« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008.01.27

韓国をめぐるエトセトラ

観光や視察ではない海外渡航は、考えてみると20年前の卒業旅行以来というのも奇遇ですが、やはり普通の生活にふれたり、市民と語らう機会がないと、その国を理解することはできないと思います。
今回の訪韓は、それを思い返す機会になりましたし、ケアを通じた交流や理解の第一歩になると思いますが、そこで感じたさまざまなことを徒然にまとめて報告します。

○変わったこと
一番感じたのは、一流の経済産業国家になった自信のようなものです。
サムソンのTVをはじめ、すでに日本製品を上回る評価を得ているブランドも多く、20年前は三菱のマークが変わっただけだったヒュンダイが自社デザインで世界を席巻するほど、両者の立場が逆転しているのが象徴しています。

それは、以前はアングラでしか流入していなかった日本文化を堂々と受け入れるようになったことからも感じました。
ソウルにはセブンイレブンやファミリーマートが何軒もありましたし、書店に行くと完全にハングル化されたコミックスがずらりと並んでいました。
韓国にとって初めての国際イベントであったソウル五輪前後の高揚感と、前回の「日帝36年の支配」を叫んで金をむしり取られたような危ない目にあうような緊張感から、日韓ワールドカップを共催したことや韓流ブームで変わったものが、韓国の側にこそ大きかったのだろうと思いました。

○変わっていないこと
めざましい発展の一方、扉1枚分しかない間口の露店や、路地に品物を並べて商売をしている人々も多く、アジアらしさが残っているのも事実です。
それから、ソウルには「スターバックス」まで開店していますし、1杯30円程度で飲めるドリップ式の自動販売機も増えましたが、さまざまなところで出されるコーヒーは、砂糖とミルクが最初から入っていて、まだまだ揺るぎない地位を保っているようです。

○交通事情
鉄道においてもKTXという新幹線が開業し、日本で対向1車線でも高速道路と名づけているのが恥ずかしくなるほど網の目のように完備した高速道路といったインフラにも目を見張るものがありますが、何といっても驚くのは交通マナーです。
リムジンバスであっても猛スピードで割り込んでいきますし、道路を漫然と渡っているとクラクションを鳴らされます。
歩行者信号は青が点滅になるのが早く、そこでもせかされている気になりますが、信号が赤であっても車がきていなければ交差点を右折(韓国は右通行・左ハンドルなので、日本でいえば左折)してもよいというのは、なかなか合理的なルールだと思います。

○通信事情
携帯電話は持たず、せっかく持ち込んだMacをネットに接続できる環境にいたのが最終夜のホテルだけでしたので、ブロードバンド大国の恩恵にあずかる機会はほとんどありませんでした。
ただ、「PCバン(房)」というネットカフェが非常に増えていたのが印象的でした。

2008.01.26

韓国の施設と介護保険事情

せっかくの訪韓ですので、韓国の施設を見せていただき、できれば今後の交流のきっかけにしたいと考えていました。
韓国には約700の老人ホームがあるそうですが、現在は生活に困窮している人だけが対象だとのことで、定員が埋まっていないところが多いというのは日本との大きな違いです。

一番最初に見学したのは、ビビンバで有名な全州の郊外にある、日本でいえば軽費老人ホームに相当する施設でした。

IMG_0657.JPG

ここは、今回のワークショップを主催する円光大学と同じ「円仏教」という新興の仏教団体が経営しているところで、敷地内には私たちが泊めてもらった研修用の「文化センター」や円形のオンドル、そして協会があります。
内部の様子はこちらで紹介していますが、3人部屋で構成されていることや介護保険がはじまる直前という状況からしても、約10年前の日本の施設と同じものを感じました。

講義の翌日には、人口110万人、民俗村や「チャングム」のロケにも使われた世界文化遺産「華城」がある水原の施設を見学しました。

IMG_0693.JPG

この施設は、市が建設して「円仏教」が運営するという公設民営のスタイルになっていて、定員145床のうち128名が入所している他、まだ韓国では少ないデイサービスセンターも併設されています。
市がかかわっているつながりで、市長補佐のパクさんも来て、施設長のキムさんともども日本の介護保険について質疑応答となったのですが、一番関心を持っているのは生活保護者の自己負担のあり方のようでした。
通訳を介してもうまく伝えることができないもどかしさはありましたが、日本同様韓国の議員も制度を理解しているのは一握りだということでしたので、地方自治レベルでの交流も必要だと思いました。
「華城」を案内していただいた後に、職員の方々を交えて夕食をごちそうになり、ぜひこれから交流しましょうという話で盛り上がったのですが、韓国の方々は高校や大学でひら仮名が読めるくらいは習ったというので、こちらでもハングルの「カナダラ(=いろは)」を勉強しておかなければなりません。

ワークショップの際には、韓国でのKOMI実践施設をリードしている済州島のカン施設長からも交流の申し出がありましたので、ケアを通じた日韓交流の入り口に立つことはできたと思います。

2008.01.25

沸点直前の韓国のケア環境

今回の訪韓は、KOMIワークショップでの講義を依頼されたからですが、実際に行ってみるまではどれほどの状況なのか半信半疑でした。
ワークショップは今年で5回目となるそうですが、私の前にトップバッターとして講演をされた新潟青陵大学の荒木重嗣さんが質問してみると、約150名の参加者のうちKOMIについて初めて聞くというのは20人にも満たないくらいで、KOMI理論学会であれば聞いたことがないのが大多数というのとは大違いです。

IMG_0674.JPG

認知症についての奥深い洞察を示した荒木さんの講演に続いて私の出番となりましたが、やはり話しているうちにアドリブが必要になるのがわかりましたので、原稿をハングルに翻訳してたどたどしく読むのをあきらめて、私も通訳つきのプレゼンテーションでいくことにしました。
ところが、変圧器やらプラグでうまくAC電源が供給されずにバッテリーが持たなかったために途中で予備のPowerPointに切り替えてもらったこともあって、2予定の2時間をまるまる使い切ってしまいました。
何とか長慶苑での取り組みや日本の介護保険の実情を伝えたのですが、記録に関するファイルのことや介護保険施行前後での変化などについて質問が続いて、さらに20分もオーバーとなってしまいました。
ただあまりに過剰に考えている気がしましたので、数少ないボキャブラリーである「ケンチャナヨ(気にしない)」と言ったら笑っていただけたので、ホッとしました。

いずれにせよ、これだけ熱い反応の講義というのは最近記憶がありませんし、これを契機に8年前の日本の経験を伝えたり、KOMIについてのやりとりをしていきたいと思っています。

2008.01.23

変わる韓国、変わらぬ韓国

韓国に来るのは、1988年のソウル五輪直前の卒業旅行、その翌年に友人とツアーに参加して以来のことです。
最初の時は、ビザを取るだけでも一苦労でしたし、金浦空港には警備兵がいて写真も撮れないという厳戒体制でしたが、今回はパスポートに航空券があれば簡単に手続きが済んでしまうので、拍子抜けです。
青森空港とソウル仁川空港との直行便は、韓国からのスキーなどのツアー客が9割以上を占めていて、立場が逆転した感さえありましたが、27日までの4泊5日で見聞した、変わった部分変わっていない部分をトピックごとにお知らせするつもりです。

BubbleShare: Share photos - Cheap Printer Ink

追伸:ネットに接続できる環境だったのが最終日のホテルだけでしたので、帰国後の報告になりました。

KOMIの伝道に、韓国へ

昨年のKOMI理論学会の際に、介護保険制度スタート目前の韓国でKOMIを広めているユンさんとキムさんから、韓国で実際にKOMIを使っている長慶苑のことを話してほしいという依頼に二つ返事で乗ったのですが、いよいよその出発の日になりました。
プレゼンテーションのファイルと草稿を日韓翻訳ソフトで訳したものを校正してもらっていますので、おかしな内容にはならないと思いますが、大学で3年もハングルを学んだ杵柄を披露したいと思っていたのは、読みこなす練習もできないままで韓国に向かう羽目になってしまいました。

それでもソウル五輪の前後に二度訪韓して以来、何と20年ぶりですし、講演を行う益山や施設見学を予定している水原には初めて行くので、楽しみです。
そういうわけで、日曜の午後まではまったく連絡が取れなくなるかもしれませんが、できれば現地からBlogを更新したいと思っていますので、お楽しみに。

2008.01.22

予防従事者研修、3年目も猫の目

今年で3年目となる介護予防支援従事者研修の前期日程が開催され、受託団体である在介協の研修委員長として、これまた3回目の司会役で行ってきました。
今年は予防給付が県内40市町村で全面実施となり、各事業所1名という枠を撤廃したこともあり、参加者・スタッフで550名近くまでふくれあがる盛会でした。
今年も6名の新たな指導者研修受講者が昨年同様自分たちの出番の前に打ち合わせをしているのに同席し、本日最後の講師を務めた斎藤慶吾さんのプレゼンぶりをみても、この研修を何とか成功させようという熱意が感じられますので、引き続き行われる後期日程の演習が成功してほしいものだと思っています。

ところで、今年の指導者研修では、予防マネジメントについてはほんのさわりだけで、ネットワークやら指導方法といったものばかりを講義されたのだそうで、これまで他の指導者の経験のないメンバーばかりで、苦心しながら何度も打ち合わせをしてきたのだそうです。
そのため、余りにも力が入っているようでしたので、研修の趣旨は全国研修の伝達が主眼であること、過去の指導者研修でも実際には使えない内容で何とか工夫して伝えてきたことを話しておきました。

予防プランそのものの考え方は納得できるのですが、介護給付の1/3の単価で3倍も手間がかかるような作業が求められるという現実だけでも無理があるのに、毎年指導方法が変わり、それも現場がうまく動いているかのような仮定の下にさらなる高いハードルを設定しているというのは、本当に厚生労働省とは現場を見ない役所だとあきれてしまいます。

2008.01.13

沢田地区の象徴を見送る

同じ日程で行われる弘前地区での成人式に出席の返事をしていたのですが、前夜の通夜と「ワークキャンプの集い」とがかち合って出席できなかったので、故福沢ヒサエさんの葬儀に参列しました。

福沢さんは、ろうそくまつりでも知られる相馬の最奥部・沢田地区に長年暮らしてきた方で、息子さん方が引っ越した後もここで暮らしたいという姑のために一緒に残り、その方が長慶苑に入所した後も、一人で家を守ってきましたので、田高先生の独居調査でも協力していただきました。
また、人気番組である「所さんの笑ってこらえて」に出演した際にもウィットに富んだやりとりをしたことでも知られるようなすばらしい人柄の持ち主であり、俳句をたしなむ教養も豊かな方でしたので、長慶会の評議員としても長く務めていただきました。
沢田地区の皆さんには公私にわたってお世話になっていますが、限界集落に一番近い環境の中でニコニコと暮らしていた福沢さんの姿からは、暗さをみじんも感じられませんでしたので、厳しい中に明るさを感じさせる沢田の象徴のような方でした。

弔句を俳句仲間の方が詠んでくださいましたが、その中で披露された福沢さんご本人の句を紹介して、ご冥福をお祈りしたいと思います。
秋風に 一人歩きの 影法師

2008.01.12

総選挙の年を実感

木村太郎代議士の「新春の集い」に、出席してきました。

DSC01457.JPG

規模や人数は例年並みだと思いますが、今年中に衆議院の解散総選挙という可能性が高いせいか、昨年とは違う緊張感を感じました。

山内崇県議が自民党を離党して挑戦することを表明しているだけに、太郎さんのあいさつも最後に非常に力がこもっていて、いよいよ選挙というのを実感しました。
山内県議は地元相馬村の出身ではありますが、私は政治の世代交代の針を逆戻りさせないために、また感情的な対立を繰り返させないためにも、微力ながらも太郎さんを支援していくつもりです。

ところで、来賓として三村知事が初めてきたこともニュースですが、もう一人青森1区から再び立候補を表明している升田世喜男さんがきていたのも、その選挙区に自民党現職の津島雄二氏がいるだけに、波紋を呼んでいるようです。
私は、前回の総選挙でも木村衆の兄貴分である世喜男さんをできる範囲で応援したのですが、あいさつしたところ2月上旬の集会に顔を出してほしいということでしたので、ぜひ連絡をと快諾しました。

1区の構図は、4区とは逆になっているように、現在の自民/民主という政党だけではなく、保守の中での対立が底流にあります。
まずは世代交代によって感情的な対立が薄まり、その上で政策の相違による集合離散があって、初めて県政界が再編されると思いますし、それが国政の流れとリンクしていくのだと思っています。
その中で、自分はどういうスタンスをとっていくか、自らの選挙はなくても、大きな変化と決断の1年になる気がします。

2008.01.11

ワークキャンプで広がる縁

11年目、夏冬通算22回目のワークキャンプがはじまりました。
前回からの弘前四中に加えて、南中からも参加してもらうようになったので、さらに交流の輪が広がりました。

IMG_0605.JPG

ところで、ワークキャンプのこれまでの歩みを振り返り、新しい枠組みでリスタートしたのを記念して、12日に「ワークキャンプの集い」を開催することにしていますが、その会場打ち合わせにホテルニューキャッスルにおじゃましたところ、担当してもらっている同級生から、夏冬とも息子が参加していると聞き、ビックリしました。
これは四中に声をかけたからこそ実現しているのですが、次の世代を育てるために取り組んできたワークキャンプで、もよやこういう形で縁が広がるとは思ってもいませんでしたので、何ともうれしい話です。

2008.01.10

人が育つ喜び

長慶苑が開設したときの栄養士が顔を出してくれました。
長慶苑では、厨房の業務を委託していることもあり、栄養士としての仕事の幅は狭いのですが、それ以外でも長慶苑で身につけたものをいかして、今では五所川原市にある特養で、学卒の新人栄養士を指導しながら業務を切り盛りしているというので、成長したものだと思います。

その施設には、城東学園の教員時代からお世話になっていますし、施設長が県老施協会長をなさっていた際に私を引き立ててくださったおかげで業界の中で活躍する立場を得ることができたという大恩があるのですが、何かあると「長慶苑では、どうやっていた?」と尋ねられることがあるそうです。
きっと、彼女がそれまでとは違う切り口で評価できる仕事をしているからこそ、その土台である長慶苑に関心を持ってくださるのだと思いますし、彼女からもここでの仕事で身につけたことや、長慶苑のBlog「星のメッセージ」から刺激を受けて、今の施設でBlogを立ち上げたという話を聞き、長慶苑で育て続けなくても、自分の力で育った姿を知ることができて、これまでのやり方が間違っていなかったと思うことができます。

福祉の仕事は、第一義に利用者や地域の方々が暮らしていくのを支えることですが、それができる人材を育てること、また育つ環境を作るという大事な役割を果たす責任を改めて感じます。

2008.01.03

曲づくりで鉄マンとコラボ

長慶苑のYOSAKOIチーム「飛馬の星」のバージョンアップと昨年来あちこちで公約している私自身の登場のために、今年は曲づくりからはじめようということで、ホイドーズのボーカル・鉄マンの黒石市にある自宅におじゃましました。
こちらからの要望どおり、お山参詣のメロディーをアレンジし、岩木山からのご来光を拝む「朔日山」を歌い込んだ歌詞まで考えてきてくれていましたが、全体の曲の構成と、歌詞としては1番に多くの人が参拝する二日目の「宵山」をテーマにしてほしいと、欲張りな注文をしておきました。
さすがに全国に飛び出しているアーティストだけあって、その場でも曲を直して見せてくれましたが、こういうやりとりをしながら曲ができていくのは、何ともぜいたくな経験だとうれしくなりました。

その鉄マンは、年末年始にさまざまなところに出没して一人ライブを繰りひろげていて、今日も中三で「花嵐桜組」を率いる小野郁子さんの飛び入りというサプライズで盛り上がってきたそうですが、1月中はこの曲を含めたレコーディングに専念し、2/1(金)の弘前市・Mag-Netでのライブからリスタートだそうですので、私も当然足を運ぶつもりですが、ぜひ皆さんにも津軽衆ロックを体感してほしいと思います。

ところで、その打ち合わせが済んだところで、黒石駅から弘南電鉄に乗って中学の同級生との新年会に向かいましたが、年始休みということもあってか乗客は全部で10人にも達せず、バスも含めて公共交通機関の行く末の暗さを実感しました。

2008.01.01

今年も覚応院へ初もうで

あけましておめでとうございます。
2008年も多くの方々にご覧いただき、さらにはたくさんのコメント・トラックバックをいただけるよう、精進するつもりです。

さて、昨年から初もうでは湯口・覚応院ということにしたのですが、今年も「紅白」を見終わったところで、雪の中を歩いて参拝してきました。

IMG_0550.JPG

若い連中が連れ立って、除夜の鐘を突き続けている中、今年も一番最初のあいさつを貞真住職とかわし、参道や境内でも多くの方とあいさつすることができました。
中には、年賀扱いでなく出したために大晦日に着いた活動報告に目を通したと言ってくださる方もあり、うれしい初もうでとなりました。

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック

Twitter

ブクログ

Amazon


  • サーチ:
    キーワード:
    Amazon.co.jp のロゴ

国際漫画展

無料ブログはココログ