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2014.03.30

まち育て報告会からのスタート

10月の北原啓司先生による講演会からスタートした「昴まち育てプロジェクト」ですが、11月に2回のワークショップ、12月には子ども会クリスマス会にあわせてのインタビューを行い、そこで出された意見をもとに北原ゼミの学生が提言をまとめて、まとめの報告会となりました。

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今回は北原先生も聞く立場に回って、ゼミのリーダーである高森えりかさんがプレゼンする形でしたが、これまでの流れやそこで気づいたことをしっかりとまとめ、その上で3つの提言をしてくれましたが、コンパクトにまとめられた報告書ともどもすばらしいできでした。
中でも、「集会所を放課後の遊び場として開放する」という提言は、クリスマス会の際に参加して言い多少学生からの「ここは集会所で公民館じゃない」という声を受けてのものだけに、行事のある時だけ開けるのではなく、大人が見守り役や自分の趣味特技を生かした教室を開催するといった形で、平日の夕方や土日に自由に出入りできるようにするというのは、一番光る提案でした。
報告後の意見交換でも、これにからめて町会スタート時点でも開放の話し合いがされたものの実現できなかったことや、実現する上で大きな役割を果たしてもらうことになる「月曜会」(老人クラブ)の前向きな発言などもあり、少ない人数ながらも次につながる場であったと思います。

23日には総会で次期会長を承認されたところですが、その際にも町会長マニフェスト2014として「まち育てプロジェクトの提言を最低一つは実現させる」と掲げていますので、理事会や各委員会そして町会の皆さんばかりでなく北原ゼミや市民有志の力も借りて、集会所の開放を実現させたいと思います。

2014.03.22

弘前市議会の質問時間制限問題

弘前市議会では、今回の予算特別委員会から各議員30分の質問時間制限がはじまりました。
それに関する地元紙の記事、市議のBlogをまとめておきましたが、議会活動における重大な問題ですので、論じておきたいと思います。

これは議会制度特別委員会で採決されて決まったことですが、質問が多すぎることより傍聴してきた私からも見過ごすことのできないような低レベルで無意味な質問が繰り返され、それに対する答弁も冗長なために4日で終わるところが5日目に突入したことでの綱紀粛正の意味合いがあったのは理解できます。
ただし、質問によって市政の問題点を明らかにするのが議員の本分ですし、3年前の自分の通告数を確かめると82もの質問を突きつけており、精査すれば当然このくらいの質問すべきポイントは見えてくるはずですから、時間制限という発想が出てくる時点で議員としての資質を疑いたくなります。

ひるがえって、ネットや取材において反対を表明している市議の意見に賛同するかといえば、それもまたノーと言わざるを得ません。
まず、この悪法も法と認めて、その中でできる対策を打つこと、たとえば会派の総時間の中で融通することが認められているのですから、この機会に大会派を組むのが手っ取り早い方法ですし、実際に3倍近くの質問をした方もあったそうですから、この期に及んで無所属の意義などを唱えて自分の質問権を縛るのは論外だと思います。
もう一つは、特別委員会のある3月・9月については一般質問でも細かい質問を積み上げて、時間制限分を補い、他の2回で政策的な質問をするという工夫も可能です。

ただ、こうした小手先の対策でなく、これを逆手にとって問題を明らかにする新しいやり方を切りひらくべきです。
菊池市議はツイッターで質問主意書という提言をしていましたが、文書でのやりとりでなく実際の担当課に質問しにいって、そこでのやりとりを事前にネットで公開した上で、どうしても議事録に残したい問題だけに絞って質問する、さらに決算の場合には成果=アウトカムにもとづいた評価を加えて事業そのものの仕分けを行うところまで進めるべきだと思います。
これは、以前からふれている八戸市議・石橋充志さんのマニフェスト検証の手法によるものですが、そこまで議員が各課を回って質問するのをシステム化するのが本当の議会改革だと思いますし、それ以前にそこまでされるくらいならどうか議場で質問してくださいと行政側から議会に対して申し入れが行われて悪法を切り崩すことができるかも知れません。
また予算の場合であれば、予算査定を「見える」化させることで、予算案となるまでのプロセスを明らかにすることで質問の斬りこみ先を深くするような仕組みに変える提言を続けることも大事です。
仕分けのシステム化や予算査定の件は行政側との息の長い交渉も必要なことですが、一般質問の内容見直しや各課回りの質問ならば今回でもできたことだけに、時間切れで悔しがっているのは残念としか言えません。

こんな状況で議会が閉会したところでの都市計画フォーラムがあっただけに、ますます議会の低迷を感じているところです。

2014.03.21

都市計画フォーラムでよみがえる思い

春分の日そして消費税アップ直前の連休でにぎわうヒロロで市主催の都市計画フォーラム「まち育てミーティング」があり、参加してきました。
三重大学・浅野聡先生による伊勢市の「成長する都市計画マスタープラン」という先進事例にも関心がありましたし、その後の事例報告のコーディネーターの北原啓司先生との約束事もあったのですが、何といっても今年度の地域別報告会の一つが相馬であり私も参画していたので、地区でのワークショップがどのように報告され全体に生かされていくのか、確認する必要があったからです。

浅野先生の基調講演では、伊勢市では1994年度から10年がかりで都市計画マスタープランを策定することとし、年度ごとに地域別構想を市民参加のワークショップで考えていくという先駆的な取り組みをされてきたのだそうで、国の制度設計にまで影響を与えたのだそうです。
これを受けて、実は伊勢市出身という北原先生からは伊勢市の取り組みを弘前市に導入する企てについてのイントロダクションを加えた上での、一中学区・相馬中学区のファシリテーター役と地元参加者それぞれ二人の報告に、浅野先生と市の計画に参画している都市環境研究所の高鍋剛さんがコメントする形で報告会は進みました。
参加した相馬中学区のはよくまとめられているのがわかりましたし、一中学区の方からはもっと小さい小学校区での計画が必要なのが伝わり、それぞれに地域の特色や多くのイベントやランドマークの存在があることが見えてきて、単なる行政文書としての都市計画を超えるレベルのものになりそうなことや、これをどのように事業化していくのかが大事だということを改めて感じる機会となりました。
これを残り14の中学校区でも進めていくことなりますが、そこから新たな地域活動の主体が生まれてくるのを期待したくなります。

ところで、もうすぐ再選確実の葛西市長ですが、市民主権を掲げるだけあって、改選後に議決されることとなる新たな総合計画や自治基本条例などの重要な政策にも公募委員を多く入れ、市民が事業を起こすための「まちづくり1%システム」を動かすなど、市民が考え市民が動かす市政へと着実に進めてきたことは高い評価をすべきことだと、私は思っています。
その意味でも、今回の都市計画マスタープランそして地域別懇談会というアクションは、その方向性を決定づける位置づけになるものだと思います。
その根底には、「県庁のアイデアマン」と呼ばれた葛西市長が県庁在職時に進められていた「政策マーケティング委員会」や総合計画での政策評価や行政主導/政治不在の経験があると、その両方の会議に参画した私としてはプロジェクト型政治の思いをよみがえらせていました。

浅野先生も、伊勢市では多くの市民の参加や高い評価での後押しのおかげで、行政側が都市計画からの事業化にあたっても議会に対して説明がしやすかったというエピソードを紹介していましたが、こういう方式が徹底されれば、議会が口をはさめるのは事業そのものではなく予算額の多寡しかなくなるわけですし、議員たる者は率先して地域での活動から参画しないと政策策定にかかわれない時代に進んでいくと思います。
今議会での質問時間制限という問題が地元紙に取り上げられていますが、質問以前にイベントや地域活動にかかわる中で改善提案していくことも必要だと思いますし、それからしてもフォーラムでも二人の市議しか見かけない現状が、市議と市政そして市民との距離感の表れだと思います。

2014.03.11

大震災と普通に向き合う

今日は3.11、あの東日本大震災から3年になりました。
1年目は厳粛な雰囲気の中でキルト贈呈や追悼演奏、2年目は追悼式には遅れる形で個人的にご縁のある方を悼みに足を運びましたが、今回は犠牲者追悼式にあわせてヨーガ教室の参加者から注文をいただいたリンゴを届けるといういつもの役目もあり、珍しくスーツを着ているのだけが違うくらいで出発しました。

まずは昨年も花を手向け当時の状況を教えていただいたご家族のところに供養とお孫さん用のお菓子を届け、いつものように定番・塩ラーメンセットを食べて、一番お世話になっている方のところにリンゴを届けて車を置かせてもらい、追悼式に向かいました。
スクリーンでの政府主催の式典にあわせての黙祷を行い、小田村長・遺族会代表・村議会議長のあいさつに続いて献花が行われ、さかなクン登場以外は粛々と式は終わりましたが、一般参列席にも遺族席にも空席があり、いつもプログラムに参加者でも在宅されている方があるくらいで、1年目の全村をあげて追悼するというのからは違ってきているのを感じました。
ただ、それは追悼の思いが薄れてきているのではなく、被災はしたものの親族には不孝がなかったのだから仰々しくしないで普通にこの日を迎えるという姿勢なのだと、日頃から接しているからこそ受けとめることができます。
私からすれば150回も通い慣れている野田村ですが、この日に来たからこそ気づくことがあるのを知るとともに、だからこそ自分も普段着の交流を続けていくと改めて誓いました。

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夕暮れる前に帰路につきましたが、被災した中心部でも区画整理や防災公園、第3堤防などの工事が着々と進み、それを包む空もやわらかい明るさなのが未来を感じさせてくれました。

2014.03.01

あっという間の3年間

おかげさまで、娘が弘前中央高校を卒業しました。
答辞の中で卒業生の代表がふれていましたが、合格の翌日に東日本大震災が発生し、入学式の翌日には最大の余震で一日中停電が続くという不安さめやらない日々からすれば、新校舎が落成してここ数年の中では一番春の訪れの早い晴れた日の卒業式とあって、明るい気持ちで臨むことができただけでも、ありがたいことだと思います。
私たち保護者にとっての卒業式とも言える卒業祝賀会のために会場で流すムービーを作成したのですが、一役員だった1年生の時より学年委員長となった2年生、そしてPTA会長としてPTA活動以外の学校行事にも極力参加した3年生の写真が加速度的に多くなっていて、学校とのかかわりが深まったのを感じました。
PTA会報紙「輝雪」に載せていただいた文章を、娘と一緒に卒業を迎える皆さんに贈ります。

3年生の皆さん、卒業おめでとう。
2011年、あの東日本大震災が起きてまもなくの入学式、その翌日には最大の余震が起きて、また一日停電するという不安な旅立ちから、早いもので3年です。
私たち保護者が戦後という時代を生きてきたように、震災後と呼ばれることになる時代のスタートに立っていたことを振り返る日が来るはずです。
原発に頼るべきか脱原発に踏み切るべきか、東京への集中でいいのか地方が生きていける社会にするのか、重要な問題の分岐点が数多くあり、それを決定するのは今の大人だとしても、その中で生活しながらよりよい社会にしていくのが皆さんなのです。
大震災ばかりでなく、6年後には東京五輪、遠くない時期には改元と、節目となることが次から次へと続く波瀾万丈な青年期を送ることになるはずですから、皆さんに望むことは社会の変化に惑わず自分をしっかり持って生きてほしいということです。
その時に、この弘前中央高校での3年間が土台になるはずですし、生かしてくれると期待しています。

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