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2004.12.31

おせちの配食

先ほど、おせちの配食にいってきました。
長慶苑では8年前から365日3食の配食サービスに取り組んでいますが、大晦日にはふだん利用していただいていない方にもおせちを用意して、注文を受けています。
最初の頃は、年末年始の休業の間に顔を見に行くことにもなって、ひとり暮らしの方には大変喜んでいただいたのを思い出しますが、最近は配食そのものの利用者が減っていることもあって、今年は私の割り当ては4軒だけでした。
それでも、ちょうど帰省したばかりの同級生に会えたり、最後のお宅ではあげていただいて温かいミルクティーをごちそうになったりと、楽しく回ってきました。

これが自分にとっての仕事納めですが、来年は「災」ではなく、「さいわい」な年であることを願っています。

バイバイ、ゆうたろう

息子の智朗はもうすぐ5歳ですが、同じ保育所の友だちにゆうたろう君がいます。当人同士は非常に仲良しなのですが、サザエさんちの状態で生活していたので、小学校に上がる前には実家に引っ越すというのを聞いていただけに、その日がこないことを願っていました。
それがいよいよ新居も完成し、今年いっぱいで保育所も変わるというので、お別れのプレゼントをもっていったときの写真です。
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本人たちはいつものお別れのつもりにしか受け取っていないようでしたが、逆にはじめて実家から遠くに移り住むことになったママさんの方がつらいようで、涙ながらにお礼を伝えてくれました。
同じ地区なので、里帰りの際には遊びに来てほしいなあと思いますが、小さい子どもにはこういう別れがどのように思い出になっていくのかと思ってしまいます。

2004.12.26

町長解職でも、合併とは

青森市との合併で揺れる浪岡町で、町長の解職についての住民投票が行われ、約3,000票もの大差でリコールが成立しました。
合併に反対し住民投票を行おうとしてきた中に、政治活動をともにしてきた仲間がいることもあり、まずはよかったと思います。

しかし、すでに両方の議会での議決、さらには県議会での議決を終えてしまっているため、出直し町長選で反対派の町長が新任されても、合併そのものは成立していくことになっています。これは最後の関門である県議会で、この結果を待ってからでもよかったことですので、禍根を残す判断だったといわざるを得ません。
また、解職となった加藤町長も、政治的には私たちの大先輩であり、骨肉の争いをして自壊への道を進めた感もあります。
これでは合併したとしても、両方での違和感ばかりでなく、浪岡地域でのしこりは根深く残ってしまうことでしょう。

昭和の大合併の際も、さまざまな禍根が生まれ、今でもそれが尾を引いていますが、これもその一つとして歴史に残っていくかと思うと、残念です。

2004.12.21

ケアプラン研修会

こんなクリスマスでにぎわう舞浜のホテルで、研修会が開催されています。
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内容は、介護保険をどのように使い、どんなケアを受けるかを計画するケアプランのあり方についてだったのですが、私は長慶苑で取り組んでいるKOMIシステムに沿ったケアプランについて報告するパネリストとして行ってきました。
介護保険は、来年早々にも改正案が提出されることになっており、実際のサービスでも大きな変更が検討されているので、現場にしても組織としても不安を抱えているのですが、どんな形であれどのようなケアをするのかが一番大事なことですから、そのための協力は進んでしていかなければならないと思っています。

2004.12.18

やっぱり、ADSL

15日から供用となったADSLですが、モデムが届くのが遅れたのや用事が重なって、我が家では先ほど開通したところです。
24Mでのサービスですが、ご存じのとおり実際のスピードは基地局からの距離に左右されます。さっそく測定してみたところ3M出てまして、メガ単位のファイルのダウンロードもあっという間でした。
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ようやくブロードバンドの恩恵を受けることができるようになったので、これをどう活用していくかが大事になります。

2004.12.15

孤立無援の議決

今日の午前中で、定例会は閉会となりました。
弘前市・岩木町と同一議決日にするという申し合わせで、法定協設置の議案が今日に残されていました。
私は、基本構想が示されていないこと、弘前市主導ではこれからの相馬地域を守っていけないことを論拠に、議案に反対しました。
合併は結婚にたとえられることが多いのですが、財政でのメリットばかりでビジョンのない状況を、結婚式の祝辞で明るい家庭=ビジョンは語られても、二人の所得なら大丈夫=財政などとは言わないと、たとえておきました。

その主張は一理あると理解を示している議員もありますが、最後に残るのは賛否の表明だけですから、1対10で賛成多数という結果でした。
議会ではまさに孤立無援という形ですが、住民の中には自立や小規模合併を望む声も少なくないのが実情ですし、最後の合併の議決に至るまで、相馬の地域を守り、新しい津軽を創るための論議と行動をしていかなければと思っています。

2004.12.14

6年生を背に、一般質問

昨日は、一般質問の日でした。
農作業が終わり、合併のこともあってか、一般の傍聴者も多かったのですが、6年生が傍聴にきました。ちょうど時間帯が自分の質問にぶつかることになっていたので、場合によっては質問順を入れ替えて小学校にかかわる質問を聞いてもらおうと思っていましたが、前の方の終わり間際に到着したので、そんな気づかいは無用でした。

質問は、地震対策と三位一体改革、そしてメインが学校運営協議会、つまり地域の力で学校を運営することを取り上げました。
ちょうど中学校の野球部のことなど、父母から学校に対して話し合いを持ちかけることが最近多く、それだけ我がこととして学校にかかわる姿勢になってきていること、合併となれば相馬らしさが失われる懸念があるので、この機会に地域での運営を検討すべきだというのが主旨です。
相馬中学校には野球部がなく、これから中学進学となる6年生にはそれこそ我がことですので、そのことを議会で取り上げて議論しているというので、関心を持ってもらえたようです。

ただ、答弁としては否定的な回答でしたし、それに関連して合併後の地域特例区についても検討しないという態度に変化はありませんでしたので、質問の評価としては納得できないものでした。

2004.12.12

尻すぼみの説明会

法定協設置の議決の前に、村民に納得してもらうための説明会が開催され、約80名の村民が集まりました。
議会からは議長のあいさつ、合併調査特別委員長の報告がありましたが、今回の合併論議でことごとく少数派=反対の意見である私としては、一丸となって合併を進めてもいないし、意見は集約されても自分の意見は違うと思い、発言の機会をうかがっていました。

最初の質問が、まさに議員それぞれの方向性を問いただすものだったので、渡りに船とばかりに答えようとしたところ、議長から議員個人の意見は慎むようにと制止されました。
その次の質問も、議員の声が聞きたいと続いたのですが、議長は必ず住民の声を聞く機会を作るのでとかわしてしまいました。そこを聞くつもりの参加者は肩すかしを食らってしまって質問が続かなくなり、おかげで30分も早く終了する羽目となってしまいました。

今回は村主催だったのは確かですが、住民が一番聞きたいことに答えてこそ納得もしてもらえるでしょうし、趣旨を変えても受け止めることが必要だと思うのですが、やったことはその場限りの逃げであり、住民を大事にしているとは言えたものではありません。
いつの間にか、唯一の合併推進論者であった自分だけが反対へと入れ替わっても、それがどうしてそうなったのか住民には伝わることがないまま議決では、いけないと改めて思います。

2004.12.11

家族会で合併説明

お昼に、ホーム・在宅合同での家族会忘年会を開催しました。
通常であれば、今年一年の感謝と来年に向けての計画や展望をお話しさせていただいているのですが、今年は市町村合併の状況を説明しました。過半数は相馬村の方ですが、合併の相手先である弘前市・岩木町からの参加者もいるので、これから法定協に進む直前だからこそ、お知らせしておきたかったのです。

内容としては、14市町村ではじまった任意協から12市町村での法定協が解散となった経緯、3市町村および相馬村が自立を選択した場合の財政や予想される負担の予測などから、合併でも自立でも負担のアップになるのは間違いないことを説明しました。
こちらの準備の手違いで、食事の前の予定が狂ってしまい、質問を受けたり、意見を聞いたりという形にはできなくなったのは反省していますが、それでも高齢の家族の方からは、「若い人でないと村の説明会にまで顔を出せないから、いい機会だった」と帰り際に声をかけていただいたので、話した甲斐はあったかなと思っています。

日本海が泣いていた

平沢町長の通夜に参列してきました。
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深浦町は青森県の日本海側にある町ですが、暖冬とはいえ今日ばかりは西風が吹きすさび、波しぶきが砕け、小雪も舞う中、通夜は本当に大勢の参列者が集う中、行われました。日本海まで泣いているかのようでした。

菩提寺の住職は、病弱であった中学生の頃の町長が下宿していた縁もある方だそうですが、諸行無常を語る僧の身でありながら、何とかならないものかと案じていた話や、人の倍も仕事をしている様を見て生き急いでいるのではと感じていたという講話をされました。
足元にも及ばない私ですが、病弱であったという共通項と、生き急ぐという感覚がわかるだけに、胸に迫るものがありました。

帰りの焼香の後、喪主である慶子園長にあいさつしたら、「会わせてあげられなかったね」と、それまで気丈に振る舞っていられた方が、手を握って涙をこぼされました。
私も、それが残念で最後のあいさつに上がっただけに、こらえきれずに泣いてしまったら、「これからは、あなたががんばりなさい」と励まされました。
私が福祉ばかりでなく、政治にも足を踏み込んだ際に、夫の後を歩む者として応援していただいた方に、こんな時にまで気遣っていただける幸せと重みを感じました。

2004.12.10

定例会、開会

今日から12月定例会が開会となりました。
今回は案件こそ少ないものの、15日には弘前市・岩木町との合併協議会設置という大事な議決が待っています。ほかにも前村長に名誉村民の称号を付与するという、ばかげているけど立場的に反対しづらい提案もありますし、介護保険特別会計でこれまで使わずに済みそうだといっていた財政安定化基金からの借り入れの補正も出されています。

それから、月曜日の一般質問を小学校で傍聴に来ることになったそうで、質問順からすると自分の時にあたりそうです。
ちょうど、小中学校を「学校運営協議会」によって地域の手で運営していこうという質問をする予定ですので、子どもたちに教育のことも話し合っているんだとわかってもらえればと思っているところです。
こういうことも、学校と行政の距離が近いからこそできることですから、それ以上のメリットがあると言えない限り、合併を進めるわけにはいかないとの思いが募ります。

2004.12.08

平沢・深浦町長の死を悼む

ニュース速報で、平沢敬義・深浦町長の死が報じられていました。
57歳という若さですし、これから深浦町と岩崎村が合併してからもリーダーとして牽引していくものと信じていただけに、一時退院してその調印式に臨んだのが最後の公務になったとは、残念でなりません。

平沢町長は、深浦町に特養「はまなす荘」を設立してから、政治の世界に転じ、町長として観光に力を入れるとともに、タバコ自販機撤去条例を全国に先駆けて制定するなど、先見の明に満ちた方でした。
現在、はまなす荘は奥様の慶子さんが切り盛りしており、そのご縁で長慶苑の訪問看護ステーション設立の際には連休の最中に自宅まで電話して、深浦町の資料を送っていただいたこともあります。

私にとっては、福祉から政治へと歩んだ大先輩ですし、一度はゆっくりお話しさせていただきたいと思っていた尊敬する方の死に、心からご冥福をお祈りしたいと思います。

弘前市で住民投票の動き

相馬村の合併相手は弘前市と岩木町ですが、その中核である弘前市は人口が多いこともあって、市長や議会以上に住民が合併をどのように考えているかが見えません。
12市町村の時に比べれば、弘前市の方から合併の話題を持ちかけられることが増えてはいますが、合併で変わる部分が少ないせいか、私たちに比べると関心が低いのは事実です。

その弘前市と岩木町で、住民投票で住民の意思を確認してほしいという動きがあり、昨日その準備会が開かれました。
私のところにも、ぜひ相馬でもという声はかかっていたのですが、その都度説明会を開いたり議会に対しても積極的に情報提供をしてもらっている状況で、誰かが矢面に立つような活動は難しいとお断りしました。ただ、側面的にでも協力できればとは思っていたので、会の終わり際に顔を出してきました。

実際のところ、これが通ることは考えにくいのですが、こういう活動によって合併に対する関心が高まってくれればと思います。

2004.12.07

誰がために、合併はある

昨日、合併特別委員会がありました。
15日に予定されている法定協設置の議決後のスケジュールや、12日に開催が決まった村での住民説明会のことなどが説明されましたが、27日の首長会議で基本構想については話題にも上らなかったとのことでした。
当日同じ時間に新市建設計画の専門部会も行われていたのですが、事務的な調整はそちらに任せるとしても、新しい市をどのような方向に進めていくのか、トップが合意し構想を示した上で是非を判断するのが正道であるのに、まず合併ありきではお話になりません。

それに加えて、議員にかかわることでも本来は認められるはずもない条件を弘前市側が示したのですが、合併推進の一点だけで、私を除く他の全議員がこれを受け入れる意思表示をしました。
内容は今のところ公開できませんが、住民からすればやっぱり議員の自己保身としか思えないことだとだけは、いっておきたいと思います。

合併そのものを否定はしませんが、地域を守れそうにもない、合併のためだけの今回の合併には、反対をする決意です。

2004.12.05

郡連Pスクール

中津軽郡3町村の連合PTAスクールに参加しました。
今回の講師は、日頃から親交のある相馬村在住の志村健一・ドォンマリィ夫妻で、アメリカの地方の暮らしや小学校の様子の紹介、それから子育てのアンケート結果、さらには相馬村の子育てに求められることがテーマでした。
奥さんのドォンマリィさんは、ウィスコンシン州グリーンベイの出身なのですが、何らかの形で相馬村と交流できればいいなあと思わせる、すばらしいところなのがよくわかりました。
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終わってからは懇親会、二次会、三次会にまでなってしまいましたが、子育てのことばかりでなく、合併のこと、ブロードバンドのことなど、さまざまことを聞かせてもらいました。
私の議員としてのスタンスは、同年代の声を村政に反映させるのが基本ですから、こういう機会を大事にしています。

2004.12.03

現場実習研修会

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こんなきれいなイルミネーション輝く弘前学院大学のキャンパスで、社会福祉士現場実習についての研修会を、2日間やってました。

社会福祉士は、介護福祉士と同時にできた相談援助の国家資格なのですが、老人ホームで実習をしても介護ばっかりやらされることもあったりで、どのように育てればいいのか確立したものがありません。
それを何とか変えていこうという研修会だったのですが、示されているスタンダードな実習プログラムでは、介護体験を利用者を知るためと称して妥協するなど、真剣に理想を求めよう、それを施設側にも理解してもらおうというのが感じられませんでしたので、苦言を呈しておきました。
ちなみに、長慶苑でも今年初めてその実習を引き受けたのですが、介護は一切させずに終わらせてますので、無理を言っているつもりはありません。

何はともあれ、施設には自分の職員を育てるばかりではなく、福祉をめざす人材育成という役割もあるのだということを、この機会に知っていただければと思います。

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