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2007.03.31

板橋かずゆきさんからのエール

例年は4/1に行っている開苑記念式典ですが、今年は新年度からの予防給付がらみで定数オーバーの行事を行うのもどうかということで、31日に繰り上げて開催しました。
午前中は勤続や昇格の表彰や新人・異動職員の紹介に続いて、「鶴亀一座」による津軽人形劇で利用者に皆様に楽しんでいただいた後、午後は昨年度リーダーが取り組んできたプロジェクトのプレゼンテーション3例と、全体研修として視覚障がいのシンガーソングライターとして活躍している板橋かずゆきさんの歌とお話を聞いてもらいました。

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板橋さんの歌に接したのは、昨年の市長選で応援した下田肇先生の選挙事務所でのミニライブが初めてで、秋には「難病フォーラム」で歌ばかりでなく生い立ちや今の思いを語るのも聞く機会があり、同じスタイルで日々の業務でくじけそうになっている職員を励ましてもらおうというつもりでお招きしました。
職員も歌詞にこめられたメッセージやそのエピソードに感動を覚えたようで、終わってから自叙伝である『見えなくてよかったね』を買い求める列ができるほどでした。

私にとっても、弘前市議選に出馬するのを知っている板橋さんが、自作の「大丈夫」という歌でエールを送ってくれたのが、何よりの励みとなりました。
これからも友人として、活動を支援していきたいと思っています。

2007.03.26

祖母の引き合わせ

祖母の葬儀法要が滞りなく終わりました。
段取り一切は福嶋家の当主である従兄夫婦が取り仕切り、同じ孫でも縁が切れていて選挙の準備中でもある私は、お客様のような存在でした。
それでも、従兄の友人や福嶋家の親族にも顔を合わす機会となったので、自らの選挙にはきっとプラスになったものと、祖母の引き合わせに感謝しています。

中でも、祖母と従兄弟にあたるという新町・龍泉寺の福士朋石住職にも初めてお会いしたのですが、現代の水墨画・書家として当代一の評価をほしいままにし、全国各地に後援者がいるような高名な方と縁戚にあたることどころか、そういう方が市内に在住していることすら知りませんでした。
改めて言われると、あの文字、あの絵がそうだったのかと得心しましたが、自分の情報不足を棚に上げて、その存在が弘前市の文化施策に活かされていないと感じました。
せっかく貴重な知己を得たのですから、折りにふれて教えを請う機会を持てたらと思っています。

2007.03.25

昴地区総会に半分参加

25日は旧相馬村12地区での総会ラッシュだったので、地元候補のいる2地区を除いてあいさつ回りに飛び回りましたが、今住んでいる昴地区の総会には初参加となるので、少しでも長い時間参加できるように心がけました。

特に今回は、「大字湯口字二の安田」という、他の地区と区別がつきづらい町名の変更が議題に上がっていました。
ある方が、どうせなら合併の際に変えれば二度手間にならなかったのにという意見をされていましたので、合併協議で町名の変更はしないことが申し合わせになっていたこと、ついでに一番新しい住民として「昴」という町名にしてほしいと意見を申し述べました。
その後も議論は続きましたが、より多くの意見が反映できるよう改めてワークショップを開催することとなり、私が他の地区の総会から戻ってみると懇親会に移っていました。
他では、参加する世帯主だけでの飲み会だったり弁当を配って解散というのが通例なのですが、昴では家族全員が参加するスタイルになっています。

祖母の通夜のため、総会も懇親会も半分参加しただけに終わって飛び出してきましたので、来年こそはゆっくりと参加したいと思っています。

2007.03.23

祖母の死への感慨

実の祖母、福嶋ふさが3月20日亡くなりました。
祖父・慶作が最初の妻を亡くしてからの後添いに入って父と叔母二人を産み、戦後満州から引き揚げてきたものの、農家の嫁としての役割を果たせないことで離縁されてからは、一緒に家を出た叔母、その一人息子である孫を育てて暮らしていました。
私がはじめて祖母に会ったのは、小学校に上がる前くらいだったと覚えていますが、家にいる畑仕事で真っ黒になっている継祖母と違う、品があってか細い姿の人が血のつながった祖母であると知ったのは、ずっと後のことでした。
晩年は老人保健施設に入所し、最後の頃は認知症が進んで、可愛がってくれていた私の顔も見分けがつかなくなり、私もケアの専門家でありながらそのことが受け入れられずに見舞いの足が遠のいてしまったままの別れとなりました。

火葬に立ち会いましたが、仕事柄何度も見送ってきた扉が閉まっていく光景に、自分のDNAの1/4が失われていく喪失感を感じるとともに、曽祖父・祖父・父、そして私へと連なる父子相克の象徴であり犠牲者である祖母が、もし離縁されずにいたら我が一族はどうなっていたのかと、煙突から立ち上る煙に、感慨を覚えました。

2007.03.21

総会回りで、自治の原点を見る

春分の日に合わせて、村内4地区で総会があり、あいさつ回りさせていただきました。
他の2候補、くわえて地元出身の県議2人で、全部で5人もこられる側はたまったものでありませんので、事前に時間調整していただいておじゃましています。
午前中のある地区では、予定よりも総会の話し合いが長引き、3陣営が外で鉢合わせしながら待たされ、「気を使って中断してくれたらいいのに」という愚痴もこぼれていましたが、そこにおじゃましていく分際でこちらの都合を振りかざしては本末転倒です。
短い時間であっても、直接訴えを聞いていただける機会を大事に、25日も駆け回ることになります。

ところで、午後にうかがった地区では、私が一番乗りだったのですが、予定の時刻までの間、これから地区への補助も減額となる中、どうやってやりくりして地区を維持していくのか熱心に説明議論しているのを戸の陰から聞かせてもらう形になり、ここに自治の原点があるのを、改めて実感しました。
こういう膝つき合わせた場で、自分の政治活動や議会報告ができるように、がんばらなければなりません。

2007.03.18

昴みどりクラブでの気づき

昴地区に引っこしてきて初めての子ども会「みどりクラブ」の総会がありました。
これまで暮らしてきた地元では、年度の初めに集まって新役員を決め、会計の引きつぎをしますが、それは親の会=育成会のことで、子ども自身の会については学校での話し合いにまかせている状況です。

それが行ってみると、行った内容や項目が子どもでもわかるような決算書までついた資料が用意され、司会進行も子ども会会長である6年生が進めましたへ
その陰には、2年間育成会をまとめてきた根上会長の尽力が大きいのですが、当事者が主役であることを徹底することが自治の基本だというのに気づく、よい機会となりました。

2007.03.17

青年プロジェクト塾の最後に立ち会う

「青年プロジェクト塾」公開討論会というのが開催されるというので、参加してみました。
「まちづくりの新しいカタチ」がテーマで、奈良美智美術展「A to Z」実行委員長・大川誠さん、情報誌「TEKUTEKU」編集部代表・宮川克己さん、そして総合型地域スポーツクラブ「スポネット弘前」マネージャー・鹿内葵君がパネリストでした。
特にスポネットの鹿内君とは彼が大学院時代からのつきあいですし、Blogも見ているので活動は知っているものの、どういう経緯ではじめたのか、何をめざしているのか知らなかったので、興味津々でした。
鹿内君は最初に発言したのですが、ポスターで「青年プロジェクト塾」があるのを偶然知って、そこから「スポネット」への取り組みがはじまったというので、何が転機になるかわからないものだと感じるとともに、そういう偶然をここまで持ってくる鹿内君のエネルギーに感心しました。

ところで、この塾は中央公民館の4ヶ年にわたる事業だったそうですが、今年度で終了だそうです。
鹿内君ばかりでなく、旧知の方が何人もかかわっているのを会場で知りましたが、こういう取り組みが終了後も継続していくのかが真の評価になると思います。
ただ、最後に「妊婦にやさしい弘前プロジェクト」というのを提起するという発言がありましたが、表層的なまちづくりの陰で産科医不足という根本的な問題をどうするのか、その間をつなぐ役割を果たせるような存在でありたいと思いました。

来年が思いやられる卒業式

相馬小学校の卒業式に、長慶苑の苑長としてお招きを受け、参席してきました。

こういう立場で毎年見ているのですが、小6のお嬢さんがいるPTA会長が祝辞の最中に感極まったり、小5の娘たちが在校生としての呼びかけで大きな声を上げている姿を見ていると、来年の本番にはどういう気持ちがするのかと思うだけで、こちらまでジーンとくるものがありました。
その割に、中学校に行ってもみんな一緒のせいか、子どもたちには涙に暮れる様子がなく、ハンカチで目頭を押さえるお母さん方を見ていると、小学校の卒業式は親のためにあるのかなあと感じました。

そういう感慨をぶちこわすかのように、市議会議員諸侯は私語が絶えず、唯一「リンゴ農家になる」と発表した男子に向かって拍手までしていて、お見苦しい限りでした。

2007.03.15

全国老施協へ、青森からの意思表示

青森県老人福祉協会の総会があり、出席してきました。
4議案の最後は、全国老人福祉施設協議会の会長選出についてでしたので、先日県内で唯一「明日の老施協を創る会」総会に参加してきた報告をして、情報不足のまま決まられることがないようにしたいと思って、資料まで準備しておきました。
挙手して発言と資料配付を求めたところ、一方に偏るという声が上がって、たった1枚の公示資料だけしかない中で、投票による意見集約ということになりました。

これでは見え見えの結果になるかとあきらめたのですが、開けてびっくり中村現会長4票、「創る会」野辺会長候補10票、代議員への委任26票と、中村会長より野辺候補への票が上回りました。
開票結果を見守っていた盛田県会長は頭を抱えていましたが、白日の下の意思表示を受けて代議員総会に臨む立場として、「慎重に考えて投票してきたい」と発言しました。
各県ではどのような意見集約がされるかどうか、また最終的にはどういう結果になるかわかりませんが、青森県では「ノーモア中村」であるのがハッキリしたことを、全国の有志にお伝えしたいと思います。

2007.03.09

研修会をムダに終わらせないために

認定審査会の研修会があり、出席してきました。
一年遅れではありますが、すでに何件かずつ予防給付にかかわるケースが入ってくるようになっただけに、要支援2と要介護1のふるい分け=スクリーニングについての詳しい説明があるものと思っていましたが、行われたのは資料に沿っての淡々とした説明でした。
今どきプレセンテーションソフトを使わないで説明するというのも何だかなあと思いますが、何より消化しなければならない予定を終わらせることだけが目的であるのが見え見えです。
このスクリーニングについては、代表者会議や審査分会の場では説明があったものの、モデルケースの結果についての分析を伝えたり、手順や考え方の標準化を図る絶好の機会を、多くの多忙な委員諸氏を集めておきながら、みすみす逃してしまうのですから、もったいないとしか言いようがありません。

これでしっかりとスクリーニングが行われるのか不安は消えませんし、こういう行政事業のあり方を正していく必要を、改めて必要を感じましたので、次期のフォローアップ委員会で指摘していこうと思っています。

県政世論調査と現実のギャップ

県政の課題と三村知事に対する評価についての世論調査の結果が、地元紙で報じられていました。
これによると、重要な課題としてあげられている雇用・医師確保については、三村知事を評価している人においても評価が低いというのがわかりますが、それにもかかわらず66.9%もの人が知事を評価しているというのは、理解に苦しみます。
現実には、知事就任後の有効求人倍率や失業率はほとんど全国最下位であり、医師確保においても県庁目標すらクリアできず、各地での産科・整形外科・精神科などの休止ばかりがニュースになっているとおりで、県自体の施策評価においても達成率6割となっている状況です。

確かに、紙面での連載などでも県政の課題について掘り下げた追跡をしているのは重々承知ですが、アンケートの対象となった人がそういう情報を知った上で答えるのと、単なる印象で返事するのとでは、全然違う結果となるのではないかと思います。
個々の課題については不満があっても、それを知事がどうこうできるわけでもないし、とりあえず自分とは無縁の人だからといいんじゃないのというのが、回答者の気分、ひいては県民の気分ということのような気がします。
これで、いいはずがありません。

2007.03.06

ネバー・エンディング・ラプソディー

先日観た「六ヶ所村ラプソディー」の実行委員から交流会開催のメールがあり、若い世代がどういう考えで動いているのか関心があったので足を運びました。
急な誘いだったこともあり、人数は少なかったものの、実行委員の学生たちばかりでなく、核燃に長くかかわってきた方やまちづくりに取り組んでいる方など、多彩なメンバーでしたので、ついつい実行委員の趣旨から外れて話がはずみました。

本題に戻すと、保険医協会で「ラプソディー」の上映権を6月まで持っているので、実行委員会としては一回限りの上映会でなく盛り上げていきたいということでした。
相馬には、反核燃を旗印に参議院議員を誕生させた過去がありますので、統一地方選後にぜひとも実現させたいものですし、その活動を通じて反核燃の歴史を振り返り、未来を考えていきたいと思っています。

いずれにせよ、まちづくり、さらには政治の場でも若い世代と一緒することは少ないので、これからもこういう活動にも加わっていこうと思います。

認定審査会が生み出すもの

今年度最後の認定審査会に出席しました。
最後に入ってきたのは、田村端穂医師会長でしたが、今回の審査会の眥さんとは親しくやることができたので、終わったら一席もうけるつもりでタクシーできたと、開口一番おっしゃったので、びっくりしました。
突然の話だったので、全体会の際にぜひということになりましたが、うれしい申し出のおかげで、和気あいあいのうちに審査を終えました。
友人の医師にこの話をすると、それは珍しいと言われましたが、これまでの分会でそういう話になったこともないのに、田村会長自らのお声がけというのは、うれしい限りです。

これは、分会の進行を会長に固定せずに順番に行ったり、お忙しい田村会長の予定にあわせて繰り上げて開始したような積み重ねがあったからだと思いますが、介護保険とは医療・保健・福祉が同じ土俵で一緒に取り組むものという理想を、それぞれの関係者がかかわる審査会という場を通じて近づけていくことができるのを実感しました。

各論バラバラのプラン連発

新たな男女参画プラン決定と報じられていましたが、記事を見る限りでは、お題目を並べただけで、このプラン実施によって、どういう成果をめざすのかは感じ取れません。

その中には、審議会委員の女性登用率のアップというのもありますが、これは「生活創造推進プラン」での男女共同参画においてもポイントとして取り上げられていまして、アップのために「あおもり女性大学」の卒業生を積極的に活用するというくだりがあります。
それなら、男性も「男性大学」の卒業生でなければ登用できないようにするか、全面的に公募にすればよいのではと本気で発言したのですが、嫌みな冗談と受け取られただけで終わってしまいました。

審議会の中には宛職が法的に定められているものがあるのは承知していますが、それでは何の機能も果たさないのは明白ですので、審議会のあり方そのものから再考する必要があります。
それはさておき、上位計画でこういう議論があったのをふまえてのプランなのか、また女性大学の件など説明があったのかは、次の審議会で確かめておきたいと思います。

先月には、食育会議の行動プランが了承されたという報道もありましたが、全国でも飛び抜けて高いセンター給食実施率9割という状況をどう見直していくのか、どうもあやふやな印象が否めません。
こうしたバラバラな各論で、総論が骨抜きにされないシステムを構築することが必要だと思います。

2007.03.05

沢田のみなさんに感謝

400年の歴史があるといわれる沢田地区の「ろうそくまつり」の例大祭にお招きをいただきましたので、喜んで参上しました。
周囲の崩落の危険があるため、商工会による出店などが行われなくなって3年目となりますが、ろうの流れによる吉凶占いでは、豊作とはいかないが水不足の心配はない、ただ台風が一つ来るということでした。

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ところで、これまでは村議としてだったのが、今年は長慶苑の苑長の立場でお招きいただきました。
これは、相馬の中でも一番奥まった地区まで利用者を迎えに来ていることや二人の職員が地区に残っていることばかりでなく、4月の市議選に向けて、一人だけ招かないのは不公平だと考えてくだったからだろうと思います。
おかげで、めっきり春めいて福寿草も咲く中、呉越同舟ではありましたが、住民の方々と歓談することができました。
そのご厚意に応えられる結果を出し、しっかりと活動していきたいと、感謝の念でお祈りしてきました。

2007.03.03

「天国はつくるもの」を実感

先月「六ケ所村ラプソディー」を上映した人たちが、今度は「107+1〜天国はつくるもの」という映画の上映会を、めん房「たけや」で行うというので、再び観に行きました。
この映画は、あの山崎邦正と組んでいた元芸人で独自の書の世界を切り開いている「てんつくマン」が、8年がかりで完成させたドキュメンタリーです。
不法投棄を片づける、アフガニスタンに1kmのレインボーマフラーを送る、もう一つ沖縄から鹿児島まで900kmを手漕ぎのサバニで航海するという三つのイベントを通じて、不可能なことに挑戦することで自分を変えていくことを描いたものですが、その前のインタビューで語っていたとおり、この映画そのもの、そして「てんつくマン」の生き方が、不可能へのチャレンジだというのが伝わってきました。
まったく違う分野の方である前日の上甲晃さんの講話の核心も、信念を持って続けることでしたので、不思議な得心を感じました。

ところで、今回もスタッフや観客は若い世代や女性の方が多く、ふだん自分がかかわっているのとは肌合いの違う集いでしたが、ギラギラしてなくても強い思いを秘めて何かを変えていこうという存在がいることを心強く思いました。
映画ばかりでなく、こういう方々こそ「天国はつくるもの」を体現していますし、自分もまた弘前市を理想のまちにしていくようにがんばろうと思いました。

2007.03.02

「元気会」で、再び上甲さんの講話を聞く

はじめて上甲晃氏の講演を聞いたのは、バックナンバーに書いてあるとおり一昨年のことでしたが、市内の若手経営者を中心に、弘前市を元気にしようと結成された「元気会」がお招きしてのフォーラムがあるというので、参加してきました。
初回のメモは消失していたものの、二度目だとわかった部分がありましたが、それはそれだけ大事な真髄の部分でして、改めて政治というものにどう向き合うべきか、さらには信念を持って生きることの大切さを再び学ぶことができ、選挙間近の時期だからこそ貴重な2時間となりました。

ところで、この「元気会」は、会長を務めている門前さんはじめ、友人知人が多く参加しています。
私は、政治の場から弘前市を元気にする、住みよいまちにするために立候補を決意したわけですが、その立場を離れて同世代の人たちと一緒に取り組んでいくべきことも、たくさんあります。
その核の一つとなりうる団体が第一歩を踏み出したことに、エールを送ります。

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