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2012.11.13

野田村でドリプラを!

今年の3/10に初めて訪問して以来、野田村の最奥・日形井地区にある南部曲家の民宿「苫屋」さんにはランチを食べに行くというより、被災された方々の創作活動の支援にかかわる打ち合わせのために足しげく通う形になり、あっという間に坂本さんご夫婦とは懇意の仲になりました。
今回の訪問では、弘前大学教育学部の冨田晃先生と大学院の学生を案内し、仮設住宅のお父さん方の活動である「だらすこ工房」の作品やパッケージングにアイデアを出してもらいました。

本来は私が送り迎えする立場なのですが、前回おじゃました際に、「ちょうど12日は苫屋の20周年の祝宴があるので、この機会に泊まって、だらすこのお父さん方とも語らってください」という甘い誘いに当然のごとく乗ってしまい、運転が不慣れな冨田先生を見送って再び山道を上りました。
祝宴には約30名の方々が集い、川魚や手料理、地酒などを持ちより、早々に歌が飛び出したりと楽しい雰囲気で続きましたが、お父さん方以外はほとんど知らない方ばかりで、野田村の支援にかれこれ100回近く足を運んでも、まだまだ知らないことばかりであるのを実感しました。
それでも、何はともあれ坂本さんご夫婦のお祝いの輪に加わることができたのは、遠い隣村と思って通っってきたご縁のたまものと、うれしく酔うことができました。

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翌朝、ゆっくりと目を覚ましてヘルシーな朝食をいただき、自家焙煎のコーヒーをおかわりしながらご夫婦と改めて語らっているところに、車を置いて帰った「だらすこ」の大沢さん畑村さんが来たので、さらに話がはずみました。
ご夫婦と話していたのは、前夜の席にも若い人の姿がほとんどなく、これからの野田村を考えた時に若者にこそ夢を持って立ち上がってほしいのに、その兆しが見えないことでしたが、「だらすこ」のお父さん方も自分たちでもがんばっているところを見せて若い人を発奮させたいというのが根底にあるだけに、思いが共鳴し合って、ついつい長い語らいになってしまいました。

そこで提案したのは、野田村でドリプラをやりましょう!ということです。
今年のドリプラ青森大会のプレゼンターに下芋坪之典君=ユッキーがいます。彼とは数年前に八戸で会って以来のつきあいで、昨年の3/31にはじめて野田村に足を踏み入れた際に炊き出しや物資運搬に動いている姿を見つけ、思いがけない場での再会を喜び合ったのですが、先日のプレゼンで彼自身工場が被災していたのを初めて知り、あの時の思いにはじめてふれて驚きと感激で涙が止まりませんでした。
彼は商工会のつながりで同年代の野田村の若手リーダーも知っていますし、12月の世界大会での彼のプレゼンが終わったら、一緒に働きかけようと約束をしています。
その約束と、野田村で知り合った年長者の憂いを受けとめて、そして自分自身が夢にかかわるという貴重な機会をいただくために、ぜひ野田村ドリプラを実現させたいと思っています。

2012.11.06

48歳、「起行家」宣言!

今日は私の48回目の誕生日、FacebookやTwitterでたくさんの方々からお祝いのメッセージをいただき、本当にありがたく感謝しております。
一昨年秋からの長慶会騒動、昨年4月の弘前市議選での落選以来、今年も終わりに近づいているにもかかわらず職を得ることのない素浪人の立場はわからないものの、震災支援に取り組む「動こう津軽!」での活動と相馬陸上クラブのヘッドコーチという役割に加えて、今年になってから住んでいる昴町会の町会長、娘の通う高校の学年委員長=PTA副会長、高校同期会の会長と、自ら得るのではなく与えていただく役割が思いがけず重なり、やるべきことは飛躍的に増えた一年だったと思います。

その中で、自分にとって今年一番インパクトのあったのは、ドリームプランプレゼンテーションつまりドリプラとの出会いでした。
9月の津軽大会に続いて、10月に行われた津軽・八戸それぞれから4人が選ばれてプレゼンした青森大会を体験して、これに自分が取り組まなければという思いは確信に変わり、さらに今年の実行委員長である片岡誠司さんと語り合って、その思いは堅いものになるとともに、これを提唱した福島正伸さんの考え方をしっかり受けとめようと、『夢を叶える』を今日までかかって読了しました。
その主旋律となるのは「自立型思考」というポジティブな考え方で、その視点から今の自分を見つめ直してみると、この一年半禄を食む仕事に就けないというのは、過去の経験も今の働きぶりも対価を得るにふさわしいものではないという厳然たる評価と受けとめるべきで、それはひとえに自分の責任です。
妻が働いているからこそ家族が生活できるという環境があるからこそ武士は食わねど高楊枝な生き方をさせてもらっていますが、今さら人様に仕えることもできないという偏屈なプライドもありますし、議員という職責は失ったにしても市政のイベントや活動にかかわるフリーランスな立場を捨てるわけにもいきませんので、その上でこれからの生き方を考えて、これからは「起行家」となることを本日ここに宣言します。
起行ではなく起業だろうと思われるかも知れませんが、仕事を起こすのではなく行動を起こす人になるのです。

もう一つ、議員ではなくても政治家であるのを捨てたわけではない立場から今の日本の政治状況を見た時に、橋下徹率いる「日本維新の会」が起こしている旋風には違和感を感じていますが、以前Blogにコメントをくださった方から、津軽には維新のような動きがなくて残念という指摘がありましたが、それには御意と応じざるを得ない閉塞感がある状況だと私も思います。
ところで、明治維新といえば坂本龍馬というのが定番となった感がありますが、今の維新が政策なき野合に走ろうとする根元には、龍馬が薩長連合を結ばせたのを皮相的になぞっているからだと思います。これは龍馬ご本人も不本意だと思いますが、理念なき政治、数は力という風潮のままでは、真の政治改革はあり得ないと断言します。
一方、明治維新には倒幕以前に開国から尊皇攘夷という流れを経てきた中で思想的支柱があったのが大きな違いですが、その源流に安政の大獄で獄死した吉田松陰がいます。
私にとっての吉田松陰のイメージは、その昔の大河ドラマ「花神」で篠田三郎さんが演じた愚直な人物像に尽きるのですが、ドリプラと出会ってから私のなすべきことは、松陰が多数の人材を生み出した松下村塾にならって、市民とともに政治の根本を学び幅広く地方自治の先進事例を知る場をつくることだと思っています。
松本村にあるから松下村塾でしたので、私の場合は相馬村にあるから「相下(そうか)村塾」といったところですが、政治家の保身による集合離散でおかしくなった政治を変えるには、松陰が唱えた「草莽崛起」のように市民が立ち上がることが一番大事だと思いますし、そこで何を実現していくかを考えるための情報をこれまでの人脈とネットの力で現代の「飛耳長目」を実現したいと思います。

この夢を、ドリプラの場を借りてブラッシュアップし支援してもらえる仲間をつくるのが、これからの私のなすべきこと、それが「起行家」として生きていくことだと決意しています。
それには皆さんのお力を借りることが増えると思いますので、誕生日にあたってこれまで以上のご理解ご協力をお願いいたします。

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