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2008.09.23

燕雀の立場から、鴻鵠の朝原選手引退に思う

地区予選の結果を受けて、6名の選手が小学校県記録会に出場しましたので、引率してきました。
昨年は複数種目で入賞できたのですが、今回は出場選手が少ないために引っかかったというのが多かったのもあって、残念ながら一人も決勝に残れませんでした。

ちょうど、頃合いが朝原宣治選手のラストランとなる「スーパー陸上」に間に合いそうだったので、速攻で引き返して最後の走りを見届けました。
緊張のせいかスタートで出遅れたのでアッと思いましたが、最後まで衰えぬ実力を見せつけるかのように銅メダルメンバー3人とのガチンコ勝負を制したのには、本当に感動しました。
引退セレモニーでは、スタンドを埋めた大観衆を前に「こんな幸せな選手はいない」と話していましたが、日本人が得意としてきたマラソンや長距離ではなく、誰もが体験する駆けっこの延長でありながらボルト選手のようなアフリカ系の身体能力には太刀打ちできないと思われていた短距離で世界と勝負できるのを身をもって示してくれた功績、それでいながら勝負師のような人を寄せつけない雰囲気ではなく、史子夫人との仲むつまじさからうかがわれる人のよさが、誰から慕われる人望を作り上げたのだと思います。

一方で現実を振り返ると、記録会でお会いした旧知の方も陸上をやろうという子どもの少なさを嘆いていましたが、今回の引退やオリンピックを見た子どもたちがもっと速く走りたいと思ってくれたらいいと思いますし、自分でかかわっているクラブの子どもたちには、がんばっていけばいつかは朝原選手のようにと思ってもらえるように、シーズン最後まで楽しくトレーニングしてもらおうと思っています。

2008.09.21

女性と高齢者の政治参加を語る

充実した初日の講演とシンポジウム、夕方の懇親会には北京パラリンピックの閉会式からまっすぐかけつけた喜納昌吉さんのミニライブもあり、その後の席でも「女性の会」のメンバーに圧倒されたまま、二日目の分科会となりました。

私は、「女性と高齢者の政治参加を考える」と題した第7分科会のパネリストを仰せつかっていまして、他の5人の女性、それも下田敦子参議院議員と「女性の会」の代表的存在である吉武輝子さんにはさまれて座るという、何とも身の置き場のない立場でした。
女性でもない高齢者でもない立場から、現在の弘前市議会における女性や高齢者の比率をまず紹介し、その上でその立場に立脚した質問や活動がなされているのかといったことに問題提起し、逆に若いといってもその行動が旧態依然であれば政治的認知症とでも言いたいくらいだと述べて、実際の場面でどういう言動を取っているのかに関心を持ってほしいというのを主眼に発言をしました。

女性議員である青森市の小豆畑緑さん、女性の政治参加にかかわっている弘前市の渋谷江津子さんからのお話も実感あふれたもので、フロアからも積極的に発言がありましたが、何と言っても吉武輝子さんのお話が圧巻でした。
日本が米国型の自己責任型社会保障に向かいつつあることを憂い、そのためにも皆保険制度を提唱しているヒラリーに大統領になってもらいたかったという壮大な話、婦人参政権からご自身が参議院選挙に出馬することになったいきさつなどを、議論に即して落し所をつかんだテーマをつなぐ話術はさすがでした。
さらには、30年来闘病をし昨年からは酸素吸入が必要な状態になっている77歳の後期高齢者として、これが上限設定されてしまえば死ねと言われるのと同じだと怒っておられていましたが、その怒りこそが社会を変える最大のモチベーションだといった控え室でのやりとりや進行中のひそひそ話でで、フロアでは得られない学びをさせていただくことができたのも望外の喜びでした。

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この分科会以外に6つに分かれての熱心な論議を経て、それぞれの分科会ごとのスローガンを発表して全日程を終えましたが、その提言が実現できるよう自分の持ち場で協力していきたいと思っています。

2008.09.20

尾辻元厚労相の信念を知る

第27回目という「高齢社会をよくする女性の会・弘前大会」が開会となりました。

冒頭の田中真紀子元外相の特別講演は、前回同様に政治にかかわる者として学ぶべきものがあふれており、また自ら体験しないとわからないと稲刈りをしたり米軍空母でタッチアンドゴーまで経験したといったエピソードもちりばめられて、翌日の地元紙ではその立て板に水の毒舌ばかりが取り上げられていました。
それはさておき、その次のシンポジウムで登壇した元厚生労働大臣である尾辻秀久自民党参院会長が、対照的で落ちついた語り口ながらも、政権与党の中で良識を持って社会保障を守るために戦ってきたことをお話しされたことは新聞では報じられていませんので、ここで紹介したいと思います。

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尾辻元厚労相は、国家予算の47%が厚労省の予算で、残りの15人の大臣が束になってやっと同額というほどの大きな責任を負っているのが厚労相という仕事であり、在任中に三度も血尿が出たほどの大変な苦労があるので、一人ではなく年金といった部分を専任で分担することも必要だと話されていました。
このあたりの経験が、年金担当の副大臣として大臣経験者を配するという今回の人事にも反映されているのだと思います。
また小泉内閣の一員として、支出の徹底的抑制という方向での小泉「改革」に携わってきたものの、どんなことがあっても経済財政諮問会議の社会保障費まで抑制というのは許せなかったと怒りをあらわにし、先日もキヤノンの御手洗会長に食ってかかったことや、取材する記者にもキヤノンのカメラだけは向けるなとまで申し渡しているのだそうです。
さらには、社会保障に対する国民負担率の議論は避けて通れないという逃げない姿勢を示すあたりや、当日は地元鹿児島で総裁選の演説会が入っても社会保障にかかわる場に出ることの方が大事だと予定を変えなかったことからも、信念を持った政治家であるのを感じました。

ちなみに、弘前市には桜祭りの会期中である4/29の「昭和の日」に執り行われる護国神社の大祭によく参列されているというエピソードも披瀝されていましたが、同じシンポジストである下田敦子参議院議員がぜひ今度はそれにあわせてじっくりお話をうかがう機会をと水を向けていましたが、それが実現したならば何をおいても参加したいと思います。

2008.09.18

たった30分の斎藤春香監督祝賀会

今回の北京オリンピックで最も手に汗握る熱戦を制して金メダルに輝いた女子ソフトボールの斎藤春香監督の祝賀会があり、喜んで出席しました。

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市や県の来賓、ソフトボール関係者、さらには同窓の友人などで会場はあふれていまして、県体育協会会長である蝦名副知事は、米国滞在中に優勝の報に接し、対戦相手であった米国でも斎藤監督が胴上げされている写真を掲載してスポーツ面トップで称えていたことを披瀝していましたが、それだけの価値のある勝利だというのを実感させるエピソードだと思いました。
続いての無味乾燥な祝辞の後に乾杯となり、ご本人も食事を取ってからセレモニーを再開するという段取りになっていたのですが、当日の議会終了後の会派代表者会議を受けての対応を話し合おうという電話が入り、本人のスピーチも聞けぬまま、後ろ髪を引かれながら市役所に戻る羽目になってしまいました。

ただ、思いは通じるもので、その後の弘前市滞在中にお会いする機会があり、所属チームにいる相馬中スキー部出身の溝江香澄選手をよろしくと話したところ、次のホープなので期待して育てていますということでしたし、素顔で津軽弁を話す姿にはさらなる親しみを感じましたので、ますます応援していきたいと思います。

2008.09.13

思わぬ場面で、念願のあいさつ

仕事でお世話になっている方の結婚披露宴に招かれ、喜んで出席してきました。
実は単なる出席者としてではなく、その余興に「飛馬の星」の演舞をお願いされていまして、最初の紹介と曲間の着替えの際にマイクを握るという役回りだったのですが、喜んでもらえたようで何よりでした。

ところで、約350名の祝宴の主賓席が用意されていて恐縮したのですが、乾杯が終わって同じテーブルの方々にごあいさつをして回ったところ、株式会社「長慶」の寺本慶弘会長がいらっしゃいました。
こちらの「長慶」は、パッケージ用品などを作っている会社なのですが、「長慶苑です」と言うと「長慶さんとは、何か関係があるのか」と聞かれることもたびたびありましたし、私としても相馬村とは縁のなさそうな会社がなぜこういうネーミングをされているのか、聞いてみたいものだと思っていましたので、思わぬところで念願のあいさつをする機会となりました。
さっそく尋ねてみますと、寺本会長のお名前である「慶」にちなんで長く栄えるようにつけられたのだそうで、後からできた老人ホームが長慶苑と名乗っているのも存じ上げておられたとのことでした。

演舞が終わったところで、相馬ねぷた愛好会の総会に出席するために中座したのですが、寺本会長には会社のイベントにでも声をかけてくださいとお願いをしておきました。
こういう出会いがあると、いろいろな場に足を運ぶのは大事だと、改めて思います。

2008.09.07

「ラストゲーム」が二度とないように

久々に予定のない日曜でしたし、夏休みに家族サービスもなかった償いで、映画に出かけました。

そうは言いながら、ポケモンを見たがっていた坊主の相手は娘に任せて、私は「ラストゲーム 最後の早慶戦」を一人で観ました。

これは、第二次大戦中に六大学リーグも中断される中、学徒動員を目前にして最後の早慶戦が行われた実話を映画化したもので、ストーリーは周知の事実のことではありながら、当時の世情をよく描き、戦争が生み出す悲劇を的確に示していて、どんな思いで先輩方が「都の西北」や「若き血」を歌って出陣していったのかと思うと、涙が止まりませんでした。
戦後、早慶戦も六大学も復活しましたが、二度とスポーツという平和の象徴が失われるようなことだけは防がなければならないと思います。
この映画は、弘前では12日までということで、近隣の映画館では上映されないようですが、シネコン時代でスクリーン数は増えているのですから、1日1回でもいいので、こういう平和といった大事なテーマを取り上げた良品を上映してもらいたいものだと思います。

ところで、涙をふき終えて子どもたちが出てくるのを待っていましたら、同志・斉藤爾議員と遭遇しました。
この二人が顔をそろえたからといって、市職員が互助会交付金の補助で映画を観ているか監視などという無粋なことはしておりませんので、ご安心を。

2008.09.06

スペシャルオリンピックスとの再会

ちょうど北京でパラリンピックが開会される日に、もう一つの障碍者スポーツ活動である「スペシャルオリンピックス」=SOのフットサルの活動と米国アイダホ州で来冬開催される冬季世界大会への壮行会を兼ねたイベントが「SALU弘前」で開催されるのに、足を運びました。

実はSOには青森県での立ち上げに際して縁があったのはメルマガで書いたとおりなのですが、その後かかわりを持てずにいたところを事務局長をなさっている玉井さんとライオンズクラブの奉納武道大会でお会いしたので、私がクラブのメンバーだと知って支援の依頼があったのです。
そこで一度、白神山地の観光ガイドとしても有名な土岐司会長と玉井さんにご足労いただいて活動内容や方針を聞かせていただいたのですが、やはり実際の活動を見てみようというので、担当の三浦副会長ともどもおじゃますることになったのです。

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アスリートと呼ばれる知的障がい者とボランティア、さらには家族の方々がフットサルで汗を流す姿を見せてもらい、その後の壮行会では世界大会に出場する3名のアスリートとコーチの大学生から抱負が述べられ、その出場を決めた3月の山形大会の様子も上映され、楽しい輪が広がっていました。
土岐会長もあいさつの中で私たちがきているのを紹介していましたし、ファミリーとしてきていた同級生からも「支援よろしく」と言われましたので、クラブとしてどのようにかかわるか、早めに動く必要を感じました。

2008.09.05

小連体での成果を喜ぶ

弘前市小学校連合体育大会、いわゆる小連体があるというので、思い立って運動公園に足を運びました。
合併の初年度は見に行かずじまい、昨年は雨で中止となったので今回が初めてだったのですが、大会そのものは1953年に8校ではじめてから今年で56回となるそうです。

小連体というのをはじめて問題に感じたのは、せっかく合併前にPTAで話し合って運動会でもハーフパンツでもよいとしたところに、小連体参加のため男子は白短パン、女子も紺色と逆戻りすることになったので、今どきそんな前近代的な行事を押しつけていることに違和感を覚えたのに端を発します。
昨年度中止になった代わりの大会開催でも、今年の陸上クラブの件でも、それがあることで筋を曲げた話になっている気がしていましたので、やっぱり実際に見てやろうと思ったのですが、競技はさておき女子のマスゲームにしろ、男子の「制定体操」なるものにしろ、戦前の国民学校か北朝鮮でもなければやらないようなものだと思いましたし、それがうまくいったかどうかを一喜一憂する先生の気が知れません。
もう一つ言うならば、すでに公式な市歌ではなくなり、西目屋小も参加している場で何の疑いもなく「弘前市民の歌」を用いるあたりに、旧市民の傲慢さをつくづく感じます。

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ところで応援に足を運んだのは、そんなものに目くじらを立てるためではなく、コーチとしてかかわってきた陸上クラブのメンバー3人にもう一人を加えた5年女子チームがどれだけの成績を上げられるかを見届けたかったのですが、いつもどおりの走りをして、堂々全体2位の成績を収めることができました。
参加38校の中で、ずっと活動している陸上クラブを持っているところは少ないだけに、小さな学校であってもトレーニングを重ねたきたのが成果となったのは、本当に誇りに思いました。

当日の夜に、PTAの役員会を兼ねた懇親会があったのですが、なぜか学校の担当者から総合成績の報告がなかったので、自分の手柄のように報告しながら、うれしい酒を飲むことができました。

2008.09.04

この時期だからこそ、政策を「語る会」

1日夜の福田総理総裁の辞意表明という緊急事態で、開催が延期されるか、開催されても本人は来ないのではないかと心配しましたが、予定どおり相馬地区での「木村太郎と語る会」が行われ、太郎代議士本人が姿を見せてくれました。

今となってはいつまでの任期かということになってしまいましたが、先般の内閣改造・党人事で副幹事長に就任するにあたり、麻生幹事長から電話があった際のエピソードは話題にしていましたが、今回の件に関しては、党人として総裁の唐突な辞意表明におわびをするとともに、副幹事長としては誰を支持するかといったことより総裁選挙できちんとした論戦が行われる環境を作るのが務めだと言うにとどめていました。
逆に、原油高やコメ価格対策、果樹経営支援や後期高齢者医療まで、さまざまな資料をそろえて、政府与党としてどのような対策を取っているのか、また民主党の対案がどれだけ矛盾しているかを力説するのに時間を取っていましたが、その論拠はともかく、世情が総裁選挙一色になり誰が出馬するのかという政局に関心が集まっている中で、きちんと政策について語ろうとするのは大事なことだと受けとめました。

ところで、開会にあたって市議としてあいさつする機会をいただきましたが、私はその場で表明したとおり政治の時計を逆戻りさせるわけにはいかないという思いで、選挙区においてはこれまでどおり木村太郎代議士を支援するつもりです。

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