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2014.08.15

酒田、花巻、そして弘前

敗戦の日、短い帰省を終えて二日後の語学留学の準備をする娘を酒田に送ってきましたが、今日もその途上で満州事変を引き起こして日本を戦争の道に引きこんだ石原完爾の墓所を通り過ぎました。
4年後の1949年の同日に亡くなったので命日でもあるだけに、墓参がかなわなかったのは残念でしたが、戦争と国のあり方を考える上でも避けて通れない鍵となる人物だけに、遅く帰ってから宮下隆二『イーハトーブと満洲国』を読み直しました。(これが難しいという人には、江川達也『マンガ最終戦争論』もあります)
石原完爾と宮沢賢治、イーハトーブという物語の世界の理想郷と五族協和を理想に掲げた偽国、まったく異質のようで実は日蓮宗・田中智学の教えを汲むという共通点があり、それが弘前とも無縁ではないことをまとめておきたいと思います。

石原完爾は、満州事変を周到に進めただけでなく戦火不拡大の方針を曲げさせて後の日華事変そして太平洋戦争へと進めたA急戦犯以上の存在ですが、東条英機と反目していたことで戦犯から外されたと言われています。
また、そのことで罪が消えるわけではありませんが、日華事変では不拡大を唱え、226事件では徹底討伐を進めるという違う姿勢を見せただけではなく、戦時中から東亜連盟を組織して日本が中心となって最終戦争後の恒久平和の世界を作らなければならないという活動を起こし、戦後もその活動が盛り上がるのを怖れたGHQから1946年に解散させられた知られざる歴史を持っています。
この『最終戦争論』には弘前市出身の伊東六十次郎氏の思想が強く影響していたこともあり、石原の地元である酒田市を中心とする庄内地方に次いで東亜連盟の活動が盛んだったのは弘前市であったことも隠されて忘れられようとしていますが、以前から石原完爾に関心を持っていただけに今年から酒田に何度も足を運ぶようになってからは、東亜連盟の歴史を掘り返すことをしていかなければならないと強く思うようになりました。

一方、宮沢賢治ですが実は何度か弘前市にあった連隊所属の弟の陣中見舞いのために何度か来弘した記録が残っており、5月にはわざわざ演習地であった岩木山麓・山田野の敞舎跡を訪ねるツアーに参加して、その足跡を知ることができました。
来年はそれから90年となるのだそうで、有志で記念のイベントを企画するということも聞いていますので、弘前の人間として協力できることがあればと思いますし、市内にも第八師団関連の建物で残っているものがあるだけに、軍都としての歴史を知る機会も必要だと思っています。

時代を逆行させて戦争への道を開こうとする安倍政権へのアンチテーゼとして戦争とは何だったのか考えるためにも、弘前として戦争を通じてかかわりのある石原完爾と宮沢賢治をもっと学ぶ必要があると思います。
蛇足ながら、私にとってはLM議連時代に一番お世話になった佐藤丈晴さんが酒田出身、政治と審査支援を通じて親交のある高橋博之さんが花巻出身だけに、個人としてのつながりのバックボーンにより大きなものがあるのではないかという思いを強くしているところです。

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