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2014.01.25

町会長2期目への助走

2年前は呼び出しを受けて町会長就任を打診されましたが、今回は班で輪番で選出される番であったため、集まった次期理事の話し合いであっという間に会長に推されて、次期体制を担うことになりました。
さまざまなことがあった1期目ですが、これまでの取り組みを認めていただけた形ですので、これを励みに2期目に向かいたいと思います。

ところで、現任の理事の皆さんをまじえて次期の組閣となり、副会長2名・正副公民館長はスンナリと決まりましたが、一番の実務を伴う会計を引き受けてくださる方がなく、名前が上がった方のところにお願いに上がったものの不首尾に終わりましたが、翌日現在の会計にも同道してもらって交渉に上がったところ、何とか一番責任感のある方に受けてもらうことができ、これで順調に準備に入れそうです。
これで班選出以外の選任理事の顔ぶれも固まってきましたが、今期からの流れを継続していくには再任をお願いしたいところですが、「まち育てプロジェクト」を通じて再生に取り組むには新しい風を入れる必要もあり、次回まで打診を進めていくつもりです。

いずれにしても、重い責任をまた2年背負うことになりますので、町会の方々ばかりでなく、皆さんからもアイデアをいただきながら、新時代の町会自治に取り組む所存です。

2014.01.14

細川護煕への憧れ

細川護煕元総理が東京都知事選への出馬を表明、これを小泉純一郎元総理が全面支援するという驚天動地のタッグが、脱原発を掲げて選挙戦に臨むことになりました。

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二人が並び立った取材の様子でも、白髪になったとはいえ20年前とほとんど変わらない張りのある声で受け答えしているのを見ているうちに、熊本県知事から日本新党を立ち上げた頃に憧れていた思いがよみがえってきました。
4年間の東京での社会人生活から帰郷して相馬村のためになる仕事をしようと思っていた1992年、新時代のリーダーとして注目を浴びていた細川さんが、地方分権を進めるには国を変えるしかないと新党結成を宣言したのに大きな衝撃を受け、『鄙の論理』を共著した岩國哲人さんが市長を務めていた出雲市から熊本へと旅をして見聞してきたこともありました。
バス停を数m動かすにも異常なまでの手間がかかるという国の権限と戦う知事から、再び国政に戻って変えることができたのは選挙制度だけで、祖父の近衛文麿首相にも似た政権の投げ出しを経て、還暦を機に政界を引退してしまったのと入れ替わる時期に私は村議会議員となりましたが、当時の憧れは消えていても地方政治に取り組んでみたいという思いの原点には、間違いなく細川さんの存在がありました。
また、2007年に市議に当選したことで長慶苑の苑長から本部長という立場に移るに際して引いたのは、細川さんが知事を2期8年で退任する際に使った「権不十年」という語でしたし、結果は伴いませんでしたが市議にも任期制限が必要だという決断も、これが土台になっています。
その意味で、私の政治そして生き方の手本を示してこられた方だと、改めて思います。

その細川さんが、東日本大震災を経て震災支援に立ち上がり、そこから脱原発の立場で政治の場に戻るというのには、両手を挙げて賛同しますし、ぜひ東京から国の政治を変える動きへと進めていただきたいと思います。
ただし、今回は6年後の東京五輪まで投げ出すわけにはいかない立場ですし、熊本県知事として見せた手腕を最大の地方自治体で発揮することで総理時代の汚名を返上してほしいです。

それにしても、この二人が並び立つ姿を見るにつけ、すべてを認めるわけではありませんが、平成政治史の二大スーパースターだとつくづく感じます。

2014.01.11

つながるマニフェストとまち育て

市主催の「地域経営フォーラム」に参加しました。
基調講演が政治の師である北川正恭先生なのもありますが、事例報告・パネリストとして「昴まち育てプロジェクト」で北原ゼミのリーダーとしてがんばってもらっている高森えりかさんが登壇するので、半分参観日の親のような気持ちで臨みました。

高森さんは、事例報告そしてパネルの発言でも昴での活動にふれてくれ、学生が町会にかかわることで学んだことを強調してくれましたので、隣の席の市幹部からも「昴、がんばってますね」と声をかけてもらいました。
もう一人のパネリスト・藤田あつ志君は、今回はユースサミットで取り組んでいる葛西市長のマニフェスト評価についての報告でしたが、彼がJC理事長として取り組んだ「まちづくり事業計画発表会」で北原啓司先生の「まち育て」に出会い、それを突破口にして今回のプロジェクトに巻きこんだので、今回のプロジェクトの生みの親といってもいい存在です。
主催者そしてパネリストでもあった葛西市長には、帰り際に相馬地区活性化支援事業でプロジェクトを推進していることを伝えてお礼しておきましたが、マニフェストのうち市民主権そして合併後の均衡ある発展という観点からの施策を受けとめて形にしたのが、このプロジェクトということができます。
その意味では、マニフェストからまち育てにつながるものが昴で展開されているということになり、非常にうれしい時間となりました。

ところで北川先生は、基調講演は時間が短かったこともあり新味のない話でしたが、パネルディスカッションでは経営資源としてのヒト・モノ・カネにうち行政ではモノに対する関心が薄いことを指摘し、ファシリティマネジメントやアセットマネジメントについてふれ、県庁時代に取り組んでいたことで知られる葛西市長にマニフェストとして取り入れることを約束させ、半量を発揮されていました。
町会長としてマニフェストを掲げる私ですが、造成20年に近づいている町会の施設設備も融雪溝のポンプがトラブルに見舞われ、市内では完了した街灯LED化から取り残されといった不備が目につくだけに、所有者である市と協議しながら対応していく必要に迫られているだけに、モノへの関心という視点を学ぶことができたのは、何よりの収穫でした。

もう一つ、北川先生は議会に対して期待という形で厳しい視線を投げかけていましたが、これを語るとせっかくの団円に傷をつけることになりますので、改めてまとめたいと思います。

2014.01.01

梁山泊!設立し、失地回復の一年に

三上 直樹です。あけましておめでとうございます。
2013年は、野田村への訪問も140回を超え、陸上クラブで20人の子どもたちの元気に向き合い、さらに母校・弘前高校創立130年総会実行委員長の重責を同期の協力で無事に終えることができました。
また、2年目となる町会長、4月に拝命した弘前中央高校PTA会長の職も何とか大過なく終えることができそうです。
とはいえ、素浪人の身には変わりありませんでしたが、11月の「ドリプラ青森」でプレゼンした、40・50代の職を失った「おやじ」の再出発の場となる梁山泊!設立に向けて本格的に動き出すのが、2014年の最初の一歩となります。
そして何より、皆さんの期待に応え、自らの失地回復に取り組む大事な一年にします。

それもこれも、ふるさと相馬そして弘前市を思っての生きざまとご理解いただいて、本年も倍旧のご指導をよろしくお願いいたします。

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