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2011.05.31

武雄市の樋渡市長に全面賛成

佐賀県武雄市の樋渡啓祐市長には、著書『「力強い」地方づくりのための、あえて「力弱い」戦略論』を拝読して以来、Blogやツイッターでの意見も注視してきました。

今回の大震災においても、誰よりも早く地域ごとの集団移住=タウンスティを提唱したとおり一歩先行く言動を見せてきましたが、昨日の「議会はボランティア行ってほしい。」そして今日の「不信任には反対。」ともに正論そのもの、全面的に賛成です。

この正論に引き合うものがあるせいか、Facebookで投稿直後に拝読して最初にコメントする形になっていますので、それを抜き出しておきます。
「地方の場合は高齢化が進んでいるので、現場での肉体労働は難しいかと思いますが、自分の得意分野を生かして震災支援にかかわるのはノブレス・オブリージュな立場からも必要なことだと思います。
しかし、現実には支援より選挙、支援より議会の役職争奪、そんな人ばっかりの議会って、必要でしょうか?」
「昨日の地方議員のこと、今日の国会のこと、まったく同感です。
市民に評価されなかった元市議が言うべき立場でないかも知れませんが、復興こそ進めないといけないのに政治不信ばかりが進んでいくのが情けない限りです。」

一市民という立場に戻って1ヶ月、震災支援を進める上で市議という立場を失って困ったことはありませんが、市議であれば今以上にできることがあるのは一方の事実で、それだけに動かない議員諸侯への不満は募ってきます。
そのことだけなら市民力を結集して取り組むことでクリアできることですが、この国難に際して遊びとしか思えない政局三昧、さらにまかり間違って解散総選挙で政治の空白を作るとなれば、国際漫画展によせられた漫画からうかがわれる日本の政治に対するシビアな視線が強くなるというより見放されるものになってしまうと思います。
国難を生み出したのは大震災という自然かも知れませんが、それを収めるどころか拡散し続けているのは政治という人災です。情けないです。

2011.05.30

弘前発の震災国際漫画展

本日、市役所の記者クラブにて「3.11大震災国際漫画展」開催について、開催委員会の代表である弘前市在住の国際政治漫画家・山井教雄さんとともに記者会見を行いました。
概要は下記のとおりです。

場所:弘前市土手町78・ルネスアベニュー2F ギャラリールネス
日時:6/4(土)〜8(水) 10:00〜19:00
内容:世界34ヶ国から届いた作品から、地震・津波・原発・節電・連帯の5分野50作品をポスター展示
支援金:支援額に応じたお礼として、葉書セット・ポスターを差し上げます
ギャラリートーク:初日14:00〜15:00/山井教雄代表と弘大・カーペンター教授/終了後、「チーズケーキファクトリー」で実施している「アップルパイ食べ比べ」の1ピースと、「いっぷく茶屋」からの飲物を提供

実のところは違う形での展示がポシャったところから仕切り直しなのですが、会場をギャラリールネスにしたことで事務局を楽市楽座においているNPOエコリパブリック白神に協力してもらえますし、トークの際にアップルパイ食べ比べや「いっぷく茶屋」ともつながることができました。

それはさておき、山井さんは『まんが現代史』(講談社現代新書)などの著書や「アエラ」での連載で知られる方ですが、地元在住ながらこれまでご縁がなかっただけに、今回の出会いは非常に感無量のものがあります。
それは今日の記者会見の際に、ルモンドやヘラルド・トリビューンといった名だたるメディアに載った漫画が集まっていること、その漫画家が第三世界においては命を狙われるほどの影響力を持つ存在であることを知り、それだけの漫画展を日本で初めて弘前発で動き出すことに身震いするものを感じました。
山井さんからのメッセージを最後に載せますが、この思いを受けとめていただいて、ぜひ多くの皆さんに足を運んでいただきたいと思います。

「日本の大震災を描いた漫面を送ってください」という私の呼ぴかけに対して、世界33ヶ国、76人のプロの漫画家が素早く反応してくれ、3週間という短い間に、約300枚の漫画を送つてくれました。
多くの漫画が、ル・モンド、へラルドトリビューンといった国際的な新聞、または地方紙に掲載された漫画です。
国によってユーモアの感覚は違いますので、被災者の日本人にとっては少々キツイ表現や、日本文化を正確に理解していないといった表現が多く見受けられますが、彼らに日本への反感は全くありません。最後の『日本ヘの連帯』を表明した漫画をご覧になれぱご埋解いただけると思いますが、参加した漫画家全員が日本の震災被害を心配し、ー刻も早い復興、そして、日本人が一刻も早く笑顔を取り戻してくれることを願っているのです。

2011.05.25

チーム「オール弘前」同行記

6/1の写真復元プロジェクト黒石焼きそば隊がコラボする打ち合わせのため、チーム「オール弘前」のバスに同乗させていただき、現地では災害ボランティアセンターから県社協の車をお借りして、別行動しておりました。

まず6/1の件ですが、野田村役場の担当者に話をしたところ、黒石焼きそばは非常に好評だったのでありがたいとのことでしたので、避難所が継続している野田中・野田小・えぼし荘にはあいさつがてら掲示をお願いして、仮設住宅には改めて28日にポスティングすることにしました。
また、災害対策本部からの広報に写真復元プロジェクトのことが紹介されていましたので、焼きそばとの相乗効果で集客できればいいと思います。

ところで、オール弘前は役場周辺と北安家に分かれての作業で、先週お会いした沢口さんへの取材に関西テレビが来ていましたので、オール弘前の活動も報じられることになりそうです。
行きの車中ではボランティアにかかわる自己紹介、帰りは一日の反省を語っていただく時間があり、それぞれの思いを聞かせていただいて参考になりました。
何といってもボランティアセンターのリーダー日野口さんの進行がしっかりしていて、学生がリードして大人が働き行政が後方支援するという、まさに協働ができているのを実感しました。

ここまでの到達点から次に進むために、28日には関西の日本災害救援ボランティアネットワーク(NVNAD)や八戸高専を中心とする八戸勢、そして弘大や私たちがかかわる長期的支援組織「チーム北リアス」の話し合いに臨みたいと思いますし、一方で災害ボランティアセンターへの社協職員の派遣は6月までとなっているので、専門職員が一人しかいない野田村社協、存在が感じられない特養とコンタクトを取っての福祉的な視点での生活再建も視野に入れていかなくてはならないと思います。

2011.05.15

「政治家」である前に

市議選での落選から3週、任期満了してから半月たちました。
周囲の心配をよそに、今日も陸上大会の引率をしているほど本人はいたって平静、震災支援や次のことを考えて動いているところです。

震災支援にかかわっている関係者のほとんどは自分が関心を寄せているまちづくりでの主役でもありますが、皆さん市議であるかどうかに関係なく従前どおりの接し方をしてくださいますし、市の担当課でも同じ課題に向き合う市民としてのかかわりをしてくださってくれますので、困ったこともイヤな思いをしたこともありません。
それにひきかえ、政治にかかわる方々とはすれ違うことはあっても市がかかわるイベントで一緒になることもないほど別世界の住人なのだと思いますし、落選を残念がって電話をくださったのは地元の清野一栄市議たった一人で、「落選したら、タダの人」というのは政治の世界のことだと、つくづく思い知らされます。

そういう中、先ほど地元選出の代議士であり今は県連会長として迫る知事選の陣頭指揮で多忙を極めている木村太郎代議士が、わざわざ自宅に寄ってくださいました。
その前にも葉書で携帯で連絡が取れなかったことを伝えていただいていましたが、自分が議員という立場になる以前からのおつきあいであり、年が一つ上ということで代議士と呼ばず「太郎さん」というのを変えなくても寛恕し、ある時には市長選で違う候補を支援しても終われば友だちだからと水に流してくれた関係は上辺だけでなかったことを、まさに行動で示していただきました。

これからも政治と無縁ではない人生となるでしょうが、役職の有無で態度が変わることがあからさまな世界の住人に戻るべきか、違う形で政治を変えていくことを考えるべきか、その決断のために信じられる人は誰か、とことん見すえる時なのだと思っています。

2011.05.14

CSAで「再会」

私も会員に加わっているECOリパブリック白神が中核となって立ち上げた弘前マルシェコンソーシアムで、CSA事業に取り組むことになっています。

CSAとは、Community Supported Agriculture=「地域のコミュニティに支援された農業」というものですが、選挙直後のキックオフは弘前城でのキャンドルナイト、先週からのサロンは野田村からの招待と重なって詳しい話を聞いていませんでしたので、エコリパが事務局を移した懐かしのルネスアベニュー楽市楽座に足を運びました。

CSA事業とまちなかマルシェ事業のために、理事である農家の蝦名稔さんがスタッフとして従事するという本腰を入れた体制で臨んでいるだけでも驚きですが、当日はわざわざ青森市から説明を聞くというより申し込みに来られた方があったのに感心しながら、その方とともにCSAと農業問題についてレクチャーを受けました。
それに耳を傾けつつiPadで検索してみると、2000年7月24日更新の「笹山登生のオピニオン/コミュニティが支持する農業(CSA)は日本に定着可能か?」というのが見つかり読み進めていると、「中島興世」という懐かしい名前が出てきました。
中島さんは、ローカルマニフェスト推進地方議員連盟設立で一緒に運営委員となり議連をリードしてくださったのが最初の出会いで、地元・恵庭市の市長選にすばらしいマニフェストを掲げて挑戦して見事当選するというマニフェスト型政治の旗手でしたが、残念ながら1期で終わってしまいました。
しかし中島さんには、市長市議となる前の市職員時代に手がけたことがいくつもあり、「地産地消」という語を生み出したことでも知られていますが、その具体的な取り組み「えにわ田舎倶楽部」が日本のCSAのさきがけだったというのを今さらながら知りました。

CSAという新しい取り組みに関心を持ったことで、中島興世さんという懐かしい方と再会することができましたが、今の自分にとってはあのバイタリティあふれた方が政治という場から離れて今何をしているかにも関心がありますし、先んじて取り組んできた恵庭のCSAは今どうなっているのかを知るのも津軽での展開に役立つことがあると思いますので、ぜひリアルに再会したいと思います。

2011.05.12

野田村支援の第2章

今月3回目の野田村入りをしてきました。今回の一番のテーマは写真館ハセガワの長谷川正之さんが中心となる写真復元プロジェクトで、長谷川さんとつがる市の元山さんと野田村役場隣の小林フォトさんで合流しました。

小林フォトさんは野田村唯一の写真館なのですが、やはり震災でほとんどの機材が流されてしまい、店舗も扉さえ壊れたままですが、一日も早く再開できるようにと機材やPCを提供するのが真っ先の支援ですが、今後は住民の方々の写真復元などにも協力していくことになりました。
というのも、野田村では壊滅状態の図書館=生涯学習センターを「写真保管室」として活用するようになっていまして、瓦礫の中から見つかった写真やアルバムを閲覧できるようにし、持ち主のわかるものは返却したり、少しでも傷まないような手当をしていまして、これをベースにできる活動があると考えたからです。

IMG_2915

今後の展開が決まりましたら改めてお知らせしますが、ネガの洗浄やページごとのスキャンといったことなら、持ち帰って弘前市でもできる作業もありますし、力仕事ではないデジタルな作業もあるというのは、支援の幅を広げることになると思います。
写真は持っていっていただきたいものですが、一方で傷んでしまった分の本は受け入れられる時期が来れば届けていただきたいという担当者の話があったとおり、図書館復興ということはこれから各地で必要となる支援だと理解できる現場の状況でした。

また、昼食の際に現地でFacebook・ツイッターでやりとりできている方とリアルにお会いすることができましたが、明後日には仮設住宅に引っ越すのだそうで、子育て世代が現実の生活の中で必要としている物資や支援があれば直接教えてもらうことを話し合いました。
桜まつり招待や避難所でお会いしてきたのは高齢の方々が多く、私たちと同年代で被災されている方々には接する機会が少なかっただけに、こういう形での支援も進めていきたいと思っています。

さらに、弘大を中心とした京大・八戸高専などのグループは、プレハブを建てて拠点を造り「チーム北リアス」として長期的な支援を進めるそうで、緊急で短期的な支援である「笑顔プロジェクト」が終わり仮設住宅への引っ越しがはじまるところで、野田村への支援は第2章に入っていくのを感じた一日でした。
それにつながる支援に、さまざまな分野の衆知を集めて取り組みたいと思います。

2011.05.05

震災支援の原点、大槌町へ

弘前市の震災支援は野田村からスタートしていますが、私が一市民として動くきっかけとなる活動を「ゆいっこ」という形ではじめた岩手県議・高橋博之さんが一番先にかかわった場所であり、さらにプライベートな縁ある一家が被災した地である岩手県大槌町は、私にとっての震災支援の原点と言えます。
今日が「ホッと一息」プロジェクトの最終日でもありますが、家族で行ける唯一のチャンスだったので、7:00に3/30以来の訪問に向かいました。

花巻市に立ち寄る用件がなかったので、東北道から釜石道で東和まで、そこから遠野から釜石へと進みましたが、釜石駅前の信号は使用できないままで片づきはじめたとはいえ消毒の石灰が巻かれている光景に家族は驚き、前回の私同様に大槌町の中心部の壊滅した光景に言葉を失っていました。

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実は従弟一家は今日まで弘前市に来ていて前日に会ってきたのですが、まずは身を寄せている実家のある大ヶ口地区を通って身近な被災の有様を確認し、続いて私と全国老施協21世紀委員会で席を並べた芳賀潤さんが施設長を務めている堤福祉会の特養三陸園・らふたぁヒルズのある吉里吉里地区に向かいました。
両方の施設とも高台にあることもあって被害者はなかったそうですが、設備には被害があって三陸園では未だに水道が使えず3回の給水に頼っており、法人170名の職員のうち20名が被災のため退職を余儀なくされたり避難所から通う者もあるという状況であったりと苦労しているそうです。
それで青森県老施協から4名の職員が派遣されて支援に入っているそうですが、職員は緊張が途切れてしまうのを怖れて休む気にならないそうで、6月には順番に現地を離れた休みをあげたいというので、弘前に来てくださいと勧めるとともに、支援者に対する支援を形にしていく必要を感じました。

芳賀さんからの情報で1日から営業を再開した食堂「さんずろ家」で食事をし、続いて2日に桜まつりの案内をさせていただいた12名の方々がいる安渡小学校の避難所を訪問し、先立ちをされている方にお会いしました。
会うなり先日のお礼をしてくださいましたので、弘前市では今後とも受け入れ体制があるので他の方々にもお越しいただきたいと伝えてきましたが、前回訪問した時より多くの支援が入っているのがわかりましたし、何といってもたくさんの鯉のぼりがはためいている景色が、復興への足どりを感じさせてくれました。

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もう一つ気がついたのは、往復の道のあちこちに「支援ありがとう」「がんばろう岩手」といった旗や横断幕が掲げられていて、岩手の方々の思いが伝わりましたし、気持ちを伝えるところまで一歩踏み出してきたのを実感しました。
この思いを共有した取り組みを、津軽から続けていきたいと思います。

2011.05.04

ホッと一息プロジェクト

30日から「動こう津軽!」の「ホッと一息」プロジェクトが動いていまして、私も2日の大槌町、3日の陸前高田市の方々への対応をさせていただきました。

これは、ひとえにプロジェクトリーダーである青森県保険医協会会長・大竹進先生のご尽力によるものですが、宿泊先の浅虫温泉・辰巳館のご配慮や周りの美容院さんなどご協力くださる方も多く、昨日はABA青森朝日放送の夕方のニュースでも取り上げていただきました。

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昨日は20名の方が桜まつり見物を希望されたので、車を出して送迎役も引き受けましたが、皆さんは期間中催行の天気と満開の桜に感動し、史上3番目42万人の人出と道路の渋滞に驚きながら、被災してからの様子や現在の困りごとなど率直にお話しくださったので、多くのことを学ぶことができました。

ところで、2日に本丸入場するところで気がついて市の担当課に事情を話して無料入場券を分けていただき、この3連休の分も手配ついたのですが、こういう即座の対応をしてくれた弘前市に比べると、県との折衝では大竹先生はずいぶん苦労されたとのことでした。
震災支援に直接向き合う立場とそうでない距離感がなせることだと思いますが、このプロジェクトのように弘前市で完結しないものもありますので、自治体間また組織間での協力や団結が必要だと思います。

明日は私にとっての震災支援の原点、大槌町に入ります。

2011.05.02

1ヶ月ぶりの野田村で考えたこと

素浪人の第一歩として選んだのは、1ヶ月ぶりの野田村行きでした。
前回3/31は弘前市からの支援がはじまったばかりでしたが、その間に職員の派遣や市社協が窓口となっての災害ボランティア派遣、そして最初からかかわっている津軽衆有志野田村支援隊の働きかけによる桜まつり招待も実現してきましたが、今回は支援隊の土岐司隊長ご夫妻に同行して桜まつり参加者に写真を届け、次回5/7・8にお越しになる方々とコンタクトを取ってきました。

すでに9回の訪問をしている土岐先生が避難所に顔を出すと、参加した方や先立ちをされている方々がすぐに集まってきて、お礼かたがた話の花が咲くといった光景を見ると、この普段着の絆ができたからこそ桜まつり招待が成功できたのだというのを感じることができました。
米田集会所→野田小→野田中→久慈工業高と回って次回の案内もしてきたのですが、帰りの車中に追加で参加したいという申し込みもあり、足を運ぶことでの働きかけの効果も実感しました。

ところで、前回訪問した時点で行方不明者がないことで重機での瓦礫撤去が可能になっていた野田村ですが、今回行ってみると下水道が使えるようになっていたり、さらに片づけが進んでいたり、さらにはボランティアの姿がほとんど見えないといった、明らかな違いを感じることがありました。

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上が1ヶ月前、下のが今回の様子です。

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こういうハード面では、仮設住宅128戸の供用も6月にはめどがつきそうだということですし、復興が進んでいるのを感じることができますが、一方ではまつりに使ってきた御輿や衣装楽器などが流されてしまっているのだそうで、生活や文化の復興には違う形で息の長い支援が必要になるという土岐先生のお話にはまったく同感でした。
「動こう津軽!」は実働部隊というより、情報収集や発信、さらには中長期的な支援活動のとりまとめをめざして動くのを目的としていますので、目に見えない分野での取り組みをシステム化させていくことをふくめて、動くべきターゲットが見えた第一歩となりました。

今日は、これから市役所との打ち合わせ、昼前から大槌町からお越しの方と桜まつり見物です。

2011.05.01

素浪人として第一歩

日付が変わり、晴れて素浪人となりました。皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
その第一歩として、応援隊の土岐隊長に同行して野田村に行くことにしました。これから必要な支援を現地で受けとめてきたいと思います。
また明日は、「動こう津軽!」ホッと一息プロジェクトで浅虫温泉宿泊の方々が桜まつりにお越しになるのに対応するボランティアすることにしています。こちらは協力してくださる方を募集しておりますので、可能な方はn.mikami@nifty.ne.jp/090-8612-2032までご連絡くださればと思います。

当面は震災支援に取り組んでまいります。充電期間ではなく、さっそく動くつもりです。

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