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2011.10.25

木村事務所は大人の対応

早朝に記したとおり、先ほど木村事務所の両巨頭である木村晴男秘書・八木橋兼光秘書がお越しになり、雨の中玄関先でのあいさつを終え、帰って行かれました。
内容としては、晴男秘書の帰省にあわせて関係してきた人たちへのあいさつ回りということで突っ込んだ話は一切なく、部屋まで片づけて覚悟を決めて臨んだ立場としては拍子抜けでしたが、隣町の選挙のことを持ち出さずにこれまでどおりの接し方でありましたので、その大人の対応にホッとしたところです。

次の津軽の政治のために小田桐智高さんを応援する気持ちに変わりはありませんが、藤崎町内や水面下での動きはともかく、反小田桐派の町議諸侯におかれても、このような冷静な対応で選挙後の藤崎町がノーサイドにまとまることを願うばかりです。

政治改革の大義と良心をもって機先を制す

今までの政治の世界ではきっとタブーですが、「木村派の圧力」ということが何度も報道され、それが来月20日と決まった藤崎町長選の大きな争点である状況に鑑み、そしてその木村衆の一員であった者としての良心に沿って、皆さんにお知らせしておきたいことがあります。

昨夕、木村事務所の大番頭である八木橋兼光秘書から久しぶりに電話をいただきました。内容としては、東京事務所の木村晴男秘書が帰省するにあたり久しく会っていないのであいさつにおじゃましたいということでした。
力なく落選した素浪人のところに、木村事務所の両巨頭がおこしになるというのは畏れ多い話でありますが、最近の私のBlogやネットでの意思表示を受けてのことであれば、場合によっては私自身が「木村派の圧力」を実感する場になるやも知れません。
それにもかかわらず来訪を受けることにしたのは、現実に起きることをお伝えするのをここで表明しておいて、何があってもオープンにして密室での政治を変えるという改革のきっかけにしたいと思っているからです。

そして、もう一つ木村衆の一員として、最後まで良心をもって信じていたいエピソードがあるからです。
合併した最初の弘前市長選において、私は木村陣営が推す現職ではなく別の候補を支持することを明らかにして動いていました。
ある機会にこの件で木村太郎代議士と膝詰めで談判することになり、30分もの間意見を交わしましたが当然相容れることなく物別れに終わりましたが、別れ際に太郎代議士は「今回は戦うことになるが、直樹さんとは長い友情がある、終わったらまた一緒に」という言葉を残してくれ、その言葉どおり私はその後も木村衆として活動することを許されてきました。
落選後に一番心配してくれたのを態度に表してくれたのは太郎代議士だったのは紛れもない事実であり本当に感謝していますが、今回の件でも寛恕の心を持って私にも、そして何より一番長く接している智高さんにこそ再結集の蜘蛛の糸を残しておいてほしいと思うのです。

政治のあり方をオープンなものに変えること、選挙という戦いを経て良心をもってノーサイドとし政治の世代交代を進めること、この二つのテーマにぶつかる藤崎町長選であるだけに津軽の政治を大きく左右するものだと思いますし、今日の来訪もこの流れの一つに位置づけられるものだと心しています。
それだけに、八木さんにも晴男さんにも覚悟してお越しいただきたいと、機先を制してお伝えしておきます。

2011.10.23

新生陸上クラブの1年に感謝

陸上クラブにとって、今年最後の大会となる弘前市秋季大会が終わりました。
参加人数が少ないことを差し引いても、今年初の優勝者も出ましたし、100mに出場した4年生7人中6人が自己ベストでしたので、トレーニングの成果を出してくれたと思います。

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昨年は3人という少人数でしたし、自分の子どもがかかわらないので申し込みがゼロであれば消滅でもと思っていたのですが、新4年生から当初は2人、すぐに2人の追加があり、女子4名でGW明けから活動をはじめました。
その後、5月に2人、6月から1人、夏休み明けにもう1人と男子4人が加わって総勢8人での活動となりましたが、今まで以上に元気に声を出し、小さい分私にからまってくるような接し方をする子どもたちを相手にすることができ、おかげでさまざまな不機嫌な思いを吹き飛ばしてくれるリフレッシュの時間を持つことになりました。
実際の指導では基本重視でけっこう厳しく叱ることもありましたが、それにもめげず逃げ出さずについてきてくれ、今日の大会では中学生の走りを見てフォームの乱れを指摘するほどでしたので、指導してきたかいがあったと思いました。

活動最後ということで、午後には雑草で覆われつつあるグラウンドコースの草取りを親子で行い、夕方からは反省会でにぎやかに語らいましたが、保護者の方々も積極的に協力してくれ、クラブの運営の方針を理解してくださっていましたので、こういう環境で新たな1年を過ごせたことに感謝しながら、来年度もかかわっていこうと思います。
ただ、「来年もやる人?」と聞いたところ、8人中2人しか手が上がりませんでしたので、どうなることやら。(笑)

2011.10.21

「孝」から徒然に考える

市内を代表する南建設の直之進社長のご母堂の通夜があり、参列しました。それは公的な関係があったからというのではなく、直之進さんが高校の1年上であり、日頃から私に対してまっすぐな意見をしてくださる先輩の弔事であるからです。
直之進さんは今回の落選に対しても、「親子喧嘩している議員というのでは、世間が認めてくれない」と言っててくれましたが、先年の父上逝去の際にも父親への尊敬の念にあふれた喪主あいさつをされていましたし、今回も父と会社を支えてきた母親への感謝に満ちたあいさつをされていて、その苦言が言行一致の思いから発せられているのを改めて知り、こんな先輩が向き合ってくださることをありがたく思いました。

とはいえ、私自身は一連の長慶会騒動以来実家との縁を切っていますし、そのことで世間の信頼を失っている「信なくば立てず」の境遇ですが、これからも「孝」よりも自らが信じる正義つまり「義」を貫く生き方をしていくつもりです。
これは私一人の立場であれば何の問題もないのですが、妻子ある身としては半年も職を持たず好き勝手に活動しているままでいいものかという忸怩たる思いに駆られるのも一方の現実です。
特に子どもたちに対しては、親として正しい生き方を身をもって示しているつもりであっても、肩身の狭い思いをさせているかと思うと、親不孝はさておき子「不孝」であるなあと嘆息してしまいます。

ここで思うのは、親に対する「孝」や兄弟に対する「悌」という語はあっても、子を思いやるのをストレートに表す語はないということです。あえて言うならば「いつくしむ」という「愛」や「慈」がこれにあたるのでしょうが、仁義礼智忠信孝悌の徳目には含まれていません。
それだけ生き物の本能として、子を思いやることは言葉にするまでもない大事なことだと思いますし、このことだけは肝に銘じて生きねばならないと思っています。

徒然ながら、重いことを記してみました。

2011.10.20

おっとり刀で木村衆離脱

タイミングを逸したので何を今さらな報告になりますが、先日のお願いも虚しく、藤崎町議選は定数14のうち小田桐智高町長不支持派が上位11位までを占める圧倒的な結果となり、18日には臨時会において懸案となっている学校整備にかかる補正予算などの審議の前に再度の不信任決議がなされて、ついに町長失職さらに副町長・教育長も辞職という、政治的空白を生み出す事態になってしまいました。

前回もふれたとおり、私は1999年の相馬村議選に初挑戦する際に木村太郎代議士の紹介で当時は町議であった智高さんを知り、それ以来先輩でありながら知らないことがあれば率直に質問してくる謙虚さと包容力のある兄貴分として慕ってきました。
それを一番感じる機会であったのは、智高さんが事務局長として同年代の議員や支持者で構成された選対本部をまとめていた太郎代議士の総選挙でしたし、もう一つは太郎代議士が呼びかけた県内の若手議員が集って学び交流する場であった「WINGあおもり」で、智高さんはその事務局も務めていて私が引き継ぎをさせていただいた際にもしっかりとした事務処理をされていたのを覚えています。
私にとっては、太郎代議士の政治活動にかかわることは智高さんを知る機会でもあり、木村守男前知事が女性スキャンダルで辞職した直後に町長となった智高さんはトップとしての責任を自分の糧としてスケールアップしたので、私は何度か膝を交えて語らう席で教えていただくことが多々ありました。
それが今回は、町長失職して出直し選に向かうにあたって智高さんが「木村派」離脱を表明せざるを得ない状況になってしまうほど関係がこじれてしまったのは、私にとっても痛恨の極みです。

報道では「木村派」とされていますが、身内的には木村衆という表現の方がしっくりくるような濃いかかわりで草の根選挙をともに戦う集団でしたが、思えば西目屋村の関村長のようにステップアップを果たして離れているのは稀有の例で、当選は重ねていても関係が薄くなっているのはまだしも、私ばかりでなく平川市でも長年活動してきた先輩議員が落選しており、当時の選対本部の顔ぶれがまったくといっていいほどいなくなってしまっているのが実情です。
前知事が政治を志して以来の支持をしてきた青雲会の方々のような古参の支持者はさておき、太郎代議士の同年代の太山会から政治の場で活動してきたメンバーが離れざるを得ないというのは、若さを売り物をしてきたのが消えつつある中で失うものが大きく、太郎代議士にとっても痛い損失であると思いますが、今回の騒動でも同年代の政治家を応援しようという姿勢が見られないのは残念です。
私に対しては、反対する行動を取っても寛恕してくださり、落選後も気にかけてくださってもらっているだけに心が引き裂かれる思いがありますが、政治の世代交代と正しい政治を支持していくために、無力な私としてできることとして、この場を借りて木村衆から離脱することを表明します。

何もできない立場ですが、私は智高さんを信じて応援していくつもりです。

2011.10.16

津軽の昔コを野田村に届ける

「動こう津軽!」生活支援プロジェクトの一つである「津軽の文化」教室の第2弾は、初回の渋谷伯龍さんが代表を務めている「津軽むがしっこ村」の皆さんに昔コ(津軽の昔話)を語っていただました。
これは、渋谷さんにお願いに上がった際に自分の分ばかりでなく昔コの方も日程を即決してくださったもので、やはり誰に頼むかは大きな違いです。この場を借りて、改めて渋谷さんにお礼申し上げます。

その「むがしっこ村」の皆さん5人とともに野田村に向かい、午前中は野田中仮設住宅集会所、午後は泉沢仮設住宅談話室で開催しましたが、二日前のヨーガ教室が前後の体操などとの日程で少人数で終わったのから見違えるほどの参加者で、皆さんなごやかな雰囲気の中で笑い、今回のリーダーで全国的にも高名な語り部である佐藤ツリばっちゃの「雪女」の最後の別れの場面などでは涙をぬぐう方もあるような感動もまじえて、1時間楽しんでいただきました。

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午後の回には、先月のヨーガ教室で感嘆させられた89歳の三太郎さんが参加してくださったのですが、最後に参加者を代表して、「津軽の文化はすばらしい!」と力強く感想を述べてくださり、「むがしっこ村」の皆さんも逆に感動をいただいたと喜んでくださる有終のフィナーレとなりました。
そればかりでなく、昼食の際には野田村の特産である塩を使った塩ラーメンや塩ソフトを味わっていただき、往きは久慈渓流の紅葉を楽しみ、帰りには道の駅おおのキャンパスの広大さに驚いていただけましたので、津軽の文化を届けることと津軽の人たちに岩手県北のすばらしさを知ってもらう機会をつくるという二つの目的が達成でき、これこそ交流だと満足して帰路につきました。

ちなみに、「むがしっこ村」の皆さんには車中も楽しい話を聞かせていただいたばかりか、ツリばっちゃにはいつもは裏方に徹している私をもちつき相手に引っ張り出されたりと、私にとっても楽しい一日でした。

2011.10.13

檜槇委員長、おやめなさい

一旦は床についたものの、眠ろうとすればするほど怒りがよみがえってきますし、その矛先を向ける方が早朝にBlogを更新することを思えば、それに左右されずに意志表示した形にすべきだと考え、あえて深夜にキーボードを叩いています。

昨夜、「まちづくり1%システム」不採択にかかわる意見交換会があり、私は「動こう津軽!」による国際漫画展移動展と「津維人の会」によるTwitter&Facebook講習会の2件であわせて3時間を費やしました。

これは、市民税の1%分にあたる6000万円を上限50万円で市民からのまちづくりにかかわる提案事業に向けるというマニフェストを形にしたものですが、第1次では29件の応募に対し19件423万円、今回の第2次では9件に対し5件124万円を採択という結果となっています。
採択となる確率が低いことで市民の期待感は失われてきているのが現実ですが、それを打開するため不採択理由を説明し今後進めていくために参考となる意見交換をするという趣旨でしたが、見えてきたのはこのやり方では市民が新しいチャレンジをしようとする芽をつむばかりであるし、葛西市長が掲げたマニフェストが看板倒れになってしまうという失望感ばかりでした。
審議委員会側からは檜槇貢委員長と委員2名、事務局2名が出席しましたが、檜槇委員長からは参考にするという話ばかりで具体的な打開策を持ち合わせていないことが見え透いていましたし、一方は長期的視点が見えないとしながら別の方ではあまりに先を行く話だといった、視点が定まらないままにリスクばかりにフォーカスしているのが露呈していました。
また他の委員の方は、自分の賛否を間違えていて臨んでいて自分が理解できないことには賛成できないという消極的な姿勢だったり、旧町村ではバラマキがあったとかお役所仕事と違う判断をしているといった行政職員を見下した発言を繰り返していました。
さらにつけ加えておくならば、ヒアリングの際にネガティブな質問ばかりを繰り出して審議の方向を本来の趣旨と違うところで不採択に持ち込む意図を持っている委員がいたのも事実ですし、初回のプレゼンをしたメンバーからは檜槇委員長が居眠りしていたので、それだけでもガッカリしたという話が出るほど、委員構成や審議会の進め方・姿勢に問題もあります。

今回の場で私が強く主張したのは、まちづくりが一歩でも進むのであれば採択という基準にすべきだし、多数決で決めるのでなく一人でも賛意を示す委員がいる提案であれば、まずはやらせてみてキッチリと評価するといったプラス志向の進め方をすべきだということです。
私たちのように関心を持って提案する立場の人間ですら失望しているのを、今年度はこのまま進めて改善を図るという不透明な手順では市民が見直して手を上げてくれるものになるとは思えませんし、市民主権をマニフェストのトップに掲げてマニフェスト大賞優秀賞を受賞した葛西市長にしても、一丁目一番地の政策がこのような停滞をしているのでは問題だと思いますし、自ら審議に立ち会ったり市長権限で復活させるものを出すぐらいの意気込みを見せるべき状況だと思います。

それにしても、自分たちが市民の心を折ったと思う気持ちがあるなら、それだけでも市にとってあってはならない事業の進め方であることを自覚してほしいですし、税金を投入するから慎重になると言うならば自分たちの不手際な審議のせいで意見交換会を開き担当職員に残業させて無駄づかいを発生させていることに思いすべきだと思います。
これを本当に打開するとすれば、市民主権という名の下に行政批判を行いながら、返す刀で提案してきた市民に対しては上から目線に立つ今期の審議会そのものが責任を取るべきだと思いますし、その代表である檜槇委員長におかれましては席上ぶつけたように即刻おやめになるべきだと思います。

私自身は正しい提案を受けられないのであれば市の力など借りずにやれば済むことだと思っていますので心折れることなど決してありませんし、市民力だけでまちづくりを進めていく所存です。

2011.10.03

僭越ながら、藤崎町民の皆様に告ぐ

明日、隣の藤崎町で小田桐町長不信任を受けて解散となった町議会選挙が告示となります。
このような仕儀となるまで町政が混乱した経緯については書くと切りがありませんし、その真実がどこにあるのか知る立場にないので踏みこみませんが、よもやの不信任再決議となることはあってはならないと思うだけに、この機会に藤崎町民の皆様に訴えたいと思います。

小田桐智高町長とのご縁は、私が初めて村議選に立候補した際に同年代の議員仲間として木村太郎代議士が事務所開きに連れてきてくださったのが最初で、太郎代議士の選対本部や若手政治家の勉強会「WINGあおもり」などで一緒する機会が多く、その中でも智高さんは政治改革への思いやITへの向き合い方で共通項があり、私にとってはずっと兄と慕う存在でした。
町議から藤崎町長となり、常盤村との合併をスムーズに進めてきましたし、トップに立つ政治家としてスケールアップした姿に感銘を受けるばかりでなく、当時の合併で背を向けられた金澤弘前市長には応援できないと言われたことで、政治家としてのプライドそして自ら立つべきところをしっかり持つ大事さを示していただいたのを今でも鮮明に覚えています。
それだけに、町の発展を考えてのさまざまな計画や進め方を検討してきたものだと信じていますし、選挙応援で偏らない姿勢を見せたのも町を思ってのことであって、巷で言われるように反木村に転じたものではないと、同じようなことをしてきた者として理解しています。

このような傑出した政治家をお家騒動に引きずりこんでしまうことこそ津軽の足ひぱりだと思いますし、一つの町だけの問題でなく津軽の政治の未来を閉ざすことだと思うだけに、黙って見過ごすわけにはいかないのです。
どうか藤崎町民の皆様には、真実がどこにあるのか未来はどちらに開けていくのかを重々考えていただいて、懸命な判断をしていただきたいと思います。

2011.10.02

ジョッパル再生と「対話と創造」

29日に突然浮上してきた弘前市の経済界トップによるジョッパル再生への新会社設立ですが、最初に私自身は商業施設より公共施設を中心にした再生であるべきであるという従来からの考えに照らしても、シネマコンプレックスを中核にした複合施設という構想そしてエスタブリッシュメントによるまちづくりという手法にも反対であることを明らかにした上で、この件について改めて考えたことをそれにつながるトピックとともに記しておきたいと思います。

2009年10月に突然閉店破産という形になった弘前駅前地区再開発ビル=ジョッパルですが、葛西市長は立候補に際してのマニフェストで3つの緊急対策が必要なものとしてジョッパル再生を掲げて当選したのですが、今年3月の所信表明では踏みこむ姿勢が後退したかのような表現にとどまったことで一般質問でも問われる場面があり、水面下はともかく表立った動きは見られませんでした。
また今回の中心となっている大中忠氏が社長を務める弘果で「まちづくり会社」の設立を検討していることは知っていましたが、直接かかわるものではありませんので、どういう方向をめざしているのかは知り及んでいませんでした。
市長選の有力な支持者であった大中氏などの「マイタウン」設立メンバーと市長の間で、この件での意思疎通があったとみるのは当然の流れですし、それ自体は問題ないとしても、「対話と創造」をメインに掲げた葛西市長が、「マイタウン」に先んじてジョッパル再生のために取得に動いた人物との対話があったかどうかは姿勢が問われると思います。

一方、「創造」の部分では、同じくマニフェストに掲げた「仕事おこし」事業によって、弘前中央食品市場にBONHEUR(ボヌール)という、市場そのものを活性化するような斬新な店構えと買い物難民への対策を図るという二つの特色を持った場がちょうどオープンしました。
高橋信勝君という有為の若者が一からスタートさせた店には、昨日のマグロ解体ショーにあわせて応援しようという同年代のメンバーが多数顔を出していて、この場やこういうメンバーから新たなまちづくりがはじまる手応えを感じました。
それから、今日はエルムにショッピングに出かけていたのですが、そこに弘前のFacebookメンバーが何人も来ているのがわかり、エルムやイオン柏に太刀打ちできない状況になっている弘前市の商業を憂いながら、大正時代に東北初のデパート「かくは」が誕生した街であったような10年後の再生をめざした取り組みや話し合いが必要だというやりとりがかわされました。
今のジョッパル再生も重い課題ですが、弘前市全体をどうするのか、それを創造していく世代での動きも必要だと実感する、二つのトピックでした。

ジョッパルの件は、大学生からも心配の声や新しい発想でやるべきといった意見が出されていますし、市が出資していて固定資産税などでの損害を与えてきた存在なのですから、「マイタウン」の重鎮方にも市民との対話の上で進めていくとか、オーナーとなってもマネージャーは若い人材に委ねるといった経営をするといったことが重要だと思います。
その意味でも、葛西姿勢の根本「対話と創造」の象徴となる問題ですし、今後の弘前市に大きな影響を与えることとして、これから注視するとともに動いていきたいと思っています。

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