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2015.03.25

それでも集会所開放の花は咲く

市のまちづくり%システムに採択されて取り組んできた「昴集会所協働開放事業」ですが、10月から月1回の開催で今回が最終回となりました。
雪が降るまでの時期は、外で遊んでいる子どもたちも巻きこんで進めることができたのですが、その公園部分が雪におおわれてしまうと子どもたちばかりでなく町会の大人たちの足も遠のき、失速した流れの中で3月はマンドリンの古川里美さんとギターの今井正治さんの名コンビによる演奏を楽しんでいただきました。thumb_IMG_2201_1024-2015-03-25-17-00_1.jpg


幅広いレパートリーを演奏していただいてアンコールとなりましたが、当日のハプニングと主催者権限をもって私からのリクエストで準備していなかった復興支援ソング「花は咲く」をやってもらいました。
それでも、さすがのお二人だけに見事に弾いてくださり、参加した皆さんからも歌声があふれて、本当に心温まるフィナーレとなりました。

この「花は咲く」には、震災支援にかかわってきた者としての思いもありますが、一昨年8.11に野田村でのLIGHT UP NIPPONの際に、ゲストで呼ばれていた佐藤ぶん太、が花火を楽しみに同行していた古川さんに無茶振りして共演した思い出の曲で、前日のこともあっただけに私まで無茶振りしてしまいました。
それだけでなく、今回は成功できなかった集会所開放事業を、新年度は町会の財政という問題もあり、継続していくことを断念せざるを得ない状況ではあるのですが、それだけにいつの日かきっと成功をという花を咲かせたいという思いがリクエストになったのでした。

市の財産であるだけに、昴町会ばかりでなく市民のためにもっと活用しなければならない昴集会所、必ずや毎日のようににぎやかな場となるよう、工夫していきたいと思います。

2015.03.24

野田村に支援された4年を振り返る一日

3/11から2週間たった3/25に、弘前からの先発隊が初めて野田村に入りました。
当時弘大にいた山下祐介先生の仲間である関西の先生方が被災の状況や支援やボランティアの有無を確認しながら八戸市から南下したところ、北三陸では最大の被災をしたのが野田村でありボランティアの姿が見あたらないこと、さらに南下して宮古まで来ると被害は大きいもののボランティアがたくさん活動していることをふまえて、ルート的には日帰りでの支援も可能な弘前市からの支援ができないかという情報がもたらされ、それに呼応して白神山地プロガイドである土岐司先生が隊長となりJCの連中や学生が隊員となって野田村へと向かいました。
最初に避難所に顔を出した時には、「今頃何しに来た」とはねつけられ話もできなかったそうですが、続けて何度も顔を出しているうちに本気で支援しようとしているのが伝わり、行政への支援とあわせて官民協働の大型バス部隊が派遣されたのが3/31で、私もその時に初めて野田村とのご縁ができました。

それから、支援の顔ぶれや方法は変わりましたが、丸4年となる3/24に日程が取れたので思い立って、最初の訪問から一緒した佐藤ぶん太、と二人で野田村の仮設住宅や避難所だったところを回り、ご縁のある方々に横笛を聴いてもらうツアーを行いました。
久々におたくに上げてもらってゆっくり歓談したり、海の幸や苫屋自家製の生ハムをごちそうになったり、ぶん太、のことを一番好いていてくれるお母さんと再会したりしながら回り、土岐先生が最初に訪問し私たちも最初の炊き出しと交流をさせていただいた米田集会所に最後に訪問しました。
その時からお世話になっている米田やすさんが地区の皆さんに声をかけてくださり、20人以上も集まったところでぶん太、が4年ぶりに笛を吹き、その時に笛の音に反応した子どもたちが田んぼのあぜ道を駆けよってきた奇跡の場面を思い出させる「希望の粒」の際には、あの時の奇跡と4年間のご縁を思って感無量の涙がこぼれました。

考えてみれば、落選したからといって震災支援をやめるのでは売名行為だったと烙印を押されるのがイヤで、一市民に戻った最初の日から野田村に土岐先生に連れて行ってもらい、この4年で170回は足を運んできましたが、そんなどん底の私を励ましてくれたのが先生であり野田村の心温かい皆さんと豊かな自然だったのを、改めて実感しました。
私こそ支援してもらっていたのだと心に刻んで、また新たな交流を続けていきたいと思います。

2015.03.22

町会長4年目へのスタート

昴町会の総会が行われ、町会長として4年目のスタートを切ることができました。

引っ越してきた頃の総会は議論白熱で時間がかかり驚いたものですが、近年のスムーズな進行から一転、今回は久々に2時間がかりとなりました。
焦点となったのは、町会活動に参加しない人へのペナルティとして課徴金を徴収するかどうかということで、今回の総会で決めるのではなく新年度の理事会で話し合うための前提として、町会員から意見を聴く時間を取るつもりだったのですが、議案審議のところでも雪下ろしにからめて発言する人もあり、その後の意見交換でも議論百出でした。
年いってきたのですべての活動にはなかなか参加できないし年金生活者からさらに徴収するというのは厳しい、共稼ぎで参加できないことも多く心苦しいので払って済むなら助かる、以前の総会でもテーマとなり徴収しないことに決めたはずなので蒸し返すのはおかしいなどなど、それぞれの立場からの声を聴くことができました。
それでも全員の意見を把握したわけではないので、提案もあったアンケートを実施することを約束しましたが、もう一つ出された街灯を防犯灯タイプに更新するかどうかもアンケート実施してほしいという意見に対しては、街灯のランプそのものが入手困難になってきていること、昨年頻発した不法侵入や放火といった犯罪を防ぐためにも必要なことだとして市への要望を続けることを明言しました。

それから、経費節減には努めているものの、市と折半している融雪溝の電気料値上げが直撃して、繰越金や新年度の予備費がカツカツの状況になっているだけに、新たな財源確保を検討していく必要もあり、新年度の町会長マニフェストとしては2015年度の繰越金を15万円まで持っていくことを掲げました。
この件でも、子ども会への補助が大きすぎるのではないかという意見もありましたが、子どもの人数が減っている分保護者にかかる負担も大きくなるだけに、町会として子どもを大事にする姿勢を示すためにも、ここだけは譲れないと答えておきました。

懇親会に移ってからもこれらのことは話題に上りましたが、なぜ議論の場を作ったのか理解しているという声や、よく冷静に進めたとほめてくださる人もいて、おかげで酔いが早く回ってしまいましたが、過去の経緯は参考にしつつ全員参加の町会運営を進めていくにはどうしたらいいかを考えていこうと思います。
それだけに町会長としての責任は重く、総会にも全力で臨んだせいで、すっかり市議選での支援のお願いをすることも忘れてしまいました。(笑)

2015.03.03

政治の怠慢と行政の残酷に涙する

中央高校では、PTA会長経験者には卒業式・祝賀会に一定期間は案内をくださるうれしい慣習があり、前日風邪でダウンしたのをスクランブルで立て直して、いそいそと参列しました。

中央ラブなのが一番ですし、少しでも多くの人に会いたい立場からも外せない席でしたが、今年に関していえば定時制閉課程に伴う全日制・定時制が並ぶ最後の卒業式だから何としてもという思いで体調を立て直したわけです。
今回は、全日制では入学当初の239名が一人も欠けることがなく、最後の定時制でも4年次まで必要となる生徒はなかったことで、3年前の顔ぶれそのままに卒業できるというだけでもすばらしいことでしたが、2年生の送辞・全日制の答辞に続く定時制の答辞では、小学校時代の体罰で教師不信に陥り中学校ではほとんど不登校だったこと、早起きしなくてもいいのならという思いで選んだ定時制に入学してみると個性的な同級生や包容力のある先生方のおかげで学校に通うのが楽しくなり、ようやく勉強をやり直すことができた感謝と喜び、その大事な学校がなくなることの残念を素直に語り、「中央高校定時制よ、永遠なれ!」という最後の言葉になる前に涙が止まらないほどの感動をいただきました。
これは今年に限ったことではなく、その前2年間も定時制の答辞の深さに驚き、これを聴くことができる全日制にとっても大きな学びの機会であるだけに、全日制・定時制が同じ場で学ぶことの大きな意義を感じてきただけに、その昔存続を求める議員連盟に当初参加しなかったことを今さらながら反省してきましたし、本当に失うものの大きさを痛感しているところです。

ただ、その議連不参加の件ですが、中央高定時制の真実を知らなかったからではなく、すでに県議会での議決を経てしまってからの後付けの動きだったことへの反発からでしたし、本当に存続を求めるつもりであれば議決される前に真剣に動くしかないのは、同じ権限をいただいている者には自明のことを見逃していたのは怠慢そのものなのですから、必要な時期に行動できなかった汚名を着るべきだという思いからでした。
この再編で尾上総合高校も開設以来の単位制高校という看板を外すことになりましたし、これに続いての再編で普通の子が通える普通高校である岩木高校とふじ発祥の地で学ぶりんご科のある弘実藤崎校舎まで守れずに失うことに進めてしまった政治の責任は大きいと、我がこととして反省するしかありません。
一方では、生徒数減少に対する単なる数あわせしか手だてを持たず、自分たちの出身校でなければ何のてらいもなく切り捨ててしまう共育行政関係者の残酷さにも改めて怒りを感じますし、これと向き合って戦うのが政治家の本分でなければならないと思うのです。
たとえば、市内に3つの普通高校それがすべて進学校という異常な状態を、進学状況や志望状況が一番低い形になっている南高校の合格ラインをこれまでの岩木高校レベルに下げて、南高そのものだけでなく津軽圏域の県立高校の適正配置を進めるのが本来の行政の仕事だと思いますし、たとえ地元代議士の母校といえども聖域なき議論の対象とするのが政治の役割だと思います。

それだけに、中央高校関係者としての感動の涙だけではなく、政治にかかわる者としてのふがいなさに涙してしまったこの日のことを、決して忘れないつもりです。

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