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2005.03.28

三重で講演

昨日の夕方、全員での職員会議で来年度の基本方針を伝えて最終便で上京し、今日はJRで三重県に入り、在宅介護支援センター研修会で講師を務めました。
これは、先週の全国研修会の帰り際に三重県の会長である西元さんから話を持ちかけられ、こちらも教えていただきたいことがあったので、年度末のドタバタの中行くことにしたのです。

話の内容としては、先日のシンポジウムを1時間バージョンに延ばしただけですが、三重ということで大学の専攻である日本古代史にちなんで、本居宣長の言葉「師の説に、ななづみそ」(師の説だからといって、鵜呑みにしてはいけない)を最初に持ってきて、本論も地域での活動がメインで伝わるように構成しなおしました。
先週の反省をすぐにリベンジすることができて、ありがたい機会となりました。

本当であれば、三重の皆さんからいろいろ教わったり、万博やセントレアを見物してきたかったのですが、妻も泊まりがけの研修にでているので、すぐに津からの高速船でセントレアに行き、帰ってきました。
雨のせいか高速船は揺れ続けてましたし、セントレアは手荷物検査をした後からおみやげを買おうとしたらショップそのものが少なく、ちょっと残念でした。

2005.03.25

今任期の終わり

昨日、今任期最後の「青森県政策マーケティング委員会」が開催されました。
2年前に公募の形で委員に加わって、ブックの編集、ワークショップへの参加、そして次のシステム構築の議論と、福祉や政治の場ではできない経験をすることができました。
青森県の行政改革のすべてにかかわっている中橋委員長や最近『学校評価』に編者の一人として参加しているNPM=ニューパブリックマネジメントの旗手である玉村さん方と議論できたのは勉強になりましたし、青森県の女性を代表する面々と知り合えたのも、うれしいことでした。

来年度=次期は、新しいシステムへの移行、違う形での活動主体の形成など、さらに難しい課題がありますが、財政難の時代だからこそしっかりとした政策評価をし、県民の満足につながる施策を打っていくのが必要です。
ただ公募で入った私は、次にかかわれるという保証はありませんので、また論文を書いてでも参画したと思っています。

蛇足ながら、タイトルはSFの名作『幼年期の終わり』のパクりです。この試みも、幼年期から次のステージに進むことを期待をこめています。

今さらながら、人事案件に疑問

昨日の午前中、臨時会が開催となりました。内容は、今年の豪雪によるリンゴ園地への被害対策と、教育委員の任命の二つでした。
今日も春の大雪に見舞われていますが、今年の雪はすさまじいとしかいいようのない量で、議会に行く前に同級生が隣の園地で仕事をしていたので聞き取りをしたのですが、枝折れだけで4割減収になってしまうのではと話していました。
今年度の補正だけでなく、新年度での対策も出てくるでしょうし、毎年続く自然災害に何らかの支援策が必要だと思います。

ところで、教育委員というのは現教育長の再任についてだったので、先日のいきさつを思うと、この任期ではどういう仕事をしようとしているのか、どういう姿勢で臨むのかを聞いた上で同意したいものだと思いました。
そう考えてみると、今までも、人事案件で本人には何も聞く機会もなく、氏名・住所・生年月日のみの情報で同意してきたことに疑問を覚えました。
規則として無理だとは思いながらも質問してみると、答弁は案の定でしたが、それは名案だという不規則発言もありましたし、終わってから村長からもいいところをついていると言ってもらえました。

就任後に一般質問で問うという手もありますが、就職や受験では先に面接があってから合否が決まるのですから、こういう普通のルールが通る決め方にしていくのも、議会改革の一つだと思っています。

2005.03.24

真由美さんと、ばったり

在介協の研修を終えて、みなとみらい駅へのエスカレーターに乗ろうとしていたところに、見覚えのある方が車イスに乗って、向こう側からやってきました。成田真由美さんでした。
こちらがいる方が不思議なのですが、こういう形でお会いできるのは縁があるなあとうれしくなりました。

メールマガジンを楽しみにしていること、相馬村の親戚でも豪雪の被害があったと聞いて心配していることなど、自分のことより私や相馬村にかかわることを話題にしてくれた真由美さんは、その優しさをいかしてライオンズクラブの活動にも協力しています。
これからも、いろいろな分野で活躍されるのを応援しています。

地域包括支援センター、いまだ見えず

22・23日は、全国在宅介護支援センター協議会の第2回研修会でした。
今回は二日目のシンポジストとしての務めもあったのですが、初日の行政報告を聞いても懇親の場での情報交換をしていても、在宅介護支援センターは2006年度以降も老人福祉法で存続(財源は交付金化)、新たに作られる地域包括支援センターは2年間の猶予期間がもうけられるということばかりで、どれだけ移行していくのか、果たして移行が必要なのかすら見えてこない状況です。
今回の介護保険法改正は、まさに大改正なのですから、早くはっきりとした形を示してほしいものだと思います。

2005.03.19

夢を語る卒業式

15日の中学校に続いて、今日は相馬小学校の卒業式でした。
私の1年先輩のお母さんが、「すばらしい門出の日になったこと!」と、顔を合わせたとたんに言い出すほどの吹雪の中で挙行されました。これもまた、思い出に残ることでしょう。

ところで、小学校ではこの数年卒業証書を受け取った後、壇上で自分の将来の夢を発表しています。
野球選手や保育士、パティシエといった具体的な職業をあげる子もあれば、「苦手なこともがんばる人になる」といった人間像を掲げる子もあり、聞いている方も楽しくなります。
ちなみに介護の仕事というのも必ず何人かいるのですが、今年は男の子一人でした。うれしいような、残念なような気持ちでした。 何はともあれ、卒業おめでとうございます。

2005.03.17

6年生からの贈り物

昨日、卒業を間近に控えた相馬小学校の6年生が、自分たちが4年の頃から集めてきたプルタブを交換して、シルバーカー2台を寄贈しに、全員できてくれました。

Dsc03148

本当は車イスをと思っていたようですが、お亡くなりになる方が寄付していくことが多いこともあり、実のところ車イスは倉庫に何台もある状況なのです。
それよりも、歩行を助けるシルバーカーの方が利用者の自立にもつながるのでありがたいと、お礼を伝えました。

これは、保育所の頃から何度も長慶苑を訪問してきたことで、子どもたちが福祉に関心を持ってくれたからだと思うと、自分たちのかかわりが実を結んだのだとうれしく思います。
さらに、子どもたちの思いに打たれて、購入に行ったところでも2台には足りない額だったのを2台にしてくれたそうで、これもまたうれしいエピソードです。

無名の励まし

昨日は息子が風邪でダウンしたので、午後から家にいたのですが、戻ってきたところに電話が鳴りました。
新聞での報道を見て共感したという、声からすれば初老の弘前市在住の方でしたが、こういう無縁の方にまで思いが届き、また次に選挙に出るのであれば応援するとまで言っていただけるのは、ありがたい限りです。
お会いする方からも、ああいう主張は当然だと理解をしてくださったり、それでも辞めないでがんばってほしいとの地域の将来を託すような声もあったりで、決意の波紋は思った以上に大きいと感じています。

ただ、公の場で表明し、紙上でも大きく取り上げられたものですし、何より自分の信念から決めたことですから、相馬村最後の日に辞することは覆すつもりはありません。

村立最後の卒業式

15日は、相馬中学校の卒業式でした。
この学年は、ワークキャンプに参加してくれた生徒が多く、答辞を読んだ田中宏弥君をはじめ印象に残るメンバーばかりでしたので、なんだか送り出す親のような気分で見送りました。

Dsc01824

校長が最後の生徒に卒業証書を手渡しましたが、その番号は4,367でした。
自分も含めて、これまで続いてきた相馬村立相馬中学校の歴史がその番号で終わりになるのかと思うと、本当に寂しいものを感じました。

2005.03.13

ロマントピアスラローム大会

これまではタイムレースとして行われていたスラローム大会が県連の公認レースに格上げされたので、今日は一日旗門員を務めていました。

Dsc01823

県内での最後の公認大会、さらにはなかなか行われないスラローム=回転競技の大会ということもあり、小学校3年生から中学校まで200名を超える選手と、多数の関係者や応援の家族が集まりました。今年は利用者が減ったスキー場も、久々のにぎわいでした。

これは、何といっても地道な活動を続けてきたスキークラブの存在が大きいのですが、それを村からはじめてオリンピックに出場した沢田敦さんをはじめとした関係者の協力によって開催となりました。
ちなみに3回もオリンピックに出場した石岡拓也もきていましたが、まだまだ若輩の部類ですので、あれこれとこき使われていました。それが、相馬村スキーの層の厚さを示しています。

現役選手は、男子は中学・小6で優勝、女子は写真の成田さおりさん他1名が入賞という結果でしたが、こういう大会を目のあたりにすることで競技をめざす子供が増えてほしいなあと思います。

2005.03.12

同志へのエール

10日に議決が行われ、相馬村は来年2月に弘前市・岩木町と合併して新・弘前市となることが決まりました。
私はビジョンがないことや住民の合併してほしくないという声を誰かが代弁しなければという思いで反対するとともに、その制度に乗っかって在任するわけにはいかないと、相馬村最後の日に辞職することを表明しました。
これについては、地元紙の報道、そして私のメルマガをお読みください。

相馬の三上直議員が合併に反対で辞職表明

福祉とまちづくりを語ろう! 帰去来の辞

ところで、昨日11日で定例会は閉会となったのですが、その中に浪岡町がらみの議案が何本か上程されていました。
私は、合併撤回を唱えて当選した古村町長とは面識はありませんが、反対派の中心でがんばってきた小倉尚裕議員は初めての選挙に応援に来てくださった兄貴分です。その小倉さんから反対する理由や町民の思いなどについて聞くにつけ、この合併はあってはならないと思っていましたので、否決されてもエールが届けばと思って、反対しました。

浪岡の合併撤回運動へエール、関連4議案に反対/相馬・三上直議員

おかげで都合8回も反対討論をし、そのすべてで負けましたが、少数であっても自分の主張をするという議員としての本分は全うしたと思っています。

2005.03.11

教育長に激怒!

合併の議決、新年度予算の審議と重要案件の並ぶ中、村民研修所廃止が議案として上程されていました。
旧相馬小学校校舎を利用していた建物そのものは、シロアリ被害のため昨年中に取り壊されているのですが、その設置を定めていた条例を廃止するという、一見何の問題もない議案です。

ただ、長慶苑では今年に入ってからのワークキャンプで隣接している福祉館に宿泊させていただいたので、それ以外にも小学生対象のスポーツ合宿でも同様のスタイルで宿泊していることもあるので、これは認められるのかと質問しました。
それに対して、教育委員会総務課長は「できない」と杓子定規な答弁だったので、柔軟な対応をするというならば見逃すが、そうでなければ宿泊を許可したことを処分するかと教育長に迫りました。
それを何と、「教育で宿泊するなら、岩木町のスポーツセンターもある」と、木造町の中学生に宿泊しながら村内での体験をしてもらう意義を踏みにじるような発言までしたので、「そんな考えでは、この地域が衰退してしまう!」と議場で怒声を浴びせました。

その後、時間延長しての予算審議が終わったところで、教育長が近づいてきました。何かと思えば、ワークキャンプの際に福祉館の使用許可は出したが、宿泊は認めていないのを確認したというのです。
それならば宿泊するのを黙認したのが管理不行き届きではないかと詰め寄ると、「まあまあ」と逃げ去ったので、「卑怯だ!」と叫ぶしかありませんでした。
教育長は4月で任期が切れるのですが、これでは再任は承認できません。

この怒りを決着つけることも必要ですが、何とか教育目的での宿泊が可能となるよう条例の提案をするなど、解決していくことが議員としての本当の仕事だと思っています。

2005.03.10

一般質問の波紋

定例会二日目は、一般質問でした。
私は合併後の地域を維持していくための方策と、沢田地区のろうそくまつりについて質問をし、それなりに前向きな答弁をいただいたのですが、最初に質問に立った種沢武美議員の質問が、今日の地元紙に大きく取り上げられていました。
内容は、昨年11月の合併協議の重要な時期に村長・収入役・総務財政課長、さらに議長がJA相馬村との懇談のために函館まで出張し、接待を受けたというものでした。以前にも追及していたのですが、今回は記者の耳に入ったので記事にされたわけです。

確かに地方自治法の「饗飲」に該当すると言えますし、村長もその点は反省しての答弁をしていました。それを、種沢議員は刑法で言えば賄賂にあたると厳しく指弾し、それだけでなくロマントピアの取り組みそのものも失政であると否定したのですが、その発言は罵倒そのもので、議場での発言としては品位を欠くものでした。
何より種沢議員は元村長を務めた方であり、ご自分が選挙で敗れて以来の村政を今さらになって否定しにかかるというのも単なる怨念に思えますし、当時から議員を務めてきた方からは自分も同じことをしていたのは忘れているのかという声も上がっていました。

村が新しい時代に進んでいこうという時期に、昔の因縁でイメージダウンとなる足の引っ張り合いをしている場合ではないと、情けなさと怒りを覚えます。

2005.03.08

合併しても、過疎計画

今日から定例会が開会となりました。来年度予算も大事ですが、何といっても10日には合併の議決が待ちかまえています。

そればかりでなく、過疎計画も議案として上がっていまして、議案説明の後、全員協議会の場で前期計画の実績および後期計画の説明がありました。
弘前市・岩木町と合併した後も、相馬地域だけは過疎としての指定が「みなし」の形で継続となるので、来年度からの後期計画をまず策定し、合併後に再度新市において再承認を受けることになります。
前期では追加と実施したのが2であるのに、できなかったものが24と、まさに計画倒れの状況だったのですが、後期は合併後の財政状況を強気ににらんでか、5年間で36億円もの大盤振る舞いとなっています。
それでも、小学校のグラウンド整備が前期どころか後期にも先送りとなるなど、納得できない部分もあるので、総合計画・新市建設計画との整合性や、本当に必要なものを優先で取り組んでもらえるように議論しておく必要があります。

それにしても、この恩恵がなくなって、新市の中で埋もれてしまう状況になっていくとなると、本当に地域を守っていけるのか、心配です。

2005.03.07

JA女性部に講演

今期で退任となるJA相馬村の女性部長(同級生のお母さんです)からの依頼を受けて、午前中に介護保険について講演してきました。
30名ほどの部員であるお母さん方が集まってくださいましたが、すでに65歳以上の1号被保険者となっているのが6割くらいで、介護する立場というより明日は我が身と思って参加してくださったようです。

介護保険の仕組みと介護保険料が上がっていく要因、来年からの改正の要点と住民として理解してほしいことという内容で60分の講義をし、その後30分の質問タイムという形でしたが、質問は自己負担が増えることに集中しました。
話の中でも在宅での自立支援が介護保険の基本だと強調したのですが、まだ全貌のわからない予防給付や地域密着型サービスよりも、ある程度金額を例示できる自己負担や保険料アップに関心が向くのは仕方のないことかもしれません。

ただ、女性部ばかりでなくいろいろな立場の方々に話を聞いていただいて理解してもらう機会を作っていく必要がありますので、いつでも声をかけてくださいとお願いをしておきました。
ちなみに、今回のプレゼンテーションのファイルを京都府綾部市議の塩見さんに送りましたが、関心をお持ちの方にはいつでもお送りします。これも自分の仕事です。

2005.03.04

最後の説明会

昨夜、相馬地区で合併の説明会があり、開会時間には間に合わないながらも出席しました。
1日に行われた五所地区での説明会は、住民の参加者が4名しかいなかったということでしたが、今回は30名近い方が集まっていて、身近なテーマでの質問を浴びせていましたので、ホッとしました。

Dsc01812

この6日には協定書の調印、10日には議会での議決と進むスケジュールとなっていますので、これが住民の声を聞く最後の機会となります。
私もその声を参考にした上で、一般質問と議決の際の議論に臨みたいと思っています。

2005.03.01

東大の独居調査

縁あって、長慶苑で東京大学の田高悦子先生の独居調査のお手伝いをしています。
これは厚生労働省ではなく、内閣府が高齢期の自立支援のために行っている調査だそうですが、今週5日間相馬村のひとり暮らしの方のお宅にうかがったり、かかわっている職員にインタビューしたりという中身です。

田高先生によれば、相馬村の方は独居でも明るく前向きに生きているのが伝わってくるそうで、また長慶苑への信頼も強いものがあるということで、面はゆいもののこれまでのかかわりが報われる思いです。
そういう元気な暮らしぶりが、全国に向けての指針となればなおよいなあと思っています。

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