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2012.04.30

素浪人として、修羅として

GW前半の3連休の最終日、明日野田村で配布するチラシや来月の昴町会理事会の案内を作るといった仕事をしながら、ノンビリと素浪人となって丸1年の日を過ごしています。

いろいろと水面下ではあがいていたのですが、結局定職に就くことはなく、何とか市議1期分の一時金と震災支援の活動費で食いつないで、それは当面変わりそうにもありません。
週に1回の野田村訪問、月数度のステイサポートでの動き、週3回の陸上クラブのコーチを欠かすわけにはいきませんし、町会長として庶務をこなすことも思いのほか多く、これでフルタイムの仕事をすることは難しいだけに、自由に働くスタイルでで収入を生み出すものを作り出すしかないと思っています。
また、市議落選という見捨てられた存在と思いきや、高校同期会の会長、住んでいる昴町会の会長、娘の高校のPTA学年委員長と拾ってくださって立場を与えていただくことが重なり、自ら立つ生き方を周りの方々に改めていただいている過渡期にある気がするだけに、あわてて身を定めるべきでもないと構えているところです。

これは以前紹介したスティーブ・ジョブズにしてもAppleから一旦放逐される際にはすでにNeXT設立に動いていましたし、昨年経営破綻し今年になって『私、社長ではなくなりました。』で顛末を明らかにした同い年の安田佳生氏にしても「会社をつくることはありません」としながらも境目研究家そして失敗を語る立場に転身しているような、変わり身の早さが私には欠けていて、家族には相当の負担を強いているとは反省しています。
ただ、こんな高楊枝でやせ我慢している素浪人を、いまだに追い落とそうとしたり蹴散らそうとするお偉い方がいるのも一方の現実ですし、長慶会騒動や選挙における恩讐を超えて縁を重んずべき方もあるにしても、労働審判においても私のしてきたことを徹底的に否定しきった親を許すことはありませんし、戦い続ける修羅の道を歩んでいくために、今は誰が敵(かたき)であるのか見極める時でもあると思っています。

それでも最近は、心配して声をかけてくださる方、まっすぐに間違っていると意見してくださる方、再起を励ましてくださる方、本当にありがたい思いをいただくことが増えていますし、野田村の方々の笑顔や15人の陸上クラブの子どもたちの元気に励まされていますので、これからも自分の信じる道を愚直に進んでいくつもりです。

2012.04.24

役員会で清水の舞台から飛び降りる

新年早々、高校同期会の会長になったことはお知らせしましたが、それは母校・弘前高校の鏡ヶ丘同窓会総会の実行委員長を務めるのと同義です。

実は昨年の役員会で、私たちの学年が担当するはずの来年度は創立130周年にあたるので全体での実行委員会を立ち上げて幹事年度は先送りにするとされていたのでした。
市議落選直後の日程だっただけに、さすがに欠席していた役員会で私たちの学年そして後輩たちにも大きな影響を及ぼす決定をされてしまっていましたので、昨夏の実行委員会立ち上げの時点から内々で見直しを働きかけていたのですが、事務局としては公式の役員会の決定事項だけに変えることができないの一点張りでしたので、本日の役員会が最後のチャンスとなっていたのです。
議事は粛々と進み、今年度の実行委員長・佐藤記一先輩からの決意表明も終わり、130周年の進捗状況が報告されたところで清水の舞台から飛び降りる思いで挙手し、10年ごとに先送りしていてはそのうち幹事年度が還暦になってしまうこと、私たちの学年は新年から50人が集まって準備に入っているので祝宴などで実務を担わせていただきたいと申し入れたところ、中林会長から承諾の回答があり、ドンである鳴海康安名誉顧問も真っ先に賛意を拍手で示してくださったので、あっけなく幹事年度先送りは撤回され、私たちの学年で130周年実行委員会の実働部隊を担うことになりました。
その後の懇親会でも、若い世代からの申し入れを喜んでくださる先輩からの激励や近年の実行委員長経験者からのアドバイスなどいただき、久しぶりにはしごで痛飲させていただきました。

まずは、7/7の総会で次期実行委員長として高下駄を受け取る役目が回ってきますし、それを同期に見届けてもらって次の年へのスタートを切るための人集めをはじめなくてはなりません。
自分にとって外とつながりを保つ大事な場ですので、これもまたできる限り役割を全うしたいと思います。

2012.04.16

新生陸上クラブ、上々の2年目スタート

昨年の反省会では何人参加するものやらと不安になった陸上クラブですが、年度末からの募集に昨年の8名はもちろん、新たに7人も参加希望があり、今年度の進め方や予定を伝えるために説明会を行いました。
1組兄弟での参加があるので、15人の子どもと14人の保護者全員顔をそろえてくれ、説明に続いて連絡先の確認、保護者代表の選出もスムーズに進み、まさに上々のスタートとなりました。

これだけの陣容となったのは、昨年活動していた様子が下級生に楽しそうに見えていたこと、指導者の都合で19:00以降に週何日も練習するハードな条件より放課後の時間で終わる方が親子ともに楽であることが評価されたのだと思っています。
こちらも、勝つためにやるのではなく、楽しく元気にトレをして春先より0.01秒でも速くなるだけで十分という気持ちでやっていますので、自分の予定とレベルに合わせながら指導していくつもりです。

一つだけ問題なのは、先輩方が置いていってくれたスパイクでは足りない人数になっていますので、近隣の方で小学生サイズのスパイク譲ってくださる方がありましたら、ぜひお知らせいただきたいと思います。

2012.04.12

1年前の悪態の責任を取る

遡ってみましたら一度もBlogに記していませんでしたが、昨年4月に娘が弘前中央高校に入学したのですが、入学式後のPTA役員の話し合いにかかわったせいで監査委員および研修委員会に所属するはめになり、1年間さまざまな形でかかわってきました。
入学式後の初顔合わせの場面で役員を選んで即学年委員長まで決めるというのは無理があると言いつのり、翌日に東日本大震災の最大の余震で丸1日停電する事態であったのに市内の小中高で唯一コミュニティFMでの連絡がなかったことを強く非難するなど、自分の高校時代とは大違いの枠にはまったような校風になじめなかったとはいえ、受ける学校側からすればモンスターペアレントの権化のような悪態にたじろいだことだろうと思います。

ただ、昨年度のPTA会長が城東学園時代からご縁のある斎川さんでしたので、研修員会では副委員長に指名され、そのおかげで野田村への研修旅行を提案したのを実現してもらうことができ、一方では地区研修会での報告者を任されるといった形で目立って動くことになったこともあって、役員の皆さんから一目置かれる立場になりました。
また当初は腫れ物に触るようだった学校側も打ち解けてきたばかりでなく、緊急時の連絡システムを構築したり、今年度は入学式後ではなく委員会は今日まで考えてきてもらって組織会で決めるといった具体的な改善までしてくださったので、1年前の居丈高な態度を反省することしきりでした。
こういう状況の中、学年委員長から活動に欠席がちになるので辞退したいという話が組織会で出され、斎川さんからぜひにという「遺言」があったので、自分でもこの1年の悪態のおわびとPTA活動から得るものがあるという手応えから、学年委員長を引き受けることにしました。

相馬での小中PTAでは、先輩方が村議を務めているだけに学校では一兵卒としてかかわるようにと計らってくれたので無役できましたが、2年の学年委員長イコールPTA副会長は来年度には会長という大役が待ちかまえているものですから、今までにはない重みとそれだけの経験をさせていただける機会があるだけに、心して向き合いたいと思います。
それにしても、高校同期会の会長、町会長に続いて学年委員長と,今年に入って3つも推していただいて役に就くという今までにない経験をしているのは、まさに自分にとってのパラダイムシフトがおきている気がしています。

2012.04.10

試行錯誤の町会長10日目

4月に暦が変わり、昴の町会長となって10日となりました。
就任初日となる1日に理事会の開催案内を13人の理事に配布することからはじまり、4月にあわせて引っ越してきた新住人にあいさつがてら資料を届け、7日夜には最初の理事会を行い、昨夕その報告などをまとめた町会だより「プレアデス通信」を最初ということで全戸に配布し、一緒に配布した回覧物が足りなかったのを朝イチで届けに行いつつ、それ以外の庶務も細々とあって、思った以上の仕事量です。

何といっても理事会には、道路維持課に入口閉鎖のこと、東北電力には集会所の電力契約の見直しのことで足を運んで説明を受け、総会で表明したマニフェストも開催案内とともに配布するという用意周到な態勢で臨んだのですが、予定を30分オーバーする熱心な議論が行われて、開放することになるかと思った入口の件は安全重視で閉鎖を継続することになり、マニフェストではネットでの情報発信は不要の声に押されて削ることになり、一方で住民調査票は情報提供の範囲を班全体までという選択肢を増やすといった、思いがけない結論となりました。
これは、相馬村時代に「プレアデスのまち」として102区画が宅地造成され、それが新しい暮らしとまちづくりをめざした方々によって即日完売したところからスタートした歴史が息づいているため、何ごとも話し合ってみんなで決めていくというルールが確立しているからです。
6年前に引っ越してきて、同じ相馬でも旧いしきたりの中で暮らしてきた立場として新鮮な驚きを感じたものですが、町会長に推していただいたとはいえ独断専行とはいかないところに、改めて気風を実感することができて、逆にうれしく思いました。

そんなこんなで手探りで頼りない町会長ですが、他の町会ではできない、ましてや市議ではできない直接自治の場で勉強させていただき、自分の糧にしたいと思います。

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