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2015.09.30

三たび意見交換会で言いたい放題

3回目となる「弘前市立小・中学校の教育改革に関する基本方針」にかかる地域意見交換会に出席しました。
昨年は具体的な中身を伴わない茫洋とした内容でしたが、今年は別の中学校区とはいえ3つの小学校統合案が出てきていることもあり、言うべきことは言うつもりで臨みました。

説明としては、夢を育む独自の教育自立圏(中学校区)を形成します/教育上望ましい集団活動が実践できる環境を整えます/安全・安心な環境を整えます、の基本方針に沿って、小中一貫教育システムおよび学校支援システムの構築/全教室に弘前式ICT3点セット(教師用タブレット・実物投影機・電子黒板機能つきプロジェクター)の導入/一部の小学校での統合/通学区域(学区)の見直し、などを進めるということでした。
昨年の続報では相馬学区も候補に上がっていた小中一貫教育システムは、石川中と東目屋学区で試行することになったようですが、昨年のコミュニティスクールの答弁で危惧したとおり、名前ばかりの一貫教育と責任を持って取り組む形になり得ないコーディネーター配置というのでお茶を濁して、コミュニティスクールで地域に学校運営を委ねる気はないのが見え透いたので、大館市・城西小の例を改めて引いて、専任のコーディネーター配置と地域主導で人事権まで持つことが必要としておきました。
もう一つ、複式校でありながら統廃合できる距離にない岩木山麓の常盤野小中が特認校(全市から入学できる学校)とされることが記述されていないことを指摘し、小規模校である相馬小・中でもこれを検討すべきではないかと注文をつけておきました。
全体のことから相馬学区についての意見交換となったところでは、朝陽小と青柳小の統合について横槍を入れ、市内一の格式の学校にりんご農家の子弟が通うくらいなら相馬小との統合を進めるのが合併した弘前市で考えるべきことだと思うし、それにともなって中学校区の再編は長期的課題ではなく短期的に検討すべき課題と突きつけました。
司会役の職員は、案の定という表情で辟易して「もっと簡単なことを質問してもいいですよ」と曰わっていましたが、そうやって方針の中核に手つかずのまま通してしまうわけにはいかない内容だけに、意見できる場では言いたい方だいしておかなくてはなりません。

それにしても、小中の関係者4人に町会から2人と少なく顔ぶれも変わらない参加者で、地域の教育力があると言われてもお世辞にしか聞こえない状況こそ何とかしなくてはなりません。
なお、残り13中学校区ごとに意見交換会は続きますので、市民の皆さんには足を運んでいただきたいと思います。

2015.09.29

政務活動費問題への異論

昨日閉会した市議会が、月5万円の政務活動費の交付を大多数の賛成で認めたと報じられています。
以前は政務調査費と呼ばれていまして、8年前には月6万円交付されていたのですが、マンガ本やねぷた衣装を購入していたのが全国ネットのTV番組で暴露されたり、オンブズパーソンから執拗に裁判を起こされたのを機に、2007年3月議会で議員提案で廃止したものを復活させるというのです。
賛成・反対それぞれの言い分に異論がありますし、双方から論じられていないことも大事な論点ですので、ここで私見をまとめておきたいと思います。

賛成側の言い分では、地方自治体の役割が増大し市議会の政策形成機能も重要性を増し議員の活動領域も拡大しているとのことですが、今回の改選を経ても予算決算審議の質問時間制限をかけたままでは、活動領域が広がっても発言の機会が足りないというジレンマに手をつけないのでは矛盾していると言わざるを得ません。
議員の本分は議場で政策を論じ行政側の進め方をしっかりとチェックすることであるはずですが、その一番大事な委員会で制限があるままで活動費をもらうという根性がわかりません。
一方、反対した側は8年前の廃止から復活させる理由も見えず市民の理解も得られていないとし自ら交付を申請しないのだそうですが、私であれば堂々ともらって支給分を上回るほど活動しているのを全面公開してでも、議員の活動には経費が必要であるのを理解してもらう絶好の機会にしたはずです。
その言い訳によれば、どこで政務活動費と個人の活動などを分けるのか不明なことも多いとしていますが、自分で使ったものを明らかにして市民から疑問を持たれたり指摘を受ければ改めていくのが本筋であり、そこに踏みこまないというのは、ある意味では市民を信頼していないと見えます。

ところで、双方とも論じていないのですが、8年前の廃止は財政厳しき状況に対応するというのが建前でした。
この間、財政が劇的に好転しているわけでもなくハコモノ事業は増え、議員だけをとっても報酬はわずかに下がったとはいえ今回の政務活動費分上乗せでは支出が増える形なのですが、それについての議論は出ていないようです。
私自身は政務活動費は必要だと思っていますが、議員という役職に支給されるのは生活費でない報酬であり、それが市民の平均所得はもちろん市職員よりも多い額であるのはおかしいと思っています。
そこで、報酬を50万円から30万円まで引き下げても普通の生活はできますし、その分議員としての活動に充てる政務活動費を月15万円支給する形にすれば、総額としての支出が減るのはもちろん、熱心に活動しない議員は満額交付を受けることもないわけですから、さらなる支出抑制効果も生まれますし、何より議員の活動を(たぶん)フルオープンにすることができます。
そもそも、議員など特別職の報酬は市民による報酬審議会で決まったものを粛々と受け入れるのが政治家としてのノブレス・オブリージュだと思っていますので、第二の報酬とまで揶揄される政務活動費も市民の議論に委ねるべきだと思うのですが、議員報酬減額の時とは違って今回はそのような声も上がらなかったのも残念です。

とにもかくにも、政務活動費を交付されたのに足るだけの活動や議論を議員が果たすのか、厳しく見守るのも市民としての役割です。

2015.09.20

余は如何にして禅宗信徒となりし乎

津軽の人間でありながら、元来が門徒宗(浄土真宗大谷派)ということもあり、お盆や彼岸の禅林街の混雑を体験したことがありませんでしたが、今日の彼岸の入りの日にはじめて足を踏み入れました。
彼岸の中日である秋分の日ではなく、シルバーウィーク5連休ということもあってか思ったよりは駐車も少なく拍子抜けしましたが、これからにぎわいを体験することになるのだと思いながら帰ってきました。
そうです。今日から私は、禅宗(曹洞宗)宝積院の信徒というか檀家となったのです。

もともと実家の門徒宗の寺の坊主は説教をしないどころか読経も下手くそなのに、お布施代を請求書で示すといった葬式ビジネスそのものでしたので、自分の代になったら抜けてやろうと思っていたのが実家と絶縁する形となり、さらに今回の義父の供養をきっかけに考えた末のことです。
私自身は火葬後ただちに散骨して一切の葬儀法要は不要と考えていますが、家族親族がすべてそれを望むわけではありませんし、そこでお寺とのご縁は大事な意味を持ってきます。
社会活動を通じてたくさんの住職の方々とのご縁がありますが、ライオンズクラブで単なる先輩としてではなく一番一緒させていただく機会があり、そのご縁で施設のオンブズマンを務めていただいたばかりでなく、立場を失ってクラブを退会した後でもさまざまなご縁が続いているのが宝積院の太田宏見住職であり、その折々に仏教の教えを説いていただく機会もあり、私が知る中では最高の仏道者であると尊敬しています。
今回の供養でも非常にはからっていただいたことがあり、今こそ檀家にしてもらう好機と思いを伝えたところ、快諾していただいて本当にありがたく思っています。

江戸時代の寺請制度からお寺と檀家の関係はつながっており、分家して故郷を離れても宗派は同じところを選ぶように、仏教の中で宗派を変えることは滅多にないことだと思いますが、仏教が宗教である以上、その教えを信じたり、住職のお導きによって変わるのが本来あるべきことなのではないでしょうか。
秋の彼岸にあたって、皆さんにも一度考えてほしいことだと思っています。

2015.09.19

【時評】「戦争法」成立の先の先を考える

「集団的自衛権」などという、現行憲法とは相いれないことを実現させるための史上最悪の法案が、とうとう参議院でも可決成立しました。
いくら世論調査で反対が圧倒していても、国会議事堂の周りで廃案を叫ぶデモの声があふれても、いったん議席を得てしまえばこちらのものとばかりに自公与党は聞く耳を持たず、数の力で押し通してしまいました。怒りを通り越して、本当にあきれてしまいます。

多数決への疑念はあるにしても悪法も法なり、国権の最高機関で決まったことには従わなくてはなりませんが、だからこそ次にすべきことは戦争法に賛成した議員を落選させ戦争法廃止法案を成立させる一点で大同団結し、その後すみやかに政界再編する流れを作ることです。
今回のことで一番注目を集めた学生団体SEALDsもさっそく「落選させよう、選挙に行こう!」とアピールをはじめたそうですし、共産党も独自候補を前選挙区に立てる方針を転換するそうですが、ここ数回最低投票率を更新し続けている流れも、名前を知っているからとか信心しているからといった安易な理由で投票することも、誰がなっても変わらないからと投票しないことも結果悪であることがわかったからには、きっと変わるはずです。

これは焦眉の急となる最優先課題ですが、仮に廃案になったとしても日本としての安全保障をどう考えるのかは、改めて考える必要がある問題です。
これまでどおりの個別自衛権と日米同盟で仮想敵国とされる中国・北朝鮮に備えるというところに立ち戻ることになりますが、憲法9条を素直に読めば自営のための軍備そのものも認めていないわけですし、護憲改憲の双方とももう一度原点から考えるべきではないかと思います。
経済のグローバル化が進む現代においては、竹島・尖閣諸島や南沙問題のような点での紛争はあっても、帝国主義時代のような国そのものを滅ぼすような戦争は起こりえないと思いますし、「イスラム国」問題にしても西洋側が勝手に線引きした国境線を無視して内戦をしているようなものですので、そこに米国のように手を出しさえしなければ巻きこまれることもないわけです。
もちろん、竹島・尖閣も北方領土も日本固有のものと思っていますし、解決のための外交努力は必要だと思いますが、軍備増強が解決よりも緊張を生んでいるように思うだけに、現行の安全保障体制でよいとは思っていません。
実際のところ、戦争法成立で喜んでいるのは米国の一部だけですし、国際的にも憲法9条があることで日本を評価する方が圧倒的に多いのですから、国内的には災害救助、国際的にはPKOでの復興支援に活動を縮小して、名実ともに憲法9条を実現させるという大澤真幸の論に私も賛同したいと思います。
そんなのは夢だバカげていると思うかも知れませんが、何が存立危機事態なのか不毛な議論をするよりも、世界平和のために率先してできることは何か、どうすれば実現できるのかを論じる方がよっぽど実があると思いますし、戦後に首相を務めた石橋湛山は戦前のジャーナリスト時代に軍備放棄を唱えており、あの石原莞爾も満州事変の先に最終戦争そして恒久平和を夢想していたのですから、その足跡に縁ある者としての責任があると思っています。

政治とりわけ平和を語る上では、夢と理想を持って意見を戦わせる、そのための石を投げてみましたので、皆さんからの異論反論お待ちしています。

2015.09.13

古川謙二さんに一期一会を学ぶ

古川謙二さんの通夜に参列しました。
古川さんは元市職員ではありますが、議員在職時には直接の接点はなかったものの、昨年の夏に「修故創新塾」と銘打った弘前市の故事を学び未来を創るための勉強会のスピーカーとして参画してくださったご縁があり、その際は本当にお元気そうでしたので、まさかの訃報に驚いての参列でした。
喪主のあいさつによれば、末期の肺ガンと診断されたのが昨年11月のことだったそうで、それ以来入退院を繰り返してきたのだそうで、古川さんにしてもスピーカーを引き受けた際には思ってもよらぬことだったことでしょう。
その際に語っていただいた子ども会連合会のことやご縁は一番大事なものだったようで、弔辞を読んだのも当時からの仲間の一人でしたが、それだけ大事にされていたことを直接教えていただく機会をいただいたことは、今にして思えば、まさに一期一会というものでした。

古川さんが鳴海修先生の見守りを受けながら高校生ながらに連合会会長として活躍し、全国に「ひろさき方式」とまで賞賛された子ども会活動ですが、今となっては形骸化してしまっており、それは古川さんにとっても心残りのことだったと思います。
その当時のことは、修故創新塾に古川さんを仲立ちしてくださった前田みき先生や先日伊東六十次郎先生のことでお世話になった小笠原豊かさんといった仲間の方々から学ぶ機会をいただくことはできますが、すでに子ども会世代を過ぎた子の親という立場になったとはいえ、自分たちが学んだものを今できるところで形にする努力をした上で、次の世代に伝えていくしかないと思っています。
それは、「子どもたちの笑顔あふれるまち弘前」という今の目標にとっても、当時の「弘前方式」から学ぶべきことはたくさんありますし、何といっても子ども自身が主役となって子ども会を運営していくという自主の気風が今こそ必要だと思うからです。

古川さん、お疲れ様でした。一期一会の教えを必ずや生かしていきます。

2015.09.11

深浦で30年ごしのけやぐを得る

もう一つ大事な要件があり、そのバーターのつもりで西津軽人材育成推進事業第1回パワーアップ講演会に申しこんで、深浦町に足を運びました。

講師は、五所川原市生まれで母の実家のある深浦町で育ったという地域活性化伝道師の岩崎透さんでした。
岩崎さんは、大学卒業後に旅行雑誌のライターやTVの旅行番組にかかわってきた旅の達人で、国内1,200自治体と海外100ヶ国に足跡を残してきているそうですが、ホームタウンでの講演は初めてだということで、最初は緊張気味でしたが、だんだんと津軽弁も調子が出てきて、一番愛してやまない深浦への思いあふれる講演でした。
テーマは地域おこしと観光ということでしたが、単発のイベントやB級グルメ、ゆるキャラでは地域の価値を減じるだけで、地元の人たちが地域の豊かさに気づくことからはじまるのが大事で、そこからストーリーが生まれてくるような取り組みをしていくべきだという内容で、非常に共感できるものでした。
気づきの例として、世界遺産で知られるモン・サン・ミシェルを見ると深浦にある弁天島を思い出すと比べてみせ、それにBONSAIブームの今ならBONSAI Islandと別名をつけて紹介すれば世界から人が押し寄せると話し、世界を知る立場から深浦愛を持って見直す意義を示していまして、これは弘前市の路地裏探偵団もスケールアップが必要だと思いながら聴き入ってしまいました。
最後に、講演の前に三重県での見学体験を発表した木造高校深浦校舎の生徒のことを取り上げて、三重で学んで地域を愛することに気づき貢献したいという発言に感心したこと、これだけしっかりした未来の大人が育っていくようにするのが今の大人の役割であり、地域育ては人づくりだと締めた講演は、30分オーバーするほど熱のこもったものでした。

ところで、岩崎さんは1965年生まれで一浪して早大入学ということで、私からすると少し下の後輩ということになりますし、陸上関係者としては女子マラソン元日本記録保持者・小島和恵の同級生かと懐かしく思ってしまいましたので、終了後にさっそく名刺交換をさせてもらって今後の交流を約束してもらいました。
これからしようとしている仕事にはすぐにつながることではありませんが、自分がやるべきことは最終的には相馬のために働くことに尽きますので、大学時代に出会えなかったことからすれば、地域育てのヒントをもらえるけやぐ(津軽弁の友だち)を30年ごしに得た思いでした。
岩崎さん、今度はぜひ相馬にも来てください。

2015.09.06

議員時代のご縁で次の一歩

土日2日間かけて久々に上京し、次への一歩につながることを学んできました。

三鷹市にある三鷹産業プラザ内のミタカフェ、横浜市・関内のmass×mass 、二つともシェアオフィスとコワーキングスペースがメインとなっていますが、私が注目したのは両方ともフューチャーセンターという新しい場づくりを標榜しているからです。
ミタカフェの方は、三鷹市が立ち上げた「まちづくり三鷹」という会社が運営し、mass×mass は横浜市が呼びかけたプロポーザルに通って改修費だけ出してもらった後は自主運営をしているという違いがあり、ともに休業日ではあっても外からのぞいただけのミタカフェとスタッフの森川さんにわざわざ開けてもらって案内説明してもらったmass×mass とでは印象も違いましたが、単なるシェアオフィスではなく起業支援にも取り組み、その先に未来戦略をさまざまな立場の人間が集って考えるフューチャーセンターを見すえているという共通項があります。
私の立場は、市民とともに政策を語らい提言をするというフューチャーセンターはぜひとも実現したいと思っていますが、それを成立させていく上での取り組みとしては若山経営の参謀として事業者の経営戦略策定が土台となりますので、そこで戦略の必要性や社会における存在価値を見いだした方々と地域社会の未来戦略を考えるというスキームを構築するというのをめざしていくつもりですので、今回学んだことと以前から考えている中年失業者の再起の場としての「梁山泊!」とが重なっていくようにしていくつもりです。

ところで今回の見学ですが、三鷹については隣の武蔵野市・川名ゆうじ、mass×mass については以前からかかわりを持っていた横浜市・伊藤大貴、二人の市議のアテンドによって実現しました。
川名さんとはローカルマニフェスト推進地方議員連盟の結成の最初から、伊藤君とはTwitter議員同士の交流からはじまったご縁ですが、お二人は政治的立場や所属する政党は違えど、社会とかかわる中から市政の問題点を見つけ政策を提言していくという基本姿勢には私も含めて同じものがあり、それだけに私が議員という立場を失っても友人として協力してくださるので、本当にありがたいご縁だと思っています。
思えば、フューチャーセンターに行き着いたのは、当初は議員でなくても市民の側から政策提言するシンクタンクを立ち上げたいと思って、私にとっての政策立案の師匠である故中橋勇一さんのプランニングネットワーク東北に奥様である麻子さんを訪ねたのがきっかけで、その会社のテーブルを囲んで「政策ラウンジ」を毎月開催していたのを思い出し、その中橋さんがもくろんでいたのは違う立場の政治家や市民が集まって同じ情報をもとに議論し、それぞれのマニフェストに結実させる場を作るということだったので、これこそ今でいうフューチャーセンターだと得心したからでしたが、今回のことでも違う場所違う立場の方々から同じテーマの情報をいただく形になって、まさに一人時間差政策ラウンジだった気がします。

三鷹では、川名さんの紹介で当地の野村羊子市議に案内役を引き受けていただきましたが、終わってからの歓談の際にお二人から出てくる政策課題の幅広さや動きの速さを聞くにつけ、首都圏の政治家の大変さを肌で感じましたし、党務で再会を果たせなかった伊藤君の立場に思いをはせながら、暑くて熱い二日間を終えました。
せっかくの学びとこれからにつながる出会いをいただきましたので、これが形になるように動いていこうと思います。

2015.09.01

田んぼアートに合併の皮肉を感じる

年に一度の岩木・相馬地区町会長合同研修でしたが、今年は田舎館村が誇る田んぼアートの見学でした。

バスで隣り合わせたのは、岩木・鼻和町会の前田一郎さんで、仕事のおつきあいばかりでなく1999年に一緒に議員に当選して以来のご縁があります。
思えば、2005年に津軽南12市町村の合併が破談となり、岩木・西目屋・相馬の中津軽郡3町村には当時の金澤弘前市長からのラブコールもありましたが、まずは同じ生活基盤を持ち交流も深い3町村合併で行こうという流れとなり、西目屋・相馬は3町村案を可決したものの、最後の岩木で否決され、その際すぐに連絡をくれたのが前田さんでした。
実際は、委員長を除く17名の議員は、単独=2・3町村=8・広域=7と分かれていたようで、相馬と同じく合併の是非を問い、その後に合併の方式を決する段取りで進めれば、単独派の2名も広域よりも3町村に賛同したはずですから中津軽郡合併は成就したはずですが、勝てると過信した委員長がいきなり3町村での合併の賛否を問うたので、賛成=8/反対=9という結果になってしまっただけに、その軽挙の責任はあまりにも大きいと言わざるを得ませんし、まさに『多数決を疑う』を証明するような事件でした。

ところで、最初の12市町村合併が不首尾に終わったのは黒石市・大鰐町の財政状況があまりにも悪く、合併効果が見こめないという問題が一番大きい要因でしたが、先日の報道では大鰐町は7年前倒しで早期健全化団体から脱却することができたそうです。
また、視察先の田舎館村も、破談後に真っ先に弘前市に合併を申し入れるほど積極的に動いたのですが相手にされず、それが同じ南津軽郡での合併から遠ざかる原因になってしまって、当時は田んぼアートがそれほど注目されていなかっただけに、田舎館城と呼ばれる役場が孤立しているように見えたものですが、今となっては独立を保っているからこそ田んぼアートにすべてをかけるような取り組みが可能になっていますし、注目を集めることができているわけです。
それからすれば、そこまで財政状況が悪かったわけではないのに総務省の試算に惑わされ、岩木町には岩木山、相馬村には飛馬りんごとロマントピアという魅力を持ちながら、素直に合併という蟻地獄に落ちてしまったものだと、前田さんと意見が一致して、合併の皮肉を思わずにはいられませんでした。

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それだけに、田んぼアートには田舎館のプライドを感じ、地域を守るためには失ってはならないものがあるのを改めて思ったところです。

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