« 46歳と47歳のはざまで | トップページ | 改めて野田村に行くということ »

2011.11.13

ひいき目で見た藤崎町町長選公開討論会

明後日15日に告示となる藤崎町町長選公開討論会に足を運びました。
まずは、これを企画した関場慶博先生をはじめとする発起人の方々、そして300人を超えるほど集まった町民の皆さんに敬意を表したいと思います。
300名という人数は、弘前市の1割にも満たない人口に比して考えると3000人以上になりますし、その中には町の政治・商工の中心人物の顔も見えましたし、三沢市・太田博之市議やつがる市・松橋義仁元議員といった遠来の友人もいて、関心の高さを実感しました。

足を運べない方や公平に3候補の主張を評価してもらうためにはUstできればよかったのですが、話を持ちかけるのが遅かったこともあり実現できなかったのですが、その分現場から公正中立に留意したライブツイートしてきましたので、ご覧いただきたいと思います。
ただ、以前から広言しているとおり私個人は政治の世界の兄貴分であり次代の津軽を担える存在として小田桐智高さんを応援していますので、その立場から討論会での主張を論評したいと思います。
全体の流れとしては、今回の選挙に至る経緯に対する思い・町の現状認識と今後のビジョン・行財政改革・取り組む重点政策、続いて候補同士の質疑、最後に自らの主張となっていましたが、智高さんが他の二人と違っていたのは外から見える評価また財政の数値をしっかり受けとめて自らの政策を考えるのに生かしていること、もう一つはその考え抜いた政策を時間いっぱい使って町民に伝えようという熱い思いでした。
最初の点については、佐々木弘文さんは合併の弊害をしきりに訴えていましたが、藤崎町と常盤村の合併は私から見てもうらやましくなるほどうまくいっていますので、智高さんが他から高い評価を受けていると自負したのは首肯できますし、平田博幸さんがさらなる人員削減が必要だと主張したのも、赤字だった町立病院を民間委譲するといった削減の事実が前提になるものですし、批判される面より評価を受ける実績であると思います。
熱い思いという点では、質疑の際に学校建設の件で少し踏みこみすぎたのは減点ですが、町長として取り組んできた責任をふまえた発言は他を圧倒していましたし、発言順のあやで最後に主張する形になったのを最大限に生かして津軽の政治を変えるために木村支配から脱却し藤崎町としての政治が行われなくてはならないと言い切ったのは、我が意を得た思いでした。
それにひきかえ、佐々木さんの主張は前向きなものが感じられませんでしたし、平田さんは町民50人での協議会を作ることを中心にすえていますが、これがうまくいかないのは青森市の100人委員会で実証済みですし、自分が会長を務める体協のことを何度も引き合いに出していましたが、逆に自分のかかわる団体を私物化しているのを語るに落ちた感じで、よくも智高さんに向かって町政の私物化などと批判するものだと思ったことをつけ加えておきます。

智高さんとは帰り際に話をすることができ、どんな形でも応援すると熱くなっていた私に対して、終わったら津軽の政治の未来のために話し合う機会を持とう、それができない木村衆になっているのは残念だし平田さんもその犠牲と、冷静な対応をするあたりが心服するところですし、町民の方から「終わったら、みんな仲よくね」という声に笑ってうなずく姿を見ても、誰に町政を任せるべきか、そして津軽の未来を託すことができるのか明白です。
藤崎町民の皆様にはぜひ智高さんを支援していただきたいと思いますし、市民でも町にご縁の方がありましたら智高さんを薦めていただきたいと思います。

« 46歳と47歳のはざまで | トップページ | 改めて野田村に行くということ »

政治活動」カテゴリの記事

コメント

藤崎町を検索した所こちらのブログを見つけ、藤崎町に関する記事全て拝見しました。

智高さんが初めて町会議員になった時、私はまだ中学生でした。今は亡き母の影響で智高さんの存在を知り、依頼ずっと一町民として応援してきました。町長になってからもどこかでお会いすると変わらず優しく言葉をかけて下さいました。

今年になりいろんな批判のビラや声を聞き、私自身も惑わされそうになりました。実際私の周りにもそうやって流されていった人達もいました。でも私は実際に自分の目で見たものしか信じない。選挙活動で戦っていた智高さんをみてやっぱり今までもこれからも藤崎町を背負っていく人だと思いました。
結果は私が願っていたものではなかったけど、智高さんの熱い思いがまた藤崎町民に届く日は、そう遠くないような気がします。その時まで頑張っていて欲しいです。

私はこのブログで初めて三上さんを知りました。ただのペーペーの一町民がコメントしていいのか悩みましたが、今伝えておかなければと思い書き込みさせていただきました。
最後までお読みいただきありがとうございます。

首長の理解がなければ

その町の 文化的芸術的生涯学習的なものは 後回しにされがち だと私は思っています。

住民が豊かに暮らせる とは 金銭的にはもちろんかもしれませんが
健康であり 何より 精神的に豊かでなければいけないと 思っています。


小田桐さんを 取り巻く環境が どうしてこうなったのかは
様々な事由が絡んで いらっしゃることと思いますが

私は 40代町民として

小田桐町長の一面 それもごく一部しか存じ上げていませんが


私が 接した小田桐さんは
人情の機微のわかる方だと 思っております。
そして文化的芸術的生涯学習的な分野にも
心を配ってくださることを惜しまなかった方です。

現在の騒動は
やはり片方だけの原因ではないと思うので
できることなら
再当選されて ノーサイドにし
町民のために
反省と 更なるご活躍 できること

陰ながらですが
お祈りしています。


私は 三上さんという方も存じ上げませんが

たった一人でも
強く味方になってくださる方がいらっしゃるということ 誇りに 頑張ってください。


寒い中 大変だと思いますが

頑張ってください。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 46歳と47歳のはざまで | トップページ | 改めて野田村に行くということ »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

Twitter

ブクログ

Amazon


  • サーチ:
    キーワード:
    Amazon.co.jp のロゴ

国際漫画展

無料ブログはココログ