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2015.09.20

余は如何にして禅宗信徒となりし乎

津軽の人間でありながら、元来が門徒宗(浄土真宗大谷派)ということもあり、お盆や彼岸の禅林街の混雑を体験したことがありませんでしたが、今日の彼岸の入りの日にはじめて足を踏み入れました。
彼岸の中日である秋分の日ではなく、シルバーウィーク5連休ということもあってか思ったよりは駐車も少なく拍子抜けしましたが、これからにぎわいを体験することになるのだと思いながら帰ってきました。
そうです。今日から私は、禅宗(曹洞宗)宝積院の信徒というか檀家となったのです。

もともと実家の門徒宗の寺の坊主は説教をしないどころか読経も下手くそなのに、お布施代を請求書で示すといった葬式ビジネスそのものでしたので、自分の代になったら抜けてやろうと思っていたのが実家と絶縁する形となり、さらに今回の義父の供養をきっかけに考えた末のことです。
私自身は火葬後ただちに散骨して一切の葬儀法要は不要と考えていますが、家族親族がすべてそれを望むわけではありませんし、そこでお寺とのご縁は大事な意味を持ってきます。
社会活動を通じてたくさんの住職の方々とのご縁がありますが、ライオンズクラブで単なる先輩としてではなく一番一緒させていただく機会があり、そのご縁で施設のオンブズマンを務めていただいたばかりでなく、立場を失ってクラブを退会した後でもさまざまなご縁が続いているのが宝積院の太田宏見住職であり、その折々に仏教の教えを説いていただく機会もあり、私が知る中では最高の仏道者であると尊敬しています。
今回の供養でも非常にはからっていただいたことがあり、今こそ檀家にしてもらう好機と思いを伝えたところ、快諾していただいて本当にありがたく思っています。

江戸時代の寺請制度からお寺と檀家の関係はつながっており、分家して故郷を離れても宗派は同じところを選ぶように、仏教の中で宗派を変えることは滅多にないことだと思いますが、仏教が宗教である以上、その教えを信じたり、住職のお導きによって変わるのが本来あるべきことなのではないでしょうか。
秋の彼岸にあたって、皆さんにも一度考えてほしいことだと思っています。

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