視察:見どころだらけの南砺市

視察4日目は富山県南砺市。順番としては最後5ヶ所目となりましたが、メルマガ時代からのやりとりのある田中幹夫市長とツイッターで日程調整を一番最初にしただけに、満を持しての視察となりました。
視察項目としては、弘前市にもある伝統的建築群保存地区の維持活用というテーマでしたが、何せ南砺市の五箇山合掌造り集落は伝建地区というより世界文化遺産というレベルの違うものですので、観光における位置づけも保存活用にかかる費用も段違いで、ただただ感嘆するばかりでした。

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これだけでも十分な観光資源ですが、南砺市には青森が生んだ世界的板画家・棟方志功が疎開していた旧居が保存されていて、当時の作品を収蔵する愛染苑もあるばかりか、疎開当時のエピソードを飽きることなく語り続けることのできる職員が務めていて、今でも志功は福光の地に生きているかの強い印象を受けました。

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さらには、昼食の場所として寄っていただいたのが東本願寺の城端別院で、ちょうど虫干し法要の期間にあたっていたとはいえ、檀家を持たなくても周りの寺の信徒が無償で法要を取り仕切り宝物殿を案内していて、そこに多数の方々が拝みに訪れている光景は、葬式仏教の極みに堕している弘前市の門徒宗とは別の宗教だと、その宗派に属する身としてつくづく嘆息の思いでした。

これだけの観光資源、さらには雄大な自然に囲まれた南砺市を、田中市長はITや人脈を駆使して、さらに売り出す工夫を重ねています。
弘前市は観光資源では比肩できるものがあるにしても、そのアピールでは及ばないだけに、市長行政サイドに任せっぱなしにするのではなく、私たち議員も見聞したものを反映してもらうように情報交換や提言に努めなければならないと思います。
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今回の視察は、単独で4日間5ヶ所をめぐる形でしたが、ツイッターでのネットワークによって市長を通じて交渉をし、視察ばかりでなく会談や会食の席で学び交流することができ、一人であっても孤独ではない行程でした。
学びたいことを学び、それを議論できる人に会う、これが自由にできる権利を議員視察としていただいているのですから、それを活用する責任を議員は負っています。
4年がかりで到達した内容を、この報告をもとに市民の皆さんから評価していただきたいと思います。

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「やっぱはまり」の深さ

昨日公表した「市政を変えるマニフェスト」ですが、東奥日報では職員給与カットという具体策、陸奥新報では「やっぱはまり」がテーマと、それぞれの視点で取り上げていただきました。ありがとうございます。

ところで、その「やっぱはまり」について、以前編纂された『津軽語彙』では「やっぱ」というのは語源不明となっているのだそうですが、当代一の津軽弁研究者である渋谷龍一さんから、貴重な教えをいただきました。
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「やっぱはまる」とは、口出しをする、おせっかいをするという意味ですが、語源は「ヤパサマル」=途中からはさまる、ではないかと考えられます。
「ヤ、ハサマル」:「ヤ」は音調上の接頭語で特に意味はありません。
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「ヤ、パサマル」:南部地方

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「ヤパ、サマル」
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「ヤパ、ハマル」:津軽地方
という、経過変化(長い時間をかけて、言葉が少しずつ変化する)の一例です。
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これだけの探究をされている方に知己を得ている幸せと津軽の文化の奥深さを実感していますが、それだけ津軽の人間からすると何ともいえないニュアンスが伝わってくるわけで、その分どういう風に変えようとしているかは肌感覚でわかっていただけると思っています。

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現代美術にふれる1週間

思いがけず小野寺大作さんの絵を受け取った後、予定どおり十和田市現代美術館を見学しました。

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直前の視察の際に金沢21世紀美術館を見学したばかりでしたが、内外から注目を集める金沢にスケールこそ劣るものの、常設展も18日までという"SUMOAURA"と題した相撲にちなんだ企画展もおもしろく、昔の相撲好きの私としては名勝負が大小のモニターやスクリーンに映し出されるフロアからは離れがたいものがありました。
ところで、3年前に青森県立美術館のオープンに際して苦言を述べたことがありますが、先日も太宰治生誕100年にちなんだ企画展を観に行きましても、そのなじめなさは変わらず、何とかならないものかと思っているところでしたので、驚かせたり笑わせたり、そして考えさせられたりする現代美術にふれ、それをいかすコンセプトや人が集まる工夫をする建物には、魅力を感じました。

それどころか、目立たない博物館はあれども美術館のない弘前市としては、文化都市を自認するのであれば金沢市のように強く踏み込むべきだと思いますし、それができないのなら看板を十和田市に譲るくらいの覚悟が必要です。
市民の皆さん、どちらが弘前市として望ましい姿ですか?

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「弘前城再発見ツアー」で発見したもの

弘前観光コンベンション協会が主催する「津軽ひろさき検定」初級合格者対象の、「弘前城再発見ツアー」に参加しました。案内役は、協会専務理事兼事務局長の今井二三夫さんでした。
途中で雨がこぼれ、解散してからはザーザー降りでびしょ濡れになってしまうような天気でしたが、坊主ともども参加して、弘前城のよさを再発見することができました。

内容については、写真とあわせて現場からの報告を読んでいただくとして、一番の発見は今井さんご本人でした。

今井さんには市在職の最終年に市立病院事務局長としてお世話になったのですが、その際には部長級の一人としてしか見ていなかったのですが、1月のプレミアム講演会で講演した平塚晶人さんの『サクラを救え』を後読みしていると教育委員会在籍時の今井さんに取材されていたのがわかり、カルチャースクールなどでも弘前城の歴史を紹介する講座を持たれたりしていることから、その分野で認められる存在であるのは理解していました。
しかし、実際の説明はその浅はかな理解をはるかに超え、本当に詳しいのに加えて楽しいものでして、これだけの知見を持った方が職員としていらっしゃったことに感銘を受けました。

それ以上に、話の端々で市政100周年の際に当時の市長が市役所前の枡形を直線にしようと考えたのに敢然と反対したことや、藩祖為信公の銅像を城内に復元するために文化庁と交渉して許可を得たのが市長が本丸にこだわったのでご破算になったエピソードなどが飛び出しましたが、働き盛りの頃に市長と渡り合う意気込みで仕事をしていた今井さんのエネルギーとともに、それが許されていた当時の市役所の雰囲気が、今は失われていることを残念に思いました。
今井さんには、これからも多くのことを学んでいきたいと思いますし、それを通じて古き良き弘前市を知ることが新しい弘前市をつくる上でも大事だと、発見することができました。

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「祈り」の心と文化を広めるために

「語りき」でお知らせしたとおり、佐藤ぶん太。さん主宰の横笛普及プロジェクト第3弾は、「アイリッシュフルートとブズーキの世界」と銘打って、神戸からhataoさんと赤澤淳さんをお迎えして、満員の駅前市民ホールですばらしい演奏を聴かせてくれました。

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冒頭のあいさつや途中で登山囃子の演奏での出番はあったものの、ぶん太。さんの演奏はアンコールまで待つことになりましたが、それは本当に圧巻でした。
何と北海道出身のhataoさんの祖父は弘前市と姉妹都市である斜里町の出身ということで、ぶん太。さんが1月に登山囃子の指導で斜里を訪ねた際に生まれた「祈り〜眠る心へ〜」という曲をやったのですが、これは斜里との縁のきっかけとなった幕末の津軽藩士殉難をテーマにした曲で、最初にそのエピソードと曲への思いを昔コ(津軽の昔話)風に語るのから入るのですが、3月に続いてその時点で涙が止まらなくなり、演奏の際には極寒の流氷の海が目に浮かぶ気がしました。

今回のプロジェクトも盛況で終えることができましたが、日頃からつきあいをさせてもらっている私としてもうれしい限りです。
これもひとえに、登山囃子のチャンピオンというところにとどまらず、自分を育ててくれた文化を次の世代や社会に広めていくために駆け回っているぶん太。さんの努力のたまものですが、その思いこそ世俗化・法人化された宗教とは違う、お山参詣の「祈り」の心が根っこにあるからこそできるのだと思います。

ところで、この津軽藩士殉難の歴史を、どれだけの方が知っているでしょうか。
ぜひ、ぶん太。さんを通じて、この悲劇と津軽の文化であるお山参詣にふれる機会が増えてほしいと思いますし、それが弘前市にとって大事なことだと思って、できる限りの後押しをしていきたいと思っています。

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MOA美術館で津軽家の至宝に出会う

元々の所蔵が津軽家であったのを知って以来、気になって仕方がなかった尾形光琳作の国宝「紅白梅図屏風」を熱海市にあるMOA美術館に観に行きました。
その前に、せっかくの熱海なので、「金色夜叉」のお宮の松のある海岸にも足を運びました。

ちょうど紅白梅図屏風を含む江戸文化を中心にした特別展が開催されていましたが、本当にたくさんの国内外の絵画や陶磁器、さまざまな出土品が並んでいて、じっくりと鑑賞し美を堪能しました。
それだけの中にあっても、紅白梅図屏風は圧倒的な存在感があり、5分ほど立ちつくして観た後に戻ってさらに魅入ってしまうほどの逸品でした。写真では絵だけが紹介されていますが、屏風の縁の模様もすばらしいもので、まさに百聞は一見に如かずです。

すべてを見終わってから学芸課の河野係長と面談させていただき、弘前城400年祭にあたって何とか貸し出してもらえないものかと、単刀直入にたずねました。
実は偶然の出会いでMOAのトップと親交のある方と知り合い、屏風は門外不出であるとは聞いていましたが、河野係長の話によると東京への空襲の際に津軽家の収蔵庫に火がかかり消火の水をかぶって痛みが激しく、尾形光琳の生誕記念でも国立美術館からの申し出であってもすべてお断りしているのだそうで、そのため実物の展示も冬のこの時期以外には行っていないのだそうです。

それでも、藩祖・津軽為信公が豊臣秀吉に認められた参陣の地である小田原に近い熱海に津軽家ゆかりの国宝があるのですから、津軽家の足跡を訪ねるツアーを企画するといったこともできるでしょうし、そういった熱意がMOA美術館の扉を開けることにつながるかも知れません。
400年祭を単なる建築物としての城のイベントだけではなく、津軽家そして津軽の近世400年を見つめ返す機会にしてほしいものだと思いながら、熱海を後にしました。

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「学力テスト」に乗せられた不明を恥じる

柄にもなく、「弘前市建国祭」に出席しました。
最初の案内には欠席で返事しようと思ったのですが、別口でいただいた開催のチラシに秋田県の学力テストについての講演があるというのが目にとまり、出席に切りかえました。

主催は「弘前市建国記念日奉祝会」で、今回で52回目ですから現在の「建国記念の日」として祝日となった1966年より古い時期から開催されてきたあたりに会の趣旨や性格がわかるわけですが、式典では橿原神宮に遙拝し「紀元節の歌」を歌うという、徹底したものでした。
それには耐えがたきを耐えて、いよいよ目的の講演となったのですが、講師は教育にかかわっているといっても大学の講師であって初等教育の専門家では全くない方でして、秋田県における学力テストの好成績の要因やその公開に対する論評を紹介するだけのものでした。
曲がりなりにも内容について考えたことを記しておきますと、秋田県は学力ばかりでなく体力もトップクラスということですので、それが百ます計算の陰山メソッドにつながる早起き朝ご飯重視にあるというのは納得できますが、それだけ優位な子どもたちが高等教育を経て成人してから全国トップの自殺率になってしまう要因は何なのかという疑問が残ったままでした。

ともあれ、他の予定も立て込んでいる中での肩すかしでしたので、ガッカリして会場を後にしたのですが、事前に講師の専門や略歴といったことはネットで検索すればわかることだったのですから、それをせずに直接話を聞くのが一番学ぶチャンスがあるという先入観で臨んでしまった自らの不明を恥じるべきだと思い直しました。

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彦根市:偶然ではない「ひこにゃん」戦略

視察の二日目は、長浜から4駅の彦根市からです。
琵琶湖東の中心都市である彦根市は人口約11万人、国宝である彦根城の城下町であり、記念キャラクター「ひこにゃん」が爆発的人気を博した築城400年祭を中心にした観光戦略を学びに行きました。

まずは議会事務局の吉本さんのご案内で彦根城へと向かい、金亀城と呼ばれる天守閣に上り、向い側の山には石田三成の居城であった佐和山城址、振り返れば「鳥人間コンテスト」が行われてきた琵琶湖岸を眺望しました。

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市役所では、北海道出身にしてもこちらからのあいさつなど不要になるほど弘前市の概要を詳しく盛り込んでくださった山口大助副議長からのあいさつにはじまり、続いて400年祭当時の担当課長で、現在行われている「井伊直弼と開国150年祭」担当の長﨑副参事が詳しく説明してくださいました。
今では全国各地の「ゆるキャラ」の代表格であり、彦根といえば「ひこにゃん」ということになりますが、実際はログマークなどと一式でのコンペで決まったのだそうで、井伊家の赤備(あかぞなえ)の甲冑と菩提寺・豪徳寺に伝わる招き猫伝説を組み合わせたのも、デザインの際に指定したものではなく偶然の産物なのだそうです。
その後の人気はご存じのとおりですが、会期中は決まった時間・場所に毎日登場することにし、全国から引き合いがくるようになって1日で東京・大阪・彦根と7回登場した日もあったそうですが、離れた場所でも時刻をずらして登場させるといった、ミッキーマウス並みの工夫をしていると聞いて、「ひこにゃん」は生まれたのは偶然であっても成功を招くだけの観光戦略をもっていたからこそ育ってきたのが、つくづくわかりました。
また、400年祭の際にも市民参加で行われたそうですが、今回の150年祭にあたっては市民からの参画事業に25万円の補助を出すことにし、28件が実際に取り組まれているのだそうですし、お城頼みだけでない観光のまちづくりとして、キャッスルロードや四番町スクウェアといった整備も行ってきたそうで、既存の商店街の工夫の様子も、吉本さんが出発ギリギリまで回ってくださいましたので、駆け足ながら見ることができました。
400年祭の対策室を開会の3年前から設置して準備を進めたという用意周到さもさることながら、長﨑副参事の戦略眼、吉本さんのおもてなしの心といった、職員がその持ち分を生かし切っているからこそ、彦根の成功があるのだと実感しました。

翻って弘前市はというと、正式な組織はいまだ置かれていませんし、市長は近衛家とのコンタクトや本丸御殿を夢想するするばかりで、具体的なアクションは見えてきません。
ちょうど持っていった本の中に、国宝である尾形光琳の「紅白梅図屏風」は津軽家が作らせ所蔵してきたものだというのが書かれていて灯台もと暗しを痛感しましたが、単なる関係や失われたものより現存する由緒あるものに着目したイベントを、何より早急に考えるべきだと思います。

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陸羯南の大きさを知る

先日の設立総会は闖入した形でしたが、今回はオープンな陸羯南会設立記念シンポジュームですので、正々堂々参加しました。
会場の市立図書館視聴覚室は椅子のみの席を作るほどの盛況でしたが、約80人の内訳では年配の方や女性がほとんどで、自分と同じくらいの男性がほとんどいないのが残念でした。

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最初に東京にある「陸羯南研究会」主筆の高木宏治さんが「陸羯南と『日本画報』」と題して、新聞「日本」の付録で日本初のグラフ誌である「日本画報」復刻にまつわるエピソードや、陸羯南が言論人としてだけはなく新聞技術発展にも寄与した功績を紹介しました。
続いて、会長である舘田勝弘さんがコーディネーターを務め、高木さんに地元を代表して陸羯南に関する著書もある稲葉克夫さん、野口伐名先生が発言者となったシンポジュームとなり、稲葉さんは陸羯南と弘前出身の偉人たちや原敬首相との交友、野口先生は教育者としての陸羯南、さらには国民主義を超えた博愛主義について研究することに今日的な意義があるというお話をされていて、陸羯南という存在の大きさ、そこから連なる人々の多彩さに刮目するような内容でした。

こういう郷土が生んだ偉人、それも国のあり方を論じた方を現代的にとらえ直す中で得られるものは多いと思いますし、子どもたちにも学んでほしいことですので、これからも活動に加わっていきたいと思います。

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新年互礼会での違和感

皆様、新年あけましておめでとうございます。
今年も、議員としての言行はこちら、福祉の仕事や地域での活動、子育ては「三上 直樹、かく語りき」で書き連ねていくつもりですので、たくさんのコメント・トラックバックを励みにがんばりたいと思っています。

さて、早朝の実践倫理宏正会の「元朝式」、正午からの「新年互礼会」という昨年と同じパターンで元旦を過ごしましたが、一つだけ違っていたことがあります。
それは、互礼会で君が代に続き、「弘前市民の歌」が歌われたことです。
この歌に関しては、昨秋からいろいろなところで復活を願う声が上がっているのは知っていますし、何より一番強力に叫んでいらっしゃる方からは年賀状でまで議会で提言するように働きかけられていますので他人事ではないのですが、以前小連体について「語りき」で書いたとおり、市章や市の花・木などは制定されましたが、歌については決まっていない中で、岩木山が歌われているとはいえ、相馬については何もふれられていない歌を、市章について書いたのと同じ理由で、おいそれと認めるわけにはいかないと思います。

旧市民にとって「卍」のマークも「市民の歌」も当然のことと思っているのでしょうが、相馬出身で合併の効果を感じられずにいる立場としては、真の一体感を醸成するというのであれば、メロディは残しながらも新しい詩を募集するといった手だてがあると思います。
その一方で、「卍の城の物語」などで弘前市・青森県の歴史を漫画で紹介したり、「弘前人物志」の編さんにもかかわっている松原小校長・知坂元さんにあいさつできたのは互礼会の収穫でしたが、こういうよい取り組みは復活させてほしいことですし、弘前だけでなく岩木・相馬のの何を引き継ぎ、何を変えていくのか見直すことも、新弘前市づくりにとってはまだまだ不可欠なことだと思っています。

何はともあれ、弘前市そして議会を変えるための戦いを今年も続けていきますので、皆様のご指導ご理解をよろしくお願いいたします。

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