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2009.04.29

切り盛りして見えた周年行事の虚実

所属する弘前ライオンズクラブの認証50周年記念式典・祝賀会が挙行されました。
時計塔や車イス寄贈といった記念事業=アクティビティ、26日の雪の中到着された台湾・大稲珵獅子会などの姉妹クラブの歓迎、その準備のための会議もすべてこの日のためにあったわけで、県内外から300名を超える方々にご参集いただき、つつがなく終えることができたのには安堵感を覚えます。

私としては、これで三度目の周年行事でしたが、入ったばかりで何もわからずにお手伝いをしていた40周年、副会計という五役でありながら受付に携わったのみで内情に立ち入らずに終わった45周年と違い、三役である会計さらにキャビネットのIT副委員長として来賓を中心にした受付全体を統括する立場で式典を迎え、開会を見届けたところで祝賀会の会場へと向かって進行役としての打ち合わせをし、祝賀会終了後の姉妹友好クラブとの交歓会では三上祐啓元ガバナーの介添え役と、息つく間もない一日でした。
これは私ばかりでなく、式典・交歓会の司会を務めた同期入会の佐藤光伸副幹事や式典の段取りをしてから祝賀会の司会に回った門前L、そして全体を通じて統括していた佐々木幹事にはより以上の苦労があったと思いますし、鹿児島クラブの方々との三次会を終えてから、ようやく肩の荷を下ろして三人で乾杯することができました。

お越しになった方々からは、「さすが弘前クラブ」というおほめの言葉をいただきましたが、さまざまなところで見えない落ち度がありましたし、メンバーがそれぞれの役割を果たして成功裏に終わったとはいえ、どこかで一丸となっていたとは思えないところに、高揚した達成感がない理由がある気がします。
40周年の際は、同い年でありながら幹事として孤軍奮闘していた三橋Lを見て大変だろうと思っていましたが、切り盛りする立場になってみて何に悩み何に怒っていたのか、10年越しで見えた気がしました。
式典の中では、物故ライオンとして故安井健男Lが紹介されましたが、式典の進行に誰にも負けないこだわりを持ち50周年やキャビネットを持つことに熱い思いを抱いていた安井さんからは、到底及第点をいただけないものだったのではないかと思いますし、認めていただけるようさらに真剣な気持ちで取り組まなければならないと思っています。

2009.04.21

メンタル・スタディという試行

もう一つのBlog「長慶苑2.0への道」ではふれておきましたが、「メンタル・スタディ」と銘打って、臨床心理士である津川憲次先生から心理学について学びながら、心の問題を解決していくヒントをつかんだり、相談に乗っていけるような信頼関係を築くための場を今年度からもうけることにしまして、その初回がはじまりました。

内容としては、先生が準備した資料をもとに「アナモルフォーシス」という隠し文字を読み解く演習をしたり、「エゴグラム」のチェックをしたり、名づけに潜む家族関係や「恒常性」といったことの講義、さらには脳梗塞から快復したように見える先生の中での後遺症との向き合い方と、とりとめもないようでさまざまなテーマがうまく織りこまれているスタイルでのグループワークでした。
私個人としても非常に関心を呼び起こすようなテーマがたくさんあって、これを学ぶだけでもお招きした甲斐があるというものですが、めざしているのは職員の心理的ストレスを少しでも解消することですので、今回の4名とは言わず少しでも多くの職員が関心を持ち、自発的に学んでみようという雰囲気が生まれてくれば何よりです。

津川先生は、心理学の領域や医療の現場でこのようなグループワークを実践してこられたのですが、それが福祉の現場には欠けていることを心配してこられ、初代のオンブズマンとして縁のある長慶苑が曲がり角にさしかかってくる時期であるのを見こして、私が相談した際に今回の進め方を提案してくださいました。
それだけに、同じような悩みを抱えている施設もあるでしょうから、これからの報告に注目していただきたいと思いますし、もし参加したいという方がありましたら、ご一報ください。

2009.04.19

大先輩、佐々木市長最後の表彰を見届ける

青森はまなすライオンズクラブの30周年記念式典があり、キャビネット役員の一人として出席しました。
整然とした記念式典に花を添える青森山田学園吹奏楽研究会のすばらしい演奏、八甲田神社の宮司による舞楽にYOSAKOIチーム「舞鼓童」の演舞と、さすが岩谷ガバナーのお膝元だけあって、さながら5月の年次大会のプレイベントのようでした。

ところで、当日は青森市長選の投票日だったのですが、記念事業=アクティビティの贈呈を受ける立場として佐々木誠造青森市長が出席されていました。
以前批判的なことを書いたこともありましたが、マニフェスト・スクール青森に際し、開催地の市長としてだけでなく早大マニフェスト研究所がかかわる事業なのでワセダの先輩としてごあいさつをというお願いに上がったところ、さすが稲門会会長だけあって即座に快諾のご恩をいただきましたし、弘大で行われた首長シンポジウムでのインテリジェンスに富んだプレゼンを拝聴して、品性が高すぎるからこそワセダらしからぬ印象を受けたのだと思い直していました。
ただ、コンパクトシティの先鞭をつけたものの、5期20年の高齢多選に対する批判やたがが緩んでいると言わざるを得ない不祥事の連続で、下馬評では不利を伝えられていただけに、アクティビティに対する感謝状を読み上げるのを、もしかしたら最後の表彰になるのかと複雑な思いで見届けました。
結果はご存じのとおり鹿内博さんが想定外の大差で勝利を飾りましたが、落選のあいさつの際にワセダカラーのネクタイに締め変えていたのは、あくまで勝利を信じて戦ったプライドの表れと受け取りました。
何はともあれ、佐々木市長本当にお疲れ様でした。

一方、当選された鹿内博さんも政策ラウンジでお話をうかがったこともありますし、今年1月には練り上げたばかりの基本構想を盟友・古村一雄県議が報告してくださったのを徹底的に検証してきましたので、これからマニフェストをどのような形で実現させていくのか、シンパシーを持って見守っていきたいと思っていますし、私たちのマニフェストづくりにもいかしていきたいと思っています。

2009.04.16

浅利先生との縁の近さを今さら知る

高校時代の恩師の一人である浅利孝一先生が70歳の「若さ」でお亡くなりになったとの報に接し、青森市での会議の帰りに焼香だけでもと、会場である板柳町町民ホールに立ち寄りました。

IMG_3232

はじまる2時間前という早い時間と舞台いっぱいの大きな祭壇に、どうしたものかと立ちすくんでいたところに、最初の修業先である三和園の大井正清理事長の次男に声をかけられたのですが、何と彼にとって浅利先生は叔父にあたるのだと聞いて、びっくりしました。
ひととおり焼香を済ませて車に乗り込もうとしたところに、柴田友子教育委員長ご夫妻がいたのであいさつすると、何と柴田教育委員長は浅利先生の妹で大井理事長の奥様はその下の妹だと聞いて、さらに驚きましたが、「先生には目をかけていただきました」とお話ししたところ、私の言動と実兄の性格を知っている柴田委員長に、「そうでしょうね」と言われたのが何となくうれしい思いでした。

こうしてみると、浅利先生から連なる方々にこれほどのご縁をいただいていたことを今さらながらに知り、そ袖すり合うも多生の縁ということを実感しながら、このご縁を浅利先生に見守っていただきたいものだと思っています。
何はともあれ、浅利先生のご冥福をお祈りいたします。

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