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2006.07.30

YOSAKOIの縁、五所の縁

今日、市浦(現五所川原市)で「青い森YOSAKOIの集い」が開催され、飛馬の星は初めて遠征して出場してきました。
6月の「よさこい津軽」の直後に、地元の「天龍風神」のリーダーであり、イベントの責任者でもある葛西さんから声をかけていただいたのがきっかけで、今回の出場となりました。
7月は長慶苑の夏まつり、星まつりinそうまとイベントが続き、今日は村の体育祭と重なっていたので、人数をそろえるのもやっとでしたが、せっかく4回目を迎えた市浦のYOSAKOIの力になることができればという思いで、出場に踏み切りました。
出店などでにぎわう会場に、北海道・江差町からのチームを含めて10チームが参加してのイベントで、飛馬の星は午後のトリという順番で、一番盛んな拍手をいただきました。

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YOSAKOIでは表に出ないようにしてきましたが、今回の誘いへの感謝、そして十三湊の歴史流れる市浦が合併で五所川原市となったことへの感慨と、互いに名を失っても地域を守っていきましょうというエールをこめて、あいさつさせていただきました。
五所川原という地名は、村の役場のあった五所の川原から観音様が流れて着いたのにちなんでついた地名でして、これも縁だと感じるものがあって、ついつい長めのあいさつとなってしまいましたが、市浦の方から「いいあいさつでした」と声をかけていただいて、来たかい語ったかいがあったと思いました。

とりあえず、今期の活動はこれで終了の予定ですが、声をかけていただければ、飛馬の星はどこへでも参上したいと思っております。

2006.07.29

介護を語ったほうびに、宿題

昨夜は「市民とマニフェスト研究ラウンジ」の定例会で、介護保険制度改正にかかわる問題点を、「政策としての介護保険」と題して話しました。
人数そのものは少なかったものの、その道の専門家であっても介護保険制度は知らない、しかし身近なことなので議論はできるという感じで、質疑応答も1時間以上に及びました。

改正の要点と課題については、この件で取材を続けている新聞記者からわかりやすかったとほめていただけたのでよかったのですが、政策にからめて住民の立場に立った制度実現の難しさを話したところ、主宰者である中橋勇一さんから、「この問題をマニフェストとして取り上げていくには、どういう視点が必要か」という問いかけをされ、次までの宿題になってしまいました。
言われた際に考えたのは、地域包括支援センターの運営協議会や地域密着型における運営推進会議に、公募のメンバーや会議の原則公開を進めることでしたが、それ以前にどういう制度になるのかの説明そのものを徹底していくのが必要でしょうし、マニフェストとしてまとめるとなると大変です。

いずれにせよ、話すことで新たな気づきにつながるのを実感したひとときでした。

2006.07.28

中間報告後に、フォローアップ

昨日は、午前中に青森県総合計画審議会、午後からフォローアップ委員会がありました。
先日書いたとおり、21日の委員会で途中までしか進まず、審議会への中間報告もそこまでの部分となり、今後の進捗のために午後都合のつく委員だけで残りの部分を話し合うことになったのです。

前回の余韻もあって、今回は各論はさておき、今の青森県そして県政に一番欠けているものは何かといった大局的な話になってしまい、十分突っ込んだものにはならずに終わりましたが、「心の自立」ができていないことがすべての根っこにつながっているという共通認識に収まりました。
これを現実の政策につなげていくのは至難のことですが、来年度はこの視点で施策を展開していくという宣言をしていくのも一つの手だと提言しておきました。

木村前知事の時代は、「文化観光立県」「スポーツ立県」と何をめざすのか高らかに掲げられていましたが、ロゴマークとイベントだけで終わった感があります。
そのリーダーシップに、政策の裏打ちをして展開できる力を持った方に知事として働いてほしいと思いますし、それは誰なのかさがす必要を感じます。

2006.07.24

星まつりinそうまを初フル体感

合併にはなりましたが、今年も「星まつりinそうま」が開催されました。
なぜか他の日程とぶつかって、最初から最後までいたことがないのですが、初めてフルに見ることができました。

メインであるYOSAKOIは、漏れ聞くところでは断られたチームもある状況で史上最多の19チームが出場、我がチーム「飛馬の星」もがんばりましたが、それ以上にトップチームの進化がすごく、入賞することはできませんでした。

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あと数年はこの形式で存続という計画ではありますが、弘前市に二つのYOSAKOIが必要なのか、岩木の夏まつりを含めて見直しは必至ですし、どういうイベントをいつどこで誰がやるのか、考えていく必要があると思えば酔いも覚めてしまいますので、それは後回しにして、楽しく過ごすのに没頭したひとときでした。

子ども会行事に育成会の意義を考える

22・23日と昴地区の子ども会行事に親子5人で参加しました。
天候に恵まれずに、当初のキャンプから県営スケート場でのインラインスケートと集会所での宿泊に変更になったのは残念でしたが、30名近い子どもたちと20名弱の親と地域の方の協力で、楽しい行事になりました。

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実家のある水木在家でもキャンプという話は何度も出ているのですが、大変だという声で実現できずにきただけに、毎年実施している昴に越してきて、いい経験ができました。
ただ、これだけの大人数にもかかわらず、役員やある特定の親だけの協力で行事が行われているのは、全員参加が原則であった水木在家からすると違和感を覚えましたが、まあ郷に入りては郷に従えということでしょう。

こういった各地区での行事のあり方などを情報交換するのも、子ども会育成会連合会の存在意義だと思うのですが、今年はこれまで出していたねぷたは弘前ねぷた出陣に吸収され、自転車オリエンテーリングなどの行事も見送られました。
まさに有名無実の状態になってしまっているのですが、地域づくりの中で果たすべき役割があると思いますし、考えていかなくてはなりません。

2006.07.22

根本は青森県民の自立度?

昨日は2回のワーキングを受けてのフォローアップ委員会だったのですが、約半分のところで時間切れとなるほど議論が白熱というか脱線してしまいました。

ちょうど健康に関する社会像についてのところで、担当でもある私から全国2位をキープし続けている高い自殺率について、緊急事態宣言といった危機意識を共有させるような手だてが必要ではないかと提起をしたところ、日銀青森支店長である清水さんからそもそも短命県である原因を把握しているのか、その要因として喫煙率が高いからではないかという質問が出されました。
それを大学で教えるかたわら会社を経営している金谷先生が、青森出身の社員に多重債務者が多く、そのほとんどがタバコを吸いパチンコが趣味であるということから、社会に出る前からの金融教育が必要だと続けたので、話が教育や雇用といったところまで拡がってしまい、残りの議論は来週の審議会の後に引き続き行うことになりました。

一緒に駐車場に向かった委員の方と話していると、タバコも多重債務も県民が自らを律する自立心が低いからではという鋭い指摘がありました。
それを地域社会全体でかばい合う土壌があるので住みやすいということにもつながるのでしょうが、それでは今抱えている問題が解決しないままです。
どうも、青森県の根っこまで議論することになりそうです。

2006.07.20

昭和天皇発言への違和感

小泉総理が最後の公約実現を強行するのか注目されている8/15を目前にして、「昭和天皇発言メモ」なるものが飛び出しました。
この時期というからには、小泉総理の靖国参拝や安倍官房長官へのけん制を狙ったものだと思いますが、昭和天皇の大御心にも馬耳東風を貫くとは、出した方はさぞかし当てが外れたことでしょうし、小泉総理はまさに唯我独尊の変わり者としかいいようがありません。

やはり過去についての発言は歴史の文脈の中で検証していくべきものですが、気になったのはA級戦犯を合祀するかどうかの動きにずいぶん気を払っていたことです。
戦前の大権を持たれていた時期には、226事件などでも自らの意思を表され、単なる飾りではなかったことが今回の松岡・白取批判からもうかがわれますが、戦後となってからもなお、誰が意に沿って動き誰が意に沿わなかったのか注視されていたという事実は、象徴天皇の枠を超えた思いを抱き続けていたことを示しています。
天皇という存在そのものが神道の頂点であり、英霊を神とする靖国神社の上にも君臨しているはずですが、そこに参拝できない理由がA級戦犯合祀への批判だとすれば、まさに政治的判断です。

象徴でありながら政(まつりごと)に思いを抱き続ける天皇、政治によって犠牲となった兵士を英霊として宗教に引きずり込む靖国神社、どちらも政教分離の原則に沿わない存在ではないですか。

2006.07.18

雨にも負けず、夏まつり

17日、第11回となる長慶苑夏まつりを開催しました。
例年であればもう1週後で暑さ本番の頃なのですが、ねぷた愛好会の弘前ねぷた出陣などのあおりで梅雨明けする前となってしまい、何とか持つかと思っていた雨が開会30分前に本降りとなり、一旦は屋内に変更する準備までし、途中でも雨が強くなって、メインの桂ゆりさんには最初エントランスの下で歌いはじめてもらうなど、11年目にして初めて雨に振り回されっぱなしでした。

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18:00過ぎにようやく雨が上がったので、ねぷた愛好会のねぷた運行は予定どおり行うことができ、おかげで盛り上がってフィナーレを迎えることができました。

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今回は雨で中断するたびにおわびのマイクを握り、村内放送を依頼していなかったので各地区でハンドマイクで告知をしてきたので、おかげで久々に声がかすれていました。
何はともあれ、村内や学生のボランティアの協力もあり、雨にもかかわらずたくさんの来場者で、にぎやかにまつりを終えることができましたことに感謝しております。

2006.07.16

「あした天気になーれ!」上映会

故林家三平師匠の妻というよりもこぶ平改め林家正蔵の母と言った方がとおりがよくなった、海老名香葉子さんの幼少期の体験をもとにした映画「あした天気になーれ!」を親子で観てきました。

実は上映の企画からかかわっていたのに、全然協力することができず、小さくなって足を運んだのですが、思いがけない顔ぶれに何人も行き会い、それなら自分が声をかければよかったと、後の祭りの反省をしているところです。

東京大空襲で兄以外のすべての家族を失い、その兄とも離ればなれになりながらも元気に戦後の混乱を生きていくストーリーなのですが、原作を読んでいる小5の娘はともかく、小学1年の坊主には難しかったようです。
戦争の悲惨さを伝えたいといっても、東京ばかりでなく日本全土が米国に爆撃されたことも知らず、闇市や買い出しというものがあったことも知らないで観ても、理解や感動を呼ぶのは難しいのですから、こういうことをきっかけに教えていかなければなりません。

それにしても、戦争にかかわった人を祀る靖国神社より、罪もなく犠牲になった国民そしてアジアの方々を弔う場こそ必要だと、改めて感じます。

昴地区夏まつりに初参加

15日は昴地区の夏まつりということで、初めて参加しました。

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たくさんの料理や飲み物が用意され、集会所の中では作品の展示、盛り上がってきてからはカラオケ大会と、従来の地区の「さなぶり」とは違う、みんなで準備し、みんなで楽しむ行事でした。
最初はとまどいもありましたが、多くの方から声をかけられ、次への期待をこめた激励を受けているうちに酔いが回り、眠くなってきた坊主ともども早めに戻りました。

2006.07.14

西目屋村での説明会

午後から旧保健センターの無償貸与の説明会があるため、県庁でのワーキングから飛び出して西目屋村へと車を飛ばしました。
何と20を超える社会福祉法人が参加していて、ビックリしながら社交辞令のあいさつを交わすような状況でした。やはり、弘前市では新規事業を認めないというので、少しでも事業拡大のチャンスがあればとにらんでいるところが多いのを実感しました。

関和典村長のあいさつの後、説明と質疑応答、現地見学があったのですが、耐震補強といったハード面でのハードルや、グループホームを2ユニットも作ってしまったとしての保険料への影響など、考えなければならない課題が多いのが実情です。
私としては、木村衆の仲間である関さんのためにも、何より「相馬男と目屋女」と言われる縁深い地の福祉に貢献できればという思いで、何とか受託したいと思っています。

健康福祉部とのワーキング

フォローアップ委員会のワーキング第2回目は、健康福祉部各担当課との意見交換でした。
3時間にわたって、各課の担当者が延べ20人近く入れ替わりで説明したのを、もう一人の委員である熊谷啓子さんとともに質問をする形でしたが、担当としては精いっぱいやっても成果が出ないことを追求される気分でしょうから、気が重いことだったと思います。

さまざまな論点がでた中で気になったのは、保育所に併設されている「子育て支援センター」の設置箇所は増えているということだが、実際に相談件数はどうなっているのかを質問したところ、把握していないということです。
高齢者の相談窓口である在宅介護支援センターは、相談内容や方法、時間帯まで月ごとの報告が求められているのに比べると、雲泥の差です。
実態としては、保育所の人員配置を手厚くするための方便のようなものなのは知っていますが、それでいいというわけにはいきません。

補助金や委託料を受ける事業であれば、それに見合うだけの内容が伴うような目配りが必要ですが、ともするとなおざりになってしまうというのが、この件からも見て取れます。

2006.07.12

在介協、新たなスタート

京都での研修から新幹線で上京し、10・11日で開催された在介協研修会に参加しました。
直前の評議員会で、「全国地域包括・在宅介護支援センター協議会」と改称され、制度が変わって初めての研修だったのですが、700名を超える参加しており、地域包括支援センターという新しい制度に対応するために、情報を求めて模索しているのを反映した盛況ぶりでした。
青森県からも会員ばかりでなく、県をはじめとする行政担当者も多く参加しており、全国で一番遅れている状況を打開する危機感を共有できてきたと感じました。

全国各地の方々とも、再会のあいさつや情報交換をすることができましたし、研修での発表事例のデータベース化や全国研修委員長会議といった形で情報の共有を図っていくことが、会としての求心力につながると思いますので、それを発言した手前もありこれからも積極的に活動に参画していきたいと思います。

それにしても、京都・東京ともども暑すぎる4日間でした。(汗)

2006.07.10

久方ぶりに桃山へ

今回レジデンシャル・ケア会議に参加したのは、主管している高齢者総合施設「ももやま」が、佛教大学のスクーリングを受けるにあたって居候させていただいていた坪内家のそばにあり、施設見学かたがた久方ぶりにごあいさつにうかがいたかったからです。

「ももやま」は、JR桃山駅に隣接した場所に2000年に開設された施設で、介護サービスばかりでなく児童館も併設され、さらにはボランティアが中心となって運営しているレストランもあり、地域の方々が出入りする開かれた施設です。

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当時の基準は全室個室ではなかったのですが、ユニット化できるよう工夫された構造になっており、さらに内装を改装したユニットを職員が通り抜けしないような気配りをしているそうで、さすがと思えるところがたくさんありました。

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そこから名水百選に選ばれている「御香水」の湧き出でる御香宮の境内を通り抜け、坪内家を10年近くぶりに訪ねました。
大学の同級生の縁でお世話になって、2年間で2ヶ月以上も厄介になり、社会福祉の基礎を学びに通った家で坪内さんご夫婦の健在な姿に再会でき、本当にうれしかったです。

福祉の最先端にふれ、福祉の原点に帰ることができた喜びをかみしめながら、懐かしい丹波橋までの道を歩きました。

2006.07.09

レジデンシャル・ケア京都会議

6回目となる「レジデンシャルケア研究会議」が、京都で二日間開催されました。
レジデンシャルというのは、「施設における」という意味ですが、今回は、初日はサテライト特養を中心にしたハードの話、今日は介護福祉士のキャリアアップを中心とした人材をメインにした研修でした。
今回の主管は、京都の「ももやま」、他にこぶし園、アザレアンさなだ、こうほうえん、青山里会といった現在の高齢者福祉をリードする施設が中心となり、厚生労働省の課長クラスもバンバンスピーカーで登場するので、最新の情報が入るのは確かなのですが、今月はそれらの施設が中心になっての研修が毎週ある状況で、よくやれるものだと思います。

老人ホームの全国組織である老施協を率いる中村会長体制についていくつもりはまったくありませんが、かといってこのグループとともに行動していくのも大変なことですし、施設の舵を切るのも一苦労です。

2006.07.08

「二人日和」試写会

昨夜、映画「二人日和」の試写会を開催しました。
今回の「つがるALSウィーク」のきっかけとなる映画の中味を実行委員や関心のある方に見てもらい、モチベーションを高めるのが目的ですが、30名近い方、それも福祉・医療関係者ばかりでなく関心を持ってくれた主婦の方々も参加してくれたのが何よりいうれしかったです。

美しい夫婦愛、そして美しい京都を大スクリーンで見たら、さらに感動できるのが期待できる、素晴らしい映画だというのを確認できましたし、これで準備にも力が入ります。
さあ、今日はその京都での研修に向けて出発です。

たった一人のレクチャー

青森県「生活創造推進プラン」の進捗状況を検証するフォローアップ委員会の第1回ワーキンググループがありました。
今回は専門分野と見なされている健康福祉分野と、人材・仕組みづくりの二つに入れてもらったのですが、午前いっぱいかけて健康分野のやり取りを終え、全日で予定されている人材分野の会場に昼食を済ませていってみると、どうも他の方が見当たりません。
何と午前中で終わってしまっていたそうで、その内容も含めて担当者二人で私一人に説明をし意見交換するという、何とももったいないレクチャーになってしまいました。

健康分野では活発な議論をし、私も活動=アウトプットと成果=アウトカムを念頭に置いた検証が必要だと強調してきたのですが、人材分野はそういう観点では議論をしないで、原則論で終わったようでした。
どうあるべきかは大事ですが、現実にどういう事業を行って、それが本当に効果が上がっているかを検証する場なのですから、この委員会の趣旨をふまえてほしいものだと、おいてけぼりを食らっただけに、さらに強く思いました。

山内弘元代議士の通夜に思う

すでに日付が2日変わってしまいましたが、6日夕に相馬村最初で最後の代議士、山内弘さんの通夜に参列しました。

労組活動から県議4期を経て、土井社会党ブームに乗って衆議院に当選したと書けば順風満帆に見えますが、県議選で落選したり、引退後に息子である崇県議ともども当時は新進党であった木村太郎代議士支持に回ったりと波乱万丈で一筋縄でいかない、まさに政治家らしい方でした。
ただ、小学校入学前後の数年を山内家の二軒隣で過ごした私にとっては、政治家というより生業であるヤマミ商店の「おとちゃ(=お父さん)」であり、私が村議となってからも当時と同じ坊主扱いだったのが、逆にうれしく感じたものでした。
また、その政治活動と生業を支えてきたお母さんには、子どもの頃からかわいがってもらい、最近でも自民党の掲示板の上に長慶苑の夏まつりのポスターを貼ってもらうなど目にかけてもらっているので、最期の看病のご苦労をねぎらってきました。

その通夜の席には、木村前知事も参列していました。
喪主である崇さんは知事のセクハラスキャンダルの際に辞職の急先鋒に立ち、そのまま木村衆とは袂を分かったいきさつがあるのですが、その恩讐を超えて県議同期の訃報に足を運んでくださる度量に、改めて感服しました。
そういう懐の大きさも、政治家として大事だと感じた通夜でした。

2006.07.03

同じ決断でも徳の違い

昨日は、長慶苑が所在する坂市地区の例大祭ということで、お招きにあずかりました。
娘の陸上大会の合間を縫っての出席でしたので、ゆっくりはできませんでしたが、日頃のお礼と17日の夏まつりの案内をしながらビールをついで回っていたのですが、その中に農業委員を務めてこられた三上聡さんもいました。
議員と同じく在任特例が適用された市の農業委員会の様子を教えてもらおうと聞いてみましたら、相馬村の委員の中で唯一辞任されていたのを初めて知りました。
私の場合は新聞でも大きく報じられ、自ら吹聴して回っていますが、同じ決断をしても全然違う態度で過ごしているのを見ると、こういうのを陰徳といい、自分とは大きな違いだなあと感じました。

農業委員を辞しても、三上さんは村の農業のリーダーとしてこれからがんばることでしょうし、これからもいろいろと教えていただきたいと思っています。

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