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2017.07.26

木村太郎さんの死を悼む

昨日の速報、本日の新聞紙上をにぎわせていますが、地元・青森4区選出の木村太郎代議士が52歳の若さで亡くなられました。今は立場を違えているものの、本当に残念です。

県政そして国政で早くから活躍してきた木村代議士ですが、私からすれば学年が一つ下ということもあって「太郎さん」と呼んできましたが、ご本人からとがめ立てされることもなく、親しくおつきあいをさせていただきました。
新進党から国政に転じたあたりから接点ができ、1999年に私が初めて相馬村議会議員選挙に挑む際には、当時の津軽の若手議員3人を引き連れて事務所開きに来てくださり、私もそれから数度の総選挙の際に選対本部にかかわる形となりました。
そこでは、その後藤崎町長となられた小田切智高さんをトップに西目屋村長・関和典さん、平川市議・葛西清仁さんといった政治家や同年代の支援者とともに、我が方の圧勝が過ぎるために投票率が下がってしまうのを打開するための方策を考えながら、ひとたび選挙カーに乗れば最後の1分まで太郎さんが街頭演説を打つ中でチラシを配ってかけずり回る、いわゆる「木村衆」の選挙をやってきたのは、今となっては懐かしい思い出です。
総選挙の時も、1月2日からはじめる新春遊説の際にも街宣車で走り回り、地域の方から「こんなところまで来てくれるなんて」と感激の言葉をもらうのが木村衆のやり方で、まず自ら足を運ぶという方法は、私の自転車遊説につながるものだと思っています。

その関係は、2006年の弘前市長選で私が一旦は崩したものの、太郎さんは「終わったら、また一緒に」と言ってくださり、2011年の落選後には励ましの葉書をいただき続いていたのですが、翌年の藤崎町長選で智高さんを応援した私は木村衆離脱を宣言して、太郎さんと距離を置くこととなりました。
それから顔を合わせる機会はなくなりましたが、最後となったのは2013年10月の弘高130年記念式典の際で、受付に来られた太郎さんが私を見つけ、いつもながらの太郎ジョークをかましていった時でした。
そこで何と言ったのかは思い出せないのが残念ですが、距離を置いた私をとがめることなく、往時のように冗談を言ってくれる心づかいに恐縮したのを覚えています。
太郎さんは、信義を重んじる人で、選挙活動で回る際に自分を裏切った人の近くでは、それで津軽がよくなるのかと声を枯らして訴える姿を見てきただけに、最後まで私を裏切り者扱いしないでくれたことに感謝したいと思います。

それにしても、52歳になったばかりで次こそ大臣と期待されていただけに、返す返すも残念です。
葬儀の日程は確定していないそうですが、新春遊説以来久方ぶりに藤越の自宅にお悔やみに上がりたいと思っています。

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