« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

2005.08.30

過酷な選挙戦、スタート

いよいよ、総選挙が公示となりました。
前回同様届け出のお供をし、その足で地元での第一声に駆けつけましたが、ハプニングがあいさつの終了間際にありました。随行しているボランティアの女性が熱中症で倒れたのです。
すぐに車に乗せて、施設に運んで休んでもらっているところですが、この津軽でも現在の気温が26度と上がっており、これは各地とも大変なことだろうと痛感しました。

選挙にかかわっているメンバーには、もうすぐ9月定例会という地方議員も多く、開会となれば当然そちらが優先ですし、これもまた選挙戦を戦う上では痛いと思います。
自民/民主の政権選択、郵政民営化に賛成/反対という構図での厳しい闘いですが、スタッフにとっても過酷な選挙戦です。

なお、公職選挙法でBlogやサイトの更新、メルマガの発行などが禁じられていると言われていますが、前回の総選挙や自分の選挙でもおとがめを受けたことはないですし、今回も特定候補者の応援ということでなく、選挙を通じて考えたこと、感じたことをお伝えしていこうと思っています。

あいさつ回り

いよいよ日付が変わって、総選挙公示の日となりました。
その前にということで、青森1区に出馬する升田世喜男さんのために、日頃からおつきあいのある施設にあいさつ回りをしてきました。
北津軽郡選出の県議として活躍してこられた升田さんは、木村系の兄貴分として勉強会に誘ってくれたり、相談に乗っていただいたこともある方で、自民現職のご老体がいる中で、世代交代を訴えて無所属で出馬されたのは、感動を覚えました。

その志に少しでもお力になれればと思い、升田さんの地盤ではない青森市内の施設に飛び込んだのですが、こんな人が出ているのかというところから、世代交代は必要だと言ってくださる方まで、さまざまな反応がありました。
また、私が選挙のことで足を運んだということで、政治にまつわる思い出を聞かせてくださった方もあり、これもまた得がたいことでした。

こうして動いていると、人の縁が土台にあってこその政治活動だと実感します。
今夜は相馬村の選挙事務所開きがあり、司会を仰せつかっていたのですが、くるはずだった地元選出の県議がすっぽかしたため、隣町に入っていた木村衆の重鎮・阿部県議に急きょお願いして駆けつけていただきました。
これも、阿部さんが人の縁を大事にしてくださる方だからこそのご無理であり、本当にありがたく思っています。

2005.08.28

りんご選果施設竣工式

今年の相馬村予算の目玉であるJA相馬村・りんご選果施設竣工式が昨日挙行されました。

DSC02204.JPG

これは合併前に何をすべきかということで、保育所の建設を後回しにしても、これからも自立を堅持していくJA相馬村を支援するための補助事業なのですが、直前に村長・議長が接待を受けていたことで疑惑を持たれたいわくつきの事業です。
私は接待を受けたことは軽率であっても、今年のうちにやるべき事業であるのは間違いないと思っていますので、これを有効に活用して、「飛馬」印のりんごがさらに評価を高めることに寄与して欲しいと思います。

相馬中の弁論大会

昨日今日と相馬中学校の文化祭「相中祭」なのですが、昨日行われた弁論大会を見てきました。

DSC02201.JPG

120名ほどの生徒のうち、10名が発表していましたが、部活や日頃の生活で感じていること、ロシアでの体験、少年犯罪についての思いなど、さまざまなテーマをしっかりと訴えていました。

10年前、長慶苑が開設となり、中学校の先生方とも接するようになったのですが、その際一番言われたのが「相馬の子どもは消極的だ」という指摘でした。
これは小中1校しかないことで、ずっと同じメンバーでいることに慣れてしまい、力を発揮しなくてもいいという気持ちが染みついてしまうからだと思います。
それが弁論大会という、一人の力でがんばらないといけないイベントが堂々と開催できるようになったのですから、子どもたちの進歩を感じました。

2005.08.26

支援センター、リセット

25・26日の二日間行われた全国在宅介護支援センター協議会研修会が、残暑の東京での最後の日程でした。
初日の行政報告で厚生労働省の川尻課長から、地域包括支援センターができない場合の在宅介護支援センターの補助金を概算要求したこと、在宅介護支援センターを地域包括支援センターの窓口=ブランチとして活用してももらって差し支えないとあり、それを受けて白澤政和先生から「活用のあり方」報告書に沿って、さまざまな存続パターンも示されました。

それ以上に一番印象に残ったのは、大津市から二年間厚労省に出向されていた福井久さんのお話でした。
市町村が責任を持って地域包括支援センターや地域支援事業をやるのは誰のために必要なのかを考えれば、直営か委託は大きな問題ではない、また人口3万人ごとに置くよりは大きな組織にした方が機能する、さらには在宅介護支援センターありきの呪縛からリセットして考えて欲しいと喝破されたのには、非常に参考になるものがありました。

相馬村・岩木町・弘前市の案では、19万人に7つもの地域包括支援センターをおくような設定になっていますので、この案こそリセットさせなければなりません。

2005.08.25

杜の家を見学

千葉県栗源町にある特養「杜の家」を見学してきました。
千葉県建築文化賞を受賞したというすばらしいハードの中で、若い職員が元気よく働いていました。

DSC02196.JPG

成田空港のある成田市とアントラーズの本拠地茨城県鹿嶋市の中間にある町の施設まで見学に行ったのは、そこでもKOMIチャートに取り組んでいるからです。
飯田副施設長、介護福祉士の上野さん、網代さんが出迎えてくださり、昼食をはさんでKOMIチャートやケアプラン、記録のあり方など、すっかり話し込んでしまいました。
まだまだ福祉施設には浸透していないKOMIチャートですが、彼らのような若くてエネルギーのある人材が関心を持って取り組んでくれたら、さらに進化を続けていくことができると心強く感じました。

2005.08.24

サンダーバード、発進

23日、災害福祉広域支援ネットワーク「サンダーバード」の設立フォーラムがありましたので、上京しています。

これは、昨年10月の中越地震で大きな被害を受けた長岡市の「こぶし園」が呼びかける形で、災害時の福祉面でのネットワークを構築していこうという取り組みです。

DSC02194.JPG

こぶし園の小山園長は、地震当夜に職員50名も駆けつけていたことや、仮設住宅でのサポートセンター運営で身銭を切ることになる可能性もありながら取り組んでいるのは、社会福祉法人としての使命だと基調報告で話していました。
長慶苑では、11月上旬に長岡市に職員を派遣したのですが、それは明日は我が身という思いからでした。ただ、こぶし園と同じような思い切った支援活動ができるかというと不安がありますので、このようなネットワークで支え合おうという試みに協力していきたいと思っています。

それからシンポジストで厚生労働省の中井補佐が出ていましたが、新設する地域包括支援センターは災害時の中核としても機能するようにしたいと発言していましたが、こういう踏み込んだ話ははじめて聞きましたので、ビックリしました。
ともかく、福祉や介護が地域づくりや地域を成り立たせる基盤にしていかなければならないという思いを強くしました。

2005.08.21

事務所開き

応援している前代議士の事務所開きが行われました。

明け方には雨がこぼれていて急きょテントを準備しましたが、それが日よけとして役立つような暑さになり、1,000名を超える人で熱気あふれる決起集会となりました。

DSC00019.JPG

いよいよ選挙本番という雰囲気になってきましたが、前回他の選挙区で戦った候補の秘書の方が、「これだけのスタッフがいるなんて、うらやましい」と言うほど、短い時間の中でも準備を整えられるのが、木村衆の強みです。

郵政への賛否、マニフェストのあり方など、政策で選択すべきだとは思いますが、その第一歩は選挙で勝つことですから、やはり日頃の活動の積み重ねの差は大きいと思います。
こういう立場からすると、万が一「刺客」がきても恐るるに足りずですし、逆にあのくらいの候補に出馬を断念させられる現職というのも不可思議です。

2005.08.20

村松施設長の死を悼む

今日は家族会の旅行で、秋田県田代町(現大館市)にある長慶荘を見学してきました。
長慶苑と同じく「長慶」の名を冠している施設が秋田にもあるのは、相馬村と田代町の境に「長慶森」と名づけられた山があるからです。
実は長慶荘は1983年の開設ですので、こちらの方がパクった形なのですが、以前東北ブロックの席で前任の佐藤施設長からお声をかけていただいて以来、ホームページで相互リンクするなど、ご縁をいただいております。
施設はすでに20以上経っているにもかかわらず、清潔感にあふれており、またさまざまな足が地についた取り組みをされているのを知り、こういう先達をめざしていきたいものだと感じてきました。

DSC02191.JPG

ところで、この見学をお願いした際に、施設長が同じ法人の村松春一さんになったことを聞いてお会いできるかと楽しみにしていたのですが、あろうことか先月お亡くなりになったと聞き、非常にショックを受けました。
村松さんとは、全国老施協の21世紀委員会でお会いして以来のおつきあいだったのですが、50歳を超えて参加していたこともあり、非常に落ちついた温厚な方で、私などの話もよく聞いてくださる優しい先輩でした。
前の施設の時に、二度長慶苑にも見学に来てくださり、大したことのない取り組みをほめてくださったこともあったご縁のある方だけに、遅ればせながらご冥福をお祈りしたいと思います。

案内してくださった木村施設長代行から、早めに精密検査をしていればと聞くにつけ、上に立つ者として健康管理の必要を改めて痛感しました。

2005.08.18

はじめての単独ワークキャンプ

昨日17日から1泊2日で、夏期ワークキャンプをやっています。

今回は、木造町がつがる市になり、内潟療護園が二つに分園したあおりを受けて、長慶苑での単独開催となりました。
今まではお盆前に実施してきたのが、そういう変更が重なったせいで夏休み終わり間近になってしまいましたが、参加した7名は祖父母などが在宅サービスを利用していることや、将来介護の仕事に就きたいという思いを持っているのが多く、積極的にがんばっています。

DSC02190.JPG

おかげで、中庭でバーベキューをしながら利用者と交流するという、今までにない形でできたのは、思わぬ収穫でした。
ただ、冬にはこれまで交流してきた木造の3中学校のうちの一つと交流する形でのワークキャンプに戻していきたいものです。

2005.08.16

追悼式で、村長の見識を知る

敗戦の日から1日遅れで、相馬村として最後の戦没者追悼式が行われました。
村出身の戦没者は129名、遺族の参列者は約40名でしたが、妻や兄弟よりも子の世代の出席者が圧倒的に多いのを見ても、戦後60年の長さを感じます。

DSC00018.JPG

遺族の代表や来賓からのあいさつの中で、村長は戦艦大和の出撃や近郷の特攻隊員の辞世の句などを引き合いに出し、あの戦争が間違いであり二度と繰り返してならない悲惨なものであると述べていました。
他のあいさつが、「英霊」「御楯」「散華」といった美化しただけの空虚にしか聞こえない言葉が並んでいましたし、靖国を選挙道具にしているかのような国会議員の参拝の報道と比べても、村長のあいさつからは戦争というものを我がこととしてとらえている思いが伝わり、その見識の高さに改めて感服しました。

この機会に書いておきますが、私の祖父は本日追悼された兵士の方々に目を光らせる憲兵をした後、満州国の首都である新京(長春)の警察署長や国策会社の役員をしてきた、本当の加害者です。
敗戦の日に京城(ソウル)にいたおかげで、BC級戦犯として処刑されずに済み、帰国後は公職追放されていたという祖父が戦争についてどう思っていたのかを聞いたことはありませんでしたが、私にとっては大事な祖父とはいえ、進んで戦争に加担していたという事実は曲げられないと思っています。
私からすると、靖国にこだわる人たちにはそういう事実を知らないで軍国ごっこはかっこいいという気持ちだけで動いている軽薄さを感じますし、失礼ながら祖父である岸信介が反省しなかったのを受け継いでしまっている安倍晋三が一番バカだと思えます。

東京裁判の是非だとか、南京大虐殺の有無だとかをあげつらうことより、何といっても単純な事実として日本がアジアに対して被害を与えたことを虚心坦懐に反省するところからはじめなければなりません。
それからすれば、まず追悼すべきは罪もなく殺されたアジアの民に対してでなければなりませんし、次に戦争に引きずり込まれた銃後の犠牲者であるべきだと私は思っていますので、政教分離の原則からしてもすべての犠牲者のための、靖国ではない追悼施設を早急に建設することこそ、必要なことだと思います。

2005.08.12

上を向いて歩こう

あの日航機墜落事故から20年になります。
明日からお盆という日の夕方に飛び込んできた速報が、事実が明らかになるにつれて大惨事であることが伝わり、終日そのニュース一色になったこと、川上慶子さんが救出されるのを見て奇跡はあるのだと思えたこと、今でも覚えています。
事故の原因であった金属疲労から、「制度疲労」という語が生まれましたが、あれから阪神大震災、地下鉄サリン事件、同時爆破テロと大惨事が続発する時代に入った感がありますし、世界そのものが制度疲労をきたしていることを示した転換点だったように思えてきます。

その520名の犠牲者の中に、歌手の坂本九さんがいます。
はじめて九ちゃんを見たのは、NHKの人形劇「新八犬伝」の進行役としてだったと思いますが、その人が世界で一番歌われている日本の歌「スキヤキ」を歌った人だとは、後で知ったことでした。
事故当時はそれほど思い入れがあったわけではないのですが、折にふれて流れる映像やいろいろな形で歌い継がれるすばらしい歌にひかれるものがあり、ベストアルバムを買って聴くほどになりました。
そこから感じるのは、高度成長の中で恋したり遊んだり挫折したりする等身大の青年の姿です。
ひばりや裕次郎といった手が届きそうにない大スターではなく、あのどこにでもいそうな人なつこい笑顔に励まされた思い出を持っている人もたくさんいることだろうと思います。

私の影響で、我が家の娘たちも九ちゃんの歌が大好きですが、あの温かさが時代を超えて伝わっていくからでしょう。
いたたまれないような事件が続き、閉塞感が充満している時代だからこそ、あの歌声、あの笑顔を忘れていけないと思います。
さあみんなで、上を向いて歩こう!

2005.08.09

衆議院解散を喜ぶ

議員研修がはじまる前、みんなでテレビに釘付けになってみていましたが、予想以上の大差で郵政関連法案が否決されました。
さすがに政治の世界に身を置くものが集まってみていただけに、何とも言えないどよめきが上がりました。

これを受けて衆議院が解散となり、9/11が投票日となりました。
私個人は、今回の小泉総理の手法そのものがまずかったのが最大の要因だと思いますし、争点も小泉政治への賛否という面が出てくるだろうと思います。
郵政も大事なテーマではありますが、私たちの身近に郵便局がどうなるかという関心と、郵貯を原資とした財政投融資のあり方を見直すということは、国民生活からはつながっていないように感じます。
それ以上に社会保障や教育をどうするか、ニートやパラサイトといった存在に対応できる社会の変革をどうするのか、民主党のいうとおり、もっと大事なことがあると思います。
こういうことこそ、しっかりとマニフェストとして打ち出して論議を戦わせてほしいものですが、これまで「公約」として何度も選挙をくぐってきた郵政の扱いですら、恩讐の中で簡単に反古にされるのですから、自民党にはマニフェストなんて根づくことはあり得ないのでしょう。
ぜひ、皆さんにも何が大事なのか、政治に何を求めるのかを判断して、選挙に臨んでいただきたいと思います。

ところで、この解散で障害者自立支援法が廃案となりました。
付帯決議が24もある介護保険法もでたらめなところだらけの法案ですが、それでもこれまで流れてきた情報である程度の概要は伝わっていましたので、何とか現場で対応できる範囲と言えます。
ところが支援法はというと、あまり議論もされないままに唐突に上程され、なおかつその説明のデータには大きな間違いがあったりと、さらに問題山積の法案で、これが可決されれば障害者の自立どころか生活そのものが脅かされてしまう悪法でした。
郵政優先のために参議院での審議時間も短いままでしたし、それを強行採決まではしないとは思っていましたが、最終的に廃案となって一安心しました。
これこそ時間をかけて、よりよい制度を検討してほしいと思います。

郵政での政争は、政治の愚かさをさらしただけだと思いますが、意義を認めるとすれば、支援法廃案へとつながった一点のみだと感じています。

最後の中郡議員研修

8日、最後の中津軽郡議長会の合同議員研修がありました。
いつもであれば、もっと遅い時期に開催されるのですが、来年2月の合併を控えて、早めに済ませられるものは済ませて、清算していこうということです。
先月も県下の議員研修で顔合わせはしていますが、さすがに最後というのは寂しいものがあります。

ところで、今回の講師は弘大附属病院の院長などを歴任し、現在は弘前病院のセカンドオピニオン医をなさっている今充さんでした。
最初のうちは堅苦しい話だったのですが、そのうちに肩の力が抜けて政治の話や現場でのエピソードへと脱線しはじめたあたりから、調子が出てこられたようで、予定を20分もオーバーしましたが、不満の声が聞かれないほどの楽しいお話でした。
それでも、廃用性症候群のことやターミナルケアのことなど、これから重要になる医療のテーマも織り交ぜられており、こういうドクターから学ぶべきものは多いと感銘を受けました。

2005.08.08

最後の村民体育祭

7日、相馬村としては最後となる第48回村民体育祭が開催されました。

合併を控えて、すべての行事が最後の開催となるわけですが、村民が一番多く参加する体育祭だけに感慨ひとしおです。
この数年はレクリェーション的な種目ばかりですが、村長があいさつでふれたとおり私たちの世代が中高生だった時分は、1500mや800mリレーといった競技が多く、100mで5連覇を達成したことのある私としては、そういう体育祭で締めくくりにしたいものだと空想してしまいます。

2005.08.06

弘前ねぷた見物

毎年恒例の弘前ねぷたまつり見物に、付き添いで出かけました。

DSC02178.JPG

今年は利用者7名参加で、今年入所したばかりの方からは「何十年ぶりにねぷたを見た」と、喜ぶ声が聞かれました。誰でも見に行っていると思いがちですが、年を経るにつれてそういう機会がなくなっていくものだということが、こういう時にわかります。だからこそ、出かける機会を作ることは大切なのです。

家族やねぷたに参加している職員が顔を出してくれたり、知り合いの方とお会いしたり、やっぱりねぷたは楽しいものです。

2005.08.02

子ども会ねぷた運行

今年2回目の子ども会ねぷた運行があり、娘二人と参加してきました。

DSC02144.JPG

1回目の31日は長慶苑の夏まつりとかち合っていたため不参加でしたが、聞くところによれば参加者が少なかったそうでしたので、弘前ねぷたまつりの会期にあたっている今日もどうかと心配でしたが、たくさんの参加者でホッとしました。
これだけ集まるのであれば、弘前に出陣してもという話も出ていましたが、合併後に自分たちだけでそこまでできるのか、地域の自立という視点からも考えていかなければならないテーマです。

2005.08.01

長慶苑夏まつり

ダウンロード summer.m4a

31日、ちょうどよい天候の中で、長慶苑の夏まつりを開催することができました。

DSC02129.JPG

今回で10回目となりましたが、最初から最後まで人出が続き、来場者としては史上最高だったのではと思える盛況でした。
メインゲストの木田俊之さんの歌、都合3回も演舞した「飛馬の星」、相馬空手教室の演武などにも熱が入り、来賓各位のスピーチも多く、ようやく予定の時間に収まった感じでしたが、相馬村の夏のイベントとして定着できたと言えるところまできたかと思うと、感慨ひとしおです。

« 2005年7月 | トップページ | 2005年9月 »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック

Twitter

ブクログ

Amazon


  • サーチ:
    キーワード:
    Amazon.co.jp のロゴ

国際漫画展

無料ブログはココログ