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2012.01.21

ステイサポートのミッション

東日本大震災による弘前市内への避難・移住された方々への支援を行う「弘前ステイサポート」にも取り組んでいるのですが、かかわる方々のプライバシーそれも非常に重い課題を突きつけられるような現実に直面することもあり、野田村での支援交流のように軽々にオープンにできるものとは思われず、これまで活動した表層だけをネットでふれるにとどまっていました。
ようやく、この分野での支援の方向や取り組むべきミッションがはっきりしてきましたので、今日はそれをお知らせしておきたいと思います。

今日、青森市で避難・移住された方々同士の交流会「つながろう会」の代表をされている方と会うことができました。
この会のことは、地元紙の元旦特集記事で知ったのですが、純粋な民間での活動というだけでなく当事者による活動だというので驚きましたが、11月から交流会を開き平日と日曜日では会の進め方を変えたりしながら、少しでも日頃のストレスを解消し話したり笑ったりできる場を作ってこられたことに、ただただ感服しました。
この動きに対し市や県でも対策室がサポートをはじめたのは何よりですが、住宅や雇用などのことでの注文があっても担当部局に個別にあたるしかない状況は変わりがなく、それを支援してくれるNPOなどが見あたらないことも不安であるとのことでした。
弘前市の場合は、私たちの外からの支援が先に動き、これから集いの場などを通じて当事者同士のつながりができてくるはずですので、ちょうど正反対の進み方になっているわけです。
これは、どちらがいいという問題ではなく、それぞれのアドバンテージを他でも生かすように情報交換や直接の交流の機会を増やしていくことが必要だと思いましたし、青森市でのサポートに関しては私から知己に働きかけたいと思っています。
また別に八戸市では青森県男女共同参画センターがサポートする形で集いがはじまったと聞いていますし、それには政策マーケティング委員会で一緒した小山内世喜子さんが取り組んでいますので、三市での連携から県内のネットワークへと進めていくことが、この支援での大きなミッションだと思っています。

もう一つ、「つながろう会」の代表と意見が一致したのは、外からの視点で見て気づく行政課題があるので、それを市政改革に役立てることが避難・移住者を受け入れた自治体のプラスになるはずだということでした。
これは、被災者向けの緊急雇用の受け入れに関するトラブルを聞いたり、自宅でない場所での面談をするために交渉してみて閉鎖性を感じさせる対応をするところがあったりということから痛感していましたが、今日は同様な施設があるところから見たアウガ問題も話題になるほど、中の人間だけでは堂々めぐりの問題に風穴を開けるきっかけを持っている大事な(民俗学的意味での)「異人」なのです。
それを生かすためにも、受け入れてもらっていることだけでも引け目を感じざるを得ない当事者が行政に直接もの申す形ではなく、仲立ちをする代弁者の存在は必要ですし、その役割を果たしていかなければならないと改めて思いました。

当事者と行政・関係機関との橋渡しをすること、さらに県内でのネットワーク化を進めサポートしていくこと、これが弘前市の枠を超えたステイサポートのミッションです。
そのためにも、プライバシーに配慮しながらも、これからはできる限り多くのことを皆さんに伝えていきたいと思っています。

2012.01.13

スーパー行政マンから久々に学ぶ

年賀状やメールでのあいさつは欠かさなかったものの、久しくお会いしていなかった滋賀県大津市のスーパー行政マン・福井久さんから連絡をいただき、講演をされる秋田県小坂町まで50kmの雪道を行ってきました。

「月刊福祉」に掲載されたという小坂町の「わいわいエリア」がテーマなのかと思いましたが、1時間の予定を倍も語った中身は、以前紹介していただいて訪ねた滋賀県余呉町(現長浜市)や現在かかわっている小説「潮騒」の舞台である三重県鳥羽市神島での交付金を活用した、地域に根ざした介護サービス拠点整備の取り組みでした。
現在も出向している滋賀県後期高齢者医療広域連合では、構成している市町村のために役立つ仕事をしようということで、厚生労働省への出向でさまざまなノウハウと人脈を持っている福井さんに動いてもらっているそうで、さらには他県からの引き合いまでこなしながら修士課程の大学院まで卒業されたバイタリティには感服する他ありませんが、強く感じたのは今現場から離れている長慶苑や相馬地区を含めた弘前市よりも、震災からの復興さらには地域再生を進めていかなければならない野田村にこそ必要な取り組みだということです。
毎週訪問して展開している「生活支援プロジェクト」は、福井さんとも知り合う機会となった在介協での私を知っている地域包括支援センターの職員が野田村にいたからこそ進めるきっかけができたのですが、現在の内容は福祉そのものからは離れたものになっているだけに、「この取り組みは福祉ではなく、地域づくりだ」という福井さんの喝破を受けとめて、自らの専門を生かす形での提案をしようと思いました。

こうしてみると、目の前のことに取り組むだけでなく、以前培ったものを生かす支援がもっとできると思いましたし、そこに福井さんのような知己を得たパワーある方々を巻きこんでいくことが支援のレベルアップ、スケールアップにつながるはずです。
この気づきをくださった福井さんに、心から感謝します。

2012.01.02

幹事年度の責任を背負う

新年早々、大きな役割をいただきました。弘前高校1983年卒の同期会「八三会」の会長すなわち高校全体の同窓会「鏡ヶ丘同窓会」の幹事年度の実行委員長を引き受けることになりました。それも該当する年次が来年の創立130年になりますので、非常に重い立場です。

学年として同期会をはじめて開催したのは1999年のことでしたが、その際から出欠のとりまとめや住所録の管理をする事務局を務めてきたのですが、幹事年度に向けてそろそろ本格的に準備を進めようということで正月帰省にあわせて同期会を開催する案内をしたところ、恩師5人を含めて50人を超える想定外の出席をしてもらえました。
本当は、昨年末にお亡くなりになった獏不次男こと阿部次男先生にもご出席していただきたかったのですが、ご遺族が遺影を貸してくださったので、その遺影を囲んで記念撮影をすることができました。
懇親会では、それぞれの思いのこもった近況報告の時間が続いて閉会が30分繰り下げになるほど話の輪が広がり、その中でHRごとの実行委員を決めていただきましたが、何せほとんどのメンバーが全体の同窓会には出席していない状況ですので、不安定な身の上とはいえ状況を知り参集を呼びかけた立場として、今後も責任を持って幹事年度の重責を果たすことができるように進めていきたいと思っています。

今の私にできること、やらなければならないことからは、逃げずに荷を負っていくつもりです。

2012.01.01

昇龍の年に

あけましておめでとうございます。
私にとって、昨年4/24の市議落選は、人生の転機となりました。
これで失ったものは大きく、解雇無効の争いをしている長慶会の件とあわせて不安定な一年で、家族には多大な不安を与えました。
しかし、大震災以来かかわりはじめた野田村の優しい皆さん、陸上クラブの元気な子どもたちと一緒して、本当に大事なものに気づくことができました。

2012年は、野田村を中心とした震災支援の活動をさらに展開していく一年になりますが、その上で弘前市や相馬地区、さらには福祉の世界に恩返しする動きをはじめる所存です。
年男だけに、昇龍の志を持って邁進しますので、倍旧のご指導ご支援をお願いいたします。

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