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2009.11.28

やってよかった、親子すこやかクッキング

昨年に引き続き、坊主のいる4年生の学年委員長を拝命しているのですが、昨年は何もできずに終わったので、今年は担任の相馬先生から紹介された保健センターの事業である「親子すこやかクッキング」をやってみることにしました。
せっかく父親である私がかかわっていることなので、案内の際になるべく父親参加でお願いしたところ、23人の児童のうち12人とお母さん1人お父さん6人が参加してくれました。

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最初に保健師からタバコの害についての講義を親子で聞き、その後栄養士と食生活改善推進員の方が4つのグループに入ってくださっての調理となり、子どもたちは一生懸命楽しみながら、お父さん方は積極的だったり腕組みして見守る一方だったりと温度差はありましたが、できあがった料理をみんなでおいしく食べました。
ちなみに、私は写真係ということで得意?の腕を振るわずじまいでしたが、親子でふれあう時間が持てて何よりと思いました。

ところで、この事業は予定としては10校を予定していたのが6校どまりだということでして、せっかくの企画が活用されていないこともわかりました。
ちょうど、食改推進員として、市の教育委員である斎藤明子さんが来てくださていたので、教育委員会側でも力を入れてほしいとお願いしておきました。

2009.11.23

久々に名コンビを堪能

午前中のSO勉強会、夕方はライオンズクラブで一番お世話になった方の通夜に参列しましたが、終わってすぐに飛んで帰って、佐藤ぶん太。さんの自宅に向かいました。
それは、7月のかだれ横丁以来となるギタリスト智詠さんが来るというので、かかわりの深いメンバーで集まって一席楽しもうという誘いを受けていたからです。

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当然のことながら、ぶん太。さんの弟子からはじまって、ぶん太。&智詠の名コンビでの演奏もすばらしく、興に乗って斜里での殉難を曲にした「祈り」を智詠さんにギターソロで弾いてもらったりと、日付が変わるまで音楽と酒を堪能しました。
集まった中には、広域連合での認定審査会の事務局として手をわずらわせた職員や隣村の小学校の先生といった奇遇もあり、こういう縁をつないでくれるぶん太。さんには本当に感謝しています。

スペシャル・オリンピックスの未来を学ぶ

前夜の酔いを振り払って、弘前学院大でのスペシャル・オリンピックス=SOの5周年記念勉強会に出席しました。
記念講演は、そのために浜松から駆けつけた志村健一さんでしたが、よく考えると日本どころか世界のSOのリーダーである彼からSOの話を詳しく聞いたことがありませんでしたので、貴重な機会になりました。

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その内容はこちらのメモでお読みいただくとして、興味を引いたのは支援活動の中にHAP=ヘルシー・アスリート・プログラムという、アスリート=障がい者の健康管理をするものがあることでした。
というのも、私が所属する弘前ライオンズクラブで昨年度からSOを支援することにしたのですが、一緒にスポーツをするには体力的に無理な年齢の方が多く、さりとてカネを出して終わりでは意味がないと思っていたところでして、これなら医師のメンバーの方に協力してもらうことができますので、願ってもないプログラムに出会った気がしました。
また、青森県のSOは学生中心に運営されているのが大きな特色なのだそうで、設立から見てきた私には当たり前だと思ってきたことも、全国からすると珍しいのだそうです。これを生かし、新しいボランティア層を掘り出していくことが次のステップになると、志村さんはエールを送っていました。

ただ、世界では認識されているSOも日本ではまだまだで、昨季の冬季世界大会が終わったことを知っていたヒラリー国務長官は帰国したての日本選手団をねぎらいたいと空港に呼んでくださったのだそうですが、それを出迎えに着ていた日本の国会議員は誰ひとりとしてアスリートに声もかけなかったのだそうで、SOの認知ばかりでなく、政治にかかわる立場の目線のおき方に問題提起されていたのは、耳の痛い話でした。
そういうことがないような、そして障がいの有無に関係なくスポーツから社会参加へと続くステップを進むことができる社会にしていかないとなりません。

2009.11.22

再会を喜びつつ、再会の喜びには複雑な思い

知的障がい者のスポーツ活動である、スペシャル・オリンピックスの青森県支部が創設されて5周年を迎えるので、その記念勉強会の前夜、祝賀会がこぢんまりと開催されました。
私もライオンズクラブでの縁ではなく、立ち上げの際からかかわってきた立場で加わったのですが、それは送別会を開いてから3年半ぶりとなる志村健一さんと再会できるからでした。

祝賀会では、志村さんと再会を喜び合ったのはもちろん、SOの土岐司会長、来賓としてお越しになっていた七峰会の奥田理事長とも歓談しましたが、翌日の記念講演後にすぐ浜松に戻るという志村さんと過ごす時間は当夜限りですので、祝賀会に参加していた学院大の教え子との二次会に一緒しました。
私も学院大の「福祉創造フォーラム」や講義で知っているメンバーもいるので、福祉の世界の先達として話の輪に加わっていましたが、いきおい志村さんと教え子たちとの話題になりますので、志村さんと話したかったことは半分も語らずじまいでした。

それも残念でしたが、その語らう姿を見ていると、自分も城東学園で教え育てる立場であったものの、わずか2年の在籍だったために、最初の仕事は入学式で名簿を呼び最後の仕事が卒業式で送り出すことでしたので、担任を持った学生たちにすら、卒後教育も相談に乗ることもできずじまいだったのは、申し訳ないことだったと、今さらながらに思い返されてきました。
そんな思いが千々に乱れたせいか、思いのほか酔って家路につきました。

2009.11.13

老人福祉協会が果たすべき役割

津軽地区老人福祉協会の研修会があり、私は例によって前会長=乾杯要員として出席していたのですが、八戸地区の会長であり県の副会長を務めておられる光葉園の澤口公孝園長が記念講演でお越しになるというので、分科会が終わったところで会場入りしました。

澤口園長とは、2001年に老施協の全国大会を青森市で開催した際にともに実行委員として汗をかいて以来のおつきあいですが、その後の舌禍事件では相対する立場になったこともあるものの、旧知の方がおこしになるのを歓待することで恩讐も消えるというものです。
懇親会の席では三上貴生会長をまじえて、組織団体として現在の新型インフルエンザでの職員の出勤できない状況に対応することや、人材情報を共有するようなことを検討してみる必要があるし、それでこそ組織している意義もあるという話題になりましたし、その後の席でも県組織における研修と事業のバランスなど、久方ぶりに語りあいました。

老人福祉の組織団体として、老施協・在介協・経営協といった諸団体があり、私はその時々の濃淡はあってもそれぞれにかかわり、とりわけ研修を任される立場をいただいてきた身としては、組織のメンバーに資する研修をして人材を育てるとともに結束を図っていくのが一番の存在意義だと思っていますので、それが一番できていないのが老施協だと思っています。
その一方で、任意団体である在介協・経営協では研修の受託はできても、それ以上の事業をおこすことは不可能であり、公益法人である老施協にはより積極的な展開を図ることが可能なはずです。

折しも今回の研修会に合わせて臨時総会も行われ、空席となった副会長に緑青園の成田和博園長が若きリーダーとして席を得ましたが、新時代を切り開いてもらうためにも、微力ながら協力を惜しまないつもりです。

2009.11.11

青少年育成研究大会での光と影

もはや盟友とよぶべき三沢市議・太田博之さんから教えていただいて、青森県青少年育成研究大会に顔を出しました。

記念講演は習志野市秋津小学校を舞台に秋津コミュニティを立ち上げて活動されてきた岸裕司さんでしたが、これまたさまざまな場面でお世話になっている中橋勇一さんが佃小でのコミュニティづくりで手本にされてきたというご縁があり、それが手伝ってか開演前の書籍コーナーに立ち寄ったところ、岸さんご本人がいらっしゃったのでサインをいただく僥倖がありました。
講演はご本人のお話に、秋津を舞台にした清水早苗さんという学生の卒論映画をフィーチャーする形で、ニュータウンにおいては地縁血縁ではなく子縁でコミュニティをつくってきたこと、青少年だけを健全育成というのはあり得ない、開かれた地域で「安全活力」を強くし子どもを犯罪者にしないといったことを念頭に、連携というのでは続いていかない取り組みを融合型で進めてきたという内容で、概要はこちらにまとめてあります。
プログラムは続いてシンポジウムがあったのですが、もともと介護の日にちなんだ介護人材確保の研修会に下北のフォーラムでご一緒した田島誠一さんが再びおこしになるのに出席するために出かけていましたので、途中で失礼しました。

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それでも十分な学びと次につながる邂逅がありましたので、飛び入りした甲斐はあったと思うのですが、この大会を主催している研究会議は、会長を元常盤村長・石澤善成さんが務めているのを筆頭に50代以上の方々で壇上が占められ、客席にも私より若そうな人がほとんど見当たらずに空席が目立つという状況で、次代を育てるというのとはかけ離れている観がありました。
こういうことこそ、子育てのど真ん中にいる立場の年代に任せていくべきだと思います。

2009.11.03

相馬支所とざっくばらんな話し合い

私の住んでいる昴町会の懸案である共同アンテナの地デジ化と建築協定のことで、佐々木相馬総合支所長と三上久光課長補佐がおこしになって、町会の理事会で説明と話し合いが持たれました。

102戸の区画が即日完売されてスタートした昴地区には、新しいまちを作るために建築協定がもうけられ、それに沿って壁の色や屋根の形、セットバックの距離などにさまざまな制約があり、その一環としてここにアンテナを立てて景観が乱されないようにと共同アンテナを立てて受信するようになっています。
ところが、それは口頭での説明だけだったようで、建築協定の文中では全くふれられていない幻の協定項目だったのですが、住民は当然共同アンテナの地デジ化は市が進めてくれるものと信じ込んでいました。
佐々木支所長の説明は、アンテナは協定項目ではないこと、他地区のアンテナは補助があるにしても地元負担がベースになっており、市営住宅による難視聴部分以外は個人負担が原則であることという厳しいものでしたが、それに対しては3年前の市政懇談会で市長が対応を約束したという反論があり、私も審議の中で動揺の回答をいただいたことがあると追い討ちしたので、いったん持ち帰って、そのあたりを精査することになりました。
また建築協定についても、分譲当初の説明と食い違っていることがずいぶん見受けられ、見直すにしても基本から確認すべきとがあるという共通認識に立つことができました。

前回、町名変更での説明では市側は自分たちの論理の壁から一歩も出てくる場面がなく話し合いになっていなかったのですが、今回は行き違いが見える場面もあったにせよ、佐々木支所長が胸襟を開いて今回は第一歩で時間をかけて話し合いたいという姿勢で臨んだことから、先に進めていける雰囲気で終わることになったと思います。
前年度までは管財課長としてそつの無い答弁を繰り返していただけに、佐々木支所長のざっくばらんさが際立って映りますが、支所と町会とで第2のまちづくりのスタートに立てたような気がします。

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