん、さようなら。」

2015.06.17

質疑ではなく、ともに考える意義

先日の説明会、その翌日の町会長会議を受けての町会連合会からの申し入れが結実して、公共交通の所管課である都市計画課と町会長との意見交換会が開催されました。

課の方からは、説明会で提出を求められた数値のうち回答できるものとして合併前とこの数年の路線ごとの収支、朝昼晩3便を路線延長した場合、送りのタクシーを全便待機させた場合の試算を出してもらったので、この数年で急激に赤字化が進んだこと、住民側からの要望に応えると7~800万円の赤字がかさむことがわかりました。
これに対して、私が口火を切る形で、住民の路線延長の要望はその分の減便も受け入れてのものであることをまず伝えた上で、延長のかわりにどれだけ減便すればいいのか、いっそのこと乗合タクシーを村の入口の湯口地区から運行することにするといったシミュレーションを、プロジェクターでExelシートを演算したものを一緒に見ながら検討するような会議の進め方をしてもらいたいこと、また今回の乗合タクシー方式で全市さらには津軽一円の赤字路線をカバーするのも無理があるので、現行制度の枠内ではなく特区導入でクリアすることも考えてほしいことを意見しました。
加藤課長からは、とりあえずこの方式で利用者の減少が踏みとどまり赤字を圧縮することができたので、合併前の水準までとはいかなくても改善できるような提案であれば受け入れるつもりであり、今回は顔合わせという位置づけでこれからイヤになるほど話し合っていきましょうと、非常に前向きな回答をいただきました。
来月には町会長研修で岩手県雫石町のデマンドバス「あねっこ号」の視察を行うことにもなりましたし、市にも頭をひねってもらうからには村の側でも学び考えるという、協働の形での見直しがはじまったと言える記念すべき第一歩となりました。

これは、相馬地区という連合町会区それも合併以前の村を相手にしてのことであり、公共交通という重要施策のとっかかりという位置づけであることから市も真正面から向き合い特段の配慮を持って話し合いを続けていくことになったものですが、おかげで具体的な数字をいじりながら一緒に頭をひねってベターアンサーをさぐっていくという、本当の意味での話し合いができることになりました。
来週には改選された市議が質疑に立つことになりますが、一般質問にしろ委員会質疑にしろ、質問に対して答弁が返ってくるという一方通行の繰り返しであるのを考えると、膝を交えて同じテーブルにつく場を持つことができるのは、一つの事柄とはいえ議会での質疑以上に実のある取り組みになると思います。

願わくば、これが先例となって市と市民との間でともに考えながら事業が計画され実行されていくのがパターン化していきますように。

2015.05.27

予約型乗合タクシーを土俵に差し戻す

アリバイづくりの説明会を経て、昨年2月から支所のある五所地区以奥に予約型乗合タクシーが導入された相馬地区の公共交通ですが、1年半の実証実験から7月からの本格運行に切り替えるための説明会が開催されました。
明日も支所で説明会が予定されており、エリア的には私はそちらに出席する立場なのですが、実際に利用している方の人たちの声を聴きたかったので、フライング参加させてもらいました。

思ったとおり、地元の町会長方をはじめとして30人近い参集があり、元市職員として行政の裏表を知り尽くしている相馬・中沢町会長が口火を切って、そこからは周知不足のままで四角四面の運営に対する不満や予約でなくタクシーを短時間待機させる形の提言などが相次ぎ、所管課の責任者として回答にあたった都市計画課長も熱くなるほどの騒然とした雰囲気となりました。
開会から1時間になろうというところで私も手を上げて、一昨年の説明会も今回も結論ありきで住民にデータ提供もせずに押し切ろうという姿勢に問題があること、朝昼晩の3便でも従来の相馬停留所まで運行する代わりに全体の便数を減らすとかいっそのこと相馬地区全体を乗合タクシーに切り替えるといったいくつかのプランを一緒に考える機会を作ってじっくり考えるべきだと発言したところ、ようやく落ちついた課長の耳にも届いたようで、現行どおり運行を継続しながら地区や住民との意見交換を深めて方策をさぐっていくということで収まりました。
この内容は、中沢町会長もふれていたことでしたので、何だか手柄をかっさらった形になってしまいましたが、何とか話し合いの土俵までは戻すことになりそうですので、ひとまずホッとして帰路につきました。

ただ、市の独断専行を責めるのは簡単ですが、一方では常に受け身で決まってからだけ文句を言う私たちの側にも非があるのは認めなければなりません。
ちょうど明日は地区町会長会議があり、その議題は町会長研修の視察先の選定ですので、可能であれば北東北3県で公共交通の先進事例できれば住民主導で改善できた自治体から学ぶ機会にできればと思っています。

2015.02.28

フルサトとナリワイ

この数日で、伊藤洋志さんの『ナリワイをつくる』『フルサトをつくる』の2冊を読了しました。
ナリワイというのは、伊藤さんが「個人レベルではじめられて 、自分の時間と健康をマネ ーと交換するのではなく 、やればやるほど頭と体が鍛えられ 、技が身につく仕事 」 と定義したもので、これを展開するために移住するということではなく一時的にかかわったり二地域居住する地域のことをフルサトと呼んでいます。
これからの生き方やまちづくりにおいて非常に示唆に富む内容でしたが、ただ読みましただけで済まさないのは当然として、政策提言に活用するという他人ゴトとしてはなく、自分ゴトとしてフルサトとナリワイについて考えておきたいと思います。

順番からすればナリワイがあってフルサトということになるのですが、今の私に引きつけて考えると、170回も通い続けている野田村は私にとってのフルサトに他なりません。
昨日も行ってきたばかりですが、「あまちゃん」のオープニングでも映っていた北リアス線と並行してまっすぐに伸びる国道45号線に入ると気持ちがワクワクしてきますし、震災支援という形でなくなっても、美しく豊かな自然と心温かい人たちを思うと最低月1回は行かないと禁断症状が出てくるはずです。
その支援としては、津軽から一芸を持つ人たちを案内する生活支援プログラムで多少なりとも貢献はしていますが、私自身が何かできているかといえば顔を出して話を聴くくらいしかしていないだけに、これからは「だらすこ工房」のお父さん方の仕事を手伝うというか作業を教えていただいて、自分でも木工品の一つでも作れるようになろうと思ったところです。

もう一つ、フルサトにしたい場所がありまして、それは相馬地区の最奥にある沢田地区です。
以前から住民の皆さんにはお世話になっていますが、それがこうじて今年は3/5に行われるろうそくまつりの実行委員会に加えていただいているほどでして、沢田地区を維持することが旧相馬村の維持にもつながるという思いでかかわっています。
現在は10世帯で小中学校の子どもがいるのは1世帯という限界集落ですが、それだけ空き家もあるわけですから、そのうち1軒を借りて自分の仕事場とするだけでなく、人が集まってくるような仕掛けができれば、もっとリアルに地区に貢献することにもなります。

ただ、ナリワイをいくつもつくって生活を成り立たせるのは至難の業だけに、まずは4月の市議選で再起を果たし、それを土台に自分のナリワイやフルサトづくりを試行して、その可能性を皆さんに伝えて関心w持ってもらうことができればと思っています。

2014.11.10

村長の死に誓う

相馬村で5期20年村長を務めた山内一義さんが亡くなられ、通夜に参列しました。

相馬村最後の村長は、弔詞を述べた山内良衛さんですが、良衛さんは村議から収入役・助役そして村長と立場を変えてきたのを見てきたこともあり、いつもご本人が親しく声をかけてくださるのに甘えて「良衛さん」と呼んでいますが、一義さんは私が帰去来した時には村長を務めていたこともあり、私にとって村長といえば一義さんのことでした。
村長は、農協の理事から私の父や三上隆雄元参議院議員らと同期で村議となり3期目には議長も務め、その後20年にわたって村長を務めて、「炉端懇談会」で知られる総合計画によるむらづくり、星と森のロマントピアの整備、そして「プレアデスのまち」すなわち私が今住んでいる昴団地の造成など、相馬村が活気ある地域として注目され、それによって村民がプライドを持って一丸となる土台をつくった最大の功労者です。
それだけの実績を生み出すバイタリティがあったばかりでなく、良衛さん・隆雄さんの他に同年代には議長から助役を務めた田中重さん、議員を9期務めた嶋口正美さんなどもいて、約40年近くの間主要キャストが変わらないできたことで村政に閉塞感が生まれ、これを打開するために私は村議として父の年代の方々と席を並べることになりましたので、直接の薫陶を受けることができました。
今でも思い出すのは、一般質問をしても最初の質問・再質問と課長にたたみかけて政治的な判断が必要な再々質問とならない限りは答弁に立ってくれず、それでも色よい返事をしないで突き返される厳しい「親父」でしたが、終わってからの反省会では「あの質問はよかった、もっとがんばれ」とやさしく声をかけてもらえたことで、ここに私の論戦の理想があります。
ただ、反省会が進むとお酒の強かった村長も酔いに任せて、「おまえの親に議長選の時に裏切られたのは今でも許せない」ととばっちりで叱られることもあり、改めて相馬村の政治の裏側を垣間見たのも、今となっては懐かしい思い出です。

その一義さんの村長時代のものを使った遺影に接し、あの冷静沈着な良衛さんが何度か言葉を間違えるほどの思いのこもった弔詞を聴いて、さすがに改めて相馬村が終わったなあという感慨で、涙がこぼれました。
生前は何もご恩返しができずに終わりましたが、村長が築いた相馬村を守り、教えていただいた政治の厳しさを思い返しながら、これからも進んでいくつもりです。
村長、見守っていてください。

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