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2015.06.27

貞真さん、さようなら

相馬地区で唯一のお寺・覚応院の住職・溝江貞真さんが、56歳の若さで急逝されました。
檀家ではないものの、息子さんと娘、お嬢さんと坊主が同級ということばかりでなく、ねぷたやお山参詣などで一緒する機会も多く、少し年上のお父さん仲間として親しくさせていただいてきただけに、本当に残念です。

覚応院は真言宗醍醐派のお寺で、真言密教の修験の一つである火中三昧で知られており、数年ごとに修験僧が熱湯の入った大釜に入る荒行を見せるばかりでなく、毎年の宵宮では参拝客がわらじで炭火を渡る体験もできるので、私も毎年のように渡らせていただきました。
また、大晦日から元旦にかけては檀家の皆さんも手伝って年越しそばや福袋の振る舞いをしたり、宗祖・弘法大師にゆかりのある四国八十八ヶ寺の石を踏み渡る集まりを開いたりと、葬儀法要のみで汲々としているのとは違って地域に開かれたお寺として活動されています。
これもひとえに貞真さんのご尽力のたまものですが、元々は青森市の生まれで覚応院とは縁戚もなかったのが養子に入る形で後を継ぐことになり、せっかく相馬に住むからにはと次々と催しを増やしてきただけに、まだまだこれからやりたいこともあったでしょうし、やってほしい役割もたくさんあっただけに、残念でなりません。
いつぞやの酒の席で、相馬村の入口にある覚応院で火中三昧があり、一番奥の沢田地区ではろうそくまつりがあるので、中央部に位置する紙漉沢にある長慶天皇御陵墓参考地にちなんで天皇の霊に京を懐かしんでもらうために大文字焼を行うことにすれば相馬三大火祭りになって、また注目を集めることができると夢を語ってくれたことがあって、それを受けとめた者の務めとして見果てぬ夢に終わらせないよう、ことあるたびに持ち出していこうと思っています。

ところで、本堂で行われた通夜は位牌堂までいっぱいの参列者で埋まり、地元の宗派でも中心になって活躍されていただけあって30人近いお坊さんが声を合わせて読経するおごそかな式でしたが、説教に立たれた和尚さんは「さようなら」や「それじゃあ」といった別れのことばは次に続くことばを残したものであり、それはこれが最後ということではなくまた会おうという思いを含んだ者なのだから、貞真さんとの急な別れは諸行無常としか言いようがないものの必ず浄土で会えると信じて「さようなら」と言いましょうと、含蓄のあるお話をされました。
私も、これまでのご縁が生死を分けても続くと信じて、今ひとときのお別れをお伝えしておきます。「貞真さん、さようなら。」

【時評】忍びよる言論弾圧

25日に開催された自民党有志による「文化芸術懇話会」なる会合での国会議員および講師を務めた百田尚樹の発言が問題にされています。
マスコミに圧力をかければいいとか沖縄の地元紙2紙を廃刊に追いこめとか、果てには米軍兵によるレイプ事件や普天間基地の回りにすむ人たちまで持ち出しての妄言の連続だったのは宮武嶺さんのBlogが一番詳しくまとめていますが、自民党からのマスコミへの圧力に関してはこればかりではありません。
この会議にも出席している萩生田光一・自民党総裁特別補佐が昨年末の総選挙の際に、「公正中立な報道を」と文書での通達を出していることからも明らかで、これは議員個人の発言や考えではなく党としての文書なのですから、今回の懇話会も有志の集まりだとして総裁である安倍総理が逃れようとしているのは卑怯な話ですし、不利と見れば「朝まで生TV」への出演を避けるのですから姑息としかいいようがありません。

これにマスコミが屈しないという姿勢なのであればまだよいのですが、実際には百田氏が委員を務めるほどおかしくなってしまっているNHKでは阿部再選の応援団結成とだけ伝えて妄言はスルーされていたそうですし、読売もオブラートに包んだ内容、さすがに朝日は繰り返し詳しく報じていますが、一番早く伝えているのは日刊スポーツだというあたりに、マスコミの温度差と動きの鈍さを感じてしまいます。
先日の沖縄慰霊の日に関する報道でも、外国人記者がなぜNHKは安倍総理に「帰れ」コールが浴びせられたのを報じないのかと疑問をぶつけたことが話題になっていましたが、その記者たちによって世界中では安倍政権の危険性・特異性が伝えられているのに、日本ではニュースにもならないということからして、すでに言論弾圧が進んでいると思わざるを得ません。
これが怖いのは、報じられないことで事実そのものから国民が隔離されることですが、戦前の政党政治の崩壊の流れを思い出しても、血盟団事件、5.15事件そして2.26事件と郡部や右翼の暴走がエスカレートしていったにもかかわらず、国を思う気持ちはわかるなどと甘やかして国民もまたその雰囲気にほだされてしまったように、こういう問題はとっかかりで歯止めをかけないといけないのです。

いわゆる戦争法案も明らかに違憲ですが、これは存立危機事態が起きなければ発動できないものである(これも甘い考えかも知れません)のに対して、今回の問題は言論の自由という日常生活にかかわる重大なことで進行形で憲法を侵害しているのですから、より強い危機感を持って臨まなければならないと思っています。


付記:「かく語りき」と銘打った原点に返って、これから週刊で時評を綴っていくつもりです。

2015.06.20

西江先生は生きている

昨日の夕刊で、文化人類学者・言語学者である西江雅之先生がお亡くなりになったのを知り、「先生!」と声を上げてしまいました。

こう書くと、いかにも尊敬していた恩師の訃報にショックを受けたように思われるでしょうが、あやふやな記憶では大学時代に自分の空き時間に友人が受講していた先生の文化人類学の講義にもぐりこんでいたはずですので、大教室の後ろでダベっている学生の一人を先生が覚えるはずもなく、私からしても会話した記憶すらありません。
それでも、単位にもならないのに受講していたのは、交友関係以上に先生の講義がおもしろく、クレオール語から小泉八雲そこから飛んでスワヒリ語という奇想天外な展開でことばや社会の不思議さと楽しさを飄々とした口調で語る姿に、高校までの勉強とは違う学問のエッセンスを感じたからのように思います。
それだけに、ご自身が気にされていなかったように自分からしても偉いとは思ってみなかった先生が、地方紙の夕刊にまで訃報が載るほどの方だったのに驚いてしまいました。

何の供養もできないので、10年以上も前に買ったまま本棚に眠らせていた『「ことば」の課外授業』を引っぱり出して読了しましたが、そこには講義で話されていた内容もあったこともあり、やさしく言語学を解きほぐす文章から先生の声が聞こえてくる気がして、学生時代を懐かしく思い出しました。
こうしてみると、遺された著作や記憶の中で先生は生きていると実感しますし、直接の薫陶はなくとも恩師と思える先生がいることを不思議にうれしく思います。

それだけ、学ぶこと教わることは奥深いものですし、これからの子どもたちがそんな先生と出会える社会をつくるのが先に学んできた者の責任です。

2015.06.17

質疑ではなく、ともに考える意義

先日の説明会、その翌日の町会長会議を受けての町会連合会からの申し入れが結実して、公共交通の所管課である都市計画課と町会長との意見交換会が開催されました。

課の方からは、説明会で提出を求められた数値のうち回答できるものとして合併前とこの数年の路線ごとの収支、朝昼晩3便を路線延長した場合、送りのタクシーを全便待機させた場合の試算を出してもらったので、この数年で急激に赤字化が進んだこと、住民側からの要望に応えると7~800万円の赤字がかさむことがわかりました。
これに対して、私が口火を切る形で、住民の路線延長の要望はその分の減便も受け入れてのものであることをまず伝えた上で、延長のかわりにどれだけ減便すればいいのか、いっそのこと乗合タクシーを村の入口の湯口地区から運行することにするといったシミュレーションを、プロジェクターでExelシートを演算したものを一緒に見ながら検討するような会議の進め方をしてもらいたいこと、また今回の乗合タクシー方式で全市さらには津軽一円の赤字路線をカバーするのも無理があるので、現行制度の枠内ではなく特区導入でクリアすることも考えてほしいことを意見しました。
加藤課長からは、とりあえずこの方式で利用者の減少が踏みとどまり赤字を圧縮することができたので、合併前の水準までとはいかなくても改善できるような提案であれば受け入れるつもりであり、今回は顔合わせという位置づけでこれからイヤになるほど話し合っていきましょうと、非常に前向きな回答をいただきました。
来月には町会長研修で岩手県雫石町のデマンドバス「あねっこ号」の視察を行うことにもなりましたし、市にも頭をひねってもらうからには村の側でも学び考えるという、協働の形での見直しがはじまったと言える記念すべき第一歩となりました。

これは、相馬地区という連合町会区それも合併以前の村を相手にしてのことであり、公共交通という重要施策のとっかかりという位置づけであることから市も真正面から向き合い特段の配慮を持って話し合いを続けていくことになったものですが、おかげで具体的な数字をいじりながら一緒に頭をひねってベターアンサーをさぐっていくという、本当の意味での話し合いができることになりました。
来週には改選された市議が質疑に立つことになりますが、一般質問にしろ委員会質疑にしろ、質問に対して答弁が返ってくるという一方通行の繰り返しであるのを考えると、膝を交えて同じテーブルにつく場を持つことができるのは、一つの事柄とはいえ議会での質疑以上に実のある取り組みになると思います。

願わくば、これが先例となって市と市民との間でともに考えながら事業が計画され実行されていくのがパターン化していきますように。

2015.06.15

「予告犯」の表層批評

ドラマの方を見はじめたのがとっかかりなのですが、その前段となる映画を観ないことにはストーリーがつながらないと思い、「予告犯」を観てきました。
映画としてのできばえを語る才覚はありませんし、これから観る人のためにネタバレにはならないようにしますが、背景に描かれているものが最近読んだ本の内容と重なるものが多かったので、そこに焦点を当てながら今考えていることをお伝えしたいと思います。

生田斗真演じる映画版の主人公ゲイツは、きわめてブラックなIT企業で派遣社員として働いていたのが病に倒れて職を失い、日雇い労働をすることになります。そこで、後にシンブンシとして一緒に行動する仲間と出会い、仲間の一人である日比混血のヒョロの死をきっかけに現場監督を殺害したところから活動を起こします。
彼らの行動はネット予告による公開処刑で、件数を重ねるごとにターゲットが大きくなっていき、それにつれてネット上での支持が広がるのですが、代議士殺害に失敗したところで一転罵倒の書きこみがあふれるという展開を見せます。
原作ではなかった、戸田恵梨香演じる吉野警部も給食費を滞納するほどの貧困家庭に育ったエピソードが追加されていましたが、貧困や派遣労働・ブラック企業と現代日本が抱えている影の部分をバックボーンにした映画だとは思っていませんでしたし、ちょうど『中高年ブラック派遣』『もうブラック企業しか入れない』『失業者・半失業者が暮らせる制度の構築』など、貧困や失業の問題を読み考えていただけに、まさに映画が呼びよせてくれたような気がしました。

それから、Twitterのようなつぶやきやニコ動的な動画へのコメントが流れるのを効果的に使っていて、ネット時代の劇場型犯罪というイメージを増幅させていましたが、そこで私が気になったのは、否定的に受けとめられていたシンブンシが徐々に支持されるようになり、「怒りをぶつけたければ俺に言え」という意思表示でカリスマ的存在になったのが、殺害失敗で一転ボロクソに言われるようになるというのは、小泉劇場や民主党マニフェストに踊らされたB層社会である現代日本をリアルに描いていることでした。
B層というのは、2005年の郵政選挙を取り仕切った広告代理店の造語とされ、「よくわからないが小泉改革を支持すると考える層」という定義ですが、幅広く考えると「生半可な知識を持つが故に、改革といった幻想にとらわれる存在」ということができます。
21世紀の国内政治は、小泉改革では「自民党をぶっつぶす」、民主党の政権交代では「コンクリートから人へ」、そして安倍政権ではアベノミクスや「美しい国・日本」と、ワンフレーズポリティックスによって何かが変わるという幻想が国民を動かしてきましたが、「予告犯」ではネットを使えるレベルのユーザーがシンブンシの術中にはまっていき、たった一つの失敗であっさりと支持が罵倒に変わるあたりは、民主党の政権交代と失敗を思わせます。
これも、『日本をダメにしたB層の研究』『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか』を読んだばかりでしたので、前記の貧困・失業問題を生み出している社会そのものの風潮まで織りこんでいるところに重苦しさを感じました。

ただし、『僕らは…』の著者・荻上チキ氏が最後に自らの活動を紹介しながら希望につなごうとしたのと同じように、「予告犯」でも心のよりどころになるようなセリフがあり、現代日本の諸問題や犯罪映画を超えたメッセージが伝わってきます。
皆さんにも、映画館のスクリーンで確かめていただきたいと思います。

2015.06.09

平成の人返し令は成就しない

「日本創生会議」という団体があります。リンクを開いていただければわかりますが、座長が元岩手県知事・増田寛也氏であることが何とかわかるだけで、どういう位置づけなのか、何をめざした団体なのか、誰がメンバーなのかも明記されない謎の団体です。
そうであるにもかかわらず、昨年は日本の人口減少と首都圏一極集中の未来を「消滅可能性都市」というショッキングなネーミングで打ち出して衝撃を与えたのに続き、今度は2025年には首都圏で介護施設が大幅に不足するので介護・医療に余力のある地方都市に移住を進めるべきと提言したそうです。
その移住先41都市の中には、弘前市・青森市も含まれているだけに他人ごとではありませんので、介護と政治にかかわってきた者として、この問題を論じておきたいと思います。

この提言にはさまざまな問題がありますが、一番認識が欠けているのは2000年の介護保険法施行後は、介護が必要な方は誰でもどこの施設でも選択できることになっているということです。
現実には、利用したい人数に対して施設数が不足しているために選択の自由とはなっていませんが、以前経営していた施設では当時としては珍しくホームページを開設していたのを親族の方が見つけ、首都圏の老人保健施設に独り身で入所されていた兄弟を生まれ故郷の施設に移したいという希望をメールで伝えてきたことからはじまって、2年後に介護タクシーに乗って入所してこられた例があるように、首都圏からの介護移住は不可能なことではありません。
この例が奇跡のように思われるのは、このようなアクションを取る方がないからで、首都圏に暮らす要介護な高齢者が増える一方だとしても、集団就職で地方から上京した団塊の世代の皆さんには今さら故郷に帰ろうという思いがないからだと思わざるを得ません。

これは憲法の保障する居住の自由からして当然の判断であるわけですし、私の実例にしても本人に判断能力が欠ける状態であったので親族の思いを受けとめて実現させたことでもありましたので、もし本人に確認できたとしたら何と答えたのかは知るよしもありません。
介護保険制度以前は、措置という強制力のある手続きで入所が決められていたのですが、それを切り替えてから15年もたってから移住させるという時代錯誤な提言であるところが何よりの問題ですし、手だてを打つとすれば本人が自分の意思で終の棲家をどこにするかを選択するような予防的な働きかけを健康面だけでなく生活面でも推進するといった方向性であるべきだと思います。

それでも、移住を提言せざるを得ないような現実や予測となるのは確かなことですし、これがきっかけとなって一極集中問題を何とかしていくきっかけになってほしいと思います。

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