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2015.05.26

負けを認めるということ

落選して1ヶ月、GWはとっくの昔、敗戦処理も済んだのですから、次の身の振り方を決めていなければならないだけの日数がたっているのですが、そうもできない事情もあって、最近は1日1冊の読書に明け暮れています。

この4年間の中で取り組もうと思ったことに、梁山泊!と銘打った中高年の就労支援プロジェクトがありましたが、そのことを思い返させるできごとがあったことから工藤啓・西田亮介『無業社会』に手がつき、この無業を生み出す社会の病理を考えるために本田由紀『もじれる社会』、内田樹『下流志向』と読み進んだところで、杉崎隆晴『競争の現代的意味』に出会いました。
この方は、弘前市在住でスポーツ心理学を専門とされており、先日の市議選にも深くかかわっているのですが、スポーツが持つ競争という視点から見た、学問・経済そして政治における真正な競争の不在、スポーツマンシップやフェアプレイの精神がないことによる問題点を鋭く博覧強記に掘り下げており、なぜ市政に問題提起しようと思ったのか理解できただけでなく、これだけの方がまったく注目もされず活躍もできないという不可思議な現実があることに反省と疑念を覚えました。

これは弘前市だけではなく日本全体の問題と思いを強くし、さらに『偽りの戦後日本』『日本戦後史論』と続けて読んでいますが、両著で対談している白井聡さんは『永続敗戦論』というデビュー作で注目を集める新進気鋭の政治学者です。
白井さんは、敗戦を終戦と呼び換えたばかりでなく、戦時中の政治経済の中枢にいた者たちが対米従属を通じて対米自立を果たすという方向でそのまま戦後の舵取りをしてきたことで、真の敗戦の反省が生まれなかったことを喝破しています。
杉崎さんの競争においても、必ず勝者と敗者が生まれるわけですが、そこで負けを認めないで済めば気は楽かも知れませんが、次にどうすればいいかを真剣に考えることからは離れてしまいますし、国として戦争に負けたことを認めずにきたことのツケを払うどころかなかったこととして戦争できる国にしようという総理大臣とお友だちまで出てきてしまうのですから、改めて間違いの大きさと立ち戻る勇気が必要だと思います。

そこで翻って我がこととしての負けということを考えてみると、選挙に行く人たちの特性を考えずに戦術を組んだことが何よりの敗因だと、これらの著作からも改めて学んだところです。
日本人のおよそ8割が受け身の態度で生きており、戦争に引きずりこまれた被害者と思っていたり、下流として生きていくのに甘んじてしまうような「ボーッとした」感覚で、競争することとは無縁の存在であって、選挙の際も政策の良し悪しや実行力などを検討することもなく「○○から頼まれたから」「地元だから」という主体性のない立場で投票するのがわかっているのに、当選後のしがらみの活動のために政策を訴えて人に頼らないという正攻法すぎる戦術では太刀打ちできないのは当然です。
こうしてみると、8年前は若さもあり福祉施設経営者として関係者からの支援もあり、そして親族をあげての態勢があって何より親不孝のレッテルも貼られていないというプラスがあったわけですし、私の嫌いな野村克也監督の言葉ですが、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」というのは真実だと得心します。
それでも私がやりたかったのは、この状況この戦術でも支持してもらったという実績を生み出し、そこから新時代の議員としての活動をスタートすることが市政を変える第一歩であるべきだという思いからでしたので、負けを認めた上で然らば市民の意識を変えるにはどんな手を打つべきかを考えてみるのが筋だと思っていますし、そこに同じ思いを抱く杉崎さんのような方とめぐり会っただけでも選挙を打った甲斐があると思っています。

もう一つ、負けを認めることでは、私に手本を示してくれた祖父のことを思い出します。
以前にも書きましたが、祖父は曾祖父との折り合いが悪かったこともあり、家業の農業を嫌って軍人となり憲兵まで務めた後に満洲国建国に深くかかわり、敗戦して引き上げてからは恩給で生活しながら孫である私の面倒を見てくれていました。
敗戦必至の情勢となって、自分を引き立ててくれた溥儀皇帝の侍従武官長・工藤忠が3月に引き上げた際も「日本が負けるわけがない」と突っぱねるほど神州不滅を信じていたのだそうで、39歳で夢破れてからは農業はもちろん定職にも就かず教養人として教育委員や議員といった特別職のみで過ごしていましたが、これは一つの負けを認めた生きざまだと思いますし、私にとっては将棋や書道を教えてくれたり軍隊時代の八甲田山遭難事件の弔い行軍の話を教えてくれる威厳のある祖父でした。
ただし、そのせいで商家の生まれで農作業のできない祖母は役立たずとして離縁させられ、その恨みもあって父は祖父を憎み、そのせいか農業もその後のタクシー会社も立ちゆかなくなる前にやめるという負けから逃げる生き方をしてきただけに、私が乾坤一擲の勝負をすることも理解ができないのだと思います。
一説によれば、安倍晋三は父方の祖父は大政翼賛会から非推薦とされた反戦代議士だったにもかかわらず父・晋太郎とそりが合わないことで母方の祖父・岸信介を追慕しているのだそうですが、同じ父嫌いで祖父が満州にかかわるという同じ境遇でも、負けを認めたか、そこから何を学んだかでこれほどの思索の違いとなるのですから、正しく学ぶこと深く考えることの大切さを思わずにはいられません。

さて、思っているばかりでは自分自身も世の中も変わりません。そろそろ、動くといたします。

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