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2016.11.28

市政懇談会は封印すべし

8月末の予定が台風の影響で3ヶ月伸びて、ようやく相馬地区での市政懇談会が開催されました。
葛西市長以下市の幹部が顔をそろえて各町会からの要望に回答し、その場に参加した人たちからの質問にも応じる形で進む3年ごとの恒例行事ですが、今回は事前に出された要望が4つにフロアからの質問も10件で、1時間少々たったところで終了する流れでした。

実際に出された質問としては、土木事業にかかわるものが多かったので板垣建設部長が答弁に立つ回数が多く、他には要望というより事業そのものの内容に対する質問というものでしたので、市政懇談会という域を超えないレベルでした。
私からは、昴町会の街灯更新に関することと岩木・相馬地区と市の社協負担金の違いについて質問しましたが、街灯については終了後に所管している課にいる同期が説明にきてくれて再来年度から取りかかることがわかりましたし、社協負担金に関しては健康福祉部長から話題に上っていたことを社協に伝えておくという回答でした。
そのやりとりで感じたのは、取りたてて重要とは思えない内容であったかも知れませんが、質問を受けた各部長からしっかりとした回答が得られずに、後ほど調べて回答するとなったのが数件続いてしまい、まるで最近の予算決算審議で答弁に窮する場面を頻発させているというのが再現されていたことへの残念感でした。
地区の市民からすれば、せっかく3年ぶりにやってくる市政懇談会に出席しているのに、何とも歯切れの悪い回答ばかりでは、市に対する信頼感をアップさせる形にはならなかったろうと思います。

それにしても、質疑応答に移っても会場で我先に手を上げようとしている人は少なく、進行役の大谷さんから何度も促すような発言が重ねられる状況でしたが、それはやはり合併11年目ともなると市のやり方はこんなもので、その中で自分たちは暮らしていくしかないというあきらめの気持ちが強まっているからだと思います。
以前出席したのは6年前で、そこには当選してエネルギーにあふれた葛西市長や農林部長に昇進したばかりの蛯名副市長が前任の道路維持課への質問に越権で答えるといった場面もあり、新市長誕生を受けて市政は変わっていくのだという雰囲気に満ちたものでした。
それと比べると、今回の懇談会は市長のあいさつに続くプレゼンもサラッと終わってしまいましたし、もう一人の副市長である山本氏は欠席するというのでは、市民サイドからしても市からの熱を感じる要素はどこにもありませんでした。
相馬地区だから感じることなのでしょうが、合併した地域としては現在の課題についてやりとりすることよりも、もう少し中期的な問題に焦点を合わせて多角的に話し合いを持つ場こそが必要なのだと思いますが、26連合町会のうちの一つとしてのポジションでは、そんなことを提言する気にもなりませんし、そもそもそんなイレギュラーな発言が許されるような雰囲気ではありませんでした。

こんな気持ちにさせられるのであれば、相馬での市政懇談会は封印してほしいと思わずにはいられません。

2016.11.24

ゴミ有料化説明会に出席

相馬地区で開催された、「ごみの減量化・資源化意見交換会」に町会長として出席しました。

こういう名称になってはいますが、9月に答申されたゴミ有料化に関する説明会だというのは衆目の一致するところで、市からは都市環境部長と秋元哲課長を筆頭に環境管理課一同で応対する形で、課長からの説明30分と1時間の意見交換という流れで進められました。
最初にあいさつにたった都市環境部長によれば市の方針はあくまで白紙であり市民からの意見を聞いて決定していきたいということでした。続く秋元課長からの説明では、家庭系ごみでは一人あたり全国の1.15倍、事業系ごみでは何と1.85倍ものごみを排出しているのだそうで、それによって市の一般会計予算の約4%にあたる32億円の予算があてられているのだそうです。
それをふまえて、9月には家庭系ごみの有料化が有効だとする答申が出されたわけですが、引き続く意見交換会では市としては減量化・資源化への取り組みから有料化へと進めていく段取りを考えていたようですが、いわんとしているものが伝わっているだけに市民からの質問もいきおい有料化にふれるものが多くなり、途中で秋元課長がなぜ有料化を検討しているのかをぶっちゃけで説明し直す場面もありました。

ラス前で発言する機会を得た私は、事業系ごみに関しては全国平均に近づけるために現行料金から倍増させて事業者に危機感を持ってもらうこと、家庭系ごみに関しては再来年といわれている有料化は先送りにし、まずは市から緊急事態宣言を出した上で3年後をめどに全国平均以下となる町会は無料を継続することを提言しました。
これに対しては、課員から町会ごとでは平均を出せる体制ではないことが弁明されましたが、市全体ではなくエリア単位での数値を出す努力はしていきたいとの回答でした。
他の参加者では、有料化への疑問を次々と並べ立てる方、ごみ出しの非常識を持ち出して有料化に賛同する人に的外れな発言をする人など、さまざまな意見が出されて、20:00を少し回るところまでかかる形となりました。

この後、意見交換会はヒロロで2回・岩木館で1回行われるそうですので、市民の皆さんにはぜひ足を運んでいただきたいと思いますが、部長の話どおり市民の意見が通って有料化先送りとなってほしいものですが、市民の意に反して市長提案どおりに議決してしまうのが今の市議会だけに、ごみ有料化の件は注視していきたいと思います。

2016.11.23

圭一郎先生が教えてくれた違和感

弘前市の教育長を約10年にわたって務められた佐藤圭一郎先生の通夜に参列しました。
残念ながら、その時代のことは知らないながらも、相馬小の佐藤正憲校長の父上であり、母校・弘前高校の大先輩として創立130年の祝賀会では教員時代の思い出をご講話いただいた、私たちにとってなくてはならない先達を見送ることは、返す返すも残念なことです。
今夜は折からの雪降る天気で余裕を持って出たはずが行列になってしまう時間にぶつかってしまい、ようやく会場いっぱいの最後列まで足した列に座ることができるくらいの参列者であふれ、宝積院の太田住職が導師を務めた通夜は、佐藤校長の父の思い出と最後まで語り合いたかったという無念で言葉に詰まるあいさつで終わり、私も感慨にふけりながら帰路に着きました。圭一郎先生のご冥福を改めてお祈りいたします。

ところで、読経の途中で弔辞を拝読する段になり、市の功労者への感謝をこめる立場で葛西市長が壇に立ちましたが、まさに通り一遍のお悔やみを短く並べた内容で、わざわざ市長が弔辞を述べる必要があったのか、違和感を覚えました。
考えてみれば、葛西市長は一中卒業後は津軽海峡を越えて函館高専に進み、その後は県庁職員として勤務してきた来歴なのですから、圭一郎先生が教壇に立っていたことも教育長としての手腕を振るっていたことも、遠い世界のできごとのようにかかわらずにきたわけですから、それも宜なるかなとは思いますが、同時代の弘前という地域で生きてこなかったことで共有できないものがあるのを露呈してしまった感があります。
私からすれば、前職を破って当選し、アクションプランを掲げてスピード感ある市政を展開してマニフェスト大賞を受賞した1期目とは違い、2期目に際してはマニフェストづくりをおざなりにして、弘前城の石垣修理を口実にしては陣羽織の格好でお出ましになる姿ばかりがニュースで流れるのを見るにつけ、その変節ぶりというか殿様気分ばかりが目につきます。
そうした外見ばかりでなく、2期目の公約として介護保険料を据え置くと広言したのを昨年度から実行していますが、そのツケが再来年の4月に大幅な引き上げにつながっていくのは間違いなく、もし仮にその時期に行われる市長選に出馬を見送って次期市長に引き継ぎさせるのであれば、まさに責任逃れというほかありません。
目立ったことが大好きな葛西市長ですが、イヤなことには頬被りで逃げるのであれば、アウガ問題で任期半年を残して辞職した青森市の鹿内市長と何ら変わらないことになってしまいますし、弘前市も再び混迷してしまうことになってしまいます。

政治の場から離れている私ですが、市政の問題を我がこととして考えなくてはならない時期が近づいているようです。

2016.11.06

上を向いて歩こう

52歳の誕生日を迎えることができました。Facebookでは、200人以上の方々からお祝いのメッセージをいただきました。本当にありがとうございます。

二度目の市議選落選から一年半あまり、この一年は若山経営での参謀としての仕事で生計を立て、5年目となる昴町会長として町会の運営に携わり、息子の高校には再びPTA会長としてかかわっています。
一方、これまでは活動の大きな部分を占めていた震災支援は、東日本大震災から5年経ったところで開催したイベント「津軽衆の日」を節目として、それ以後はパーソナルな形で月に一度は野田村を訪問するのを細々と続けていますし、4月に起きた熊本地震には桜まつりにあわせて募金を募って熊本市の大西市長に送ることができました。大まかにまとめると、変わったようで変わらない日々を過ごしてきた一年でした。
そんな中で、私が一番力を入れてきたことは読書でした。
読書の記録もつけていて、当初はブクログ、現在は読書メーターというサービスを使っていますが、この一年でいえば200冊近い本と出会い、知らなかったことにふれたり、知ったつもりのことで新たな知見を得たり、私の知識のフィールドは大きく拡がり続けています。とりわけ、直近に読了した一冊が心に残るものでしたので、紹介しながら今の自分の思いとあわせて披瀝したいと思います。

その一冊とは、岡田芳郎さんの『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか 』(講談社文庫)でして、内容としては戦後の山形県酒田市の文化に多大な貢献をもたらした佐藤久一さんという方の評伝です。
久一さんは、銘酒「初孫」で知られる酒田の名家・金久の家に長男として生まれ、若くして映画館グリーン・ハウスの経営に携わり、その後レストラン欅やル・ポットフーで日本一のフランス料理を提供してきた方で、1997年67歳で亡くなるまで濃い人生を歩みました。
映画館では淀川長治・荻昌弘という高名な方々から絶賛され、レストランでは開高健・山口瞳そして土門拳という著名人から酒田の人々にまで愛されたほどの事業家であった久一さんですが、次から次へと生み出されるアイデアを形にして名声を得てきたのが、1976年の酒田大火でグリーン・ハウスを焼失すると、その後はレストランで主力であったスタッフを次々と失い、1993年で退陣することになります。
亡くなられてから来年2017年で20年となるわけですが、営々と営業を続けているル・ポットフーですら久一さんの面影を偲ぶ場ではなくなり、酒田の街からは忘れ去られた存在というより、存在そのものが消えてしまっているかのようです。
本の最初でグリーン・ハウス焼失の場面から描かれていたとおり、酒田大火が久一さんの転機となったのは間違いありませんが、その46歳という年齢は私にとっても市議4年目で翌年には落選の憂き目にあい施設の経営からも放逐された時期と符合するだけに、この不可思議なシンクロに自らの半生と重ねずには読まずにいられませんでした。

それから6年、私の人生は沈んだままの位置にあると皆さんからは見えていると思いますが、私自身は苦しいながらも人生の希望を捨てることなく、上を向いて歩いているつもりです。
今年は永六輔さんが亡くなられて、九ちゃんも八大さんも誰もいなくなってしまいましたが、それでも私たち日本人の心に名曲「上を向いて歩こう」の悲しくても明るい歌詞と希望を持たせてくれるメロディーが消えることは決してないと思います。
酒田から久一さんが忘れられていることは残念なことですが、私はその分まで弘前ひいては津軽に爪痕を残していけるよう、生きていくつもりです。

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