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2011.09.25

「ちゃかしっこ」、最高の発進

当初は高齢者対象のサロンサポートをもくろんだ「動こう津軽!」の生活支援プロジェクトですが、実施にあたっての話し合いの中で、高齢者・障がい者はフォローできるとしても仮設住宅での生活で一番ストレスを抱えこんでいるのは小さい子どもを育てているママさんたちなのに、それを発散させる場がないという課題が浮き彫りになり、そこにも取り組むことを安請け合いしました。
実際にあたってみたところ当てが外れてしまいましたので、福祉の世界でのご縁を頼って弘前厚生学院に相談に乗っていただき、併設されているみどり保育園が市内で実施している「移動おもちゃ館」の取り組みをベースに協力してくださることになりました。
勤務表ができてからの依頼で、この3連休初日には卍フェスティバルでの稚児行列もあるというのに、3人の保育士さんが行ってみたいと希望してくれ、案内のチラシまで作成して自分たちの活動を「ちゃかしっこ」(津軽弁であわてんぼうの意味)と名づけて臨んでくれました。

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野田村でイベントが開催される日にぶつかったにもかかわらず、開催した野田中仮設住宅ではないところからわざわざ参加してくれた方、大震災後に生まれた赤ちゃんを連れた方や孫世代のにぎやかな声に誘われたお母さん方も顔を出してくれる集まりになり、その中で「ちゃかしっこ」の3人は歌や手遊び、体操とバラエティに富んだ楽しいパフォーマンスでみんなを笑顔にしてくれました。
これだけでも十分だったのですが、帰りの車中では子どもたちと接しながら表立っては見せない大震災の心の傷を感じ取る観察眼を持ってかかわっていたことがわかり、楽しいスタートを切った分次回からの取り組みに向けた反省を話し合うことに時間を取っていて、これだけの力量を持った保育士集団に協力してもらえることに感謝し、本当に最高の発進となったとうれしく思いました。

今回は日程をあわせて「チームオール弘前」の弘大生も協力してくれましたが、福祉の専門性を震災支援で発揮する場を作るという目的に沿って、来月はその卵である厚生学院の学生にも参加してもらえる調整をしたいと思いますし、YOSAKOIがさかんである野田村との交流には学校をあげて取り組んでいる厚生学院には他にはないチャンスがあることなど、同行した大森事務局長と次に向けての話し合いをしながらの帰途となりました。
野田村への支援であるとともに、福祉の人材を生かし、そして学ぶ場にもなる「ちゃかしっこ」の活動、大事にしていきたいと思います。

2011.09.23

卍フェスティバルで出会う人、出会わない人

弘前城築城400年祭の集大成といえる「卍フェスティバル」が、この二日間開催されています。
メインは午後からの土手町でのJIDAI行列ですが、観光館広場での「感謝祭」のオープニングで花嵐桜組が演舞するというので、開会にあわせて顔を出しました。

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花嵐桜組と飛馬の星がお山参詣を2008年同時にテーマにしたのが縁でおつきあいさせていただいていますが、今年6月の「花火の集い」の際に野田村からの招待の皆さんを私が案内していた際に演舞が席から遠すぎて見えなかったので、リーダーであるキャサリンこと小野郁子さんにお願いして間近で演舞してもらったばかりか次のステージまで歓談していただく形になり、その場で「野田村に行きます!」という宣言をしてもらったのを、8/28の野田村復興イベントで実現してもらったお礼を直接したかったからです。
キャサリンは今回のMCの中でも野田村に行ったことを感極まった表情で報告してくれ、チームとしても震災支援で演舞し続けることを語っていて、それにかかわった私も感激ひとしおでした。
また、出店のコーナーでは野田村の豆腐田楽をふるまうために、何度もお会いしている前田さんたち5人が来てくださっていて、ここでも再会することができました。

その後のJIDAI行列までにスタッフを務める方、見物に来られた方など多くの知人に会いしましたが、全然見かけなかった存在があります。それは議員の姿です。
元旦のオープニングイベントでも思いましたが、築城400年祭という市にとって空前絶後の大イベントを市民として楽しむのは当然のことですし、その予算を議決する立場として何が行われ市民がどう受けとめていたのかを実感することで事業評価に役立てるのが、議員たる者の責務であると思います。

一市民として見る側に回った400年祭ですが、長浜が400年祭を機に黒壁のまちづくりをスタートさせたように、弘前市にとっても来年からが大事なことですので、ここで出会えた方々とともに次の100年のまちづくりに参画していきたいと思います。

2011.09.19

お国ことばでつながる野田と津軽

「動こう津軽!」の生活支援プロジェクトの一つとして組みこむことになった「津軽の文化」教室の第1弾として、まずは津軽弁ということで第一人者・渋谷伯龍さんの津軽弁講座を開催しました。
午前中は野田中仮設住宅集会所、午後は総合センター大会議室と会場を移して2ヶ所で行いましたが、渋谷さんの痛快なエピソードを交えた洒脱な津軽弁のお話と、楽しい川柳の紹介ばかりでなく午前中はその場で詠んでもらうことまでやっていただいて、皆さん大笑いしたり頭をひねったり、本当に朗らかな会になりました。

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午前中は渋谷さんが出演しているNHK青森「お国ことばで川柳」のスタッフも同行し、来月のお題に沿った川柳を詠んだり、番組PRにまで協力していただきましたので、ご覧になれる方には来月7日(金)19:30からの放映を見逃さないでいただきたいと思います。
また、午後には参加者の方から「野田では、こういう」という発言が数多くあり、渋谷さんが「勉強になった」とメモを取る場面もあるほどでしたが、津軽弁が一括りにできないのと同じように、野田弁と八戸を中心とする南部弁でも単語の違いがあるのを知る機会になりました。
それだけ、文化の違いがあるからこそ、それぞれの持つものを大事にし、その上での交流ができればいいなと改めて思いました。

最後に、集会所での天の句に選ばれた句を紹介します。震災をこんな風に詠めるようになった強さとユーモアに感銘を受ける句です。

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2011.09.15

決算審議傍聴を総括する

決算特別委員会の3日目、一般会計教育費の審議が終わり休憩に入ったところで、私は傍聴席を離れました。
一般会計は歳入の部門では質問通告が1つだけ、残りの特別会計全部でも10しか質問がないので、実質の審議はここで終わったと言えますので、質問できない立場から決算審議を総括したいと思います。

行われた質疑の感想としては、質問のレベルが非常に低く、新人議員とはいえ小西議員が事業の内容だけを確かめる質問を繰り返したり、ベテランの域であるはずの越議員が古木と名木の違いとはといった市政にまったく関係のない下らない質問をしたりというのは問題外ですが、どういうことをやった=アウトプットではなく、どういう成果が出た=アウトカムを問うものはほとんどありませんでした。
そういう希少価値な質問でも、担当が事業の目的や概要、そして結果についてまとめた事務事業調書をあたっていないために、どういうアウトカムをめざしていたのかを確かめた上での質問ではなかったので、一番大事なところであやふやなやりとりで終わってしまっており、核心を突いた白熱の論戦となったものは皆無でした。
それ以上に問題なのは、昨年2010年度は年度に入ってすぐに葛西市長への政権交代があり、6月には大規模な補正予算で施策が組み替えられ、7月には観光局設置といった機構改革、10月以降はアクションプランに沿った新たな事業がスタートしたのですから、その視点に立った施策事業の検証をする必要があったのに、そこに踏みこむ質問はありませんでした。

市議という立場を失って、外から議会の果たすべき役割を考えてみると、議会改革は議会内部の課題であって市政の向上に意味を持つものではなく、政策提言はアイデアポストといった手法で一市民であっても可能です。
こうしてみると、本来取り組むべきは事業仕分けや、マニフェスト大賞で最優秀賞を受賞した八戸市・石橋市議が市長のマニフェストをすべての関係課に聞き取り検証したような取り組みをシステム化して、施策事業を監査するのが議員としての本分であると思うようになりましたし、仮にシステムにできないまでも議員という立場があれば各課に時間を取ってもらって検証のやりとりをしていくことはできるはずです。

それが行われない議会、そしてそれができない自分に腹が立ちますが、これが市民が議会に対して求めたものだと受けとめるしかありません。
今取り組んでいる震災支援、これから取り組んでいきたいまちづくり、何より生活を成り立たせていくこと、これらをクリアした上で、議会への不満の沸点が超えた時しかるべき行動を起こしたいと思います。

2011.09.13

決算傍聴、理解しやすくなりました

先日お知らせしたとおり、議会傍聴にかかわる要望を田中議長宛に出したところ、議会運営委員会ではなく会派代表者会議にかけることにしたという連絡を直々にもらいましたので、それでは今定例会では埒があかなくなると思い、今日からはじまる予算決算特別委員会で必要な決算書を貸し出してくださるよう、担当課である総務財政課にメールで申し入れしておきました。
午前中の補正予算審議を経て午後からは決算に入るところでしたので昼休みに顔を出したところ、貸出のシールを貼った決算書ばかりか今後を見すえた貸出簿まで用意されていて、さすが如才ないと感心しながら午後の傍聴に入ることができました。

一方、議会事務局には決算に関する質問通告調を求めておいたところ、こちらもいただくことができて準備万端となったのですが、目を通すと12名135項目しか通告がなく、3月の予算審議に一人で80項目の通告をした立場としては唖然とする状況です。
そのうち新人8名で通告したのは4名で19項目、5期以上のお歴々では誰も質問なしというのが、改選後初の決算に臨む姿勢だというのを、市民の皆さんには記憶していただきたいと思います。
また、決算書貸出のことは早晩伝わると思いますが、葛西市長のスピード感が部局に伝わっている対応をしている時に、議会は市民の求めにいつになったら応じるのかという課題の解決も注視していく必要があります。

ただ何はともあれ、決算予算という実質的に市政の方向を資料を確認しながら確認することができる態勢にはなりましたので、私の他に一人という寂しい人数ではなく、一人でも多くの方に足を運んでいただきたいと思っています。

2011.09.11

高橋博之君、これからです

東日本大震災から半年となった9/11、岩手県知事選挙が投開票され、現職が再選を果たし、私が盟友と信じる高橋博之前県議は落選しました。情熱ある訴えが届かなかったことは、本当に残念でなりません。

博之君のことは以前から佐藤邦夫奥州市議から岩手の次代を担う人材だと聞いていましたが、今年になってからTwitterで、稼業として当選し役職を得ることだけに汲々としている現状を変えていくためには、首長ばかりでなく議員も任期制限をするべきだし、それを自分たちで実践していくとともにその後のキャリアが開けるような取り組みを改選後に考えようというやりとりで共鳴したことから強いつながりができたのですが、オブラートに包んだようなマニフェストへの盛り込みだった私とは違い、博之君は翌日から「次でやめる」と街頭演説していたというので、感嘆してしまいました。
大震災で岩手県議選も当面延期となったのですが、博之君はここで動くのが政治家の役目だと心を決めて、3日後の3/14に「ゆいっこ」を立ち上げて大槌町を中心とした支援活動をはじめました。それは私が「動こう津軽!」を3/21に呼びかけるのを引き出しましたし、30日には私の縁者も被災している大槌町に同行させてもらうことができ、わずかな日数のうちに被災者の方々と膝を交えて話し込める関係を作っている姿を見て、これこそいまやるべきことだと得心し翌日からの野田村での活動に臨むきっかけとなりました。
この時、すでに知事選挑戦の決意をしていたのは8/12総決起大会の本人の演説でも聞きましたし、そのあたりのことは右腕として動いている細川宏幸花巻市議のBlogに詳しく書かれていますので参照していただくとして、落選した私を気づかったメッセージをくれた中に「県議には出ません」という言葉があったので、復興を超えた新たな社会づくりの第一歩を踏み出す意義を大槌町への往復の車の中で語ってくれた熱い思いを知るだけに、覚悟を決めているのがわかりました。
本当であれば、県議選とのダブル選挙で急ごしらえの連合軍選対では大変なこともあるだろうと思い、できる限りの応援に入りたいと思っていたのですが、サロンサポートの準備などで日程が取れなかったこと、それ以上に8/27野田村復興イベントにあわせて国道45号線を情熱行脚して向かってくる姿を見た時に、選挙で勝つこと以上に思いを伝えることに徹底している選挙活動ならば出る幕でないと思い、手伝わずじまいになりました。

本人は完敗を認めて今日から街頭演説を再開したというので、さすがという他ありませんが、ともにバッジを失うことになったからこそ次に向けて何をすべきか語り合いたいものだと思っています。
博之君、これからです!

2011.09.09

ボランティアは学びの機会

先日お知らせした「動こう津軽!」サロンサポートの初回は、弘前市を中心に活動している日本ヨーガ療法学会の鈴木恵子先生のご協力をいただいたヨーガ教室となりました。
野田村社協・地域包括支援センターとの連携で、午前中は野田中仮設住宅集会所、午後は泉沢地区仮設住宅談話室で開催しましたが、思った以上に参加してくださる方が多く、中には告知のチラシを見て「三上さんの企画だから」と来てくださった弘前への招待者の方もいて、本当にご縁をいただいたことにこちらが感謝するばかりです。

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その参加者の中に、最高齢89歳の男性の方がいたのですが、今回の案内を楽しみにしてくださって自ら参加してくださり、最初はおぼつかなさげで鈴木先生も心配されていたそうですが、動くにつれて元気になってきたばかりでなく、終わってからの歓談の中でたくさんの学ぶべきことを語ってくださいました。
ご自身は毎日5:00に起きて自転車で8km走るのを日課にしているというのが元気の秘訣ということでしたが、今回の大震災ばかりでなく1933年の昭和三陸地震の津波も体験したのだそうで、その当時は全員が「津波だ、逃げろ!」と叫びながら逃げていたのが今回は声をかける人がなく人間関係や地域のつながりが薄くなったことを嘆き、仮設住宅で助け合っているのでもまだまだ及ばないという大きな声でのお話には、参加した全員が背筋をただして聞き入ってしまいました。
今でも集まりがあれば欠かさず顔を出すという前向きな姿勢と人生の積み重ねを持った方が健在であることは、野田村の復興にきっと生かせるアドバイスがいただけると思いますし、こういう方と出会えて学ぶことができるというのは、まさにボランティアの醍醐味です。

サロンサポートは、19日に渋谷伯龍さんの津軽弁講座、25日はみどり保育園の大移動おもちゃ館と新たなプロジェクトが続きますが、幸先よいスタートを励みに現地からのニーズに対応した取り組みを重ねていきたいと思っています。

2011.09.07

外からの議会改革をしかける

9月定例会がはじまりましたので、市政にかかわってきた者の責務として、できる限り傍聴しています。

昨日の一般質問初日の午後に、議会にかかわる質問が続きましたので注目していたのですが、竹谷マツ子議員は議長選挙が公正であったかを選挙管理委員会に問うというもので、内容に踏みこもうとした再質問は藤田副議長が市政一般にわたるものでないとして封じましたが、休憩後に一問一答式にした場合の市側の対応について問おうとした畑山聡議員の質問には、冒頭下山文雄議員から議場での質問として認めるのかと議事進行発言がかけられましたが、田中議長が通告を了解したものであるとしたので矛を収めるという展開がありました。
この件、改選後の議長選挙において優勢とみられていた最大会派・憲政公明の下山候補が田中議長に敗れた際に「下山」という姓のみの2票が無効とされたといういきさつがあり、それ自体は検証が必要なことではあっても、私個人としては前期当初は会派に拾ってくれ最後まで友好な関係が続いていた田中さんが議会改革を所信表明していることもあり、この結果でよかったと思っています。
ところが、これを根に持ったかのように憲政公明は議会改革の入り口のところで議長私案である公式の特別委員会とすることに応じず議長の私的懇談会とすることを主張して折り合わず、結局私案は差し戻されて棚晒しになっています。
それを蒸し返すかのように、議会にかかわる質問で自分の立場に立つ質問は看過し、議長会派からの改革を推進しようとするものには注文をつけるという姿勢をあからさまにするような方が議長にならずに本当によかったと思いました。

ただ、このまま議会改革が進まないのは、それをマニフェストとして掲げた者として捨て置くわけにはいきませんし、一市民として傍聴してみて初めて気づくこと求めたいことがありましたので、本日田中議長宛に下記の要望書を提出しました。

  • マスコミだけに認めている傍聴席へのPC持ち込みを、市民にも同様に許可していただきたい。あわせて、昨年度においてマスコミにのみ認めた交渉の経緯を市民に公表していただきたい
  • 予算決算特別委員会で傍聴を許可する際、審議の内容を理解するために傍聴者に対して予算書決算書などの資料を傍聴席に限って貸し出ししていただきたい
  • 各常任委員会の傍聴を、座席の関係もあるので人数を限って許可していただきたい

PC・電子機器持ち込みは、憲政公明の前身・木翔公明の下山代表が唯一時期尚早としたことで前期実現せずに終わったものですし、6月定例会で予算特別委員会を傍聴した際に資料がないと議論の中身が把握できないのを痛感しただけに決算書に目が通せる環境にしたいという思いからのことです。
これをどういう形で受けとめてもらえるのか、マスコミも注視する形にしていますので、外からの議会改革に市民の皆さんにも関心を持っていただきたいと思っていますし、何より市民が歯がゆさを感じるような状況を心ある議員が動く糸口になってほしいものです。

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