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2011.11.27

FORETに涙雨

昨年度の市職員政策提案=スマイルメーカーから生まれたマルシェ=市場であるFORET(フォーレ:仏語で森)が最終日を迎えたので、雨の中足を運びました。
今日は並木通りを通行止めにして、市内外のりんご農家が直売する「トラック市」も行われていたのですが、この企画を温めていたのは責任者で8月に交通事故で帰らぬ人となった蝦名稔さんでした。

蝦名さんは、NPO ECOリパブリック白神の理事として昨年から楽市楽座の担当となり、楽市組の会議で顔を合わせるようになって知り合いましたが、元々は市内の農家である方がまちづくりにかかわるという稀有の存在でしたので、当時からさまざまなことを教えてもらいましたが、FORETばかりでなくCSAも担当するために専従するという責任の持ち方に感服させられました。
実は蝦名さんは同級生だったのを亡くなってから知りましたが、そのせいもあってか私の落選にも励ましの言葉や心配をしてくれ、この二年の中では非常に縁が深まった方だっただけに、急死の報には本当にショックを受けました。
それ以降の毎週日曜日に開催されるFORETは天候に恵まれずに来たそうですし、今日の雨も蝦名さんの無念の涙雨に感じられました。

私もエコリパの一員ですので、来年度の開催において少しでも協力することが、蝦名さんとの友情に報いることだと思っています。
来年は晴れさせますよ、稔さん!

2011.11.26

コミュニティビジネスサロン、完走

6月から10回で開催してきた「ひろさきコミュニティビジネスサロン」が、本日の発表会で終了しました。
自分の次の道をつくっていくために、20名の定員のところに無理を言って加えてもらい、2回の先進地視察を公休した以外はまじめに出席し、事業計画もまとめて発表しました。
私以外には5名が発表したのですが、そのすべてがカフェとなっていたのはコミュニティ=集うという方向になりがちなのもあるでしょうし、視察先がカフェやレストランでの成功事例だったのも影響していると思いますが、当日の出席者にしろ発表までまとめた件数にしろ少なかったことからしても、完走したことだけでもほめていいことだと思います。

その5件に対して、私のは「弘前市をAR先進地に」という、ビジネスの計画というよりビジョンに近いもので、AR=拡張現実を使っての観光・商業情報の提供という雲をつかんだような内容でしたので、何とも違和感がありました。
ただ、ネットを通じてリアルなコミュニティを作り新たなアクションにしていくという方向性はアリだと思いますし、ビジネスという形で成り立つ工夫も必要ですが、市や関係団体が支援する形で事業化するという進め方の方が望ましい気もしています。
このあたり、この一年津軽で起業して成功している方々とのご縁をいただいている中で、ビジネスを成功させる能力では圧倒的に負けているのを感じていますし、どうもビジネスというより利益は生まないものの必要なことに取り組むワークの方に向いている自分というのを痛感していますので、具体的に動くとなればいろいろな方から力をお借りすることになると思いますし、協力したいという方はぜひご一報いただきたいと思います。

それでも、コミュニティビジネスという形で起業まで考えている市民がこれだけいるというのには新鮮な驚きがありましたし、他のプランも実現していけば一緒した立場としても応援したいと思っています。
できれば、せっかくのプランを市や関係団体の担当者も聴いてもらって、そのプランに合った助成事業を紹介したり、支援を検討するプランドラフト方式で開催すれば事業化まで進むものが増えてくる気がします、と市と受託先の後輩二人に提案しておきます。

2011.11.20

あえて厳しく菊池勲市議の報告を聞く

高校の後輩であり、松下政経塾生時代から知っている菊池勲市議の市政報告会に出席しました。
内容としては9月定例会での一般質問、12月に予定している質問の内容、その他の活動と来年に向けて考えている計画という4本柱でしたが、菊池君が冒頭で9月の一般質問を私からダメ出しされたことにふれていましたので、今回もあえて厳しく評価したいと思います。

まず9月の質問については、本人も突っこみ不足だったと認めていましたが、冒頭の演壇からの質問には答弁する市側から懇切丁寧である意味冗長な説明を加えた答弁が行われるのですから、自分で演説するのは時間を失うばかりだというのを反省すべきだと思います。
なぜ問題適するのかは再質問で、自ら政策提言するのは議論を深めた上で再々質問で行うというスタイルを次回は期待したいと思います。
また12月には介護保険をメインに取り上げるということでしたが、地域包括支援センターの実情についてもわずかな情報によっていて理解不足ですし、現実に5350円という介護保険料が10万人以上の市では最高額だとしても、そこで収めるために当時の健康福祉部長が打った手だての意味を知らないようですので、この点はきちんと理解した上で質問してもらいたいので、私からレクチャーしなければと思います。
何といっても、次期の介護保険料の予想を何の疑いもなく発言していましたが、最終的には議会が議決することであって、その額にしたくなければ工夫をこらして修正案を提案することが議員の本分であることを忘れてはなりません。
それから、自分の一般質問も大事ですが、先日の議会改革シンポジウムからもわかるように市民にとっては議会は何をしているのかわからないという状況ですので、決算審議の内容や議会改革の実情を語ることも大事だと思いますし、報告スタイルとしてプレゼンテーションでやるならば、もう少し工夫と慣れが必要です。

こんな指摘はさておき、最後の来年に向けての「未来を語る会」という形で政経塾の仲間を招いて政治をかんがえる場を作るというのは自分だけしかないアドバンテージを生かすものですので期待したいと思いますし、農業でのプラットファームづくりや街コンに取り組もうというのは政治家という立場を超えたアクションで感心しますし、協働できることだと思います。
そして何より会場いっぱいの市民が関心を持って参集してくれ、突っ込んだ政治問題ばかりでなく本人の人となりにちなんだ素朴な質問が出てくるような雰囲気で進んだ報告会は成功であったと大いに評価できると思います。

ぜひ私からの叱咤を自らのエネルギーに変えて、これからも議会を変え弘前が変わるためにがんばってほしいと思います。

2011.11.16

改めて野田村に行くということ

「動こう津軽!」では津軽の文化を届けるプロジェクトを月1回取り組んでいますが、今月は先々月の渋谷伯龍さんの津軽弁川柳の流れに乗って、お仲間である高瀬霜石さんと寺田北城さんによる川柳教室と寺田さんの指笛というプログラムで臨みました。

ところが、午前中の会場である野田中仮設住宅集会所は、後半も予定の入っていない日がないほど立て込んでいるのと愛宕神社での市が立つのとかちあっていたのもあって、一人しか来てくれず、当時の状況をお話ししてもらったり、こちらも開店休業状態だった海水で作る「西行どうふ」をいただいたりして時間をつぶしました。
早めに会場を後にして村内の被災地や仮設住宅を回り、午後の泉沢仮設住宅談話室に入りましたら、午前もわざわざ来てくれた桜庭さんが仲間の方に声をかけてまで再訪してくれたこともあり、10人近い方々に指笛と川柳で楽しい時間を過ごしてもらうことができました。
本当であれば、お題に沿って川柳を詠んでもらうのが主眼だったのですが、当日の状況を見て名句や被災した盲目のお弟子さんが詠んだ句を通じて川柳の真髄を伝えることに切りかえて対応してくださった高瀬さん、指笛とユーモアあふれる話術で皆さんの歌声を引き出した寺田さんと、当意即妙の対応をしてくださったことに、本当に感謝しています。

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実際のところ、たくさんの人数が参加するより、こぢんまりとした中でなごやかに活動する形の方が多いのですが、前回今回と午前も午後も足を運んでくださった桜庭さんや、「来てると思って」と顔だけ出してくれた畑村さんといった招待で知り合った方々が私のことを気づかってくださったり、出会った中で最高齢の三太郎さんのように来てくれることを感謝して極力参加するのを心がけている方のおかげで、このプロジェクトは成り立っています。
また、今回はアシスタント役を兼ねてお二人の奥様も同行していたのですが、初めてふれる被災の状況にさまざま感じるものがあったようで、質問や自分の周りのエピソードなどたくさんの話が続いたように、やはり野田村に足を運んでもらわないと伝わらない現実と弘前への感謝の思いを感じていただけたのではないかと思います。

単なる作業ではなく、生活支援として入っていける専門力を持った方々と野田村をつなぐのがこのプロジェクトのねらいですが、それを通じて一人でも多くの人に野田村そして岩手県北にふれてもらうこと、そしてそこにすむ心優しき方々とふれあうことで弘前側の方が得るものが多い企てだと言えます。
そして、私がその恩恵を一番受けていると改めて思っているところですので、もっともっとがんばるつもりです。

2011.11.13

ひいき目で見た藤崎町町長選公開討論会

明後日15日に告示となる藤崎町町長選公開討論会に足を運びました。
まずは、これを企画した関場慶博先生をはじめとする発起人の方々、そして300人を超えるほど集まった町民の皆さんに敬意を表したいと思います。
300名という人数は、弘前市の1割にも満たない人口に比して考えると3000人以上になりますし、その中には町の政治・商工の中心人物の顔も見えましたし、三沢市・太田博之市議やつがる市・松橋義仁元議員といった遠来の友人もいて、関心の高さを実感しました。

足を運べない方や公平に3候補の主張を評価してもらうためにはUstできればよかったのですが、話を持ちかけるのが遅かったこともあり実現できなかったのですが、その分現場から公正中立に留意したライブツイートしてきましたので、ご覧いただきたいと思います。
ただ、以前から広言しているとおり私個人は政治の世界の兄貴分であり次代の津軽を担える存在として小田桐智高さんを応援していますので、その立場から討論会での主張を論評したいと思います。
全体の流れとしては、今回の選挙に至る経緯に対する思い・町の現状認識と今後のビジョン・行財政改革・取り組む重点政策、続いて候補同士の質疑、最後に自らの主張となっていましたが、智高さんが他の二人と違っていたのは外から見える評価また財政の数値をしっかり受けとめて自らの政策を考えるのに生かしていること、もう一つはその考え抜いた政策を時間いっぱい使って町民に伝えようという熱い思いでした。
最初の点については、佐々木弘文さんは合併の弊害をしきりに訴えていましたが、藤崎町と常盤村の合併は私から見てもうらやましくなるほどうまくいっていますので、智高さんが他から高い評価を受けていると自負したのは首肯できますし、平田博幸さんがさらなる人員削減が必要だと主張したのも、赤字だった町立病院を民間委譲するといった削減の事実が前提になるものですし、批判される面より評価を受ける実績であると思います。
熱い思いという点では、質疑の際に学校建設の件で少し踏みこみすぎたのは減点ですが、町長として取り組んできた責任をふまえた発言は他を圧倒していましたし、発言順のあやで最後に主張する形になったのを最大限に生かして津軽の政治を変えるために木村支配から脱却し藤崎町としての政治が行われなくてはならないと言い切ったのは、我が意を得た思いでした。
それにひきかえ、佐々木さんの主張は前向きなものが感じられませんでしたし、平田さんは町民50人での協議会を作ることを中心にすえていますが、これがうまくいかないのは青森市の100人委員会で実証済みですし、自分が会長を務める体協のことを何度も引き合いに出していましたが、逆に自分のかかわる団体を私物化しているのを語るに落ちた感じで、よくも智高さんに向かって町政の私物化などと批判するものだと思ったことをつけ加えておきます。

智高さんとは帰り際に話をすることができ、どんな形でも応援すると熱くなっていた私に対して、終わったら津軽の政治の未来のために話し合う機会を持とう、それができない木村衆になっているのは残念だし平田さんもその犠牲と、冷静な対応をするあたりが心服するところですし、町民の方から「終わったら、みんな仲よくね」という声に笑ってうなずく姿を見ても、誰に町政を任せるべきか、そして津軽の未来を託すことができるのか明白です。
藤崎町民の皆様にはぜひ智高さんを支援していただきたいと思いますし、市民でも町にご縁の方がありましたら智高さんを薦めていただきたいと思います。

2011.11.06

46歳と47歳のはざまで

46歳最後の日だった昨日は、野田村の皆さんとチームオール弘前で作業に参加したメンバーを中心にした市民あわせて約130名での交流登山でしたので、久々にバスに同乗して参加しました。
野田村の最高峰・和佐羅比山は標高814mで電場設備などのために車で上れる道があるとはいえ、ふもとの名水・光明水の湧く地点からは約8kmの行程で心臓破りの坂もあり、大人数での登山であったこともあって時間がかかり、日没過ぎての下山となりました。
それでも山頂からは野田村が一望できましたし、行き帰りの道すがら村の方々とさまざまな話がはずみ、さらには一番縁深い前田やすさんの軽自動車が止まったのを学生たちと一緒に押すというハプニングもあり、前田さんに「やっぱりめぐり合わせだね」と言っていただいたり、8月の復興イベントで見かけた坊主のためにプレゼントを用意してあると声をかけてくださった方もあり、野田村に通ってきた半年間が報われた思いがしました。

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その分、今日はノンビリと一日過ごしていましたが、その間にもFacebookでは100名近い方から誕生祝いのメッセージをいただきました。本当にありがとうございます。
1000人を超える方とつながっているFBですが、そのうち約1割の方が縁を大事にしてくださるというのは、リアルでのつながりがあればこそのことだと思いますし、Twitterでの反応がほとんどないのと比較すると、先日のマニフェスト大賞のライブツイートが激減したのとあわせてソーシャルメディアの力点の移動も痛感します。

こうしてみると、昨年秋からの長慶会騒動、そして今年4月の落選で地位も職も失いましたが、これだけのご縁をいただいているというのは、それで対価を得られるたどうかを抜きにして動いてきた証明だと思いますし、労働=Laborはしていなくても仕事=Workはしていると自負しています。
これを何とか収入につながる形にしていきたいと思いますし、そのためにも前に進むことだけを突きつめていきたいと思います。
それが誕生祝いに朝食の目玉焼きをしてくれるまでになった坊主をはじめとする家族への償いと責任を果たすことだと思いますので、この節目にあたって改めて皆様にもお礼を申し上げ、ご理解ご指導をお願いいたします。

2011.11.04

葛西市長、マニフェスト大賞グランプリ!

本日、東京で開催されたマニフェスト大賞首長部門で優秀賞5名にノミネートされていた弘前市の葛西憲之市長がグランプリを受賞しました。本当におめでとうございます。

実は2日、ある用事で市長室を訪ねる用事があり、その別れ際に「吉報を待っています」と伝えた際は、市長は「まだマニフェストサイクルが回っていないから」と謙遜していましたが、昨年度まで運営委員としてかかわり歴代の受賞者を見てきた立場からは今年度の受賞者の顔ぶれ、そしてマニフェストからアクションプランに昇華させ推進してきたのを直接見てきた実感として、必ず受賞できると信じていましたが、いざ現実のものとなると感無量の思いでいっぱいです。
葛西市長のマニフェストは、「7つの約束」という大きな骨組みを100の政策で組み立てて市長選に臨んで当選を果たし、半年間で「アクションプラン」として総合計画の実施計画に組みこみ、この1年間で具体的な事業として形にしてきたものです。
確かに、先ごろ公表された市民による第三者評価でも「まだ評価すべき時期に至っていない」というものもあり、的確な指標設定や比較対象を示すべきという指摘があったように、PDCAサイクルが回りきっていなかったり、より評価しやくする仕組みづくりが必要だとは思いますが、実際にサイクルを回しているからこそ到達しているレベルでの不満ですので、さらに充実させていくことを望みたいと思います。

これを回すという中で一番重要なのはやはり評価ですが、一昨年最優秀アイデア賞を受賞したのが小林市長のマニフェストを各課から聞き取りをして検証した八戸市の石橋市議だったように、個別の事務事業ごとに成果が上がっているのか市民生活の向上につながっているのかというチェックをすることが必要だというのを先日の決算特別委員会でも痛感しましたが、それにつながる動きは今の議会からは一向に出てきません。
石橋市議の活動は会派の支援を受けたものではあったのですが、システム化・制度化されなくても実際にできたことですし、検証に耐えうるマニフェストがあれば議員が取り組まないでは済まされないことだと思います。
これすら取り組まない議会・議員に向かって議会改革を求めても無意味としかいいようがありませんし、市民としては議会に頼らずできるマニフェスト検証を進める方が実りある成果につながるはずですので、ユースサミットで取り組みはじめている検証に期待したいと思っていますし、今の自分の立場としてもかかわっていきたいと思います。

何はともあれ、審査委員長である北川正恭先生にマニフェスト不毛の地と言われて悔しい思いをしてきた青森県そして弘前市の政治に大きなマイルストーンが打ちこまれました。
これを心から祝い、そして自らの励みにしたいと思います。

2011.11.02

Think Different, Stay Foolish

スティーブ・ジョブズが亡くなって1ヶ月、公式伝記が先週のⅠ巻に続いてⅡ巻が昨日発売されたので、さっそく電子書籍で購入して両巻とも読了しました。
ジョブズ不在の1994年にMacを使いはじめて以来、ほとんどの製品とサービスを自分で試したきたApple信者として、そしてジョブズの生き方に心酔してきた者として、この機会に記しておきたいと思います。

Appleというコンピュータがあると気づいたのは、PowerBookのTVCMを見た時でした。当時は東京のKFCで働き、東芝のMS-DOSで動く初代DynaBookを使っていたのですが、あまりの違いに驚き、次はこれを使おうと心に決めました。
帰去来してから城東学園に勤め、教務作業用にワープロではなくパソコンを導入することになり、まだWindowsが3.1の時代でしたので周りを言いくるめてデスクトップのPerformaとモノクロ画面のPowerBook520を入れて、PBを自分用にしていたのが最初です。
その後、私物としてPowerBook5300CS、長慶苑設立の事務がはじまった自宅にもPerformaを入れ、それから一番小さい2400cからBook遍歴は続き7台目を使っていますし、復帰したジョブズに封印されたNewtonからPDAを使いはじめ、最初はバックアップ用としてiPodを買い、iPhoneが出るのを待ちわび、議会で使うという理由をつけてiPadを入手したばかりでなく、長慶苑でも自宅でも周りにあるほとんどはMacというほど、Appleに囲まれた生活をしてきました。
当時はジョブズ不在だったのですが、本人が言うほどヒドくはなかったしWindows以上には魅力ある者だと思ったからこそAppleを使ったのですが、創立者であるジョブズ復帰はうれしかったですし、その最初の製品としてボンダイブルーで半透明のiMacが出た時の興奮は忘れられません。

その当時、Appleは"Think Different"という広告で、Windowsとは違うことを強調するキャンペーンをしていました。なぜAppleを使うのか、というのを説明するには最高のフレーズです。
その広告には、それを体現して生きたアインシュタインやエジソン、モハメド・アリやジョン・レノンらが使われていましたが、今考えると一番そのとおりなのはジョブズ本人だと思います。
また、ジョブズはプレゼンテーションの名手として知られていますが、それを超える伝説的なスピーチをスタンフォード大学の卒業式でしたのも有名で、"Stay Hungry, Stay Foolish"というすばらしい言葉を残しています。
今回の伝記で、Thinkの方は広告代理店の発案であり、Stayは先達の残した言葉だというのがわかり驚きましたが、他人のアイデアをけなしておきながら後日自分が考えたように披露するのが日常茶飯事であったというジョブズらしいエピソードですし、その言葉をまさに自らの骨肉にした生き方であったと思います。

Think Different, Stay Foolish/「他人と違うことを考えよ、そして愚直であれ」、この二つの言葉は、以前から私にとっても至高のものでしたし、そのように生きたいと思ってきました。
その根本となる姿勢ばかりでなく、自ら創ったAppleを一度は追われ、次のNeXTも失敗しながらもあきらめず、瀕死のAppleに復帰してから奇跡の回復というより史上最高の会社に立て直すという生きざまは、今は長慶苑を離れて市議の職を失っている私にとっては、まさに手本とすべきものです。
ジョブズにとってのPixarが私にとっての弘前市であり、Appleというべき相馬が一番の地域であるように力を尽くすことこそ、ジョブズが死の瀬戸際までAppleを思っていたことから学ぶべきことです。
もう一つ、ジョブズは公式伝記を書いてもらったのは子どもたちに真実を伝えるためだったそうですが、親が落選し無職ということで辛い思いをさせている我が子たちのことを思うと、私もこの逆境を超えていかなければと思いますし、いつか何を信じて何のためにあがいていたのかを理解してもらえる機会を作りたいと思います。

この伝記は、もうすぐ47歳という節目を迎えるにあたって思いを披瀝し、そして自分のライフスタイルを作ってくれたスティーブ・ジョブズの死を受けとめる貴重な機会になりました。
ジョブズのように最後に一つ、この伝記はiPadで読むべきです。

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