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2012.05.31

野田村でスローなサポート

予定では翌日6/1に訪問するつもりでしたが、村との重要な打ち合わせが入ったので、ちょうど公休だった妻に満足な誕生祝いをしてあげてなかった罪滅ぼしに、チラシ配布の手伝いはあるもののお勧めのランチと探訪ツアーを楽しんでもらうため、一緒に野田村に向かいました。

お勧めのランチというのは、いつもの定番塩ラーメンではなく、日形井という山の中にある南部曲がり家の民宿「苫屋」さんのオーガニックなランチです。

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3/10に一度おじゃましたのですが、囲炉裏端で宿主の坂本さんご夫妻と語らいながらゆっくりといただくぜいたくは滅多に味わえないものですので、今回は夫婦で堪能することができました。

ただ今回時間が長引いたのは、それだけでなく震災支援にかかわる残念な話を聞き、そのことで津軽でできるサポートの話に及んだこともあります。
坂本さんたちが仮設住宅の方々と手づくり工芸品にづくりに取り組んだものを販売してくださっていた方があったのだそうですが、先日突然お礼の手紙もよこさないのかと怒られ支援が打ち切りになって落ち込んでいたのだそうです。
支援をしているということを自分たちの仕事の売り物にしていたそうですが、支援というのは見返りを求めるものであってはいけませんし、それが短期間で成果が得られるはずもありません。
そこから実際の作品を見せていただくことになったので、これなら「BUYのだむら」でお世話になっているところにお願いできると思い、サンプルを預かっていくことになりました。

この日は苫屋の前に同じ地区にある「アジア造形館」、午後は玉川鉱山跡である「マリンローズパーク」と、野田村の山の文化にふれるツアーになりましたが、具体的なプログラム以外に打ち合わせや告知のために月1回はおじゃまする機会がありますので、それにあわせて関心のある方を誘って、苫屋さんでランチを食べ野田村を知ってもらうツアーをするというのも、息の長い支援には必要なことだと思っています。
次はいつ、とは決まっていませんが、「動こう津軽!」サイトFacebookページで告知したいと思いますので、野田村に行ってみたいと思う方、チェックしていただければと思います。

2012.05.28

全国の同志を弘前市に迎える

野田村での「ささやきの壁」活動を先に決めていたため、前日の自治体経営フォーラムには参加できませんでしたが、何とか懇親会が終わるのには間に合って、政治の師と仰ぐ北川正恭・元三重県知事にはごあいさつすることができ、続いての情報交換会の幹事役を引き受けていましたので、「あいや」で最近ご縁が続いている渋谷和生さんの津軽三味線を堪能していただき、談論風発な近況報告を重ねました。
翌日はローカルマニフェスト推進地方議員連盟の研修会で、青森県内でマニフェスト大賞の受賞経験者である三沢市「みさわ未来」の太田博之市議、石橋充志・八戸市議からの事例報告、そして昨年度グランプリの葛西市長からの講話と参加者との討論という、濃密な内容での研修に加えていただきました。

太田市議からは会派を結成するのに青森市で開催したマニフェストスクールが大きな刺激になったというエピソードがありましたが、同じく参加された会津若松市の目黒章三郞市議(現議長)がこれを契機に議会改革に取り組んで全国のトップランナーとなったこともあり、その実行委員長を務めた立場として改めて開催した意義を認めていただいてうれしく思いました。
続いての石橋市議の市長マニフェストを各課に聞き取りして点検評価するという取り組みは当選していたら取り組んでみたかったことでしたし、この機会に青森県が政策マーケティング委員会や総合計画のフォローアップで政策・事務事業評価の分野で先進的な取り組みをしていたことを紹介するために、決算時の事業評価と予算策定時の透明化に取り組むことこそ議会改革の本丸であると意見させていただきました。
葛西市長は、自らのマニフェストやアクションプランについては前日のフォーラムで話したのでと大震災後の対応から考えたこと取り組んだことを簡潔に話しましたが、その後の討論でも緊急時の議会のかかわり方やそのための体制づくりについて現地から学んだ議員側からの発言もあり、それを本音でぶつけ合う形になりましたので非常に考えさせられる討論となりました。

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参加者の多くは、議連での運営委員時代に一緒させていただいたメンバーでしたが、会うなり「元気でよかった」と私への心配を口にしてくれ、情報交換会やその後の席でも温かく叱咤していただきましたので、本当に再会できてよかったですし、その仲間に弘前市を訪ねていただく機会ができたことをうれしく思いました。
ただそのやりとりでも、議員はまずは当選してそこから自分の思いを実現するように動くべきだという苦言もいただきましたが、落選してからの方が市民の一人として市と協働しての活動ができているのは政治家としては一段上がった実感がありますし、マニフェストスクールで種をまいたことは、その後の「姿勢を変えるマニフェスト」づくりの際にもかかわった方から「吉田松陰のようだ」と評していただいたのと通じるものがあるだけに、当選するために現実主義を取るのではなく筋を通し続けて結果を得るやり方が自分には向いているし求められていると、改めて考えています。
それを認めてくれている仲間と再び活動できる日をつかむために、これからもがんばります。

2012.05.21

合併効果で金環日食観察会、大成功

2003年の火星大接近での対応が悪かったことを相馬村時代に指摘し、2009年の部分日食では天候に恵まれず集まりも悪かったことにガッカリと、どうもロマントピアでの天文イベントとは相性が悪い私ですが、性懲りもなく早起きをして金環日食(青森県では実際は部分日食)を観に出かけました。
臨時開館の6:00でしたが、天文台ばかりでなく中央公民館相馬館の職員もしっかりとスタンバイして交通整理にあたっており、それだけでも相馬村時代とは雲泥の差ですし、私からすればこれだけは合併していい方に変わったとうれしく思いました。

その時点でも30台近い自動車がかけつけており、マスコミ各社も勢揃い、最大の食となる7:44が近づくにつれて人数は増える一方で、貸し出し用に準備した観察眼鏡がなくなるほどでした。

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私は最大の食を迎えたところで娘の送迎のために山を下りましたが、唯一残念だったのは火星の時と同様、相馬地区の参加者がほとんどいないことでした。
せっかく天文台には天体観測のプロ・藤田栄一先生がかかわってくれているのですから、こういうことにこそ「まちづくり1%システム」で取り組むことを考えるべきかも知れません。

それにしても、今日は天気に恵まれて何よりでした。私の撮った、つたない写真をご覧ください。

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2012.05.20

住民調査票で町会自治を実践

先週の第2回理事会の中でもふれておきましたが、緊急時のための情報共有をもくろんだ住民調査票ですが、配布時に説明をしなかった班からの問い合わせが相次いだばかりでなく、個人情報にかかわるものを預かるのは責任が持てないという苦情まで飛びこんできましたので、9:00から予定していた雪囲い修繕の前に緊急理事会を招集させていただきました。

前日の案内にもかかわらず過半数の理事が集まってくださりましたが、案内があったことで内容は予想がついていた方が多く、私からの経緯の説明を受けて、この際は一旦回収すべきではということになりました。
ただ、要援護者を対象にした情報共有は必要だというのは変わりませんので、それが可能となる規約の改正で明文化したり、万が一の場合の緊急連絡のあり方をマニュアル化するといった検討は続けていくことにしました。
また、少数ながら班全体に自分の情報を提供したいという会員も存在していることを受けて、「一体感のあるまちづくり」のために取り組むべきことは別に検討することになりました。
こういうことで、現状では私が全提供者の情報を一手に保管することになりましたが、デジタル化してデータを携行することにも懸念が出されましたが、私としてはリスクよりもいざというときに活用できるメリットを優先したいとし、これについては当代のみの手法として認めていただきました。

午前中の雪囲い修繕を終えてから、私はさっそく町会報「プレアデス通信」号外を作成して、夕方には配布をお願いする形で一件落着となりましたが、この間の労力が徒労に終わったわけではなく、住民調査票を通して課題に取り組んで問題が見え、そこでさらに検討を加えて見直しをしていくという、PDCAサイクルそのものにはまった取り組みができ、有意義な実践だったと思っています。
折しも夕食後に町内に救急車が来るケースがあり、そのお宅のご家族がしっかり対応できる形でしたので一安心しましたが、ちょうど顔を合わせた櫻庭前会長とは話し合っていたからこそ無事で終わったかもという話になりました。

議会などでは一事不再議で決めたことをあっという間に見直すなど以ての外となりますが、生活に密着した直接自治の場だからこそ柔軟な対応が必要ですし、逆に可能でもあるという証左の一件でした。

2012.05.19

菊池君に刮目、山中君に感謝

11月の報告会はあえて厳しく評価した菊池勲市議ですが、12月・3月と質問を重ねるとともに、私の「四人組」仲間である伏見秀人市議と会派「無所属市民の会」を結成したことで突っこみどころを学んでいるおかげで、及第点は軽くクリアするレベルになってきました。
今回の報告会は、3月の質疑の内容や6月の質問の予告が中心でしたが、気になる分野に関しては継続して質問を続けるという姿勢を示し、市政の新たな取り組みにも先んじて注目するという内容もよかったですが、プレゼンを使いながらクイズ形式で満員の聴衆にも参加し考えてもらうことでさらに関心を持ってもらおうという進め方もこなれてきて、まさに「男子三日会わざれば刮目して見よ」を体現している感があります。
先輩としての威厳を保つために一つだけ苦言をつけておくならば、持ち時間で打ち切りとなる一般質問をする立場として自分の報告がオーバーするのは厳しく律すべきということくらいでしょう。
集まった市民・支援者以上に、これからの活躍を後押ししていきたいと思います。

今回は、報告と質疑ばかりでなく、菊池君にとっては松下政経塾の先輩であり、私にとってはローカルマニフェスト地方議員連盟で運営委員として一緒した、松戸市議・山中啓之君がゲストとして参加し、松戸市の議会改革や議員としての活動ぶりを語り、菊池君とトークするというプラスアルファがあり、非常に刺激的で参考になる内容を市民に方に聞いていただく機会になりました。
実は前日から弘前入りした山中君を囲む席に私も加えていただき、最後はラーメンで締めるところまでサシで話し込んでしまいましたので、本当に迷惑をかけてしまいましたが、旧交を温めると儀礼的なものでなく、政治家としてのあり方、東日本大震災への向き合い方など熱い議論を久しぶりに交わすことができ、本当にうれしく思いました。

27日には議連の運営委員会を弘前市で開催し研修を行うことになっていまして、さらに多くの仲間が弘前市にやってくるだけに、そこでの再会も楽しみにしていますが、同じ志を持っているとはいえ立場の違いは厳然としてありますので、臥薪嘗胆への叱咤激励を受けるつもりです。

福祉の制度疲労と自分へのいらだち

長慶会騒動があって高齢者福祉からは離れざるを得ない立場ですが、藤代健生病院の院長であった蟻塚亮二先生とのご縁でいただいた、精神障がい者福祉の社会福祉法人「花」の評議員は続けさせていただいています。

今回の評議員会は決算と事業報告がメインなのですが、年度がはじまってすぐに補正予算が組まれていたので議論が集中しました。
「介護職員処遇改善加算」の申請を見送ったこと、もう一つサービス利用計画を作成することで得られる「指定特定相談支援事業」の指定が県の手続きが遅れていることで当面請求できないことでの減額補正なのですが、中身を聞くと他県では普通に請求できているのに担当課である県障害福祉課の担当が変わり仕事が処理しきれず、それだけでも問題なのに請求ができなくても大して困らないでしょうというノホホンとした態度でうっちゃられてしまうのだそうで、まさにお役所仕事の典型です。
この事業にかかる事業所指定には市もかかわっているのだそうですが、地元の事業所が困っていても県に強く働きかけるということもないそうで、これまた問題ある対応と言わざるを得ません。
確かに、介護保険制度改正に伴って振り回されている妻の仕事ぶりを見ても、制度をいじればいじるほど現場が疲弊し指導官庁も対応しきれなくなっているのを痛感しますし、福祉の制度疲労は深刻度を増していると思います。

この件で私が発言したのは、現場同士では解決できない問題であるので理事長から断固申し入れすべきであるし、また業界内では埒があかないことなのでマスコミに記事として取り上げてもらったり、かかわりのある議員に質問してもらうといった手だても考えるべき、ということでした。
そうは言っても、評議員という付け足しの存在では主体となって動く立場でもなく、市議という地位を失っている身では自ら切り込むこともできないだけに、対策はあるのに自分では何もできないいらだちを感じてしまいます。
苦しいながらもフリーである素浪人生活を送っているのはいいのですが、いざこういうことがあると根無し草の悲哀を感じずにはいられません。

2012.05.17

満員の観衆に「こどものつばさ」招待を宣言!

3.11野田村での追悼演奏以来、今まで以上に縁が深まった当代一の津軽三味線奏者・渋谷和生さんに、「南相馬に縁があるなら、一緒に来て」と誘われて、復興応援コンサートに同行することになりました。
何でも弘前市出身のママさんが店のお客様を中心に「弘前親桜会」を立ち上げていて開催するのだそうで、私にできることは「こどものつばさ」の西代表を紹介することくらいしかないものの、それだけに今年こそ南相馬の子どもたちと我が地元・相馬の子どもたちが交流できる招待を実現させる下準備を進めてきました。

6:00に大鰐弘前インターでバスに乗せてもらい、その中にはこれまた縁深い三味線奏者でねぷた絵師でもある五十嵐清勇さんと清友会の皆さんもいて楽しい道中がスタートしたのですが、仙台から常磐道に入ると海岸線に沿って津波被害で作付けできなくなっている広大な田んぼが延々と続き、昨秋にも通ったという和生さんや清勇さんの説明に耳をこらすことになりました。
野田村のことも全国的には忘れられていると感じることがありますが、三陸の大槌・陸前高田・石巻といった壊滅的な津波と南相馬・浪江・飯館といった原発被害の間で、名取・亘理・新地といった被災地が埋没しているのを思わずにはいられませんでした。

6時間半で南相馬市役所向かいの会場「ゆめはっと」に到着し、主催者である児玉さんとあいさつしたところ1000席分のチケットは完売したと聞きましたが、開演ギリギリで来場した西さんが車を置く場所がないほど本当に来場してくださいました。
何でもシークレットで開催されたAKB48のライブは700人、無料ながら告知が行われたコロッケ率いる物まねライブでも500人というのに、有料で満員となったのは地元の方々にもサプライズだったようですが、地元出身のゲスト民謡歌手・小山みつなさんの「相馬流れ山」に合いの手を入れる声の多さからしても、民謡好きの土地に残っている方々が津軽の音色を待ちこがれていたのを肌で感じることができました。

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この素晴らしい雰囲気につられて、コンサートは3時間のロングランとなるほど熱のこもった演奏になりましたが、最後の場面で和生さんからの命令で代表あいさつを仰せつかりました。
時間が押しているので短めにということでしたが、津軽にも相馬という土地があり、そこに「こどものつばさ」に協力して子どもたちを招待すると単刀直入に宣言したところ、私まで万雷の拍手をいただくことができました。
これから日程や内容の見直しなど最終的な詰めをすることになりますが、これだけの期待をいただいただけに、ぜひとも実現して相馬そして津軽との縁をつなぎたいと思っています。

2012.05.14

伏魔殿・町会連合会に踏みこむ

先月の相馬地区町会連合会総会は、初参加とはいえ旧知の方々ばかりで何とかみんなで地区を支えていこうという雰囲気でしたのですぐになじんで語らいましたが、市全体の町会連合会総会はそれとは真逆の場でした。

予算そのものが市からの運営補助金以外に収入がないような少額な規模だったのがそもそも驚きでしたが、それをもって取り組む事業計画に今どき前市長時代の「りんごを食べる日」を掲げながらも、葛西市長のマニフェストの大きな柱であり連合会からも審査会委員を出して参画していて、直近の議会でも町会単位の取り組みを期待する流れになってきている「まちづくり1%システム」も、東日本大震災をうけて組織率を高めるためにも町会での取り組みが必要な「自主防災組織」も盛られていないのは問題であると思い、質問に立ちました。
これに対し、神連合会会長は1%システムを計画に盛るのはおかしいという趣旨の発言をし、自主防災組織についても無理解であるのを露呈する答弁でしたので、こういうレベルの計画では同意できないとして議決を求めて、私は反対をしました。

ここまで踏みこんだのには伏線があり、私より先に質問に立った町会長には事務局長が一手に答弁をしていたのですが、その中には連合会の抱える課題といった会長が答えるべきものがあっただけに、会長の無為ぶりが目についたからです。
以前、岩木・相馬地区では町会長は行政連絡員として特別職としての公務員の地位であったのを廃止する案件を議会で議論した際に、弘前市の町会連合会は自主の組織であることをしきりに強調されたことがあっただけに、こんな時代にも市政にもそぐわない計画を事務局の案そのままに唯々諾々としているのは認めるわけにはいきません。
その事務局長は、会議の成立の要件が会則にないことをたなざらしにしていたり、議決は過半数となっているのを忘れて答弁するていたらくですから、そこから見直す必要があると言って過言ではありません。

それにもかかわらず、連合会会長はやる気や能力を問わず旧弘前市内から選出するといった不文律に守られ、市政において最多の宛職を務める立場というのでは、市民主権の市政にとって最大の障壁でしかありませんので、かかわったからにはこの伏魔殿をひっくり返すつもりで臨もうと思っています。

2012.05.13

交流のお花見、延期で大成功

当初は4/28を予定していた青森市「つながろう会」との交流のお花見ですが、大幅な開花の遅れと会期中では大混雑で交流もままならないだろうということで、思いきって桜まつり期間から「りんご花まつり」の時期に繰り下げて実施することにしました。
それを決めてから、気温が急に上がってソメイヨシノはあっという間に散ってしまい外堀の花筏も跡形もなくなる一方リンゴの開花が平年並みに持ち直す状況の中、青森市・弘前市あわせて30人を超える方々が集っての開催となりました。

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前日の雨から、まさに快晴の天気に恵まれ、弘前公園は観光ボランティアガイドの澤田さん黒滝さんによる味わいのある案内でまだまだ咲き残っていた八重桜やしだれ桜を愛で、りんご公園では史上最高の人出でにぎわう中、古農家住宅に用意していただいたリンゴカレーを一緒に食べながら自己紹介、それからさまざまなイベントを楽しむという、すべてがうまく組み合わせになったひとときを過ごすことができました。
それを支える側も、ガイドの手配やりんご公園でのセッティングでは観光コンベンション教にお世話になりましたし、車イスの使用が必要な方の案内には4月から業務をはじめた「たびすけ」のスタッフがあたってくれ、さらには私の仕事ぶりを見届けつつサポートにあたってくれた身内二人もいましたので、本当にうまくいきました。

弘前市の側では今回初めて参加した方が多く、これを機会に面談やサポートにつなげてきたいと思いますが、それには青森市からの参加者同士が冗談を言い合うほどのつながりができているのを手本にしたいと思います。
何はともあれ、この大成功の手応えを大事にしながら、避難移住者本位の支援に努めていくつもりです。

2012.05.12

2回目の理事会は、さらに白熱

翌日の交流大会地区予選を控えているので陸上クラブのトレを30分繰り上げて終え、ステンドグラス教室のため二日連続で野田村に日帰りしてから、その日最後の予定である昴町会の理事会に臨みました。

2回目の今回は、来月の地区ソフトボール大会を控えて体育委員の方々にも出席していただく拡大理事会とし、まずは体育行事への参加呼びかけを話し合ってから、住民調査票の取り扱い・電気契約の見直しという前月から引き続いての議題、あいさつの励行やごみステーションの清掃といった会員からの問題提起、さらには町会長会議からの報告と検討まで、1時間の予定が倍の2時間になるほどの議論を重ねました。
体育行事のように思いがけずスムーズに済むものもあれば、電気契約見直しのように前月の手応えとは違って現行どおりの思いがけない結論に至ったもの、あいさつの励行では「一体感のあるまちづくり」のためにはもっと工夫した取り組みをと話が盛り上がるなど、バラエティに富んだ展開でしたが、何といっても住民調査票の取り扱いが焦眉の急でした。
前任の際は会長のみが保管していた調査票を、任務上必要となる民生委員まで/ブロックの理事まで/班全体に共有という区分をもうけて意向を確認し共有としたのですが、実際に調査票が集まり希望に沿ってコピーを持ってきてみると、個人情報を預かる責任を感じて改めて取り扱いを検討しようという意見も出てきました。

これは、配布して波紋がさらに広がっていますので、早急に対応を話し合わないといけない状況になっていますが、話し合って決めたことは実施し問題が生じた場合は見直しをするという、まさにPDCAサイクルそのものの流れですので、問題が生じることを怖れず、それを解決していくために衆知を集める町会自治を進めていくつもりです。

2012.05.06

恩師と母校を思う一日

せっかくのGW後半の4連休は雨にたたられ、「岩木山を考える会」の岩木山講座も傘をさしての現場見学となり、「岩木山神社と桜林」のはずが早めに切り上げることになり、桜が満開になっているはずの桜林での昼食は流れてしまいました。

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今回参加したのは、会長である高校時代の恩師・阿部東先生からのお誘いがあってのことですが、岩木山神社(神社の場合は「いわきやま」というのが正解です)が明治以前は神仏習合の「百沢寺(ひゃくたくじ)」として栄えていたことや、津軽の一代様信仰の丑寅にあたる求聞寺(ぐもんじ)の由来などを歩いて回るという、日本史専攻としては興味津々のテーマだったことが何よりの理由でした。
4/27の鎌田慧講演会、5/3の憲法と民主主義を考える市民集会と、10日のうちに3日も顔合わせをすることになった東先生にあいさつすると、今日の案内役が在学中にいた水沢先生と後に赴任された福士先生、二人の社会科の先生だと紹介されました。
お二人とも、高校の授業では語ることのなかった地元の民間信仰と民俗学のことをていねいに説明され、机上の学問ではない知識をお持ちだったことを知らずにいたのが残念な気持ちになりました。
その再会を与えてくださった東先生は、在学中から文系であり生物部でもない私をかわいがってくれ、帰ってきてからも会うたびに気づかってくれ、最近では「これ、バガで落ちたんだけども」と言いながら周りの方に私を奮起させるように紹介してくださる、本当に得がたい恩師の一人です。

卒業から30年が過ぎても先生はずっと先生ですし、酒を酌み交わすことができる立場になった分さらに深いことを語っていただくこともあり、それが同期会をまとめる役をする一つのモチベーションになっている気がします。
夕方からは、幹事年度先送りを阻止した分早めの準備が必要になった同期会の幹事会と称して集まりましたので、恩師ばかりでなく母校を感じる一日となりました。
今でも、いや今だからこそ縁のある母校を大事に思う今日この頃です。

2012.05.01

素浪人2年目も野田村から

昨年の素浪人初日を踏み出したのも野田村でしたが、2年目の初日もやはり野田村で過ごしました。
昨年は先達であった土岐司隊長についていくだけで自分で何ができるかも見えない状況で軽米インターからの道を走りましたが、今年は生活支援プロジェクトのチラシ配布という明確な活動があり、村の方々と一緒に「みちのくプロレス」を観戦するという楽しみも待っているので九戸インターから一人で向かっても何の不安もないという、大きな違いが生まれるほどの積み重ねをしてきたのをつくづく思いました。

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以前は弘前市周辺でも年1回は観戦できた「みちプロ」ですが近年はとんとごぶさたでしたし、東日本大震災復興支援ということで入場無料さらには野田村では初の開催とあって、ぜひにと思って観戦しましたが、それは村の皆さんも同じだったようで、老若男女たくさんの観衆がプロレスの醍醐味を楽しんでいました。

その会場でも何人もの方々に声をかけていただき、仮設住宅では目前に迫った桜まつり招待のことで質問を受け、何より一番お世話になっている桜庭さんには観戦前に盛り沢山のおかずを並べた晩ご飯をごちそうになるほど、この1年で本当に縁が深まったのを実感できた一日でした。
こうやって毎週通う立場にあるのは今となっては自分しかいませんので、それだけの責任を果たすよう心してかかわっていくことを改めて約束します。

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