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2012.03.11

小田村長の涙、自分の涙

金曜日はヨーガ教室、土曜日はグラスハープに「ささやきの壁」での新しい音の試みで通っていましたので、3日連続で追悼式典への参列、年末から取り組んでいただいた「絆のキルト」の贈呈、そして渋谷和生さんによる津軽三味線の追悼演奏をセッティングした立場で、あの東日本大震災から1年の3.11を野田村で過ごしました。

粛々と執り行われた追悼式典では村内で28人の方がお亡くなりになった現実の重さを感じ、終わりしだい役場応接室での『風舞う里』と題された「絆のキルト」贈呈に移りましたが、取りくんでくださった主力の村民の方々も10人立ち会ってくれ、スポンサーとなってくれたロータリークラブ、指導と仕上げをしてくれた古川範子先生からのスピーチから記念写真と進み、最後に小田佑士村長がお礼のあいさつをされました。
金曜日には式典直前にもかかわらず「チームオール弘前報告会」でのあいさつに来弘し、式典でも厳粛に式辞を述べていた村長ですが、やっと重圧から逃れ村民の手による明るい色合いの作品に気持ちが緩んだのか、最後に涙をぬぐわれました。
昨年3.31に初めて来村してお会いした際の作業服姿、夏の復興イベントで村民と歓談する姿、12月に膝を交えて夜遅くまで語らう機会などなど、リーダーとしての責任感と温厚な人柄にふれてきた者としても感無量の場に立ち会えて、本当によかったです。

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それから、日も暮れて家の灯りも街灯もない道沿いに「夢灯り」のろうそくの火だけが照らされた漆黒の闇の中で、東京の歌い手・中村泰子さんの歌に続いて、当代一の津軽三味線奏者・渋谷和生さん一行による追悼演奏が、被災した中心街の診療所跡で行われました。
このセッティングを教育委員会から打診されて交渉した立場でしたが、和生さんは震災支援の思いと昭和大津波の際に野田村の方に手を引かれて門つけに来ていた若き高橋竹山が救われた故事を知る者として一つ返事で快諾してくれ、雪の舞う凍えた夕闇の中で回りにも心にも響き渡る演奏をしてくれました。
その前に前庭を駐車場に貸してくれ、私たちばかりか和生さん一行の控え室代わりにおじゃまさせていただいた桜庭さんから震災当日のことやお亡くなりになった近所の方の様子などを聞かせていただいたこともあり、あの日の暗闇の中で津波が来た時間来た場所で魂の三味線の音色を聴いているうちに、その御魂のおかげで今ここにいるのだという思いがこみ上げて、涙があふれました。

本日は1年ということで追悼が前面に出た1日でしたが、明日からはまさに復興への2年目に入ります。
これからも、私でできる限りのことを野田村にもステイの方々にもしていけたらと、決意を新たにしたところです。

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