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2007.10.31

スポ少常任委員会の後、少々反省

青森市での地方行革シンポジウムが少々押したので、高速を飛ばして相馬地区スポーツ少年団の常任委員会にすべり込みました。

各クラブからの報告の中で、水泳で参加することになっていた駅伝が来月に延期になったという話があったので、そういう情報を伝達して、可能なのであれば陸上の長距離に取り組んでいる子どもにも参加できるようにするべきだと発言しました。
それとともに、来年度からの代表者を先生でなく父母の側から選ぶといっても、こういうことを調整したりする必要が出てくるのだから、まずはどういう体制で運営するのか考えてから人選をすべきだという話をしたのですが、先日の交流陸上大会以来の行き違いと、担当の小林先生とは高校の同級生だという対等な気持ちが前面に出てしまい、周りにはきつい物言いに伝わったようです。

そういうやりとりもあって2時間にも及ぶ会議となってしまったのですが、せっかくの機会だからと同じ方向の父親二人に声をかけて、我が家でさらなる懇談をすることになりました。
その席できつく聞こえたことを言われて反省したのですが、こちらもそう言っていただいたので気がつきましたし、逆にそれまでのいきさつを理解してもらうことができたので、その後はスポ少や仕事のことなど、楽しい時間を過ごすことができました。

何はともあれ、子どもたちにとってよりよいスポーツ環境を作ることが共通の目標なのですから、言うべきは言いながら、一人の父親としてかかわっていこうと思います。

2007.10.27

スポ少認定員講習に参加

丸2日間にわたる、スポーツ少年団認定員養成講習会に参加しています。
現在、小学校におけるスポーツ活動は、学校が主導する部活動から父母や地域が主体となる「スポ少」に移行しているのですが、その制度の中身を知り、どのように運営していけばいいのかを学んでおきたいと思い、受講することにしたのです。

会場は青森市のスケート場会議室なのですが、今年度最後の講習ということもあり、県内各地から約60名の参加者で、その中に幸陽荘の梅村朋宏さんもいて、いつもと違う情報交換をしました。
ずっと全国共通のテキストとプレゼンファイルに沿った講義を受けるだけで、最後に形ばかりの検定試験となりますが、講師のほとんどは弘前地区の方で、きちんとした指導者がいない相馬地区としては、嵐の中で灯台の光が見えた思いです。
今度の水曜には来年度からのスポ少のあり方を話し合うことになっていますが、子どもたちの健全育成という基本理念に沿って、相馬におけるスポ少活動がよい方向に進むよう、微力を尽くしたいと思っています。

2007.10.22

福士朋石住職、茶道を語る

祖母の引き合わせで龍泉寺の福士朋石住職の知己を得たのはお知らせしたとおりですが、直後の選挙の際もお気づかいをいただいたり、足を運んではさまざまなことを教えていただくようになりました。
そこから話が発展して、長慶苑で茶道にふれる機会を作っていただくことになり、今日はその第一歩として、茶道にまつわるお話をしていただくことになりました。

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貴重な茶器をたくさん用意していただいて、茶碗の由来といったトリビアな話題や後ろ前の見分けといった実際の場面で役に立つようなことなど気さくに教えていただき、利用者の方々も興味深く聞き入り、質問を繰り返していました。

文化の第一人者にお話をしていただいたり、実際に体験させてもらうようなことはできずにきたことですので、よい機会を作ることができた縁を結んでくれた祖母に改めて感謝したいと思います。

今年は二園招待

所属している弘前ライオンズクラブでは、毎年「弘前城菊と紅葉まつり」に福祉施設を招待しており、この数年は長慶苑もその一つにしていただいてきました。
今年はクラブ内での検討で二つの高齢者施設の招待を見送り、知的障害児・者の弥生学園・弥生荘だけになりましたので、私も久々に設営委員会のメンバーに回り、到着までの間に昼食会場の「あそべーる」での準備にあたりました。
短い時間とはいえ、ブルーシートを拭いたり、横断幕をつり下げたりしているとけっこう大変でして、こうやってお世話になってきたことに改めて感謝を覚えました。

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今年も雨がこぼれる天気だったこともあり、公園には入らずに市内遊覧をしてから会場へのバスツアーという形になりましたが、利用者の方々は昼食の後のカラオケやくじ引きで大いに楽しんでいました。

同じ地区に住む弥生荘の職員からは、今年は全員連れてきたが、来年は見直す可能性があることや肢体不自由児施設「さわらび園」で招待の希望があるといった話を聞くことができ、50周年に向けて、クラブ内だけでなく施設や福祉全体の状況を確認して、もう一度見直す必要があるのを感じました。

2007.10.20

中越沖地震の実態に驚がく

核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団の事務局を務める外崎能子さんのお誘いで、「原発反対刈羽村を守る会」の武本和幸さんの講演に聞きにいきました。

3年前の中越地震の際は、お世話になっている方やかかわりのあるこぶし園が被害を受けたことで我がことのように感じたのですが、失礼ながら今回の中越沖地震にはそういう感情がどうもわかずじまいでした。
ただ、柏崎原発で火災が起きたり、現在も稼働できない状況でいるというのはどのくらいの被害なのかを聞いてみたくて参加したのですが、武本さんのお話と写真でわかったのは、信じられないほどの被害を受けていて、まさに大惨事の一歩手前だったということでした。

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武本さんによれば、六ヶ所や東通には柏崎とは比べものにならないほどの断層がいくつもあって、それだけでも武器になるのだから、後は自分のような狼として噛みつく人間がいるかどうかだと話していました。
こういう写真が情報公開請求で入手でき、それが情報となってネットやITによってすぐに伝えられていく時代なのですから、おかしいものはおかしいと言い、危ないものを見過ごさないという姿勢が必要だと思いますし、この際反核燃であることをハッキリ表明しておきます。

2007.10.19

ホイドーズと意気投合!

実は横浜で昼食を取っているところに電話があり、来年の「飛馬の星」の曲をお願いしようとしているホイドーズと話しするなら今夜がいいということになり、研修を終えてから黒石市にある音蔵「こみせん」に向かいました。

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ホイドーズは、黒石市出身で竹村の友人である鉄マン率いる4人組のバンドですが、津軽衆の熱い思いを元気の出る曲にこめて歌っていて、久々に昔ながらの「こみせ」の通りにある米倉を改修したステージでのライブを楽しみました。

終わってからの打ち上げの席に加えていただく形で、津軽らしい曲を作りたいというこちらの思いを伝えると、そこでお山参詣の話になり、鉄マンの父との思い出にもつながるということで話が盛り上がって、意気投合することができました。
きっと、来年は津軽の響きが心を揺さぶるような曲で、津軽のYOSAKOIを変えるくらいの意気込みで臨めそうです。

それはさておき、私も大学時代にデビューをめざしながらも解散していったバンドやCMソングまで出したバイトの仲間がいて成功と挫折を見てきただけに、メジャーへの道をめざすホイドーズにはここからの壁を突き抜けてほしいと思いますし、きっとできると応援していこうと思っています。
来週からは、「あっと生テレ」のエンディングでも曲が使われるそうですので、ぜひ聴いてください。

認定審査会研修で重箱の隅をつつく

当日のはずだった予定が変更になったので、横浜から戻って認定審査会の研修に出席しました。
弘前市を含む津軽広域連合では、全国から遅れて今年度から予防給付=要支援2と介護給付=要介護1を振り分ける手順が増えましたが、その変化に説明が伴っていない点が多々あり、重箱の隅をつつきながら聞いていました。

具体的には、

  • 介護給付費の推移で、全国の予算が国で出したデータと違っている
  • サービスの種類で、創設当時からある認知症対応型通所介護などの箇所数が出ていない
  • 昨年度、青森県は予防給付の実施率が全国で一番低かった=一次判定の段階で「要介護1」と出ているはずなのに、「要介護1相当」から「要介護1」とされた率が一番高い扱いをされている
  • 特記事項がないことが調査結果と一致しない理由になる場合もあるのに、それで変更するのは「根拠がない」と説明されている

といったことに突っこみを入れていましたが、そのままにしておけない部分ですので、県には質問書を通じて伝えておこうと思います。

ただ、それ以上におかしいのは、予防給付の振り分けで認知症自立度が「自立またはⅠ」であれば予防給付の対象となるのですが、そのレベルでは認知症対応型のグループホームとデイは使えないことになります。
それにもかかわらず、それぞれに「介護予防」と冠をつけたサービスが設定されていて、昨年4月にみなしでの事業所指定を臆面もなく行わせたのです。
私はその矛盾を認められずに、みなしを断ろうとしたのですが、何と全国でそういうことを考えたのは唯一の例だったようで、書類の不備を突かれてみなしになってしまったのは、今でも納得がいっていません。

走りながら考える制度としてスタートした介護保険制度ですが、走れば走るほどつじつまが合わなくなっているのに気づかなくなっているのは、何とかしなければなりません、としっかり目を光らせているのをアピールしておきます。

2007.10.18

久々に福祉の同志と再会

上京したのは、在介協全国大会に参加するためでした。
2月の研修会は選挙活動のため、8月の研修会は会派の視察と重なって参加できなかったおかげで、丸一年ぶりでしたので、青森県在介協の研修講師として何度もお世話になっている栃木県会長の浜野修さんには、「もう来ないのかと思った」と言われましたが、この間の状況や現在の思いなどを久々に熱く語るのを聞くことができ、やっぱりここには同じ志の仲間(といっても大先輩ですが)がいると、うれしくなりました。

実際の研修は厚生労働省からの行政報告や大学の先生方の講義もありましたが、レポートリレーと題して現場からの報告とフロアとのやりとりをする場では、思った以上にフロアからの発言もあり、ポスターセッションも参加者自体は減った中で28名もの発表があり、活発な質疑応答がされていました。
在宅介護支援センターから地域包括支援センターへの移行によって、センターの数が減り、県単位で協議会が解散になったところまであるのですが、その分現場には何とかしなければという思いが満ちていて、それが自ら伝えよう何かを学んでいこうという姿勢になっているからだと感じました。

そのためにも、現場を巻き込んだ研修が大事になりますので、リレーで中国ブロック得kんしゅうについての報告があったので、今度の東北ブロック研修のことをPRしようと思ったのですが、時間切れで発言できず残念でした。
そのことは相談に乗ってもらっていた事務局の宗方さんも同感だったようで、これからは全国研修会のつどブロック研修の案内をしようというアイデアを話しあいました。
いよいよ来月9・10日が東北ブロック研修ですので、最後の準備に入ります。

2007.10.16

監査を傍目で眺める

2年ぶりの県からの実地指導が行われました。
印象としては、前回と同様でしたが、一番大きな違いは、やりとりを脇で聞いているだけで、とやかく口を差しはさむこともなくなったことです。
以前は、その場で反論したり、激しいやりとりになることがありましたが、さすがに現場のことを任せてしまえば出る幕もありませんし、現場の担当者もそれだけの実践とこの場に耐えうる力をつけているのを信じていますので、気楽なものでした。

何点かの枝葉末節な指摘は受けましたが、大きな改善を求められることはなかったことを報告しておきます。
ただ、何ごとも紙ベースでのしっかりした書類整備という指摘がありましたが、法令遵守=コンプライアンスもさることながら、省資源というエコの観点も大事なのではと受けとめました。

2007.10.14

陸上シーズンは終わりましたが

当初の予定では、7日の大会で終了のはずだった陸上部の活動ですが、10日の交流陸上大会、もう一つ今日の弘前市陸協主催の記録会にも参加することになり、1週間先延ばしになりました。

朝イチでテントを立てに行ってから、地区の臨時総会に出て戻ってくる形でしたので、午前中の種目は見られませんでしたが、子どもの活躍ばかりでなく、久々に中学校から一般までの走りを見ることができたので、満足でした。
それだけでなく、相馬中から転任した先生や他の学校のお母さん方、さらには相馬村出身で陸上ファンの方など、さまざまな方と話をすることができましたし、終わってからも夕方からの反省会でにぎやかに歓談して、楽しい一日を過ごしました。

長女はこれで卒業ということになりますが、私は今月末にスポーツ少年団の認定員の講習に参加することになっていますし、自分が大切に思っている陸上競技のために、これからもかかわり続けることになりそうです。

真剣な議論で、ラストスパートへ

「昴」地区の町名変更に関する臨時総会が開かれ、漢字表記で「昴」としての町名変更の要望書を提出することが決まりました。
文章で結果を伝えるとあっさりしたものですが、ここまでの経緯の説明や手続きにおける委任状の取り扱いなどで真剣なやりとりが続き、投票までに2時間以上の時間がかかりました。
投票の結果も、現住している96戸のうち41世帯で出席し、有効投票39票中賛成22に対し反対17と、それだけ反対の意志の固い方がいただけに、きちんとした議論の末での結論が出たのは、今後にとってもよかったのではと思います。

これから、いよいよ要望書を提出しての手続きへと進むのですが、さまざまな住所変更の手続きなどを一括して行えるようなことができるよう、自分でできることは最大限の協力をしていきたいと思います。

2007.10.11

障害者福祉のハブを失う

先日のワークキャンプでもお世話になった身体障害者療護施設千年園の安田博明次長がお亡くなりになり、通夜に参列してきました。

安田次長は、社会福祉法人七峰会に務めた後、27年前に中泊町の身体障害者療護施設内潟療護園の開設に際し初代の主任として参画し、その後弘前市に千年園が開設されるにあたっても主任として迎えられた経歴が示すとおり、津軽におけるミスター障害者福祉と呼ぶにふさわしい方でした。
私が最初に接したのは、城東学園の実習巡回でのことでしたが、いつおじゃましても実習生の様子ばかりでなく、何を実習で学んでもらいたいのかをこんこんとお話しされる情熱に、ただただ聞き入っていたのを思い出します。
それだけの大きな存在でありながら、つい二三年前まで千年園祭の司会を続けてきたほど、とにかく現場を愛した方で、それを城東学園の卒業生に譲ったときに時代の変わり目を感じましたが、今にして思うとそのあたりで何かの異変を感じていたのかもしれません。

当日は、その歩んできた職場の仲間や利用者の父母とおぼしき方々が顔をそろえ、内潟療護園時代の部下二人からの哀しみと途方に暮れる弔詞があり、最後に奥様から最期まで福祉の心を伝えるためにヘルパーの講義を引き受け、部下だった方々との福祉談義をしながら永眠したというあいさつがありました。
何か安田さんの死が、その存在によってつないできた福祉の縁の結び目をほどいてしまうような、障害者福祉の結節点=ハブが失われた気がしました。

安田さんのご冥福をお祈りするとともに、次の世代を育てるという思いを引き継いでいくことが、ご縁をいただいた者としての責任だと思っています。

2007.10.10

交流陸上大会という絆

何とか学校側の了解を取りつけて、西目屋・東目屋・岩木・百沢そして相馬小5校での「第1回」岩木・白神・ロマン交流陸上大会の開催にこぎつけました。
前日の草取り・ライン引きも私が行き、当日も先生方は一人もこないのは残念でしたが、昼前にこぼれた雨も上がって、全校応援の西目屋・岩木小の大きな声援がこだまする中、ほのぼのとした大会となりました。

東目屋・岩木の両校長先生ともに、「やれてよかった」とお話しされていましたが、東目屋の校長先生は前日の作業の中に加わっていた方だったのをあいさつに立たれたのでわかって、実現のためにそこまでしてくださっていたのに感激を覚えました。

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弘前市という大きな枠に飲み込まれてしまって、すぐ往き来ができる距離であっても交流がなくなっているだけに、来年度からは当初から計画してほしい大会だと実感しました。

ところで、岩木の校長先生もあいさつでふれていましたが、10月10日と言えば東京オリンピックの開会式が無事に行うために晴れの特異日を調べぬいて決められた日です。
今年の第2月曜はザーザーぶりの雨でしたが、最後に晴れ間の見えた天気とすがすがしい気分で終えられたことに感謝して、やはりこの日こそ「体育の日」にふさわしいと思いました。

2007.10.08

素の太郎さんとバッタリ

実は6日に木村太郎代議士のパーティーが二つあったのですが、午前中の森元総理をゲストに迎えた政経フォーラムは西小の学習発表会とかち合い、午後の市町村議員懇話会は早慶ソフトボール大会のために早々に中座したので、太郎さんとは懇話会で出迎えをした際のあいさつだけで終わってしまいました。

無調法をしたなあと思っていたところ、弟一家の帰国で家族全員で食事をするために小僧寿司に注文した品を取りに出かけたところ、下の娘さんを連れた太郎さん夫婦と一緒になりました。
3連休の最後、明日から予算委員会の審議がはじまる国会に戻る最後の夕食を家族で取るところだったようで、私服で家族連れの姿に出会ったわけです。
次第に立場が重くなり、なかなか私たちのような近い立場ですら会う機会が少なくなっているだけに、久々にリラックスした雰囲気の太郎さんに会って、こちらもホッとしたものを感じました。

政治家とは滅私奉公することが求められている仕事ですが、同じ世代の子育ての最中にある立場として家族との生活を失ってしまっては、普通の人々との生活実感にギャップができてしまいますから、一つ会合に出るのを外しても大事にしてほしいことですし、自分もまた自戒しようと思いました。

2007.10.06

25周年の早慶ソフトボール大会

今年は母校ワセダは125周年ですが、地元で開催されてきた早慶ソフトボール大会も、25回を数えました。

例年どおり克雪トレーニングセンターを会場に、早慶入り交じっての練習の後試合となりましたが、例年にはない慶応側の先制にも浮き足立つこともなく、最終的にはダブルスコアでの勝利に終わって、今年も楽しい美酒を浴びることができました。

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私にとっては、ライオンズクラブとならんで異業種の世代の違う方々と知り合い交歓ができる貴重な場ですので、これからもなるべく協力していきたいと思っています。

2007.10.03

商工会議所なのに、商売ベタ?

当日の同じ時間に県下市議会議員の研修会もあったのですが、弘前商工会議所の100周年というのは今年しかないことですので、こちらに出席しました。

市民会館での式典は、まさに式典と呼ぶにふさわしい流れで、不覚というか当然のようにコックリコックリしながら過ごしてしまいましたが、ニューキャッスルでの祝賀会では100周年の歴史を綴ったビデオが流されました。
いにしえの写真から私たちの世代でも懐かしい「かくは」やにぎわいのあった頃の土手町の風景が収められていて、隣の席に座っていた今泉さんとも「これをDVDに焼いて売ればいいのに」と話になりました。
先日の相馬小30周年では、記念のDVDを制作して祝賀会の費用の一部にあてたのですが、600名もの参加者があった会場で売れば収益にもなるでしょうし、これだけしっかりまとまった資料としての価値があるできばえなのですから、小中学校に寄贈してもよかったのではと思いました。

その夜から、青年部が企画しての鍛冶町でのイベント「かじ町ほこ天Fooo!」もはじまりましたが、どうも的外れな感じでしたし、何とも商工会議所の商売ベタを感じた一日でした。

2007.10.02

町名変更へ、最終コーナー

定例の「昴」地区理事会があり、久々にオブザーバーとして参加しました。
町会の便りで町名変更に難儀しているというのは知っていましたが、行政側から町会としての総意をきちんと確認してほしいこと、予算や手続きとのからみで11月中旬までには要望書を上げてほしいという「指導」があったそうで、それをふまえて今月14日に臨時総会を開催して投票で意思確認をするとともに、欠席の場合は委任状をいただいて賛成とみなすことで進めていくことになりました。
能天気な私は、ここまで進んできたので反対を唱える方はいないだろうと思っていたのですが、多くの住民と接点のある役員の中には微妙な空気を感じ取っている方もあり、きちんとした決着を持って要望していくやり方になったのです。

何はともあれ、本当に「昴」になるのかどうかの最終コーナーにさしかかったところですので、少しでも協力をしていこうと思っています。

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