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2011.10.21

「孝」から徒然に考える

市内を代表する南建設の直之進社長のご母堂の通夜があり、参列しました。それは公的な関係があったからというのではなく、直之進さんが高校の1年上であり、日頃から私に対してまっすぐな意見をしてくださる先輩の弔事であるからです。
直之進さんは今回の落選に対しても、「親子喧嘩している議員というのでは、世間が認めてくれない」と言っててくれましたが、先年の父上逝去の際にも父親への尊敬の念にあふれた喪主あいさつをされていましたし、今回も父と会社を支えてきた母親への感謝に満ちたあいさつをされていて、その苦言が言行一致の思いから発せられているのを改めて知り、こんな先輩が向き合ってくださることをありがたく思いました。

とはいえ、私自身は一連の長慶会騒動以来実家との縁を切っていますし、そのことで世間の信頼を失っている「信なくば立てず」の境遇ですが、これからも「孝」よりも自らが信じる正義つまり「義」を貫く生き方をしていくつもりです。
これは私一人の立場であれば何の問題もないのですが、妻子ある身としては半年も職を持たず好き勝手に活動しているままでいいものかという忸怩たる思いに駆られるのも一方の現実です。
特に子どもたちに対しては、親として正しい生き方を身をもって示しているつもりであっても、肩身の狭い思いをさせているかと思うと、親不孝はさておき子「不孝」であるなあと嘆息してしまいます。

ここで思うのは、親に対する「孝」や兄弟に対する「悌」という語はあっても、子を思いやるのをストレートに表す語はないということです。あえて言うならば「いつくしむ」という「愛」や「慈」がこれにあたるのでしょうが、仁義礼智忠信孝悌の徳目には含まれていません。
それだけ生き物の本能として、子を思いやることは言葉にするまでもない大事なことだと思いますし、このことだけは肝に銘じて生きねばならないと思っています。

徒然ながら、重いことを記してみました。

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