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2015.06.20

西江先生は生きている

昨日の夕刊で、文化人類学者・言語学者である西江雅之先生がお亡くなりになったのを知り、「先生!」と声を上げてしまいました。

こう書くと、いかにも尊敬していた恩師の訃報にショックを受けたように思われるでしょうが、あやふやな記憶では大学時代に自分の空き時間に友人が受講していた先生の文化人類学の講義にもぐりこんでいたはずですので、大教室の後ろでダベっている学生の一人を先生が覚えるはずもなく、私からしても会話した記憶すらありません。
それでも、単位にもならないのに受講していたのは、交友関係以上に先生の講義がおもしろく、クレオール語から小泉八雲そこから飛んでスワヒリ語という奇想天外な展開でことばや社会の不思議さと楽しさを飄々とした口調で語る姿に、高校までの勉強とは違う学問のエッセンスを感じたからのように思います。
それだけに、ご自身が気にされていなかったように自分からしても偉いとは思ってみなかった先生が、地方紙の夕刊にまで訃報が載るほどの方だったのに驚いてしまいました。

何の供養もできないので、10年以上も前に買ったまま本棚に眠らせていた『「ことば」の課外授業』を引っぱり出して読了しましたが、そこには講義で話されていた内容もあったこともあり、やさしく言語学を解きほぐす文章から先生の声が聞こえてくる気がして、学生時代を懐かしく思い出しました。
こうしてみると、遺された著作や記憶の中で先生は生きていると実感しますし、直接の薫陶はなくとも恩師と思える先生がいることを不思議にうれしく思います。

それだけ、学ぶこと教わることは奥深いものですし、これからの子どもたちがそんな先生と出会える社会をつくるのが先に学んできた者の責任です。

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