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2014.05.17

社会福祉法人というシーラカンス

今の私にとって福祉の世界との唯一の接点である、精神障がいの社会福祉法人の評議員会に出席しました。
今回は決算と事業報告がメインですが、3月に持ち上がったグループホームなどの新規事業の状況報告もあり、予定を30分近くオーバーする形となりました。
この件は、前回の評議員会後に開催された理事会で事業のめどや土地建物にかかわる借入金のことなどで激論となり一日で終わらなかったいきさつがあるだけに、事業遂行は決定しているものの進捗状況については詳細な報告が求められるところです。
今回も、土地の購入が予定より遅れたことや銀行からの借入金利が高いので信金にあたってみるといった難題山積なのが見えてくるものの、これで入居できるようになる定員の倍近い待機者が見こまれているという現実からすれば、少しでも早く少しでも多く整備をしたいという気持ちはわかります。
ただ、4月から新任の事務局長がもう一つの就労支援事業の件で現場職員のプロジェクトチームで話し合って今月末に結論を出すという発言をしていたので、現場の意向は大事だが決定するのは理事会であり評議員会だと釘を刺しておきましたが、次の会議は8月予定だけに現場と乖離した存在によって間延びした決定を経て動くことになるというのは、スピードが求められるこのご時世についていきようのない仕組みです。
一方で、評議員はまだしも理事であれば借入に責任を持つことになるのですが、実際にそこまでの認識を持って役を引き受けたり事業の採否を論じている人は稀有であり、それ以前に縁あって役を引き受けている立場だけに出された案に意見はしても反対することはあり得ないので、原案をまとめる側で「結論を出す」と言ってしまうのもむべなるかなといったところです。

それだけに、以前の私は法人の本部長=CEO<最高経営責任者>と名乗って、自分が決めればすべてが動くというスタイルで臨んでいましたが、それではいかない仕組みに縛られたままなのが社会福祉法人という存在なのです。
CEOというモダンな存在であればコンプライアンスに配慮した経営をするのでしょうが、実際のところは私もそうだったように個人商店の店主のような感覚でしかないのが理事長という存在なので、我が身のことだけでなく今朝の地元紙に元施設長から裁判をおこされた法人の記事が載っていたとおり、至るところで悪弊が見えてくるのは必然と言うべきでしょう。
一法人が襟を正せば何とかなる問題ではないだけに、その存在意義から見直す時期に来ていることを皆さんにも知っていただきたい考えていただきたいと思っています。

2014.05.15

伏魔殿の近代化をめざして

弘前市町会連合会総会に3年連続で参加しました。
昨年、足がかりをつくったとしたものの、具体的に何かを動かす成果もなく、今年度の相馬地区連合町会の改選で会長となって連合町会の理事会入りを果たすこともかなわずでしたし、出席してみれば表立って変わるところのない事業計画でしたので、今年も町会長の身分保障の件と事務の効率化による経費節減を質問提言しました。

その場の回答としては、神会長も大谷事務局長もにべもないものでしたが、現実には連合会の自主財源であるごみ袋あっせんは原材料費のアップに消費税増税で単価が高くなったことで売上が期待できない状況だけに、事務局からの通信費を抑えるためにメールを活用すること、さらには返信の場合もメールを原則として切手葉書の場合は町会側負担とするくらいの見直しは早急に必要だと思います。
また、このようなことをどこまで町会に求めて変えていけるのか検討していくために若手での実務委員会を設置することを最後に提言しておきましたが、実際に活力ある町会では南城西町会のようにまちづくり1%システムを活用して町会だよりの発行やFacebbokでの情報発信を行っていますし、他にも若い世代が委員長として事業を引っぱっている町会がいくつもあります。
こうした人材に呼びかけて集まってもらえば、そこからは自発的に情報交換したり提言をまとめるために意見交換したりという動きになっていくと思いますので、何とか突破口をこじあけたいものだと思っていますし、そうでもしないことにはご老体の町会長の合議だけでは動きようもない現状を打破していくこともできません。まさに近代化が必要なのです。

市議への再起をめざすにせよ、今いただいている町会長という立場は町会の自治能力を高めるだけでなく、市の自治にとっても重要な役割であるだけに、今できること今変えなければならないことにはぶつかっていくつもりです。

2014.05.06

「サイレント・プア」アナザーサイド

梁山泊!のサイトでドラマ「サイレント・プア」のことを描きましたが、自室に30年間閉じこもっているSNEP=孤立無業の息子を生み出してしまった父親である自治会長を北村総一朗さんが演じていました。
金融機関に勤めてきた常識人だけに、美大への進学を認めず二浪してからは息子をクズ扱いすることで未来を閉ざしてしまったという役回りでしたが、ここにはSNEPという社会問題とともに親子関係の難しさが描かれていると感じました。

思えば、親に道を閉ざされるというのは我が身にも通じることだけに共感を持って見入ってしまったのですが、親というものは自分のしいた道を進んでいる、もしくはここまでなら許そうという枠を越さない限りは認められても、そこから外れたり、さらには歯向かったりすれば許せないものなのでしょう。
私の場合は、満州国からの帰還後仕事をせず祖母との離縁を食い止められなかった祖父を憎んでいた父の態度が許せず、知識教養のある祖父にかわいがられたことで父を見下して自分の好きなように進路を決めてきましたが、それでも「いい大学に進学して社会で活躍する息子を育てた父親であり数々の役職を務めてきた名士」という立場が守られているうちは我慢の範囲でも、さすがに自分を退任させようという動きには堪忍袋の緒が切れたのでしょう。
だからといって、仲直りをしようとか親に謝ろうというつもりもありませんし、ドラマの中で30年ぶりに息子が描いた絵を見て過ちに気づくようなことが我が身にも起きてほしいと望むものでもありません。
それでは、この素浪人生活や家族の苦労が無に帰してしまいますし、親とはそういうものと受けとめつつも、あるカウンセラーが言うように、「許せない」ことを思い悩むのではなく「許さない」と思っているのを自覚することで好転する、というのを信じていくつもりです。

それより、それぞれの進路それも私が得意とする分野に進んだ娘にいろいろとアドバイスをする機会がありますが、それが敷いたレールを進ませようとしていると思われないよう、そういう親にならないようにすることとこそ、私が自戒すべきことだと思っています。

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