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2015.05.17

飯舘村から脱原発を考える

呼びかけ人になっているわりにはなかなか参加協力できずにきた「脱原発弘前映画祭」に、今回は何とか足を運ぶことができました。

今回のメインは、飯舘村の酪農家・長谷川健一さんが自ら撮影してきた映像をまとめたドキュメンタリー「飯舘村 わたしの記録」とご本人による講演でしたが、大震災以前は日本一美しい村づくりを「までい」(=ていねいに趣を加えた方言)をスローガンに掲げる菅野村長の盟友としてともに取り組んできた方が、どのような経験をしてきたのかが映画から伝わり、どのような経緯をたどって全村避難に至ったのか、そこでどのようなことがあって菅野村長と袂を分かつことになったのかを講演で赤裸々に語ってくださいました。
実は、菅野村長は理想の村づくりをめざす仲間として何度か相馬村を訪問して講演されたこともあり、そのご縁で避難後にも支援を求めて農協女性部の方々が相馬村を訪ねてこられたことがあって、その際にも避難のことで村が割れていることを聞いていましたし、隣接している南相馬「こどものつばさ」への協力などで訪問した際にも関連する噂にふれることがありましたが、村民の半分以上がADR=紛争解決センターへの申立団に加わっているのに行政側は支援するどころか切り崩しに動くまでの対立となっているとは、想像以上のことでした。
長谷川さんは、村民側の先頭に立って最終的には村長リコールも辞さずの覚悟で動いているのだそうで、講演や著作を通じて真実を伝える活動をしていますので、ぜひ皆さんにも関心を持っていただきたいと思いますし、私個人としては帰村より命を大事に考える長谷川さんを応援したいと思います。

その飯舘村を、南相馬に行く際に何度か通過したことがありますが、大震災の被害が見えない美しい山村にまったく人の姿が見えない異様な光景に、地震や津波という天災ではなく原発事故という人災のむごさを感じましたし、こんな遠くの山の中でも人が住めなくなるほどの被害をもたらす核エネルギーの怖さに背筋が寒くなる思いをしたものです。
そればかりか、一番強い絆で結ばれていたはずのリーダー二人の仲を引き裂くほどの対立を村にもたらし、仮に帰村宣言が出されたとしても元の村民が顔をそろえることがかなわなくなっている現実を思うと、飯舘村が東日本大震災そして福嶋第Ⅰ原発事故の最大の被害地だと思います。
南相馬・大槌そして野田村でも、大震災に立ち向かう人たちの陰で見聞きする裏の話は枚挙に暇がありませんし、とりわけ原発事故での避難生活にかかわる影の部分を知るにつけ、これだけの広範な被害を及ぼす原発という存在を認めるわけにはいきませんし、それを再稼働させようとする政治や経済の勢力とは並び立つわけにはいかないと思っています。

脱原発そして反核という立場で、一市民としてできることはこれからもこれまで以上に協力していくつもりです。

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