« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009.03.25

長慶苑の配食サービスは不滅です

定例会は心配していたほどの波乱の展開とはならずに終わったので、市役所にいるついでに配食事業説明会に出席しました。

市側としては、議会で予算が承認されるまでは次年度の説明ができないため、このタイミングでの開催となったわけですが、よもや審議を終えたばかりの私が出るとは思ってもいなかったようで、面食らっていました。
内容としては、財政難の状況下で民間の事業者が活動していること、他市でも補助を廃止している例が増えていることなどを理由に、新年度から事業を廃止するということでしたが、現在事業を受託している7施設に来てもらったのは、これまでのお礼と事業を継続するのであれば他の事業者と同じく利用者に紹介するということのみでしたので、30分もかからずに終了となりました。
このあたりからも、高齢者の健康増進といいながら福祉を切り捨てる相馬市長の姿勢が見て取れるわけですが、長慶苑の配食サービスは事業として補助があるから取り組んでいるわけではありませんので、極力値上げをしない形で継続していくつもりですし、逆にエリアがフリーになる分、近隣の地域からの要望にも応えられるチャンスだと思っています。

この機会に長慶苑の配食について記しておきますが、取り組むきっかけとなったのは長慶苑開設準備の頃に旧南郷村社協で365日お昼の弁当を届けているのを知って見学させていただいたところ、事務局長・加藤清蔵さんから「特養なら3食作るのだから、それを届けるだけでいいんだ」という激励をいただいたのを真正面から受けとめ、当時としては珍しかった土日祝日も開業するデイに加算配置があるのを生かして、2年目の1997年からサービスを開始しました。
3食で実施してみると、独居や老人世帯以上に3世代同居で生活パターンが違っていたり別の食事を必要とする利用者にこそ配食が有効だということがわかったり、サテライト型のデイを実施するにあたっても公民館にまとめてお昼を届けるだけで済むというメリットにもつながりましたし、大晦日のおせち配食が安否確認の役割も果たしたこともありました。

その中でも出色のエピソードは、遠方で暮らす息子夫婦から同居を勧められた独居の方が、「今はデイとヘルパーを利用しているし、ごはんを自分で作れなくなっても3食の配食があるから心配いらない」と言ってくださって、数年後には逆に相馬で同居することになったことです。
この方は、おせちは義理で取ってくださいましたが、通常の配食は一度も利用したことがなく、利用したことのない方まで支えることができたのを聞いた時、食にこだわって取り組んだ甲斐があったと本当にうれしく思ったものでした。

それだけの思い入れを持って取り組んでいる長慶苑の配食ですから、永遠に不滅であることをここに宣言しておきます。

2009.03.22

今年も3時間の地区総会

昴地区の総会は、昨年に続いて3時間もの長丁場となりました。

今年は役員改選も会則改正もありませんから、早々に懇親会に入れるだろうと思っていたのですが、繰越金が前年より多かったことで、積立金を積み増ししないなら会費を元に戻してはどうかという意見が出たのが発火点となり、赤い羽根募金や社協会費の一律徴収に対する疑問やさまざまな経費節減の意見、さらには総会で議決を図る際の委任状の取り扱いや議事録を残すことなどにまで話が進みました。
私も自ら発言したり、議員としての意見を求められたのですが、委任状の取り扱いでは理解不足だと反論されたり、最後に報告してもらうことにしていた町名変更についてフライングでふれてしまったりと、混乱に拍車をかけてしまったので、反省しきりでした。
長慶苑の職員会議があったので、乾杯の後で抜け出し、終了後に改めて懇親会に加わったのですが、議論続きの一日に加えて、空きっ腹でのアルコールで酩酊してしまいました。

ところで町名変更についてですが、私が一般質問で取り上げた後に、ほとんどの家から同意書を取りつけた上で再度要望書を提出していたのですが、先日の質問とりに市民生活課で来た際に確認したところ、新年度には予算がつき12月には町名変更が実現するとの文書を出してもらうことができました。
これは、佐藤会長をはじめとする役員の方々が民主主義を大事にし手順を踏むことをいとわずに努力した成果ですので、ようやく実現に向けて動き出すことにかかわることができて、私としてもうれしい限りです。

2009.03.20

智詠さんと丸一日過ごす

親交を深めている佐藤ぶん太。さんから、小林智詠さんを招いてのツアーをするので長慶苑でもどうですかというオファーがあり、喜んで引き受けてみたら、その日は一日智詠さんを案内してもらえませんかという話になったので、10:00に佐藤家に迎えに上がりました。

あいさつを交わしたことはあるものの、真面目一徹を絵に描いたような方とお見受けしていたので、やっぱり音楽に関係するところへ案内するのがいいだろうと、金木の津軽三味線会館へと車を飛ばしました。
開演には少し遅れましたが、福士三弦会の福士豊加さんの三味線を聴き、三味線の歴史を展示したコーナーを見てから、斜陽館を見学して昼食をとり、長慶苑へと引き返しました。
長慶苑でのミニライブでは、オリジナル曲を含めて6曲を弾いていただいたのですが、やっぱりなじみのある曲をと「コンドルは飛んでいく」をアンコールでやっていただきました。

IMG_3150

終了後は、市内の五重塔や禅林街を車中から案内し、ぶん太。さんを育てた舞台でもある岩木山神社に駆け足で参拝し、夜のライブの準備に入る智詠さんと一度分かれて、19:00から改めて「水輝食堂」でのライブに足を運びました。

IMG_3154

二人の演奏も意気が合い、ぶん太。さんが斜里を訪ねた思いを音にした曲では涙がこぼれるほどの感動を味わいましたが、そこでもう一つ味わったのは逸品の日本酒でした。
水輝食堂は、漫画「夏子の酒」のモデルになったことでも知られる、新潟県・久須美酒造の酒を県内で唯一取り扱っているのだそうで、当日は「清泉」「亀の尾」ばかりでなく「亀の王」「亀の翁」といっためったに手に入らないものまで出していただいて、日頃は日本酒には手が出ない私も堪能させていただきました。
後日の地元紙に、その際の写真が大きく載っていて汗顔の至りですが、これも智詠さんを案内したご褒美だと思いますし、それをつないでくれたぶん太。さんには何にも増して感謝です。

2009.03.14

相馬ジュニアスキーの受賞を祝う

相馬の小学生ジュニアスキーチームが何と文部科学大臣表彰を受けたので、その受賞祝賀会が挙行されました。
我が家は、ちょうど長女は中学進学で坊主はその下の「スーパーチビッコ」なので、現役ではない分お手伝いができませんでしたので、当日の受付やら会場設営で協力しました。

故斎藤馨さんや石岡広治さんといった草創期のコーチが指導しはじめた頃は小学生が外の大会に出るのは県大会と岩木山選抜のみで、私が中学校でスキー部に入ったあたりから小学校も一緒に合宿したりいくつも大会に出るようになったと記憶していますが、当時は小中合同で西目屋・青柳も一緒に動く大所帯での活動でした。
その後、専任でコーチにあたってくれた石岡千春さんやジュニアをずっと指導してきた山内新衛コーチを中心に30年を超える活動が続いてきたのが受賞の理由となったのですが、今年度の代表は奇しくもチーム出身者ではオリンピック3大会出場という最高の成績を残した石岡拓也なのも、何かのめぐり合わせだと思います。
会場には、多くのスキー関係者やチームのOB・家族が集まり、思い出話に花が咲きましたし、途中では唯一全中優勝を果たして現在は斎藤春香監督の下ソフトボール日本代表をめざしている溝江香澄のビデオレターも流れて、会場を沸かせていました。

片付けが終わってからの打ち上げも含めてしたたか飲みましたが、相馬のスキーに育ててもらったこととそこで得た人のつながりに感謝の一夜でした。

2009.03.06

「おくりびと」に涙した理由

米国アカデミー賞で日本映画初の外国語映画賞を受賞した「おくりびと」が、地元では最終日だと思い込んで観に行きました。(実際は、まだロングランが続いています)
ギリギリで間に合った午前の回はすでに完売でしたので、さっそく午後の分を購入して観たのですが、空き席がほとんどないのは、小学生の頃の「八甲田山」以来のような気がします。

受賞というのも大きな要因でしたが、親交をいただいているLM地議連共同代表・佐藤丈晴さんの地元・酒田市を舞台にしているということ、オーケストラの奏者から納棺師という転職がテーマになっていることに関心を持っていました。
酒田の街並みも庄内の美しい自然も映画を引き立てていましたし、私たちがやれば「死体処置」でしかない作業をあれほど見事に芸術のような所作で執り行う納棺師という仕事の奥深さにも感じ入りました。
さらに、死の場だからこその笑いもちりばめられていて、さすがアカデミー賞受賞作だと思いました。

何度か涙をこぼすような場面もありましたが、私にとって決定的だったのは一番奥にあるテーマが父親との関係だったことでした。
メルマガでふれたこともあるとおり、父を尊敬しないばかりか見下してきた私ですが、生き方考え方は正反対であっても歴史家をめざして大学進学を決めた根っこには大河ドラマを欠かさず、旅行で平泉に連れて行ってくれたことは大きな要素でしたし、今の仕事にしても設立の準備をしていたから飛びこむことができたのを考えれば、レールの起点になっていたのは父であると言わざるを得ません。
今では離れて暮らし会話することもほとんどありませんが、その葛藤した気持ちを見透かしたようなストーリーに感極まるものがありました。私にとっては、「フィールド・オブ・ドリームス」と同じ思いを呼び起こさせる、大事な映画に出会った気がしました。

今月は日付を変えて正反対の娯楽大作「ヤッターマン」も見ましたが、やっぱり映画って本当にいいものですね。

2009.03.05

説明会、上首尾で完走

2/9の湯口地区からスタートした介護保険制度説明会が、ようやく16ヶ所目の沢田地区で終了しました。

「ろうそくまつり」で知られ、昨年は「津軽遺産」にも認定された沢田地区は現戸数わずか10戸ですが、そのうち7名が参加してくださり、説明の後も楽しいやりとりがはずんで、なごやかなフィナーレとなりました。

全体で100名近い方々に足を運んでいただき、介護保険の現実と長慶苑としての方向性を聞き届けていただいたのが何よりの成果ですが、地域の困りごとを聞かせていただいたり、空き家対策のことで自分もひとり暮らしなので誰かに一緒に住んでもらえたら安心するといった賛同の声をもらったのは、長慶苑が地域そのものの拠点をめざす上で大きな足がかりを得たと感じています。

一方で、「保険料を納めている上に、利用者の自己負担を取るのはおかしい」「これまで苦労してきた高齢者を粗末にした制度だ」といった辛口の意見もいただきましたが、制度ありきの発想に溺れてしまっていたことに気づかされる貴重な意見だったと受けとめています。
法を変えるのは国会の仕事ですが、政治という場でのつながりもあるだけに、現場からの情報提供や組織団体での活動もあわせて、よりよい制度にしていく努力をしていきたいと思っています。

2009.03.03

実務研修で成長を見届ける

先週に続いて、今回は弘前会場でのチームアプローチ研修の指導者を務めました。

地元ということもありますが、その中に城東学園時代の教え子3人、以前長慶苑に勤めていた者も3人もいて、それだけにまとめのコメントでは上っ面な話をするわけにもいかず、長慶苑ではどのようにケアプランのサイクルを回しているか、モニタリングとはどういうことをしないといけないのか、そのためにも日常の記録が大事であることなどを話し、最新の研修を受けた皆さんこそケアマネ−ジャーとしてがんばってほしいと結びました。

以前にも教え子元職員に実務研修で会う機会もありましたし、それ以外の研修でも再会することがありますが、教え子が違う職場でがんばっているのを見届けるのは単純にうれしいことですが、元職員が長慶苑で苦労した分を次の職場で生かしているのは、その土台を作ったという自負とそれを長慶苑で結実させることができなかった残念さとが入りまじります。
それでも、長慶苑ではそれだけ成長をさせたいと思って、職員にはさまざまな業務で一段高い責任を持った役割を果たしてもらっていることは間違っていないと思っていますし、その意味では日本で活躍した選手がメジャーリーグに移籍するのと同じように、挑戦するスピリットと能力を身につけるフィールドであるのも、一つの存在意義ではないかと思っています。

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック

Twitter

ブクログ

Amazon


  • サーチ:
    キーワード:
    Amazon.co.jp のロゴ

国際漫画展

無料ブログはココログ