« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »

2015.01.22

ライオンズクラブは遠くなりにけり

4年前に素浪人となったところで、やめざるを得なくなったのがライオンズクラブでした。
東北で3番目の歴史と最多のメンバーを抱える弘前ライオンズクラブに所属させていただき、クラブでは5節目の50周年で三役である会計を務め、県単位の組織であるキャビネットでは数年続けてIT委員会での役職を拝命してドップリと活動にはまっていただけに、断腸の思いでした。
今からして思えば、社会奉仕団体といいながら発生した東日本大震災に迅速な対応をしたとは言いがたいのを目の当たりにしてガッカリした思いもあり、再起を果たしたとしても復帰したいとは思っていませんが、そこで得た人間関係や薫陶には感謝を忘れるわけにはいきません。

その中でも、クラブ初のガバナー経験者である三上祐啓Lには、キャビネットにかかわった際にお供させていただく機会が多く、祐啓Lも同じ三上ということでかわいがってくださり、車で送った際には奥様に声をかけていただいてお茶をごちそうになったり、お手製のジャムをもらっただけに、ご逝去の報に接して矢も楯もたまらず通夜に参列しました。
喪主である奥様にあいさつすると、「その節はお世話になって」とやさしい言葉をかけていただき、懐の深さを感じさせる遺影からも当時が思い返されて、帰りには涙がにじんできましたが、何人かの先輩Lは見かけましたものの受付には見知った顔がなく、もはや私の知っているクラブではなくなっているのを改めて思い知らされました。

本当にライオンズクラブは遠くなりにけりの思いですが、祐啓Lがスピーチで教えてくださった社会奉仕の心を、自分なりに受け継いでいこうと思います。

2015.01.11

46ヶ月目、本当の交流がはじまる

今日は東日本大震災から46ヶ月目ですが、例年にない大雪を片づけるボランティアに野田村から軽トラに除雪機を積んで来てくださいました。本当にありがたいことです。
今回は、急な段取りに応じてくれたこともありますが、招待の際に何度も宿泊先となったご縁つながりでロマントピアでの作業となりました。

IMG_3014


お名前は本人たっての希望で伏せておきますが、発災直後から現在も続く弘前市からの官民あげての支援に恩返しをしたいとの思いを何とか果たしたいということで私に連絡があり、今回のボランティアとなったのですが、他に何人も次は一緒したいという方々が控えているそうです。
これまで野田村からいらっしゃるのは市からの招待、市から行くのはボランティアという形でしたが、私がご縁をいただいた方々には自己負担で少人数のツアーで楽しんだり花火の集いに出店したりというのがあったとおり、招待以外の形がなかったわけではありませんが、今回は弘前側が支援を受けるということだけに、困った時はお互い様という対等な関係での交流の第一歩にかかわれて、本当にうれしく思います。

それでなくても大好きな野田村に行きたくてウズウズしている私ですが、こんな関係がはじまるからには、きっと一生通い続けることになりそうだと思うと、楽しみでなりません。

2015.01.05

野田村から福を授かる

こちらでは遅ればせになりましたが、あけましておめでとうございます。
今年最大のテーマである市議選への思いは、「弘前市民と市政のハブをめざして」で明らかにしておりますので改めての投稿を避けますが、この4年間で一番取り組んできた野田村でうれしいことがありましたので、復興支援のこれからとあわせてお伝えしておきたいと思います。

今日は、野田村新年興隆会がありましたので、年末に頼まれたものを届けがてら参加してきました。
興隆会は、野田村の復興と隆盛をめざして交流の機会をつくる場として2012年からはじまり、今回が4回目ですが、私にとっては初めての参加でした。
200人を超える参加者のほとんどはスーツ姿でお目にかかったことのない顔ぶればかりで、これまでかかわってきた村の方々とは別世界の人たちに見えましたが、北三陸最大の被災地である野田村でも約2/3の世帯は被災しなかったわけですし、活動に参加するのは女性の方ばかりですので、男性諸侯に見覚えがないのは当然のことだと思い直しました。
小田村長や来賓の代議士・県議のあいさつからは、復興の進捗状況と地方創生とからんだ今後の展開の不透明さが伝わってきましたが、被災地以外では復興という言葉すら消えかけているだけに、どこまで進めることができるのかと不安を感じてしまいました。

それでも、小田村長や役場職員、社協や商工会でご縁をいただいた方々と新年のあいさつを交わし、米田やすさんの豆腐田楽やのだ塩ラーメン、荒海ホタテなど名産品を味わいながらの楽しいひとときとなり、最後の大抽選会では一番最後のシクラメンが当たるという残り福をいただきました。

これはきっと、野田村が好きで通い続けてきた私に対する野田村からのごほうびに思えましたし、きっと4月の幸運につながるものだとうれしくなりました。
それに温かく声をかけてくださる方々の笑顔を見て、改めてこれからも足を運ぶだけでなく住民レベルでの交流が続いていくように橋渡し役を果たさねばならないと思いました。

助成金をもらっての活動は今年度限りとするつもりですし、市議ともなれば毎月1回の訪問でも調整が難しくなるかも知れません。
それでも、この心温かい方々そして今日も心洗われた美しい自然に救われてきたご恩返しのためにも、私は野田村に通い続けます。
それが、私の生涯かけてのマニフェストです。

« 2014年12月 | トップページ | 2015年2月 »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

最近のトラックバック

Twitter

ブクログ

Amazon


  • サーチ:
    キーワード:
    Amazon.co.jp のロゴ

国際漫画展

無料ブログはココログ