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2014.06.03

木村衆の郷愁と現実

青森市議の小倉尚裕さんの父君の通夜に参列しました。

今では地位も政治的な立ち位置も違いますが、私が1999年に初めて相馬村議会議員選挙に挑むに際して応援にかけつけてくださったのが、当時若手町議として頭角を現していた藤崎町の小田桐智高さん、平賀町の葛西清仁さん、そして浪岡町の小倉さんで、この引き合わせを作ってくれたのは木村太郎代議士でした。
告示1ヶ月を切ってからの急な出馬でしたので、地元村議以外はほとんど誰も知らないほどだっただけに、この先輩方と切磋琢磨できるようになりたいと思い、当選してからも兄貴分と慕い、太郎代議士の選対本部に一緒に加わることでいっそう仲が深まりました。
当時の太郎代議士は、新進党から初当選したものの2期目は無所属での出馬、3期目に自民党入りと不安定な道を歩いていましたが、私たちばかりでなく弘前市議の岡元行人さん、同期で村議に当選した西目屋村の関和典さんといった若手政治家や石澤暁夫さんや石澤直士さんといった青年経営者が集まって、若い代議士を支えて新しい政治を作ろうという意欲で燃えていました。
どうやって当選させるか以上に、どうやったら若者の投票率を上げられるか、どうしたら自分たちのいる地方議会を変えられるのか、プレハブの選対本部で遅くまで語り合ったのを思い出します。
それが太郎代議士が当選を重ねるにつれて、智高さんと関さんは首長に岡元さんは県議に転身したことで本部につめることがなくなり、それに合わせるように私も距離を置くようになっていきました。
そこから月日が過ぎるうちに、合併して平川市議となった葛西さんがよもやの落選、智高さんは反木村のレッテルを貼られて落選、かく言う私も自力を過信して落選と、それぞれ政治の現場からは距離を置く形となってしまい、あの日の4人のうち唯一小倉さんだけが現職を守っているわけです。

今夜の席には、関さんや暁夫さんの姿があり、同じく選対本部で一緒した常田さんが小倉さんと同級生のよしみで現場を取り仕切っていて懐かしく思いましたが、智高さんと葛西さんの姿は見あたりませんでした。
私も一番慕っていた智高さんを支持して木村衆を離脱しているだけに、郷愁以上にあの一丸となって熱く戦っていた仲間がバラバラになってしまい、そのことで太郎代議士を中心に津軽の新しい政治を切りひらくという機運が薄れてしまっていることを残念に思います。
それが政策や立場の違いで別れていったのであれば、政治家の本分としてお互い尊重し合えるのでしょうが、意に沿わない動きを封殺する上からの圧力にある者は去りある者は屈するというのでは、新しいものは生まれてくるはずもありません。
その政治的退行が、ある意味では先日の平川市長選での候補者選びにはじまる混乱や選挙違反を引きおこしてしまったといえるかもしれません。

それでも、小倉さんが喪主として智高さんと同じく立派なあいさつをされたり、やさしく声をかけてくださったことにホッとするものがありましたので、葛西さん智高さんが父君の死後に落選された悪因縁が三度目の正直となることを願うばかりです。

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