« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2008.08.31

相中祭を見ての葛藤

お山参詣のため初日は足を運べずじまい、二日目も平川市陸上記録会への引率のため昼過ぎまでつぶれてしまい、ようやく午後の途中から、娘たちが初めて参加する相中祭を親として見に行くことができました。

DSC01668.JPG

ちょうど「ヤングフェスティバル」というイベントだったのですが、生徒以上に先生方の出番が多かったのもいかがなものかと思いましたが、多くの保護者や卒業したての高校生の姿が多いのが目を引きました。
自分たちの頃は、合唱コンクールや演劇といった、いかにも親向けのプログラムで、3日目には運動会もあって、今思い返しても生徒側が主体的に考えたものがあったのか怪しいものだった気がしますが、準備のあたりでも自分の責任や役割を果たそうと動いていた娘たちを見ていても、自分たちのイベントという気持ちが強いだろうと感じています。

それだけに、親や先輩たちに見られているという制約から解き放して、もっと自由にやれた方がいいのかもと考えてつつも、子どもたちの成長を見る貴重な機会でもありと、葛藤を覚えながら閉祭式の盛り上がりを眺めていました。

2008.08.30

二度目のお山参詣

昨年に引き続き、今年も相馬有志会に加わって、岩木山お山参詣に行ってまいりました。

DSC01646.JPG

さすがに2年目という余裕もありましたが、朝早くから村内8km、さらに百沢交差点から岩木山神社の参道を上って拝殿までという長い道のりを踏破して参拝できるのは、何物にも代えがたい達成感があります。
イベントとしてのYOSAKOI、地域の結集につながっているねぷたにも参加して、それぞれのよさを理解していますが、自ら歩くという一番シンプルで他力ではないお山参詣には、まつりの原点、祈りの心が凝縮されていると、つくづく実感できます。

ところで、YOSAKOIのテーマにしたこともあって、長慶苑の職員も参加しましたが、そこで何を感じ、何を得たのか、それが次の動きにつながってくれることを期待しています。

2008.08.29

下半期、出番が目白押しです

今期から、青森県在介協では調査研究委員長に役を変えていただいたのはお知らせしたとおりですが、それから初めてとなる正副会長・委員長会議があり、県民福祉プラザに向かいました。

調査の方は、委員の皆さんからアイデアを出していただいて、自治体に対して介護予防に冠するアンケートの準備ができ了承をいただきましたが、もう一方の研修委員会が担当する研修がこれから続くことが報告されました。
そのうち県在介協主催の研修会ではワークショップを行うということで進行を仰せつかることになりましたし、昨年の経緯からどういう役回りとなるかと思っていた東北ブロック研修会では、スーパーサブ的助言者というオファーを坂本会長が引き受けてきたというので、昨年のお礼を兼ねて微力を尽くすことになりそうです。
在介協では、新たに県から「認知症ケア総合研究会」という新しい研修も受託しましたので、それでも何らかの役割があると思っていますし、9/20・21の「高齢社会をよくする女性の会・弘前大会」では「女性と高齢者の政治参加」という分科会のパネリスト、10/2には韓国ソウルでの講演と、福祉・介護の分野で発言する機会が目白押しですし、経営の立場で温めている企画もあります。
現場そのものを語ることはできなくても、違う立場から業界の発展につながる役割が果たせるのであれば、いつでもどんなことでも引き受けていこうと思っています。

ところで、在介協の研修は下記のとおりですので、関係される方々にはぜひとも参加していただきたいと思っております。
○青森県在介協研修会
日時:10/29(水) 10:30〜16:00
場所:青森市・アラスカ会館
内容:大阪市立大学・白澤政和先生の講演/現場の課題をさぐるワークショップ

○在介協東北ブロック研修会
日時:11/6(木)13:00〜7(金)12:00
場所:岩手県・花巻温泉
内容:青木佳之全国在介協副会長による基調講演/シンポジウム/分科会

2008.08.23

20分の濃密な披露宴

長年利用してくださった利用者の通夜に参列しての帰宅途中、教え子であり現在は育児休業中の職員から携帯に電話がありました。
のほほんと「元気か?」と応答したところ、「麻利亜の結婚式だよ!いつ来るの」と言われて、ずいぶん前に出席の返事をしていた予定が消えていたのに気がつきました。
すでに開宴から1時間半も過ぎ、場所がつがる市(旧柏村)の交流センターという遠方だったのですが、少しでもお祝いになればと思って、慌てて着替えて車を飛ばし、キャンドルサービスの最中に到着しました。

残りの20分、新婦である教え子の両親への手紙朗読という感激の場面には間に合いましたし、隣の席の方もいろいろと気を使ってくださったり、新郎側で出席していた福祉の先輩が五所川原市議の方に引き合わせてくださったりと、短い時間の中でもありがたい心づかいにふれることができました。
お開きとなってから、新郎新婦にお祝いを伝えにいったところ、新婦のお父さんから「専門学校に進んだおかげで娘は本当に明るくなりました。そのお礼がしたくて、先生が来てくれるのを待っていました」と堅く手を握りながら何度も述べてくださったので、こちらが恐縮してしまいましたが、教師冥利に尽きるなあと感激しました。
新婦本人は、先ほどの涙から一転「先生、何やってるの!」とケロッと昔ながらのなれなれしい態度でしたが、幸せそうなウェディングドレスを見ることができ、行ってよかったと思いました。

何はともあれ、麻利亜おめでとう!お幸せに。

2008.08.22

個人的オリンピックハイライト

実のところ8日の開会式以来、北島選手の2種目2連覇、フェルプスの8冠、女子レスリング4人娘の活躍といった栄光の陰には、「ママでも金」がかなわなかった谷選手、主将の呪いにかかった鈴木選手、走る前に連覇を断念せざるをえなくなった野口選手らの挫折があり、スポーツの祭典のすばらしさ、恐ろしさを見せつけられて、オリンピックの放映にかじりついてばかりの生活を送っていました。

ただ、小学校の陸上クラブコーチという立場からして、何と言っても注目は陸上競技でしたが、3種目で驚異の世界新を連発したボルト選手、見事な世界新で観客を魅了したイシンバエワ選手といった世界の壁に阻まれて、日本勢の不振は目を覆うばかりでしたが、最後の最後で男子4×100mリレーが銅メダルという快挙を達成してくれました。
高野・伊東という歴代のファイナリストとともに戦ってきたベテラン朝原選手の最後の舞台を、不振に苦しんだエース末續選手と次の次代を担う塚原・高平選手が支えて、最高のフィニッシュで飾った瞬間は、ずっと応援し続けてきた者として、涙が止まらないほど感動しました。
多くの種目がある中で、走る・泳ぐといった誰でもできる種目ほど身体能力の壁が厚いのは、フェルプス・ボルト両選手を見ればわかるとおりですが、そこで最大限の工夫と努力、そしてチームワークという者を武器に戦って成果を出したのは、まさに日本らしい勝利でしたし、私にとっては北京オリンピック最大のハイライトでした。

何はともあれ、多くの感動を呼んだ選手・スタッフの皆さん、本当にありがとうございます。

2008.08.21

羽田空港で街頭テレビ体験

多摩研のMBOセミナーに参加して、講師の松本順市先生と今後について短い打ち合わせをしてから、最終便に遅れないように羽田空港に向かいました。
ところが、JR・モノレールともにダイヤに乱れが生じていて慌てたのですが、折しも空港周辺で雷雲が発生していて、離発着が大きく乱れてしまい、19:45発のはずが21:40まで遅れてしまいました。

普通であれば、天候を恨んだりするものですが、ちょうど19:00からオリンピック女子サッカーの3位決定戦、19:30からソフトボールの決勝戦という、見逃すはずだった試合を見ることができたので、これぞ万事塞翁が馬という気分で、観戦できました。
ご存じのとおり、空港には何台もの大型TVが設置されていますが、それぞれのTVごとにチャンネルは固定されているので、多くの待機客がサッカーが終わればソフトの映っている方へ大移動するという状況でした。
サッカーは残念な結果に終わり空港も溜息に包まれていましたが、ソフトボールは日本がリードを広げれば歓声が上がり、ピンチには連投の上野投手への声援が起きるという、まさに街頭テレビの様相を呈していました。
7回の表に貴重な追加点が入り、もう少しで勝利を見届けられるというところで出発のアナウンスがあり、早く帰りたかったはずが後ろ髪を引かれる思いで飛行機に乗り込むことになりましたが、最後のピンチをしのいで優勝できたので、何よりでした。
何と言っても、上野投手の気迫みなぎるピッチングが勝利を呼び込みましたが、弘前市出身の斎藤春香監督がエースに対して絶対的な信頼を置いてぶれない采配をふるったのも、地元というひいき目なしで立派だったと思います。

地元にとっての北京オリンピックのハイライトを、貴重な形で体験できたのは、忘れられない思い出になります。

2008.08.19

どちらがモンスター?

私は、仕事がら医師の方々との接点も多いのですが、母校である弘高史上医師になったのが一番多い学年でもありまして、何かあれば相談に乗ってもらえる、ありがたい関係を持っています。

今回、娘の将来を左右する重要な診断を受けたので、その専門である同級生に状態を説明し、プライベートな形でセカンドオピニオンをいただきました。その内容としては、主治医の見立て以上に急を要する決断をすべきではないかというもので、それに沿って打つべき手だてを早めに打つべきではないかという思いで、再度受診しました。
ところが、その日はいつにまして受診までの時間がかかってしまい、私も娘も午後からの予定があったので、正午に看護師にこういう気持ちで相談に来ているので、お返事をメールでいただきたいことを伝えてもらいました。

そこで返ってきた返答は、セカンドオピニオンをしてもらえるところがあるなら、そちらで診てもらえばいいというもので、これではとりつく島もないという気になって、受診をキャンセルしました。
確かに医師というプライドある立場からすれば、自分以外の者に相談をするだけでも腹が立つことかもしれませんが、セカンドオピニオンそのものも制度化しつつあるものですし、娘の将来を案じて八方手を尽くすのは親として当然のことだと思っています。
最近の医療崩壊の原因の一つに、患者側からの横暴な権利主張があるといわれますし、それをモンスター・ペイシェントと呼び習わすのですが、今回の私の振る舞いはそれにあたるのか、それとも主治医こそモンスター・ドクターであるのか、皆さんにも考えていただきたいと思います。

2008.08.17

画竜点睛を欠く51回目の体育祭

相馬村時代から通算して、51回目の体育祭が開催されました。

IMG_2063.JPG

昨年の50回目で節目だと思っていたのが継続することになったので、そこからもう一度という気になれない方もいるとは思っていましたが、現実に一つの地区が不参加となり画竜点睛を欠く形となったのは、地域全体の親睦を図るという趣旨が崩れたのですから、残念でした。
また、町会の経費節減という理由で昼食前で終わるというプログラムとなりましたが、小学生が出られる種目が少なく、それがボディブローとなって全地区がそろっていない種目も目につきました。
なくすわけにはいかないというのもわかりますが、年に一回の機会だから全員で参加しようというのがスポレクである必然は薄れているのは事実ですから、何をやるのかから考え直す時期にきていると思います。

そうは言いながらも、終わってからの地区での反省会で楽しく飲んで、そんな憂いも消し飛んでしまいました。

2008.08.16

ホイドーズに招かれ、黒石へ

長慶苑のYOSAKOIチーム「飛馬の星」が、曲を作ってくれた元祖津軽衆ロック「ホイドーズ」のお誘いで、黒石よされロックフェスティバルに出向きました。

黒石よされは、阿波踊り・郡上踊りと並んで日本三大流し踊りに数えられるまつりですが、流し踊りそのものも見たことがなく、それにあわせていろいろなイベントがあるのも知りませんでした。
ロックフェスも、元々は違う形で行われていたのをまつりに組みこんだのだそうで、ホイドーズのボーカル・鉄マンがMCを務めて、地元のイベントを盛り上げていました。

私たちのあとには、キャサリン率いる「ふわふわシャインMellow」もサプライズゲストで登場して大いに盛り上がっていましたが、その後のよされニューバージョンのコンテストや本物の流し踊りを見られる体勢で来年は来ようと思っています。

2008.08.12

曲がり角のワークキャンプ

今年で12年目となるワークキャンプを開催しました。

IMG_2047.JPG

今回は、地元・相馬中からの参加がたった2名ということもあって史上最少人数となりましたし、四中・南中の元気さもあって、相馬中の影が薄いワークキャンプとなったのは残念でした。
ただ、これは日程の調整の問題や中学校側にワークキャンプに対しての働きかけがおざなりになっていたことが顕在化したということですので、冬に向けて関心を持ってもらえるようなアクションを考える必要があります。
また、四中・南中から来てくれる子たちも連続というメンバーが多く、日頃のつながりがない分長慶苑という存在を知ってもらうようなかかわりを持つことも考えないといけません。

マンネリ化してきて曲がり角を迎えている感はありますが、次の世代を育てるというワークキャンプの意義がなくなることはありませんので、もう一度仕切り直しをするつもりです。

2008.08.10

丸ごと一日陸上の日

陸上クラブにとって、初めて全員が出場する県記録会津軽南地区予選が行われました。

DSC01625.JPG

19名のうち入賞できたのは7名、それも出場者が全員入賞となる種目で5名ですので、自慢できる成績ではありませんが、他で挑戦しない種目に出場するのをバックアップしてくれたジャンプ先生こと清野美穂コーチと中学校陸上部で活躍してきた佐藤康平君には本当に感謝しています。

大会終了後は、お盆休み前で全員そろうという貴重な機会ですので、私からお願いして小学校グラウンドの草取りをしました。
以前からバックスタンド側やカーブの部分は草に覆われてしまっていますが、春先から直線部分もどんどん繁茂している範囲が広がってきたのですが、小学校でも支所でも最低限の除草しかしないので、自分たちでやるしかないと思ってのことだったのですが、暑い中にもかかわらず親子で会話をしながら作業をしていました。

IMG_2044.JPG

その後は全員で反省会をしましたが、何はともあれ5月からのかかわりが一つの節目を迎えることができ、ホッとしています。

2008.08.07

相馬ねぷた、次への兆し

5日の村内運行は参加できませんでしたが、2・4・6日の市内運行と7日の村内運行には参加して、相馬ねぷた3年目の夏も終わりました。

IMG_2033.JPG

朝からの暑さの中、小学生4人と町印を引く羽目になって汗だくで戻ってから、打ち上げの宴席に加わってきましたが、そこでねぷた愛好会の会長と少し話をしました。
3年目になって見えてきた課題を解決するためにねぷた以外のことにも取り組んではと水を向けると、会長もそれは念頭にあるということで、ねぷた期間以外の活動や地域づくりの核となる方向性で意見交換できたのは、何よりでした。

合併直前に弘大の山下先生らから「NPOそうま」という提言をいただきながら形にならずにきたのですが、ようやく核分裂をはじめる兆しが見えてきたうれしさが、昼のビールのまわりを早めたのはいうまでもありません。

2008.08.06

韓国での再会を約束

3泊4日の予定で来られた水原市からのご一行を、青森空港で見送りました。

二日目は弘前市とつがる市の担当課からの説明とつがる市社協のデイサービスセンター見学をしてから相馬のねぷたに参加してもらい、終わってからは「あいや」で津軽三味線を堪能していただきました。
三日目は長慶苑での見学と説明、それから白神ビジターセンターを見学、夕食は職員をまじえてのお別れ会をし、最終日に韓国にはまだない小規模多機能型施設「りんごの郷」を見学するという、慌ただしくも充実した内容で、3人とも喜んで帰路についてくださったようで何よりでした。

IMG_2018.JPG

私たちにとっても、積極的に学ぼうとする方々と漢字での筆談で何とかやりとりをし、逆にハングルを教えていただきながらの交流で得たものは大きかったですし、村内に嫁いでいるキムさんに通訳をしていただいたことで韓国料理を教えに来てもらう約束ができましたし、非常に有意義な機会になりました。

1月に続いて10月に再び講演の依頼をされていますが、ちょうど水原市は最大の祭りの期間にあたるそうで、ぜひとも夫婦そろって職員もきてくださいとの強いお誘いをいただきましたので、さらに交流を深める機会を作るのを約束してのお別れをしました。

2008.08.03

韓国からのお客様と青森ねぶた

1月の訪韓の際に施設見学させていただいた水原市のキム施設長と市の高齢福祉担当のパクさんとチョンさんの3人が来日しました。
目的は、韓国で7月から施行された「療養保険」制度の先行モデルである介護保険制度と日本の介護サービスを学ぶためでしたので、青森空港に着いた皆さんと昼食を取り、すぐに青森市内の新型特養「寿幸園」を見学させていただきました。
人口110万人の水原市は、施設29ヶ所でデイは10ヶ所ということで、30万都市で特養だけで11ヶ所、さらにデイは50ヶ所以上というサービス量の差に驚いていました。

その後三内丸山遺跡に案内し、せっかくの機会なので青森ねぶたを見物しました。
いつも政策ラウンジでうかがっている和田ビルがさくら野交差点近くにあるので、ビルのオーナーである和田さんのご厚意で特等席で見ることができ、ちょうど清風荘が取り組んでいる「ケア付きねぶたじょっぱり隊」が参加しているねぶたが目の前から出陣するというベストポジションでの観覧となりました。

IMG_1996.JPG

ところで、この2年はねぷたに出ることばかりで他を見に行く機会がなかったのですが、久々に青森ねぶたを関係者の視点で見てみると、気がつくことがいくつかありました。
何と言っても人出の多さには圧倒されましたが、隊列が囃子方が本ねぶたの前にきているところと後ろになっているところがあり、行列そのものが重要無形文化財指定となっている弘前ねぷたとの違いというか乱れを感じました。
それに、カラス族問題でハネトに正装での参加が求められているせいか、これでは本当に好きな人しか参加できそうにないですし、やる側と見る側とが完全に分かれてしまうのは、まつりとしてはいかがなものかと思います。
イベントとしてのすごさとまつりとしてのあり方、光と陰の両面を見た気がします。

2008.08.02

相馬ねぷた、雨の3年目

1日からはじまった弘前ねぷたまつりに、相馬ねぷた愛好会は3年目の出陣となりました。

IMG_1975.JPG

午前中からの雨で開催そのものが危ぶまれる状況に出発をちゅうちょし、途中でのアクシデントもあって2年続けてきた大型ねぷたの先陣を切るポジションではなく30番目という遅い順番になりましたが、長慶苑の在宅利用者8名を含めた大陣容で臨むことができました。
戻ったのは22:00を過ぎるという状況で、ねぷた小屋で審査結果を待ちましたが、残念ながら今年は本賞受賞を逃してしまいました。

今回は31日の村内運行が雨で流れ、ぶっつけ本番で合同運行に臨んだことや雨中で遅くまで待たされたこと、さらには3年目という慣れが出てしまったことが、この結果になったように思いますが、賞を取るという呪縛から解かれた形になりましたので、逆にねぷたそのものを楽しめるのをいい方向に生かしていく時期にきたと思います。

2008.08.01

50年目の奉納武道大会

今回で50回目となる弘前八幡宮奉納武道大会が開催されました。

IMG_1906.JPG

これは今年になるまで知らなかったのですが、元々は今はなき弘前新聞社が主催していたのが一旦中断し、それを弘前ライオンズクラブが引き継ぐ形で再開したのだそうです。
そのおかげで、我がクラブの周年と同じ開催回数になっていることもあって、7月からはじまる年度の最初の奉仕活動=アクティビティとして大事にしてきています。
今年も小中の剣道・高校の弓道で200名を超える参加者があり、表彰の際も関係者から喜んでいただいていましたが、単に大会を開催すれば青少年育成の意義があるのか、再考の時期にきていると個人的には感じています。

何はともあれ、50周年の最初の事業をつつがなく終えることができましたが、この一年はライオンズクラブの活動や趣旨をなるべくお伝えしたいと思っています。

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック

Twitter

ブクログ

Amazon


  • サーチ:
    キーワード:
    Amazon.co.jp のロゴ

国際漫画展

無料ブログはココログ