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2015.05.16

野田村、不安と希望

野田村といえば一番の産物は天然の海水からつくる「のだ塩」ですが、横浜市に本社を置くネパリ・バザードという主にネパールとのフェアトレードを行っている会社が東日本大震災の支援に取り組む中で陸前高田の柚子とコラボする商品開発を行ったのがきっかけで、今年中に山ぶどうのワイナリーを作る計画が持ち上がり、そのキックオフとしてネパールの塩の道をテーマにした映画「ヒマラヤ」上映と野田村の未来を語るシンポジウムを開催するというので、半月ぶりに足を伸ばしました。

映画は、ヒマラヤで塩を何日もかけて運んで食料を手に入れて暮らすドルポという村が舞台で、跡継ぎと思っていた息子の事故死を親友の若者のせいだと疑う長老と、その若者がこれまでの掟を破って新しい時代を切り開いていこうとする旅を描いたもので、復興という新時代を創っていく野田村と重なる内容でした。
その後のシンポジウムは、だらすこ工房の大澤継彌さん、チーム北リアス現地事務所長で「のだ塩」復活の立役者でもある貫牛利一さん、そして震災後に戻ってきてデザイン事務所のカメラマンとして働いている20代の大沢航平君で、世代も立場も違う3人がそれぞれの経験と思いを語り合う内容で、非常に濃密なものになりました。
3人とも、震災のダメージから抜け出した取り組みをしており、積極的に外聞の人間とかかわる中で、野田村を好きになってもらおうという気持ちにあふれており、今回はネパリ・バラードが企画したツアーに参加してこられた30人以上の方々にもきっと思いが伝わったことと思います。

ただ、「のだ塩」と山ぶどうワインを生産する第3セクター「のだむら」の社長でもある小田村長は最初から最後までいらっしゃいましたが、3セク関係者以外の村民は映画の時も少なく、シンポジウムではほとんど外部の人ばかりだったことが気になりました。
確かに、継彌さんのように元々口下手だった方が話すことも恩返しと思って積極的にかかわるようになった方もいますが、私にしても仮設住宅に入った方のうち半分はお会いすることもなく4年が過ぎていますし、航平君のような若い世代とはほとんどコンタクトがないのも現実です。
せっかく新しい取り組みがはじまるにしても、そこに村の人間が中核を担う形にならなければ、復興を超えた新しい村づくりには進んでいかないのですから、非常に気がかりです。
それでも、小田村長も航平君や息子の洋介君のように戻ってくる若者がいることに期待していると話していたとおり、まだまだ時間のかかる復興なのですから、少しずつ希望の粒が増えていくのだと思いたいところです。

ところで、5年目の野田村の新たな動きに、それでは私はどうかかわるのか、それこそが身の振り方ともかち合うことだけに、真剣に考えなくてはならないと思います。

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