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2016.07.27

【時評】相模原事件と通底するもの

昨日未明に発生した相模原市の知的障がい者福祉施設における入所者に対する大量殺傷事件には言葉を失うばかりですが、まずは亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
私も福祉の世界に身を置いてきた者であり、知的障がいの人たちと接する機会もありますので、今回の犯人の行動は許せませんし、なぜ今年に入ってから障がい者抹殺を口にするようになったのか理解もできませんが、この事件をつくづく考えてみると、今行われているあることと同じなのではないかと思えてきました。

それは、出生前診断です。
言うまでもなく、妊娠した胎児の遺伝子を調べて異常の有無をさぐり、場合によっては中絶するかどうかを選ぶ仕組みですが、診断が実施されてから1年経った2014年の記事によれば、検査を受けた7,740人のうち陽性が確定した113人中110組が中絶を選んだところから、今年の記事ではすでに3万人を超える検査が行われ、やはり陽性とされた約9割が中絶を選択したとのことです。
まだ戸籍に載る前の胎児とすでに成人となる人生を送ってきた人たちを同列で比べることはどうかと思いますが、1時間のうちに19人も殺されるのには言語道断の大合唱でも、平穏無事な日常社会の陰では1年間で5倍以上の障がい児が生まれることもなく消されているのです。
この110組の親たちは、このあと自分たちに降りかかってくるリスクを恐れて中絶したのは疑いようのない事実であり、残り3組の親たちのようにたとえ先天的な異常があっても個性と受け入れて育てていくことを放棄したわけで、そこに苦渋の決断やさまざまな理由があるとは言え、結果としては「抹殺」したのです。
この件に関しては、診断開始前の世論調査で賛成が約48%に対して反対は約3割ととどまっているように、現在の日本では障がい児を授かることを避けたいとする方が多いのだそうで、抹殺という意識はないままに障がい者のいない社会になればよいと思っているというのは恐ろしいことだと思います。

それではおまえならどうするのかと反論されそうですが、私なら出生前診断を受けることはしませんし、そもそも保険が効かずに約20万円も費用がかかるようなことをできるはずおありません。
そもそも、染色体異常がなかったとしても、原因が特定できない形で発達障がいを持って生まれる子ども、出産時のトラブルでマヒを背負ってしまう子ども、さらには生活環境などのために精神障がいを発現してしまう場合もあり、その子が障がいを持たずに人生を送れるかどうか、わかるはずもないのです。
それからしても、染色体異常のみを検査するというのはおかしなことであり、仮に知的障がいを持って生まれてきたとしても誕生を祝い、その成長を周りが見守っていく社会にすることの方が大事だと思うのです。

それだけに、殺傷された入所者には一緒に暮らしてきた家族があり、それを支えるはずの職員だった者が裏切るという最悪の結末となった事件を心に刻んで、この社会が障がいを受け入れる覚悟を改めて持つことを望みます。

2016.07.18

【時評】天皇陛下の退位問題から考える

参議院選挙が終わってすぐ、天皇陛下の生前退位のお気持ちがスクープされ、近いうちに自らの職務についてのお気持ちを明らかにされるよしにございます。
日頃から年号を使わず、皇太子殿下は浩宮、秋篠宮に至っては「あーや」と呼び続けているような不敬な私ですが、改憲勢力が衆参2/3を上回り極右的改憲が現実に近づいている時期だけに、日本国憲法の最初に出てくる天皇のあり方について、考えておきたいと思います。

先にハッキリさせておきますが、私は現行の天皇制そのものに反対です。
万世一系の皇統と言われるものの、大学時代の恩師である水野裕先生によれば三王朝交替説というように皇統が途切れているという説もあり、控えめに言っても崇神天皇以前の10代については存在自体が疑わしいというのに、それを21世紀になってなお象徴として推戴することはいかがなものかと思っています。
その生きながらえてきた皇統も、戦後の大量の臣籍降下で宮家の数が減り、さらには長年の近親的な婚姻のせいか後継ぎに恵まれない、男子が生まれないという状況にあり、悠仁親王に万が一のことがあって愛子内親王が婿をもらうことになれば、それは英国でいうところのウィンザー朝の交替と同義ですので、万世一系とは言えなくなると思います。
そのような事態になれば、女系天皇を論ずるのではなく、新たな形の元首制を考えていくのが、天皇家の皆様にとっても幸せなことなのではないでしょうか。
今回のことでも、陛下がお気持ちを伝えるにしても退位についてふれるのは国政に権能をふるってはならないとする憲法第4条に抵触するということになるようで、ご自身の健康や体力のことでおやめになりたいということですら言い出せないというのでは、国民統合の象徴とされながら基本的人権すら認められない唯一の国民ということになっているのです。
天皇という職を特定の一族に押しつけ、そこにはさまざまなメリットもあるにせよ非常に大きなプレッシャーばかりでなく、できないことしてはならないことを並べ立てているのは、憲法そのものがおかしくありませんか?

もう一つ、安冨歩さんが『満洲暴走』という新書の中で、天皇制は国体護持に象徴されるように「守られる王」という性質になっているが、王とは本来国民を「守る王」でなければならず、タイやブータンの国王はそのような意味で慕われていると指摘していました。
その国体護持という名分をもって戦争責任をうやむやにし、敗戦そのものを忘れようとする永続敗戦レジームが続いていて目的化しているからこそ日本がおかしくなっているのだという白井聡さんの論考にも大いに共感するところですが、安倍政権がどんなに対米従属して憲法を復古的改悪しようと思っても、肝心の天皇陛下ご自身は敗戦をわが責任と受けとめられて80歳を超えても慰霊に足を運び、また東日本大震災についても日帰りでの訪問で被災者を励まし続けられるお姿からは、受動的に「守られる」存在から自らの意志を持って「守る」とまではいかずとも「癒す」存在へと変わられているのをつくづく思います。
戦争の遺族も被災者も、総理がとってつけたように来たのは喜んでいるようには見えませんが、陛下が同じ目線で声をかけられてくださるのには涙を流すほど感激する違いがあるのは、両者の心の持ちようの違いを感じるからだと思っています。

その意味では、今回の議論をもとに天皇制もしくは今後の元首のあり方を見直す時期に来ていると思いますし、まずは天皇であることをもって基本的人権も認められない憲法の不備を考えてみるべきだと思います。

2016.07.11

【時評】現代の奥羽越列藩同盟を夢想する

昨日の参議院議員選挙は、自公与党の勝利そしておおさか維新の会などを加えた改憲勢力が発議を行える2/3を超す形に終わる、非常にまがまがしいものになりました。
実際の発議から国民投票まで持っていくだけでも、さまざまに同床異夢な部分が出てくるでしょうから、すぐさま国民に危機が迫ることはないにしても、真っ先に取り上げられるのが緊急事態条項ではないかというくらい、主権制限からの独裁強行になってもおかしくない現実が現前していることに、改めて気づくべきだと思います。
この改憲については、年頭から春先までは意欲を見せていたにもかかわらず、この選挙にあたってはアベノミクスの信を問うという経済政策のみに争点を隠した安倍政権のやり口には怒りを感じてしまいますし、改憲こそが最大の争点であるのを浮き彫りにできなかった民進党をはじめとする野党側の力不足にも責任の一端があると思います。
実際には、先日読んだ藤波匠『人口減が地方を強くする』でふれている、人口減少することで経済成長が鈍化していくのは必然であり、経済成長もせず人口が減っていくことを前提にした財政対策に転換すべきだという論には全面的に賛同を覚えますし、そこからしてもアベノミクスの継続では国民に不幸を招くだけだと思うだけに、今後の議論の前提として民進党は藤波さんをブレーンに招いて確固とした対案を出すべきだと思います。

ただ、唯一の救いだったのは、一人区すべてで統一候補を立てて約1/3の11人が与党候補に勝つことができ、とりわけ東北では5勝1敗さらには東北電力のエリアでいえば新潟県でも統一候補が勝利しているのからすれば6勝、そして福島と沖縄では現職大臣を落選させるまでの善戦を見せたことです。
わが青森県でも、全国最低の投票率からようやく脱出し、統一候補である田名部匡代さんが終盤に大票田の三市で逆転して自民党現職を破ることになったのは、まずは何よりの結果でした。
統一候補というだけでなく、農業地帯としてのTPPへの反発が大きかったと解説されていますが、5年前の東日本大震災からの復興がまだまだ進んでいないにもかかわらず、2020東京五輪や熊本地震に土木建設業の主力が移ってしまって忘れ去られていく雰囲気が、かつて「白河以北一山百文」と呼ばれた旧い怨念を呼び覚ましたからだと思います。
ちょうど戦後70年と今後の日本を考えるために、内田樹・白井聡両氏による対談を読んでいるところですが、その中で内田さんは陸軍から長州閥が消えた後に石原莞爾・板垣征四郎・真崎甚五郎などの東北出身の軍人が争いながらも軍と日本を戦争へと駆り立てていったことを、賊軍としてのルサンチマンが暴発したのだと論じていましたが、今東北は大震災であれほどの被災をしても捨てられてしまうという思いが爆発寸前のところまできているのです。
この賊軍というのは、明治維新の際に朝敵とされた会津・荘内両藩を救うのを大義名分に結盟された奥羽越列藩同盟をさすのですが、ちょうどそれが今回の選挙で以南の日本とは違う結果を見せた東北7県に映し鏡してしまうのは私だけでしょうか。

もう一方の沖縄の敗因は、いうまでもなく海兵隊移設問題を頂点とする米軍基地への反対ですが、その沖縄では米軍に出ていってもらうだけでなく負担を押しつけるばかりの内地に対する反発から、琉球としての独立を模索する動きが大きくなっていると仄聞しています。
欧州では、英国のEU離脱からはじまって、それであればとスコットランドなどの連合王国内からの独立の動きが再び高まっていると聞きますし、世界的にもより小さな民族単位での国家への動きがますます出てくるものと思います。
それからすれば、高齢化が全国に先がけて進んで定常化していく方向が見えていて、食糧自給率がほぼ自立になるほどの第一次産業ばかりでなく仙台周辺の大工場地帯も抱えている東北が独立を考えることも、あながち夢ではないと思うのです。
列藩同盟ばかりでなく、戦国時代には伊達政宗、その前には奥州藤原氏、そしてアテルイと、東北に覇を唱えた歴史は連綿と続いているのですから、本当の復興を果たすためにも、日本にとどまっていていいのか、東北の私たちは考えてみるべきですし、それが日本を戦慄せしめれば日本を変える第一歩になるはずです。

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