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2012.09.29

縄文力結集の可能性を感じる

以前から注目してきた大森勝山遺跡は、夏から秋にかけて国史跡指定に続いて、世界文化遺産指定をめざす「北海道・北東北の縄文遺跡群」のリストに加えられることになり、縄文に対する関心が高まる中、今度は西目屋村大川添(3)遺跡からキノコ型のふたのついた赤色顔料入りの土器が出土したのが報じられましたので、現地説明会に矢も盾もたまらず足を運びました。

現地は津軽ダムのために水没するために離村が済んだ最奥の集落から白神山地に向かう途上に位置していましたが、当日は100人を優に超える見学者であふれて、県職員からの説明に熱心に耳を傾けていました。

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現在では森の中に埋もれた人里離れた奥山に、縄文時代から平安時代までの住居跡があるだけでも驚きですが、近くの水上(2)遺跡からはヒスイの装飾品が出土していて、こんなところまで交易の波が及んでいることもわかり、縄文人のたくましさには感嘆するばかりです。

その末裔である私たちには、縄文遺跡の保存活用にかかわるミッションがあると思うものの、そんなムーブメントをおこすきっかけを思いあぐねていたのですが、当日の参加者の人数を見て一歩動けばきっと縄文力が結集して動き出すものがあると確信しました。
10/14に行われる大森勝山遺跡講演会にはドリプラ青森大会を優先するため涙をのんで欠席ですが、12月には岩木山を考える会で高校時代の恩師・ハクション大魔王こと佐藤仁先生の講演がありますので、そこから動くつもりです。

2012.09.26

二つの議決に異議あり

駅前再開発ビル取得問題が唯一最大の目玉と思われていた9月定例会の最後に、議員定数6削減の議員提案が唐突に上程され、賛成18反対14(他に退席1)で可決されました。
私が議場にいたら、反対の急先鋒に立っていたと思います。

それは、定数を削減することばかりでは議会改革は進まず、多様な意見を汲み取る機能をも失ってしまうからです。
現在も特別委員会で議会改革の議論は曲がりなりにも進められており、12月議会までには市民との意見交換も予定していたというのに、その途中で打ち切るかのような所業は前々期の最後の政務調査費廃止と同じ構図でほぼ同一の首謀者たちの企てだけに、議論の場としての議会を踏みにじる悪業と言って過言ではありません。
前期の際も会派代表者会議で定数のことは議論を重ねていましたが、その際に私が主張したのは人口1万人につき議員1名として定数18、人口が1万人減るのに合わせて定数を1ずつ削減していくというもので、それだけ市勢にあわせた存在であるべきだという思いと、減らした分は常任委員会などを複数所属する形にしてオールラウンドな政策論議にかかわる形にするという改革と一対の私案でした。
今回は、そういうものが棚上げされてしまっていますし、身を切る覚悟があるなら来月分からでもできる報酬減額こそ先行させるべきだと思うのですが、どうにも理解に苦しむ行動です。

定数削減の件は大きく報じられましたし市民の関心も高いことですが、その陰でもう一つ議会の実情をあらわす議決がありました。
それは、都市公園管理審議会委員のうち議員宛職を減じて公募委員を追加するという条例改正案で、所管の経済文教常任委員会では賛成3反対4で否決だったのが本会議では反対委員のうち2名が退席して、その所属会派が賛成に回ったことで可決となったようです。
これにも私は異議があります。数名を減じるのではなく、この審議会だけでなくすべての宛職が不要という理由で反対したと思います。
現状では宛職となると委員報酬が得られるかわりに、関係者ということで議場での質疑内容に持ち込んではならないという不文律に縛られることになっていて、市政のためにはカネの面でも議論の面でも割ることだらけです。
それもあって、先ほどの定数の件で大幅に減じて役割を重くする中には、市が行うすべての審議会委員会などにオブザーバーとして必ず出席することを義務づけ、それをふまえて市政全般を議会で議論すべきだというものも含んで考えていただけに、逆行する議論をして得意げに吹聴するのを目にすると嘆かわしいばかりです。
それにしても、両議案とも自分の思いより会派やしがらみを重んじて退席という逃げを打つ議員がいたのは、議員という存在に対する背信ですので、到底認めるわけにはいきません。

ともあれ、決まったことは現実ですので、市政に必要な議会とはどんな姿であるのか市民とともに考え、それが受け入れてもらえるような努力をしていきたいと思います。

2012.09.23

我がこととしてのドリプラ

ドリームプレゼンテーション、略してドリプラ津軽大会が開催されるというので、連休の午後アップルランドに足を伸ばしました。

ドリプラは、起業コンサルタントとして名高い福島正伸さんがはじめたプロジェクトで、事業の価値を説明するのではなく夢を語り体験してもらうプレゼンを行うことで真の支援者とつながっていくのを実現する者です。
これが県内で行われるようになったのは、意義を理解した元RABアナウンサーである後藤清安(みほこ)さんが、昨年のドリプラ世界大会に「loveaomori project」でプレゼンターとして出場するとともに、県内でのプロジェクトを同時にスタートさせたからです。
彼女が3年前にloveaomoriの活動や「楽習会」をはじめた頃からご縁があったものの、昨年のドリプラにはかかわりを持てずじまいだったので内容すらわからずにいたのですが、来場してみると今年のプレゼンター8名のうち2人は旧知の仲間ですし、総合指揮は「選挙へGo!」で一皮むける前から知っている竹内博之君で、同じ来場者には素浪人になってからも温かい励ましをくださる方二人、そしてベスト8敗退をムダにしない原田一範監督率いる聖愛高校野球部一同が最前列に陣取るという、ご縁のるつぼのような状況でした。
最初にピンクとオレンジのヤッケという一張羅で後藤さんが登場し、昨年のプレゼンを披露しながらドリプラにかける思いを語り、それから8人のプレゼンターが10分間で夢をぶつけてくれましたが、人生の中での挫折や引っかかりが根っこにあることを赤裸々に語ることで、それだけの思いをプレゼントプロジェクトにかけているのが伝わり、本当に心を揺さぶるものがそれぞれにありました。
途中で涙する方も多く、拍手の強さからも全員の感動が伝わってきましたが、日頃は泣き上戸の私はコメントの端々に出てくるプロセスを共有している者同士の共感があればという思いに駆られて涙をこらえて帰路につきました。

後日、福島さんの「どんな夢も必ず叶うたった1つの方法」を読んで、ドリプラの全貌とプレゼンターや支援者のことがわかった時には号泣してしまいましたが、それだけに会場で思ったドリプラにかかわろう、そしてプレゼンターをやろうという決心は堅いものになりました。
それを再確認し、そして一番夢を語る場を作ってほしい娘にドリプラを知ってもらうために、10/14の青森大会に行くつもりです。
それを経て、今私が一番やらなければならない、やりたい夢を明らかにしたいと思っています。

2012.09.19

補正予算可決に対する私の異論

弘前市議会は今日から予算決算特別委員会となり、冒頭に駅前再開発ビルの3Fフロアーを駅前分庁舎として購入する増額などが含まれる一般会計補正予算案が上程され、何人もの質問が集中し5人連名での修正案も提出されましたが、原案どおり可決されました。

今回の質疑においても先日指摘した経産省の補助金については質問されませんでしたが、一つだけ新たな知見となったことがありました。
それは,今回の不動産鑑定に沿った高額での購入の前提となっているのは、「用対連基準」といわれるものだということで、市側の答弁を待つまでもなく修正案を提案した側もこの基準があることは知悉していたようでした。
このことを市長与党を自認する最大会派からの質疑や反対討論でも指摘されていましたが、知っていたのであれば全国の再開発事例などで基準によらず実勢価格での取得した例があるかどうかを調べて臨むべきだと思いますが、そこまでの徹底した準備はなく、とにかく高い買い物だといった市民感覚レベルの反対では、議論で勝っても勝負に負けたという印象も残りませんでした。

ところで、修正案を提案したのは栗形・竹谷・今泉・今の無所属4名と会派所属ながら加わった畑山市議の5名でしたが、その畑山市議は賛成討論に立ち、このフロアー取得がなければ運営会社「マイタウンひろさき」は立ちゆかないのだし取得でなく賃貸で様子を見るべきだと指摘していながら、その開業によって市内の他の商店街などに致命的なダメージとなるという、弱いのか強いのか訳のわからない論理を展開していました。
今回の質疑でもテナント契約の状況が論点になりましたが、同一の経営陣が同じことを言って鳴り物入りで再開させた「ルネスアベニュー」が最初から出店するはずのテナントが入らなかったことでつまずいたことを知っているだけに危うさを感じている人が多いわけで、反対をするのであれば市が肩入れしても早晩立ちゆかなくなるのでムダな投資になると言うべきだと思います。

一方、賛成した側の言い分では、再生を掲げた葛西市長が圧倒的な市民の支持を得て当選したこと、マニフェストである「子どもの笑顔あふれるまちづくり」を展開するために必要ということでしたが、子育て支援センターであれば現在の旧一大小の分庁舎でも可能ですし、様子見で賃貸入居することもないと思います。
また、葛西市長の立場をおもんばかるとすれば、一企業が付け焼き刃で整えることができない補助金申請に全面的に協力していたのは隠然たる事実ですし、それだけで「ジョッパル再生に協力します」というマニフェストはクリアしたといってよいくらいなのですから、「マイタウン」構想が表面化するまでの民間が動くのを行政は後方支援するという姿勢に徹するか、それとも私が主張するように市が前面に出て県や国の公共機関に入ってもらって商業的要素を極力少なくするという方針に転換するかで対応すべきだったと思います。

これらを総合して考えると、私は今回のフロアー取得に反対です。それは、
「葛西市長の「ジョッパル再生に協力する」というマニフェストは「マイタウンひろさき」が立ち上がったところでクリアされているのであり、当面「マイタウン」の初志を重んじて行政は後方支援に徹するべきで、子育てなどに関する市民提案は現在の分庁舎の活用でも展開できるので、ただちに取得にしろ賃貸にしろ入居する必要はない。
市は万が一「マイタウン」が立ちゆかなくなった場合の最後の砦としての地位を保ち、その際には商業利用よりパブリックなサービスを集約して、市民が足を運ぶ拠点ををめざすべきである。」からです。

今回の議決の賛否でも、この私案に対する異論でも、ぜひ市民の皆さんの意見をお聞かせください。

2012.09.17

北原先生、「まち育て」と言うからには

JC主催の「まちづくり事業計画発表会」があり、3連休最後の午後に出かけてきました。
これは4月から3回にわたって行われた「HIROSAKIコミュニティミーティング」と、JC内で取り組んできたプランを紹介しながら、葛西市長と弘大・北原啓司先生に理事長・藤田あつ志君によるパネルディスカッション、それから北原先生の講演という内容で、「ミーティング」に皆勤した自分にとってもまとめの回になります。

出てきたプランの中では、農家と学生とをつなぐ「農園カフェ」が一番評価され、これらを元に3人からのコメントとまちづくりについての思いがパネルディスカッションで語られました。主催してここまで進めてきた藤田君の熱い思いも伝わりましたし、葛西市長のこういう場に進んで登壇し自らの思いを語る姿勢にも感服です。
もう一人の北原先生は、「まちづくり」の専門家としての立場からパネルと講演で2時間以上にわたって語りましたが、これから求められるのは成長を伴う「まちづくり」ではなく成熟をめざす「まち育て」であるというのが骨子で、その先鞭をつけた米国のメインストリートプログラムや日本の「街なか再生プログラム」による小田原市、県内の十和田市現代美術館での取り組み、そして上土手町での「土手住専科」といった事例を通じて「場所」を持つことの重要さを理解することができました。

ところで、実は北原先生は私の現住地・昴が15年前に「プレアデスのまち」として分譲されて新住民がまちづくりをはじめた際にアドバイザーとしてかかわってくださり、建築協定や集会所「すばる103」のデザインで何度もワークショップを開催していたのを、当時は相馬村の旧住民として他人事のように仄聞していました。
北原先生がかかわらなくなってから私たち家族は7年前から昴に住むことになり、今年4月から私は町会長という立場で運営の先頭に立つことになりましたが、町会行事への参加状況などからしても往時のまちづくりの情熱は薄れてしまっていると言わざるを得ないからこそ、「一体感のあるまちづくり」というマニフェストを掲げているのが現実です。
本来であれば、成熟の時期に入っていなければならないのですが、メインストリートや商店街とは違う住むためだけの「まち」を育てる難しさがあるのだと思います。

それだけに、北原先生にはロマントピアのプールやオーナーのりんごの木に来るついでに昴に寄ってもらって、昴の「まち育て」に改めてかかわっていただきたいと思います。
JCの本気を感じて今回かかわったという北原先生、私も本気ですので、昴もよろしくお願いします。

2012.09.16

野馬追で見えてきたもの、見えなかった者

ご来光の感動も冷めぬまま、弘前公園に向かいました。昨年からはじまった「ひろさき卍フェスティバル」で南相馬市で行われる相馬野馬追御神旗争奪戦が小規模なデモンストレーションながら行われるからです。
6月に南相馬市を訪問した際に、本会場の脇を通って大きさからまつりの規模を想像したり紹介する話しぶりの熱心さから大切なまつりであることは感じていましたが、数百騎で行われるのとは大違いの9騎でのデモであっても手綱さばきの見事さや馬がぶつかり合って御神旗を争う迫力は大したもので、思わず歓声を上げ拍手にも力が入りました。
また、世話人代表の阿部さんの解説はわかりやすく笑いもおこるような楽しいものでしたが、いざという場面での大音声は見事なもので、まさにこれは平将門の流れを汲む武士(もののふ)のまつりであるのに感じ入りました。
弘前は城下町とはいえ武家の風情を感じることはありませんので、学んで見直すべきものがあると思います。

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葛西市長や高木観光局長と談笑する時間もありましたが、南相馬「こどものつばさ」で招待したことを伝え今後の交流につながれば何よりという話ができましたし、その会話が耳に残ったからか葛西市長は相馬村と言ってしまう私にとってはうれしい失態を見せてくれました。
南相馬と津軽の相馬の縁は、これから深まっていくに違いありません。

ところで、阿部さんからは最後の御神旗には市長杯とクラウンがかかっていると檄が飛んで場内どよめきましたが、この巨額支出の真偽を追及するのは不要にしても、震災支援とイベント創出の意義を重ねたはじめての取り組みを市民とともに楽しみながら成果を確認する市議の姿がないのは、昨年同様でした。
同時に行われた土手町でのカルチュアロードでは数名見かけましたが、市民であってもシャトルバスがなくても往来しているのですから、何を優先すべきか考えるべきだと思います。

お山参詣は津軽の原点

野田村やPTA活動の調整を重ねた結果、2年続けて相馬有志会での集団登拝に加わることができなくなったため、今年も朔日山に上ることになりました。

零時を期して自宅を出発し、8合目の駐車場で佐藤ぶん太、と登山囃子の仲間、有志会の嶋口会長や後輩の嶋口千速家族4人などで団体割引になる人数でリフトに乗り、標高1470mの9合目から頂上をめざしましたが、3連休のど真ん中なおかつ好天が続いているという絶好の条件が重なったこともあって、渋滞と言えるほどのゆっくりしたスピードになったのは、老体には救いでした。
それでも30分ほど前に登頂して奥宮に参拝し、待ちわびた甲斐あって真っ赤なご来光を拝むことができました。本当にすばらしかったです。
津軽の象徴である岩木山の360度のパノラマからは、白神山地も日本海も津軽平野も見渡すことができ、参詣の行事ばかりでなく岩木山そのものが津軽の原点であるのを再確認できました。

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ところで、今回の一行にはトレンディ俳優として一世を風靡した風間トオルさんが「日本百名山」の特集番組の取材で有志会の集団登拝から参加していたそうで、8合目で名前の入った幟旗を見た時は冗談かと思いましたが、一緒に上っている際の深い関心を示す会話やストイックな行動ぶりには感心するばかりでした。
きっといい取材いい番組になると期待していますし、そこで相馬のよさも伝われば言うことなしです。

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しかし残念なのは、その大事な行事に「ひろさき卍フェスティバル」や「カルチュアロード」がかち合っていたことです。
旧暦8月1日を動かすわけにはいかないわけですから、人為のイベントは次の連休に調整する配慮が市にはほしかったと思いますし、先述の風間さんの番組のことも市では情報をつかんでいなかったようで、何を大事なのかを考えてもらいたいものです。

2012.09.13

市議会はジョッパル問題を理解していなかった

3日連続で一般質問を傍聴し、4日目には駅前再開発ビル問題を取り上げる人はいませんので、4人の市議の質問を受けての私の見解と、弘前市議会議員はジョッパル問題を理解しているのか?と指摘している方への報告をさせていただきますが、結論としては理解していない状況下で採決→計画進行となりそうです。

上記のBlogでは、

  1. 第3セクターの固定資産税の未払い
  2. 当初のプランで得た補助金の行方
  3. 4億円で取得したうちの1フロアーを6.1億円で購入する根拠
  4. 特定企業に対する投資の是非

と指摘していますが、1の点は過去の問題なので今回の取得とは無関係として、残り3点のうち3については質問が重ねられたものの用意周到に答弁を用意していた市側から市長自ら詳しく答弁をし、マニフェストに掲げた責任を果たそうとする姿勢を示した攻めの答弁に食い下がるほどの迫力の質問が続かなかったのが、今回の論戦の主旋律となっていました。
また4についても、この企業だから購入するでもなく市の施策展開のためであると答弁されてしまって、次の矢が継げないで終わってしまい、議員の側に聞くべきことを問いただすだけの準備と出てきた答弁から追及の突破口を見いだし食いついていこうという構えも時間配分も見えませんでした。

しからば何を問うべきだったかと言えば、2の補助金の行方ということです。昨年9月に「マイタウンひろさき」構想が浮上した際に、シネマコンプレックスを中心とした計画で経産省の補助金を活用するということが報じられていましたが、今定例会がはじまる前に明らかになったところによるとシネコンは見送ってテナントを入れるという見直しがされているようで、時間消費型というコンセプトから外れた計画変更が認められているのか、もし仮に認められていないとしたらその補填のためのフロアー購入ではないのかという点は、当然問うべき問題だと思います。
また、3F購入しておけば万が一マイタウンが頓挫しても行政部分だけで開業できるという答弁もありましたが、市と会社で共同所有となる5・6Fの駐車場はそれで使用可能なのかということも出てきますし、今回の論戦の中で電力契約がジョッパル当時は管理者を置く必要があったので全館閉鎖となったが今度は不要な契約になるという答弁があり、それならば現在も所有権の一部を持っている立場として現状でも駅前市民ホールを開館させることに手を尽くすことも可能だといった指摘もできたはずです。
こういった突っこみ不足で、残るは補正予算審議の際の質疑だけですので、一部の反対はあったとしても、取得に向けて粛々と進んでいくと考えて間違いなさそうです。

ところで、当時の立場で私はジョッパルは公共的な活用で再生させるべきと主張していました。
今回の展開を見ていますと、当時の外資系所有者が最終的に4億円で手放したわけですから、行政だという足元を見られる立場であってもあの時点で取得に動いていれば6.1億円ということはなかったはずですし、全体を所有した立場としてより自由な空間利用でパブリックな拠点として活用することも可能でしたでしょうし、固定資産税は入らなくなっても商業利用でテナント料は入る形で貸すこともできたはずです。
葛西市長は民間の再生に全面協力するという姿勢でしたが、持ち前のリーダーシップを発揮してもらって市としてのイニシアチブや県とのパイプを生かすべきだったと思うと、返す返すももったいない形になってしまったと思います。
こうして考えると、葛西市長当選からマイタウンひろさき設立までこそが本当に議論すべき時期だったのであり、それを見過ごしてしまった責任は今の計画など及ばないほど大きいと思いますし、その末席に連なっていた自分にも責任があると思っています。

何はともあれ、進んでいく計画を注視して見守り、万が一の場合に最小限の負担にとどめて市民のためになる形に切りかえることをあらかじめ考えておかないと、同じ失敗をまた繰り返すことになってしまいます。
それだけに、今後とも駅前再開発ビルに目を向けていきたいと思います。

2012.09.12

リアル・ネット・バランス

お気づきのことと思いますが、6月下旬から9月初旬まで80日ほどBlogを更新していませんでした。
そればかりでなく、TwitterやFacebookも行ったところでやったことを最低限の情報発信はしていましたが、コメントをしたりMensionを返したりということもせず、多数登録しているBlogのRSSフィードも未読のままにし、SNS枯れといってもいい状況でした。

その最中にも、野田村での生活支援プロジェクトや南相馬からのねぷた交流ツアーといった震災支援活動、町会長としての庶務や父親としてのPTA活動などなど、リアルな活動は引きも切らない状況だったことでBlogを書くまでの余力がなかったのも事実ですが、語るべきことを語ってできごとを総括しておく必要があると感じてはいました。
どうも、リアルにかまけてネットでできることが見えなくなっていた気がします。

このモヤモヤした状況にカツが入ったのは、津田大介さんの『動員の革命』を読んでからでした。
Twitterで実況中継をするのを「Tsudaる」とネーミングされ、『Twitter社会論』でその影響力を知らしめた方ですが、最新刊では「アラブの春」や脱原発デモなどでのSNSの威力と社会を変えていく可能性を明らかにしていて、リア充でよしとしそうになっていた現状を猛省しました。
実際のところ、海外のことはまだしも、官邸前でのデモにしてもニュースで見ているだけでは他人事にしか感じていませんでしたが、それだけに自分のやろうとしていることをしっかりと何度でも表明して、周りを巻きこんでいくというのが欠けてしまっていたのを痛感しました。

今すぐ何をはじめるというわけではありませんが、まずはBlogを読みBlogで語り、SNSでのやりとりを以前のレベルに戻すところから、リアルとネットのバランスを取っていきたいと思います。
ワーク・ライフ・バランスも大事ですが、素浪人である自分にはリアル・ネット・バランスが先決です。

2012.09.09

親子写真教室の「成果」

まちづくり1%システムに関心とかかわりを持ち続けてきましたが、岩木・相馬地区に特化した形の「活性化事業補助金」なる制度が6月に創設されましたので、難クセがついて落とされるよりは少しでも村内での活動を立ち上げたいという支所の方針に共鳴して、町会として「親子写真教室」で応募し、めでたく採択となりました。
ただ、夏休み前どころか新学期になってから対象とした小学校高学年そして村内全戸へのチラシ配布というタイミングの悪さと、南相馬「こどものつばさ」では中学生の応募がなかったのと通じるような内向きになってしまっている気持ちに勝てず、雨降りの中参加してくれたのは町会の方たった一人でした。

それでも、講師としてお願いした写真館ハセガワの長谷川正之はガッカリするどころか、スタッフである昴写真クラブの会員そして私という少人数にもかかわらず、というより少人数だからこその詳しく楽しいレクチャーをしてくれ、あっという間に2時間も過ぎていました。
人数と天気、そして新しい家族の誕生を控えて気が気でない長谷川の状況を察して午前中で終了としましたが、実は雨の方がきれいな写真を撮るチャンスがあるのだそうで、これまた素人の浅はかさを昼食を食べながら教えてもらいました。

本来は会場としたロマントピア周辺や家族の写真を撮ってもらって1枚選び、パネルにしてもらって地区文化祭で展示することにしていたのですが、そういうところまでいかなかったので、写真クラブの方や参加者にレクチャーの成果を生かした写真を撮ってもらったのを改めてパネルにすることにしました。
当日の活動では成果が見えなくても、文化祭までに形にすること、また昴町会では写真クラブがあって会員を募集していることを知ってもらうだけでも、次につながると思います。
また、今回は相馬地区内での事業でしたが、「まちづくり」というテーマには合致したプログラムだというのは確信できましたので、これこそ1%システムに応募して市民にアピールすべきだと思えたのも、私にとっては大きな成果です。

それはともかく、パーソナルな一番の成果は、やっぱり一眼レフという思いが募って、さっそくEOS Kissを注文したことです。
記録やスナップではない、作品としての写真に挑戦です!

2012.09.08

学年委員長の本務を果たす

4月に弘前中央高校PTAで2学年委員長を引き受けることになったのはお知らせしたとおりですが、学内での5月の役員会以外では6月の県大会は欠席させていただきましたが、7月・福島での東北大会、8月の地区「親と子と教師の集い」、下旬には和歌山での全国大会と対外的な出番ばかりが続いている間に、学年研修会が迫ってきていました。
文書が出されたのが全国大会で不在の時期だったのは不問としても、昨年度は2・3学年では100名を超える参加者だったのに1学年は51名と半分しかなかっただけに、通り一遍の文書では昨年の二の舞になるのを食い止められないという危機感から、学年委員長からの出席依頼の文書を再度出してもらうことにしました。

当日はさすがに気になって30分前に足を運びましたが、杞憂どころかうれしいほどの想定外で116名もの参加になっていました。
冒頭の学年委員長あいさつでは、今回の参加のお礼とともに22日の親睦スポーツ大会や10/7の研修旅行にも参加していただいて保護者同士の交流や先生方との親睦の機会を大事にしてほしいとお願いをしましたが、何とかなりそうな手応えを感じながら、進路の講演や学校からの説明を聞くことができました。
入学式直後の話し合いで役員になるかならないかでかかわり方の濃淡がまったく違ってしまう高校PTA活動ですが、それに異を唱えた立場だからこそ、多くの方々を巻きこんでいく責任があると思っていますし、今回ばかりでなく今後とも本務を果たしていきたいと思っています。

2012.09.07

野田村生活支援プロジェクト、2年目に

昨年9/9のヨーガ教室からスタートした野田村でのサロンサポート改め生活支援プロジェクトですが、今回のヨーガ教室で2年目に入ることができました。

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ヨーガ教室とステンドグラス教室は毎月の開催、津軽の文化教室では渋谷伯龍さんの津軽弁講座からはじまって昔話や川柳、佐藤ぶん太、の横笛、あけびづる細工やこぎん刺し、めん房「たけや」さんによるうどん打ち体験といった多彩なプログラムが展開できていますが、子育て世代のサポートのための遊び場づくり「ちゃかしっこ」は休止した形になっており、すべてが予定どおりというわけはありませんが、この活動が評価していただいているのは、3.11に渋谷和生さんの津軽三味線追悼演奏、8.11のLIGHT UP NIPOONには佐藤ぶん太、を呼んでもらうことができ、その窓口役を仰せつかったことでかかわってきたかいがあったと自負しています。

今回は、ヨーガ教室の今後を自主的な活動につなげていくための話し合いも兼ねて、鈴木先生方と参加者の方々で苫屋さんでのランチで語らい、在宅ての制作活動グループ「白百合の会」と今後の材料提供の打ち合わせをし、アップルロータリークラブから依頼されたカルチュアロードでの販売用の「のだ塩」を受け取るという、次に向かっての糸口となるやりとりも重なって、まさに2年目のスタートにふさわしい一日でした。

大震災から1年半、他より復興が進んでいる野田村ですが、生活にうるおいをもたらす必要はまだまだありますし、仮設住宅が少しずつ空いていっているからこそ考えなければならない支援も出てきています。
自分でできることはないかと思っている方、今の野田村を訪問したいという方、その気持ちを受けとめて野田村とつなぐのが私の役割であり、そのおかげで遠い隣村でホッとする時間を過ごすのが、今の私の喜びです。

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