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2015.08.18

終わらない「満洲国」

戦後70年、さまざまな角度から検証する必要がありますが、私にとってはやはり祖父が夢をかけた満洲国のことが気になり、先日の松嶋菜々子主演のドラマ「レッドクロス」では戦中戦後の満洲が舞台でしたので、非常に感慨深く見ることになりました。
しかし、すでに祖父母とも鬼籍に入っているだけに、今となって当時を語ることができるのは長女である叔母のみですので、久しぶりの対面を板柳町の有料老人ホームで果たしました。
数年ぶりに見た叔母は、すっかり晩年の祖母とそっくりになっていて驚きましたが、記憶はまだまだしっかりしていて、自らの記憶と祖母から聞いていた話を織りまぜて、満洲国時代と戦後になってからの余話とあわせて教えてくれました。

その話によると、叔母は生まれて2ヶ月で飛行機に乗せられて祖母とともに渡満、その際に半年間満洲国皇帝溥儀の侍衛長を務めた板柳町出身の工藤忠氏のお宅にお世話になっていたそうです。
最初は祖父の赴任先の佳木斯に数年暮らしたそうですが、敗戦までは国策会社で運転手が迎えに来る立場となった祖父を筆頭に新京で暮らし、工藤家との交流は厚く、とりわけ祖母と忠氏の次女・あい様は仲がよかったそうで、工藤家が1945年3月に引き上げる際に一緒する約束をしたのだそうですが、神州不滅を信じる祖父が「帰るなら離縁する」と言うので、泣く泣く敗戦までいたのだそうです。
戦後もおつきあいは続いていたそうで、津軽に戻って生家を継いだあい様の息子・正道さんと、その家を資料館「皇帝の森」として切り盛りしている静子さんご夫婦の祝言には祖母が招かれたそうですし、叔母も何度かおじゃましたことがあるそうです。
また、叔母の上京生活の際には、これまた弘前市出身で石原莞爾の「最終戦争論」に多大な影響を与えたばかりでなく、自ら満洲国にかかわったためにシベリア抑留の憂き目に遭った伊東六十次郎先生の秘書役で仕えるご縁をいただいたそうで、何度か成田市に隠棲した忠氏のところに先生のお供でおじゃましたこともあったと聞き、満洲国の当時ばかりでなく戦後までも津軽の満洲人脈はつながっていたという貴重な証言を聞くことができました。
伊東先生は、石原莞爾亡き後も最終戦争後の恒久平和に最後まで夢を抱いた方だったそうですが、全国を股にかけての講演活動や執筆の合間を縫って、石原とともに培った東亜連盟の流れを汲む養生会の会合に出るために帰弘する機会を大事にしていたそうで、連盟の時代から戦後弘前の市政教育を担った人材が結集してきた養生会に先生のエッセンスと思いは伝えられてきたのです。
こうしてみると、叔母のおかげで満洲国の中枢にかかわった工藤忠・伊東六十次郎をつなぐところに我が家がつながっていたということがハッキリしましたし、それが戦後の弘前にまでつながることがわかり、歴史をさぐる手がかりが大きく拡がった気がします。

叔母との面会の前には「皇帝の森」を再訪したのですが、暑さ和らいだ頃に叔母を案内して旧交を温めながら今のうちに聞き出せることを教えてもらおうと思っています。
敗戦とともに消えた満洲国ですが、津軽と我が家にとっての満洲国は私の生涯における探求テーマとなった気がしますし、ひいては私の戦後は終わりません。

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